24 新たな主

 カヤが俺の命の恩人なら、カレンもまた恩人だ。


 さっき実を言えば俺はアルジュをもう少しでこの手で葬るところだった。


 王都にいる大事な人たちを救いたい一心でカヤの力までを引っ張って、殺そうとした。


 カヤの力にまで手を出せば、俺は確実に守の領域に含まれて同族殺しペナルティーを食らうだろう。だが構わないと、自分を犠牲にしてでも助けようと、そう思った。


 カヤは俺の決意に気付いたのかもしれない。だからいつになく声を張り上げた。アルジュが踏み止まれば俺もまた動かないだろうからと。しかしまあカヤが何を言ったところでアルジュには王都滅亡をやめる気はなかったと思う。

 カレンが平手打ちしてくれなかったら今頃どうなっていたか本当にわからない。


 結果的には王都はセーフ、ダンジョンはアウト。


 消滅は避けられない。


「ダンジョンが無くなるなんて何をどうすればそうなるわけ!? 守だか子守だか知らないけど、あんたが始めたんならあんたが止められもするってのが筋でしょ! もしかしてこの場を混乱に陥れるために皆を欺いてるの? そうなんでしょ! そうなのよね!?」

「この期に及んでそのような回りくどい真似はせぬ。一度放った矢が戻らぬのと同じで、わらわはもう自力ではダンジョン消失を止められぬ」

「何ですってーっ! もう一発叩いていい? 今度はグーで!!」

「わーっ待て待て落ち着けよカレン!」


 今にも本気で飛び掛かりそうだったカレンを羽交い締めにする。またビンタなんてしてどうも弱ってるらしいアルジュがその瞬間にぽっくり逝ってもあれだ。それこそもう完膚なきまでに問答無用で終わりな気がする。

 因みに以前の俺のステータスに戻っているからカレンを止めていられるが、そうじゃなかったらどこかに投げ飛ばされてたなこりゃ。


「放しなさいよ! イドは何とも思わないの!?」

「俺だって仕事場所がなくなるのはキツいって! だがその前にここがどうなるかわからない。死んだら元も子もないだろ。カレンはダンジョンと一緒に心中したいのか?」

「そんなわけないでしょっ!」


 仮に消滅したとして、ここは単にそっくりそのままダンジョンが抜けた空間が残るだけか? それならマシだ。

 カヤのダンジョンは跡形もなく塵になり、その跡地は周囲と同じく砂漠になった。同じようならそうなるだろう。


「早く放しなさいってばーっ!」


 カレンを押さえたまま考え込んでいたら、俺の思考を察したのかカヤがこう言った。


「イド、ここは各階層の地面をアルジュの力で持ち上げて支えていた。だから、支えがなくなれば、崩落するかもです」

「えっ……マジ?」


 柱の無くなった天井は、必然落ちる。


「絶対そうなるとは言えない。けど、たぶん」

「ならあとどのくらいつ!?」


 ソルさんたちも大いに慄いた様子で互いに顔を見合わせると天井を心配そうに見上げた。


「そ、そうだ皆でテレポートすればいいんじゃないか?」


 すると、大人しくしていたアルジュが咽の奥で短く笑った。


「ダンジョンからのテレポートは無理じゃの。わらわの管理下ではなく、ギルドの方でその手の魔法は構築されているのじゃ。この混乱の中解除したとも思えぬ」

「くっ、同感だが元凶に言われて何か複雑だっ。っつかお宅外部委託多いなっ」

「人類管理ダンジョンじゃからのぅ~」


 カヤのダンジョンとは大違いだっ。

 今考えるとあのダンジョンはかなり巨大だったし、守にも冒険者みたいにランクがあるならカヤの方がアルジュよりも上?

 まあそれはさておき、なら自力で上るしかない。


「俺たちすぐにでも――」


 カレンを放して促そうとした俺は、アルジュの異変に思わず言葉を切っていた。


 彼女の白髪が毛先の方からさらさらと闇に溶けるようにしてなくなっていっている。


 彼女をこの場所に繋いでいる魔法的な鎖も然り。あちこちが小さく齧られるようにして消えていっていた。

 消滅速度は窮地って言葉が相応しいくらいに速い。

 本格的にヤバい。どうすればいい?

 カヤなら俺たち全員を護りながら外まで運べるだろう。


「カ――」


 俺は恥知らずにもカヤの力に頼ろうとして、直前で踏みとどまった。言葉と共に唾を呑み込んでやや俯いて息を吐く。あー、駄目だな俺は。最低だろ。カヤを無意識に利用しようとした自分に嫌気が差す。

 胸にじわりと広がる苦いものを押し隠して早く退避をと促そうと顔を上げた。


「え、カヤ……?」


 彼女は何故か同胞アルジュの正面に立っていた。


「アルジュ、あなたは今になって選択を後悔している、です。そこの人間の娘に会って生かそうと思ったから。だから、うちが引き受けてあげるです」


 アルジュは意外にも目を丸くして驚いたようだった。


 ……それより、引き受けるって何を?


「まさか、カヤールの方から持ち掛けられるとは思いもよらなんだのぅ。どういう風の吹き回しじゃ? 王家との血の契約は無効になるにしても、覇王様から託されたわらわの大地の契約までをあっさり引き継ぐというのか?」


 大地の契約。

 ――守はダンジョンを営む上で絶大な力を得るが、基本的にその地に縛られる。多少の遠出はできるが守によって移動距離は異なる……って決まりだっけ。

 そのせいなのか、守はダンジョンから出たがらないのが普通らしい。カヤもそうだったな。

 リンクしていると、こんな風にカヤの知識も共有可能なものは共有できる。面白いって言ったらカヤは気分を害するだろうか。まあそれもそのうちリンクを切ればできなくなるが。

 一方、カヤと相対するアルジュは猜疑心を露わにした。


「大地の契約によってお主の力の大半はこの地に注がねばならぬし、その少年の行き先によっては必ずしも同行はできなくなるのじゃぞ? 本気で言っているのかカヤール?」

「そこは心配要らない、裏技があるです。そもそもアルジュはそこの娘のためにうちに押し付けるつもりだった、違うです?」

「……」

「だったら細かいことは黙っているです。時間の無駄」


 どや顔のカヤにアルジュは頬をひくつかせた。


「ほ、お主も随分と饒舌になったものよのぅ。その少年がそこまで大事とはのぅ」

「アーネスト国王に対するアルジュと同じ」

「――っ、黙れっ! わらわと繋げてあの裏切り者の名を出すな!」


 地下空間内に強い風が走り、俺たちはめちゃくちゃに髪を乱す強風に耐えなければならなかった。じいさん国王はよろけたがウォリアーノさんが支えてやったからホッとした。ああ老人介護。

 両目を見開いて物凄い形相になって激昂したアルジュは憎々しげにカヤを睨んでいる。


 怒っている……はずなのに、俺には何だか泣きそうにも見えた。


 俺たちの知る歴史じゃ、初代コーデル国王アーネストは国を建てた後は早期に国王の座を甥に譲って悠々自適な生活を送ったとされている。そこにダンジョン守アルジュの名は一つも出てこないが、彼の最大の功績はこのコーデルダンジョンだ。

 人類の手で管理できるようにしたのが彼だと言うのはこの国の人間なら誰でも知っている。


 人外の存在が関わっていて、裏切りとか、そんな負の一面があるとは微塵も思わなかった。


 ……アルジュは、とても傷付いているのかもしれない。俺のガラスのハートなら粉々になってるよ。


「アルジュ、怒るなら済んでから。時間がない。あなたはもう後がない。自分自身をちゃんとそろそろ自覚するです」


 カヤの言葉はその通りで、アルジュはどんどん失われていっている。


「わらわ自身を……?」


 アルジュは真顔になるとゆっくりと体を見下ろした。


「おぉ……、おおぉ……、いつの間にかここまで疲弊していたんじゃのぅ」


 ようやく悟った彼女はまたくははと笑う。

 陰気なものとは違う、嫌なものが吹っ切れたような、解放されたような、そんなからりとした笑い声だった。


「おぉ、あああぁぁ、無い。わらわが無い。ああははは、こんななりでは愛しきアーネストに嫌われてしまうではないか!」


 そのくせ、こう直前を忘れたようになる。


 カヤの言うように、彼女は半分正気で半分狂気だ。


 会話ができていた部分じゃ正気だったんだろうし、狂気によって突き動かされている。


「イド、うちはこのダンジョンの新たな守になるです。だからここは崩れない。安心していい」


 正直困惑していた俺にカヤは小さく頷いてみせた。


「新たな守って……。カヤ、それは平気なんだよな? カヤが苦しむとかはないんだよな?」

「それはないです。荷物が一つ増える、でも筋肉も増えるからどっこい、みたいなもの」


 はは、何か例えがおかしいな。だが重大な負担にならないなら良かった。

 守は自死できないが、魔物の強力化や何かでその力を使い果たすのは自死には当たらないらしい。魔物が異常化しようとその時点ではダンジョン存続には何ら影響がないからかもしれない。たとえ後に守が消えようとも。

 加えて、別の守に譲るのも略奪の共喰いじゃないからペナルティーにはならない。


「アルジュ」


 カヤが少し苛立ったようにした。俺はカヤも腹を立てるんだなーなんて呑気にも思った。


「急かすでないわ。……ふん、そっちでイチャイチャしておったくせにのぅ」

「イチャイチャ!? いやいやいやいや何でそうなる!」


 殺気を感じたから振り向いたら、カレンの怖い目とばっちり合った。俺は何も見なかったと姿勢を戻す。


 意外だったのは、アルジュは気分を害しているのかと思いきや、とても柔らかく微笑んでいた事だ。


 消滅へのカウントダウン。千々に崩れ去る体は痛みもないのだろうか。彼女はカヤや大人たち、そして最後にカレンへと安堵したような目を向けた。


「イドとやら」

「ん!?」


 俺の存在はスルーされてたんだと思ってたら何と俺に話し掛けてきた。


「お主にダンジョンの善意を頼んだのじゃ。不思議にも、あの子らは純粋で無邪気にお主を慕っているようじゃからのぅ。わらわにもさすがに想定外じゃったわ」


 え? ダンジョンの善意?


 コーデルダンジョンの……善意…………ってもしや宝箱たちか?


 バックンバックン、パカッてなあいつらの姿を脳裏に浮かべた俺はちょっと和んだ。アルジュにも宝箱たちは可愛い存在だったのかもな。


「言われずとも、責任を持って宝箱たちには餌やり、ああいやいや素を補充していくつもりだよ」


 どんと来いと胸を叩けばアルジュは満足そうにした。俺が初めてコーデルダンジョンに入った時から彼女は滅ぶつもりでいたのかもしれない。そう思うのは俺の考え過ぎだろうか。

 とうとう首が消え頬が消え残ったアルジュの額に、カヤが指先を触れる。

 光が溢れて眩しくて何も見えなくなった。


 目を開けた時には揺れは止まっていて、アルジュは白布を残していなくなっていた。


 呆気ない程に呆気ない。


「アルジュ様……」


 静かに国王が俯き瞑目した。彼は程なく顔を上げるとカヤへと深くこうべを垂れる。


「新たなダンジョン守様、この先ここをどうなさるか、それはあなた様次第でしょう。ですが、この国の王としてどうか王都の民草の生活を守っていって頂きたいのです。図々しい頼みだとは自覚しておりま――」

「イド、このヨボヨボ煩いです」


 はい、空気が凍ったねー。

 国王の言葉に重ねて遮る不敬もやらかした。

 だよなー、基本カヤは人間が嫌いなんだったよー、初対面のじいさん王なんて毛程にも敬えないよな!


「言われなくても、ここは今まで通り」

「あ、はっはい、この国の王として心より感謝致します!」


 国王は色んな意味で涙ぐんでまたもや深く一礼した。


 とりあえず、ダンジョン危機は解決した。


 アルジュの力は大半が使われていたものの、カヤの元々の強さがその点を問題にはしなかった。カヤ曰く、ダンジョン維持に何ら支障はないらしい。


 ただ、守が変わってもダンジョンのダメージまでは修復されないのか、大穴はそのままだ。


「穴まではカヤの管理外なんだな」

「直そうと思えば直せるです。けど、専属の修繕師たちがいるから、彼らに任せる。彼らの大事な仕事を取れない」

「あ、そうか。だよな」


 しかし何だ直せるのか。


「王宮側はもう関係ないけど、ギルドとは改めて話し合いをするつもり。省エネのためにも色々としてもらうです」

「省エネ……」


 カヤの口から出るとは思わなかったよ。

 直ると言えば治るだ。俺は軽く一息つくとさっきから何か言いたそうにしているカレンの方を見やった。


「カレン、今更だが、ちゃんと良くなってて安心した……ってホントに大丈夫なんだよな?」

「ええ。この通りよ」


 そうか、と自然と深い息が出た。安堵の。


「なあところで、ここは何をする場所なんだろうな。何故か檻が置いてあるし」

「あたしもこんな所は初めてだからよくわからないわ」

「ここは、虐待場所」


 カヤの口から不穏な単語が出てきて、俺は当初感じた嫌な感覚を思い出す。


「けど、もう必要ない。うちがさせない」


 カヤの視線は老王を向いている。

 ウォリアーノさんと話していた彼の方もタイミングよくこっちを向いた。正確にはカレンをだったが。


「彼から話を聞くといい」


 カヤの促しで、事情を一番詳しく知る相手から俺たちはここの凄惨な使用方法を聞いた。ウォリアーノさんは薄々知っていたようだが、彼が思うより余程酷かったのか俺たち共々暫し絶句していた。それに、ここの魔物が好戦的に冒険者に襲い掛かってくる謎も解けた。

 この場を利用して後ろ暗い殺生をしていたのは他の王族で、国王は複雑に絡み合った利害のせいで禁止もできず見て見ぬふりをするしかなかったらしい。王女の悲しい一件があってからは特に目を背けてきた。それでも国王は事実上黙認していた自身をずっと責めてきた。

 彼は悔恨と羞恥に顔を歪ませながらも一つ一つ丁寧に語ってくれた。伝えるのは役目と感じているんだろう。

 自らの無責任と罪を認める彼は、王宮に戻ったら他の王族共々けじめを付けるとも言った。


 結構な衝撃だったが聞き終わってからこの場を見てみると胸が痛んだ。長いこの国の歴史の陰で一体何人がここで命を奪われたのか、想像もつかない。

 恐ろしくて醜い物ばかりの連続で、そりゃアルジュだって気もおかしくなるだろう。


「あの、ところで一つ疑問なんですが、初代国王は本当にアルジュを裏切ったんですか? アルジュは病んではいましたが愚かには見えませんでした。裏のあるそんな人間に惹かれるものかなー、と」

「うちならイドがそんな人間でも大好きです」

「ええ? あー、どうもな」


 参考にならない。カヤでも社交辞令みたいなの使うのなー……ってカレンの目がまた怖いっ。


「――骸の室があると、聞いたことがあります。過去に、ミラ様から」


 するとそう静かに切り出したのはウォリアーノさんだ。


「ですよね、陛下?」

「うむ。真実は時の彼方で余にも正確なところはわかりかねるが、その骸は……骨は、初代国王のものと言われておる」

「へえ、でっかい墓ってことですか? さぞかし贅を凝らした墓室なんでしょうね」


 俺の安い想像に国王はやや表情を翳らせた。


「そこは墓室であって墓室ではない。言うなれば窓のない独房或いは牢獄。しかも彼の体は死者の尊厳もなく半分壁に塗り込められておる」

「え……」

「首の骨の断面からして、生きているうちか死後かはわからぬが、頭部は何者かに切断されたのだろうな。アーネスト王が本当にアルジュ様を裏切っておったのかどうかも、今となっては誰にもわかりはせぬのだ。ただ、ある時点で彼自らでは行動できなくなったのは確かだろう」

「まさかそれって、謀反が……?」

「さてな。彼の次の王であり二代目の契約者が彼の子ではなく、まだ幼かった彼の甥なのは、アーネスト王には子がおらんかったからだが、まだ若く壮健だったはずの彼の譲位が異例の早さだったのは、歴史的に不可解でもあるのだ」


 身内の間で権力欲に目が眩んだ者がアーネスト王を害したのかもしれない。

 しかし真実はもう過去の闇の中。アルジュは人間の欲深さに翻弄された憐れな女だったのかもしれない。

 そう思ったら、お前何くそーって思っていたのがちょっと薄れた。

 されど、この知られざる地下空間で彼女がやっていた事を帳消しにはできない。

 これは王宮だけが知っていて、ギルド側は一切噛んでいないとも聞いた。あのギルドマスターの老人ゴルドーさんがそんな不条理な真似を見過ごす性格には見えないから事実だろうな。

 アルジュには同情はするが、だからと言って赦せるものでもないんだ。

 一件落着したが、心はすんなり澄み切らない。清濁が混在している。直面するのは楽しく喜ばしい事ばかりじゃない。絶えず変化する。それが生きてるって証だ。






 地上までは来た時とは逆ルートで、国王を連れてひたすら大穴を上昇した。魔法が大得意なウォリアーノさんがいたし皆自力で戻れる実力者揃いだったのもあってトラブルなく地上のダンジョン前広場にたどり着いた。

 そこじゃ揺れが収まって安心した顔の冒険者たちが親父を取り囲んでいた。凄い凄いと興奮する同業相手に上機嫌で応対している。さすがに人の気配に落ち着かなくて起きたんだろうな。

 俺たちの帰還に気を揉んで待っていたアシュリーさんとリリアナさんが駆け寄ってくる。

 詳しい事は後で話すとして、もう大丈夫だって伝えたら、二人は俺とカレンを纏めて抱きしめてきた。


「……おいおい、俺の寝てた間に何があったんだ? 起きたら揺れててびっくりしたぜ。ダンジョンが絡んでるようだって聞いて俺も急ぎ行こうとしたんだぜ。そうしたら止んだけどな」


 広場の冒険者たちと楽しく会話していたはずの親父まで俺たちのとこにやってきた。

 そんな親父は何故だか俺をじっと見る。


「何だよ? 何か言いたげだが」


 怪訝にすると親父は居心地の悪そうな顔をした。


「あー、あのな、無事で、そうっ無事で何よりだな!」

「ん、まーそこはお互いに。そっちも平気そうで良かったよ」


 親父はまだ何か言い足りないのかこっちを凝視してくる。


「何だよ気持ち悪いな。言いたいことがあるなら言えばいいだろ」


 無謀だとか勇敢と蛮勇を履き違えるなとか、俺を叱責し諭したいのかもな。覚悟して待っていると、がしりと肩を掴まれた。


「イド、叩きのめして悪かった!」

「……え、何の話? ドラゴンを先に倒したってことなら別に獲物横取りとか思わないし、謝る必要なんてないよ」

「いや、そのー……家出の原因のあの時のことだ」

「あー…………。ハッ、今頃かよ」

「ああっ今頃だよっ。本当に悪かった、ごめんな!」


 これっぽっちも期待なんぞしてなかった言動に、はあ、と思わず嘆息してしまった。拍子抜けもいいとこだろ。


「ぶっちゃけ、んなのとっくにどうでもよくなってたよ」

「そりゃお前嘘だろっ。広場に俺を放置して行ったじゃんっ。まだ怒ってたから仕返しだったんだろおおおんっ」


 俺の見たくないものトップ10に親父のヒステリーを入れておこう。


「……や、まー、否定はしない」

「だろーっ! ……それで、溜飲は下がったか?」

「まあ、大体」

「ならもうわだかまりはなしだかんな! なっ!」


 何だかなあ。苦笑が漏れる。


「はいはいわかったよ」


 はあ、もういいや。こんな時、親父には敵わない。


「親父」

「何だ」

「前も言ったが、勇者に戻れよ」


 今回の騒動でも王都の住民の口から親父の話が出たのを何度も聞いた。

 超一流冒険者の存在は、称号返上してもなお、もしもの時の元勇者頼みではあるものの、人々の心に刻まれているんだってわかった。

 それに、俺の憧れの勇者が健在だったのが偏に嬉しかった。本人にはまだ言わないが。


「称号一つに固執するのは無意味だが、その称号が支えとなることだってある。親父が勇者に戻れるなら、この国にとっては僥倖だ。もちろん俺にとってもな」


 俺は戸惑うような視線を向けて来る親父に笑ってやった。

 親父は途端に目を潤ませる。


「イドーーーーッ! 皆見ろこいつが俺のちょーう可愛い息子だぜ。いつか称号持ちになる奴だからよくしてやってくれよなーーーーッ!」


 暑苦しく抱き付かれて目立つ紹介までされて、俺はいつになく血走った目で親父を見てやったよ。有名になったら補充業務に差し障るだろうがっ!

 俺の塩対応どころか辛子対応に親父はうぐっと呻いて俺を放した。

 知り合いたちはそれぞれ苦笑顔や笑顔で見ている。

 中でも国王がカレンを盗み見ながら、俺たちを羨ましそうにしていたのは印象に残った。


「おう? 何だ何だクソガキジェード、辛気臭い面してよお?」


 ややあってギルドマスターのゴルドーさんもやってきて親父をからかったが、近くに国王がいたのに気付いて大いに驚いて畏まっていた。ソルさんはそんな彼にドラゴンの魔石をギルドで換金すると如何ほどかなんて訊いてたっけ。


 ウォリアーノさんから王都の安全を伝えられたゴルドーさんが広場に向かって事実上の勝利宣言をすれば、余計に広場は賑やかになった。


 ん? あれは……。

 指示されたのか修繕師たちがダンジョンへと入って行く。

 もしかしたら明日にはもうダンジョンは通常通りに戻るのかもな。


「すぐにまた補充も再開するよなあ。どうするかな俺……」


 広場の喧騒に紛らせるように一人呟く俺は悩んだ顔でダンジョンを見上げる。


「イド、どうしたです。難しい顔です」

「あーうん、ちょっとな。ほら俺、補充の仕事は続けたいが、俺が会社の皆といたら要らぬ迷惑をかけるかもしれないだろ。ダンジョンの天井壊したみたいにさ。まだ半分人外みたいなもんだしな。だからしばらくは会社とは別口で補充して回る方が無難かな、と」


 カヤが無言で俺の頭を手で打った。スパーンと小気味良い音が出たよ。


「いってえーっ!?」

「うちはイドに幸せに生きてほしくて生かした。友達だから。卑屈は制裁」

「わわっ、わかったわかったって、悪いカヤ!」


 俺はやっぱ愚かで弱いな。カヤの気持ちを考えて無さ過ぎだ。ってかさ、少し一緒にいただけでカレンの狂暴さが移ったとかじゃないよな?


「話は聞いたぞ馬鹿息子よ」

「あ、何だまだ居たの親父」

「泣けるぜ塩対応……!」


 親父は一通り本当に泣いてから気を取り直した。


「ったくよ、勝手にいじけてんな」

「いやそれはあんただろ」

「半分人じゃない? 別にいいじゃねえか。俺とレイラの息子なのは未来永劫変わらないんだからよ。それだけで俺と暮らす理由は十分だろ!」

「えー、また親父と暮らせってのかよ?」


 ついうっかり出た本音に親父はキュッと見捨てられたアザラシみたいな切ない顔をした。


「イドの一人立ちの時だぜ、ジェード」


 ソルさんがそっと親父の肩に手を置いて慰める。親父はまだ未練がましい目でこっちを見ていたが受け入れたのか咳払いした。


「ぅおっほん、守とか魔物とか人外とか、んなみみっちいことでぐだぐだ悩むんじゃねえよ。勇者目指すんだろお前は。俺もまた称号再獲得目指すから、当面はお前のライバルだぜ?」

「親父……じゃあ!」

「お馬鹿イドーーーー!」


 目の前に希望が広がったところであっという間に暗転。食らった飛び蹴りはカレンから。ぐへ。


「あのねあなたが半分ダンジョン守だろうとスライムだろうと駄犬だろうと、あたしの相棒には変わりないわ。何を変に遠慮してんのよ!」

「駄犬て……カレンひでぇー……」

「そうだよイド君、水臭い。君はもうとっくにうちの立派な戦力なんだから、抜けてもらっては困るかな。折角シフトがユルくなったのに、君がいないとぐーたらできないし、ゆっくりコーヒー休憩もできなくなってしまうじゃないか」


 え、ウォリアーノさん? まさかこれが俺をスカウトした本来の目的で……?

 マスター、とアシュリーさんとリリアナさんが呆れている。


 ああ、何て他愛のない。


 何だよ、不安は杞憂じゃないか。


「はは。俺ってホント、しょうもな」


 変わったようで変わらない。

 全ては俺の心次第、か。


「じゃあこれからも宜しくな、相棒」

「望むところよ」


 カレンと二人、コツンと拳と拳を突き合わせた。


 それから間もなくギルド職員の数も増えて、広場の冒険者たちは一旦解散するよう言われた。俺たちも例外じゃない。ウォリアーノさんや親父とか大人たちはまだ話があるようだったが、若者組はもう帰って休むように言われたよ。

 そんなこんなで長い一日は日を跨いでようやくの終わりを告げた。






 薄暗い半地下の室内で、疲れ切った少年はまだ深い眠りの中で癒されまつげさえ震えない。質素な寝具の中の寝息は穏やかで、何も案じる事はないとそう感じさせる静寂が満ちている。


 金髪の少女も、王都の混乱で疲れ果てたほとんど大半の人々も、赤毛の少年と同じく目覚めには遠いようだった。


 新たな日が昇り街で逸早く照らされる白い塔の天辺。屋上庭園の縁に佇む白い人影がある。


 塔の中では静けさとは対照的にギルドの人間たちが忙しそうに不備はないかと立ち働いていた。

 その動きを華奢な身に感じつつ、少女の長い白髪が上空の風に遊ばれる。

 彼女はついと王宮のある方角を眺めた。


 その頃、王宮の閉ざされたはずの暗い地下室に、一つの風が舞い込んだ。


 どこからともなく吹いた微風は埃を伴い仄明かりの軌跡を描きながら一番奥の壁際まで空気を揺らした。

 白骨の埋め込まれたそこまで。


 ――おおアーネスト……。可哀相にもこのような所に独りでずっとおったのじゃな。長い間勝手に誤解していて済まなかったのぅ。でもやっとこうして……迎えに来れたのじゃ。


 将来を誓った二人で紋章を決め、その最愛の女性から戴冠の祝いとして贈られた指輪を最期まで離さなかった男に、風は満足げな気配を残してふっと消えた。


 朽ちるはずのない指輪と、そして骸がポロポロと崩れて消えてなくなった。


 その不可解な現象は後日王宮を少し騒がせる事になるのだが、アルジュの最後を知る者たちは胸打たれたように黙したという。


「アルジュ……」


 屋上庭園に佇んでいたカヤは下ろしていた瞼をゆるりと持ち上げた。


 意思の残滓が自分を取り囲んでいた。


 ――そなたは決してわらわのように騙されるでないぞ。されど人間は狡猾で、そして何とも、奇妙に温かい生き物じゃ。


「ん……」


 カヤの微かな頷きに残滓はそれきりもう何も語りかけては来なかった。

 カヤは一度明けていく空を見上げ、そして塔から一望できる王都を眺め、ぽつりと声を落とした。


「安心して、ゆっくり休むです」


 悪戯な風の手が美しい白髪を揺らしてはまた揺らす。

 一度失くした家同然のダンジョンをこんな形で再び得ようとは、彼女自身思ってもみなかった。

 ここでも大事なものができた。

 いつの間にか彼女の口元には天使のような微笑が宿っていた。

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