第3話 魂を買う王女〈2〉


 先祖代々から王の魂が眠ると言われている中庭。

 王族しか立ち入ることを許されぬ、白いリコリスが咲き誇るこの場所で、それは父王様の口から告げられた。


「王都より遠く西にある渓谷で、魔族に怪しい動きがあると一報があった」

「怪しい動き、ですか?」


 思わず眉をひそめるあたしに父王様は頷く。

 その後、老いが混ざり始めたあごひげをさすりながら、父王様は重々しく口を開いた。


「無論、ただの魔族ではない。知らせた者によるとその魔族は魔王軍であるとのことだ」


 この瞬間、あたしは実父により告げられた言葉を疑いたくて堪らなくなる。

 なにしろ魔王軍とは、はるか昔に滅びた魔族によってなる史上最も強大な武力国家イシャハラの無敵の軍隊を指すからだ。

 地揺れや水害のように防ぎようもなかった恐怖として後世にまで語られるそれが、今この時この大陸に再び現れただなんてとても信じられなかった。


 ……いや、正しくは『信じたくなかった』と言うべきか。


 あたしは父王様の瞳を見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 この神聖な場で、それも誠実であり賢王とまで言われた父王様が嘘や冗談を言うはずがない。

 今この時代に、魔王軍という恐怖は蘇ったのだ。

 あたしはゾッと背筋が冷え、緊張からか急に口の中が乾いた。

 しかし、目の前にいる父王様と同じ血が――あたしと同じく先の恐怖を見つめながら相対そうと強い意志を感じさせる賢王の目が、恐怖に心を支配させることを許さない。

 あたしは、この場で父王様に話を聴かされたことの真意を考えながら、震える唇を開いた。


「あたしに何を託されようとしているのですか?」


 すると、父王様はゆっくりと頷き、あたしに歩み寄りながら静かに語り始める。


「チノ……お前は昔からいかなる分野においても秀でた者を見分けることができたな」


 すると、最初に告げられた言葉は、優しい父親のものだった。

 だから、あたしは娘として『秘密』を抱えたまま、王の言葉に謙遜する。


「あたしに、特別な才覚などありません。ただ運よくあたしの好いた者が皆、優れていただけのことです」


 自らの細腕で、あたしは傷を庇うように自身の身体を抱いた。


「チノよ。謙遜とは時に美徳である。だが、美しく銀に輝く刃を敵に向けねばならぬ時、それを鞘に納めたままでは全てを失い、大きな傷になることもあるのだ」


 あたしに語り聞かせる父王様の言葉は重く……――


「お前には優れた者を見抜く良い眼がある。運が良いというだけでは語れない、それはお前の王としての資質だ。だからこそ、お前に頼みたいことがあるのだ」


 ――……同時に温かい。

 だからこそ、言えない『秘密』を抱える胸がひどく痛んだ。

 まさか、この良き父である王に告白できる筈もない。

 人間の頭上に触れもできず、自分にしか見えない数字が見えることなど。

 その数字が人間の買収額であり、金さえあれば魂を買い、自らの支配下に人ひとり置くことがいかに容易なことであるかなど。

 人間の頭上に浮かぶ、人間の値段を見比べ……優れた者を見分けていたことなど。

 こんな悪魔のような力を、娘が有している事実を……この人に言える筈もなかった。


 しかし――


「父王様が、そう信じてくださるのなら……」


 ――この悪魔の力が必要ならば、この力が王の資質というなら……国のために、あたしは喜んで使おう。


 あたしは、そう決意した。

 だが……。


「ああ。お前にしかできない、この国の行末の大事だ。良いか?」


 あたしの力は悪魔的でありながらひどく条件付きであることを、あたし自身まだ深く理解してなどいなかったのだ。


「チノよ。お前には、この国を導く真の英雄を見つけて来てもらいたいのだ」

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買収姫 奈名瀬 @nanase-tomoya

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