1995年12月14日、総武快速線

りーりん

1995年12月14日、総武快速線

 今日は千葉にいる友人のところへ遊びに行っていた。

 学生時代からのオタク仲間で、軽く飲みながらオタク話を盛り上げ、これから終電で帰るところだ。


 俺は駅のホームで最後の乗客を待っている総武快速の電車へ乗り込む。

 ボックス席へ座り、出発を待った。


 慌てて駆け込む乗客も多く、終電といっても空席はどんどん埋まっていく。

 俺は鞄からウォークマンを取り出していつもの曲を聴きながら、窓の外を眺めていた。


 ちらりと腕時計を見やると、出発時刻が迫っていた。そろそろか、というところで、一人の女の子が俺の向かいの席へ走り込んできた。


 出発のベルが鳴り響き、最終電車は千葉駅から出発した。


 流れていく町並みは、夜景というほど煌めいてはいない。ほとんど暗闇だ。


 ーーーーー


 津田沼駅を過ぎたあたりで、向かいに座っている女の子が鞄をあさり始めた。何かを探している様子で、がさごそと腕を動かしている。


「あっ」


 女の子の小さな声とともに、一枚の何かが俺の足下へゆっくり落ちてきた。

 無視しようと思ったが、その一枚の軌跡をしっかり見てしまったから、拾わないわけにはいかない。

 やむなく、俺のスニーカーに着陸した一枚の何かを手で持ち上げた。


 切符だった。

 見たかったわけではないが、ちらりと行き先が見えてしまった。


 横浜。

 彼女は俺と同じ横浜まで乗車するようだ。


 俺は無言で彼女へ切符を渡した。

 ありがとうございます、と言いながらいそいそとポケットへしまう。どうやら探していたのは切符だったようだ。

 彼女は安堵した様子で再び鞄の中へ手を入れ、がさごそまた何かを探り始めた。

 掴み出したのは、未開封の缶ジュース、2本。


「これ、よかったらどうぞ」

 差し出された缶ジュースに、俺は少し戸惑った。見ず知らずの、しかも年上であろう俺に話しかけてくるなんて、無防備すぎじゃないだろうか。

 いや、別に俺は害のないただのオタクだが、彼女の勇気ある行動に驚かざるを得ない。


 しかし、差し出された缶ジュースを拒む理由もないので、俺は受け取った。


「あ、どうも……」

 彼女は小さく微笑んだ。


 最終電車は市川駅に停まり、これから東京へと進んでいく。


 ーーーーー


 彼女にもらったオレンジジュースをちびちび飲みながら、外の景色を眺めた。

 遠くに見える都心は、こんな遅い時間でも目立つ程輝いている。

 向かいの席にいる彼女も、アップルジュースを飲みながら景色を見ていた。彼女からすると、千葉方面の町並みが見えているだろう。

 そんな事を考えていると、彼女から質問が飛んできた。


「どちらまで行かれるんですか?」

 俺は失礼かと思い、イヤホンを外して回答した。


「横浜です」

 いかにも学生というあどけない幼さを見せる彼女に俺は畏まっていると、変に思われたのか、彼女は笑った。


「一緒ですね、私も横浜なんです」

 切符を見たから知っていたが、あえて知らないふりをして驚くことにしよう。


「偶然ですね、俺、自宅が東神奈川なんですよ」

「私は桜木町の方です、結構近いですね」

 あまりの近さに驚いたが、彼女も同じらしい。まさかたまたま座った向かいの男が近所に住んでいるなんてそうそう無い事だろう。


「もともと千葉の人なんですか?」

「いや、今日はたまたま友達のとこにいたので。滅多に来ないですね、千葉」

 俺は人見知りをするし、年下の女の子ということもあって変な緊張がとれないでいる。

 社会人になってから年下と話すのは新卒の奴らくらいだし、それ以上に彼女には幼い印象がある。

 どちらかというと地味めだが、もう少し成長して化粧をすればだいぶ可愛くなりそうだ。


「そうなんですね。私は、今日初めて千葉へ行ったんです。当てもないのに……」

 彼女は表情を曇らせた後、精一杯笑顔を繕った。

 どう見ても18歳未満の彼女。時刻は深夜にさしかかる。

 何かわけありなんだろうか。


「千葉は、何もないですよね」

 深く聞けない雰囲気、深く知っても仕方ないので、話題を軽く流していくことにしよう。


「思ってたより何もなかったですね」

 彼女は笑顔を作っているが、ハリボテのようだ。

 すぐ壊れてしまいそうに、目元を潤ませている。


 間もなく最終電車は地下へ潜り、日本橋へ。

 しばらく、外の景色を眺めるのは休憩だ。


 ーーーーー


 なんとなく気まずい雰囲気になってきた。

 彼女はあれから言葉を発せず、俯いてしまっている。

 どうしたものか。


 少し考えてから、厄介事は御免だが、ここは大人として彼女に接しようと決めた。


「そういえば、千葉は観光で?」

 彼女は間を置いて、返事した。


「遠くに、行きたかったんです。横浜駅で時刻表眺めてて、たまたま総武快速が目にとまったから……」

「当てのない旅をしたかった、てきな?」

 彼女は力無く笑って、真相を口にした。


「とにかく遠くへ行きたかったんです。家に、いたくなかったから」

 俺はその発言からピンときた。


 彼女は、家出をしたかったんじゃないだろうか?


「でも、これから横浜に行くってことは……」

「はい……もう、帰ります」


 彼女は、再び窓の外に視線をやった。

 最終電車はすでに地下から上がり、品川駅へと滑り込んでいた。


 ーーーーー


 品川駅で、飲み会帰りのサラリーマンが集団で乗り込んできた。隣のボックス席へ座り、居酒屋でのテンションをそのまま持ち込んでいる。


 車内が騒がしくなったところで、神奈川県へと電車は走り出した。


「あっという間ですね、もう神奈川に入るなんて。行きは結構時間かかったような気がしてましたけど、家が近くなっていくのが嫌だからかな」

 彼女は俺と目を合わせず、独り言のように話し始めた。


「家出してやるーって意気込んで出てみたけど、私はまだ子どもなんだなぁって思い知らされました。自由な大人が羨ましいです」

「大人も大人で、大変ですよ」


 そう、大人も大変なんだ。むしろ社会へ出て責任という重い足枷を引きずりながら、働いていかないといけない。

 逃げ場なんて存在しない。いかに生きやすい人生を送るかは、どう行動するかにかかっている。


 俺も、また明日から仕事だ。


 彼女は大人への憧れがあるのか、自由に見えるのか、俺を羨ましがった。

 俺は、学生の方が希望もあり時間もある、何でもやり直せる若さもある事を伝えた。


「人は、無い物ねだりする生き物だと思いますよ。子どもは大人を羨ましく思うし、大人は子どもに戻りたいとも思う。自分の人生があまり良いものでない程、だね」

「学生に戻りたい、とか思ったりしますか? 毎日勉強や友達付き合いですよ?」


 彼女の問いかけに、俺はふと昔を思い出した。毎日友人とだらだら遊んで、適当に勉強をして、必死になって受験勉強して。

 今思えば、もっとこうしていれば、あの時これをやっておけば、なんて後悔もある。

 しかし、今更思ったところでどうにもならない。


「戻れるなら、戻りたいさ。きっと、君も大人になったら同じことを思いますよ」

「そう、なんですかね。戻りたいなんて、思うのかな」


 賑やかな最終電車は川崎駅を越え、横浜に近づいた。


 ーーーーー


 見慣れた町並みも、夜は別の町を見ているようだ。今日は月明かりが眩しいが、それでもこの時間は暗い。

 遠くの方に見える横浜駅を囲うビルにはまだ明かりが灯っていた。


「もう横浜に着きますね。なんかたくさん変な話しちゃってすみませんでした」

「いや、こちらこそ大した事言えてなくて、申し訳ない」

 二人して、お互いに軽く会釈した。


 彼女は、明日から大丈夫だろうか。自宅にちゃんと帰るだろうか、なんとなく気になってしまう。

 気になったところで、俺に出来る事は何もない。しいてあげるなら、見送る事だ。


「誰にも言った事ないんです。こんな子どもの話、聞いてくれてありがとうございました」

「いや、少しでも気持ちが軽くなってくれたら、それで……」


 車内アナウンスが流れた。

 間もなく、最終電車は横浜駅へ到着する。

 隣のボックス席にいるサラリーマン達は酔い潰れているようで、起きる気配はない。


 車体がブレーキの重力を受け、停まろうとしている。

 俺と彼女は荷物のチェックをして、車内のドア付近へと向かった。


 最終電車は停車し、ドアが開く。

 車掌のアナウンスと共に乗客がホームへ流れ込み、俺と彼女もその流れへ身を投じた。


 ホームの階段を降りる前に、彼女は俺と目を合わせて小さな声で問いを投げてきた。


「あの、また会えますか?」


 会える保証はなかった。連絡先も聞いていないし、名前すらわからない。

 約10歳は離れているだろうし、安易に家電なんて聞いて下心と思われても困る。

 しかし、俺はまた会いたいと思っていた。

 何かに悩みながらも、笑おうとする健気な彼女を、支えたいという気持ちが芽生えていた。


「多分、また会えるよ」


 俺の返事に彼女は微笑んで、一礼した。

 人の波に乗って階段を駆け下り、あっという間に見えなくなっていく。

 俺は、見えなくなった後も階段の上から彼女が消えた場所をただ見つめていた。


 ーーーーー


 翌週、俺は特に用もなく総武快速線で千葉駅へ向かった。

 ボックス席へ座り、なんとなく景色を眺めながら。

 あれから彼女は無事に帰宅しただろうか。

 学校へ行けているだろうか。仕事中もふと気になっていた。


 もしまた会えたら、今度は名前を聞こう。

 それから、缶ジュースのお返しもして、あれからどうなったのか聞きたい。


 いるわけないと思いつつも、俺は千葉駅で適当に時間を潰し、最終電車がホームへ入ってくるのを待った。


 彼女との唯一の繋がり、総武快速線の最終電車が到着。


 俺は、胸の高鳴りを押さえながらボックス席へ座った。



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1995年12月14日、総武快速線 りーりん @sorairoliriiro

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