渡りビトの遠いなわばり

二階堂イカス

渡りビトの遠いなわばり

 を数日後に控えたある夕暮れ、港にちらほら集い始めたフレンズの間で、あるフレンズのことが話題になっていた。出不精な筈のその者があちこち出向き、あることについて尋ねまわっていたという。

「お前の所にも来たか」

 ヘラジカが、常の如くごとふんぞり返ってトキに言う。

「アイツ、私とカリブーを間違えて話を聞きに来たんだぞ? 失礼だと思わんか。カリブーとなら、私の方が断然強い」

「それは関係ないと思うけど。私もなかまのことを聞かれたわ。なかまの旅のこと。どこかへ行ってしまった、私のなかま……」

「歌う場所? を探してるんじゃない? って、言ったんだけどにぇ」

「歌うためにを? そんな動物いるだろうか……おっとすまない」

 アルパカの話にヘラジカが首を傾げると、大きな角が隣のコウテイペンギンを突いてしまった。コウテイはそれで自分が注目されているのに気付くや、やにわに真っ赤になった顔を覆った。

「私は、ハ、ハズカシイことを聞かれたっ……!」

「何ぃーっ!」

 何を考えてるんだ、アイツはーっ! そんな風に、噂が怒号に変わって風に舞い上がっていくのを、パークの知の巨人―博士と助手の二人は近くの樹上で羽休めがてらに眺めていた。

「あの者は着々とかしこくなっている様ですね、博士」

「そうですね、助手。教えた通り、話を聞いてまわっているです」

や旅をする動物について知りたいと言ってきたときは驚きましたが」

「あの者も思う所があるですよ。見守るとしましょう、我々は長なので」

「この島の長なので……おや、噂をすれば」

 林の茂みに、噂の主の姿があった。太陽は西へ、こうざんの陰へ隠れつつある中、そのフレンズは水平線の満月からしみ出す銀色の闇に紛れて背を丸め、しかしふてぶてしい風で歩いていた。動物だった頃の面影を残した横縞パーカーのフードからは、ターコイズ色の鮮やかなくせっ毛がのぞいている。

「ツチノコ」

 助手の呼びかけに、ツチノコは人慣れしない視線を寄越したものの、片手で応えてそのまま暗がりへと歩み去ってしまった。

「無礼な奴ですね。我々は長なのに」

「かしこいのに」

 あとにはカラコロと石を蹴る、一本歯のゲタのない跡だけが残った。


 そのはひときわ明るい満月で、地面に影が落ちるほどだった。細かな星々は眩しさに塗り込められ、幾分いくぶん空が淋しい。旅する動物けものには星がたよりの者もあると聞くから、こんな日は旅には不向きなのかもしれないと、ツチノコは待ち伏せがてら空を見上げた。背後では、観覧車が重いうなりで巡っている。こんな時間に、誰か乗っているのだろうか?

 そこへ風が吹いた。匂いが漂ってくる。待ち兼ねた、お人よしの匂いだ。時々一人でこの辺に現れるというのは本当だった。

「……ツチノコさん?」

「ぐ、偶然だな」

 かばんは、夜だというのに帽子をかぶり、トレードマークの荷物もキッチリ背負って現れた。ゆうえんちの固い地面に、二人の薄い影が並んで落ちた。

「お前の縄張りの話だ」

「縄張り……な、何か分かったんですか!?」

 短い世間話の後に切り出された話題は、珍しくかばんに昂った声を上げさせた。

「落ち着け。……グレートジャーニーって知ってるか」

「ぐれーとじゃーにー? いえ……ちほーの名前ですか?」

「ヒトってのは、えらく遠くまで旅をしたらしい。住む場所をどんどん変えて、移動を続けるみたいだ。どこへ行くか知らないが、ずっとずーっと、生まれた場所を離れて海も渡って、おかをいくつも越えてな。それをヒトのグレートジャーニーっていうそうだ」

「……何のためでしょう?」

「それが分からん」

 ツチノコの言葉は呻く様だった。悔しげでもあった。

みたいなものだと思って話を色々聞いてみた。ヘラジカだろ、トキ、シマウマ、コウテイ……」

「そんなに」

 目的さえ分かれば、行き先に目星をつけることもかばんなら出来るかもしれないとツチノコは考えた。食べ物、寝ぐら、温かさ。の事情は様々だ。けれどそのどれも、今のパークを出てまで旅をする理由にはならないというのが結論だった。

「コウテイさんも旅をするんですね」

「あいつは、こ、子作りのためだ。聞き出すのに骨が折れた。マーゲイはうるさいし、本人は恥ずかしがるし。大変だった」

「色々理由があるんだ」

「歌う場所探しだなんて言う奴もいたがな」

「それ、トキさんですね」

 言ったのはアルパカだったが、トキが言ったも同然だ。かばんはころころと笑い、懐かしむ様に背後の観覧車を振り仰いで、サーバルちゃんが乗ってるんです、と話した。待つ間、自分はときどきこの辺りを散歩するのだ、とも。

「そうですか、ヒトも旅を……って、待って、それじゃあ」

 何かに気付いてツチノコを見たかばんに、焦りと戸惑いが芽生えていた。本当に察しが良い。感心もしたが、ツチノコはその先を伝える腹を決めなくてはならなかった。

「そうだ。お前と仲間が会うのは難しいかもしれない。追いつけないかもしれないし、すれ違うことだって考えられる」

「そんな」

「お前、それでも行くか?」

 かばんは色を失った。ツチノコも、ここまで話す気はなかった。不確かなうえ残酷な話で、もとより臆病なこのフレンズを先回りまでして脅かす必要がどこにある? こいつがアライグマだったらどんなに気が楽だったろう。思い留まるならそれもいいと、うな垂れた背中を見て思った。皮肉だが、ヒトがパークで生きられないほどの事情がないことは判明している、雲を掴むようなのぞみしかないなら、いっそ―。

「……変ですね、ツチノコさん」

 ツチノコは目をみはった。風変わりなこの動物は、顔を上げると眉を八の字にして笑っていた。困ったように。

「僕、仲間の居所が分かってたら、ずっとパークに残ってたかもって思えてきました。でも、どこまで行けばいいか、出会えるか分からないって聞いたら、なんだか余計、行かなきゃって思えてきちゃいました」

「おま、何言っ……バカかーっ!」

「あはは……自分でも、ちょっとそう思います」

 理解に苦しむその答えにツチノコは思わずどやしつけてしまったが、言った本人も戸惑いを隠さない。つくづくおかしなフレンズだ。

 あ、あれサーバルちゃんですね、おーい……わわ! そんなに乗り出すと危ないよ! かばんが立ち上がって手を振る先で、サーバルの乗るゴンドラがまさに輪の天辺てっぺんに差し掛かろうとしていた。冴え渡る月光の中、銀色の影絵になったサーバルが身を乗り出して何事か喚いた最後に、いくよ、それーっとだけ聞こえ、その手から小さな物体の飛び立つのが見えた。ちょうど満月に重なった、その影は紙飛行機。不器用に放されたそれはしばらくふらふらと宙をさまよい、やがて風をつかむとゆっくりと大きな螺旋を滑る軌道に乗った。

 さながら星空を旅する紙飛行機に視線を導かれ、ツチノコは考える。本当にヒトは、今どこにいて、どこへ向かってる? 何のために? 周回軌道の大きな途中、機影と月が何度も交わるのを見て、ツチノコは「まさかなあ」と呟かずにはおられなかった。けれどかばん自身の答えの後では、歌うためと言ったアルパカの言葉もあながち的外れではない気がしてくる。

「ツチノコさん、行きましたよ!」

 かばんに呼ばれて我に返ると、クルクルと時間をかけて降りてきた飛行機がツチノコのすぐ頭上を飛んでいた。けれど気まぐれに差し伸べたツチノコの不器用な手はすんでのところでスルリとかわされ、飛行機はそっと地面に降り立った。

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