8.名ばかりの頭領

 伊予のお父さん……つまりミコト達の通う牧野学園の雲辺寺理事長こそが新たなこの土地の所有者という事だ。

 伊予は一方で化け狸たちに頭領として担ぎ上げられ、一方で養父が化け狸たちの守ろうとしているこの廃寺を取り壊そうとしているという双方の板挟み状態というわけだ。


「でも、わたし……お父さんに取り壊しを止めてとも言えないし……ここの皆んなを纏める力も無いし……」


 伊予は涙目になり、己れの無力さに項垂れていた。

 これにはミコトも八雲もかけてやれる言葉が見つからない。

 思えば、こんな中学に進級したばかりの少女一人にそんな重荷が背負える筈も無いのだ。それを特別な血筋であるからと周囲が勝手に担ぎ上げて問題を押し付けるなど、あまりにも酷というものであろう。

 ミコトはそう言ってやろうかと口を開きかけたが、ミコトが食ってかかろうとする様子にいち早く気づいたのか、八雲に手を引かれ、無言で止められた。


「わしら一部の穏健派はお嬢のお父上と交渉を重ね、何とか穏便に済ませたいと考えておるわけですが……関八州八百八狸の中には過激派もおりましてな……。今は黙っておる様ですが、連中がいつ痺れを切らせて強行手段に出るか……」

「つまり八百八狸も一枚岩じゃないって事ですね?」


 八雲はあくまで冷静だ。

 こういう話になると、どうもミコトは感情が先立ってしまい、纏まる話も纏まらなくなってしまいがちである。

 抑えられない自分の事とはいえ、あらためて八雲が一緒で良かったと思う。

 ミコトが抜き身の刀なら、八雲は鞘のような役割と言ったところだろう。

 それでもミコトはいまだ戸口にもたれかかっているキンツバを見上げると、


「おまえも過激派なんじゃないか?」


 チクリと嫌味を言った。


「あっしはどちらでもありやせんよ。けど、強いて言うなら善哉の旦那寄りでさぁ。過激派の連中は……どうにもいけ好かねぇ。頭が固くって思考が極端だ。それに伊予お嬢を頭領と認めてねぇ奴も多いんでさぁ」

「おまえらで勝手に担ぎ上げたのにか⁉︎」


 ミコトはいきり立って立ち上がろうとするが、やはり八雲がその手を引っ張って止める。

 八雲に「何で止めたんだ」と言わんばかりの目を向けるが、彼はいつになく怖い顔をしていた。

 ミコトが八雲に対して「怖い」と感じたのは、これが初めてかもしれない。


「うう……」


 力一杯握っていた拳も、フッと力が抜け、諦めたようにペタンと腰を下ろす。

 八雲はその様子を認めると、再びミコトに優しい笑みを見せ、「続けてください」と善哉に促した。


「そもそも我らには絶対命令権を持つ頭領が必要でございました」

「絶対命令権?」

「はい」


 善哉は力強く頷く。

 しかし、その面持ちは希望を失った暗いものであった。


「我ら化け狸における絶対命令権というものは、特別な妖力による縛りのようなものです。これは伝説となった名狸……つまり太三郎狸や隠神刑部狸といった者のみが持ち合わせていたもので、その血を引く者にも受け継がれている力なのでございます」

「つまり太三郎狸の血を引く伊予ちゃんにも、化け狸たちが逆らえなくなる力が……?」

「本来ならば……でございますね……」


 伊予は今にも泣き出しそうに下唇をギュッと噛んで床の一点を見つめている。

 さも、自分が悪いのだとでも言いたげに……。


「伊予お嬢には……気の毒な事を申してしまうのですが……彼女はご存知のように気が弱く自身の持つ妖力を抑え込む事さえままならない程に胆力が足りておりません。妖力を抑え込むのも、本来持つ絶対命令権を行使するのにも必要なのは胆力なのです。それが今のお嬢には圧倒的に欠けている……」

「それであたしの弟子になりたいなんて事を……」


 まさかここまで追い詰められている状態だとはミコトも予想だにしなかった。

 伊予の「強くなりたい」という気持ちは痛いほど伝わって来る。けれど、自分の弟子にしたところでミコトにもどうして良いか分からないし、一朝一夕でどうこうなるものでも無いと思えた。


「雲辺寺の家の人に伊予が化け狸の血を引いてる事を打ち明けて事情を説明するなんて事も出来ないだろうし……かと言って、化け狸たちを纏める力も無い……か……。うう〜ん……」


 腕組みをして唸るばかり。

 いくら思案しても良策が浮んで来そうもない。

 薄暗い、ただでさえ陰気な気配漂う廃寺の中、一同は重苦しい空気に包まれた。


「他に名狸の血を引いてる化け狸なり、伊予ちゃんのようなハーフは居ないんですか?」

「本来であれば我らも八百八狸と称している以上、四国八百八狸の頭領であった隠神刑部様の血を引いておる方が行使する絶対命令権の方が効果は絶大なのでございますが……わしの知る限りでは、隠神刑部様や佐渡の団三郎だんざぶろう様、淡路の柴右衛門しばえもん様の血を引いておられる方の存在は聞いた事がございません」

「そもそも、伊予お嬢を見つけられたのだって奇跡って言われてやすからねぇ」


 完全に袋小路だ。

 可能性があると言えば、土地の所有者である雲辺寺理事長が寺の解体を思い止まってくれればという話になるが……そもそも福祉施設を建設する為に購入した土地である以上、それは期待できそうもない。


「せめてこの寺に文化的価値でも有れば可能性が無い事もないんでしょうけどね……」


 八雲の意見ももっともだが、長らく放置されて荒れ果てた廃寺だ。

 内部も崩れそうな須弥壇と本尊を安置した厨子の他に何も無い以上、文化的価値という方面でも望み薄であろう。


「ここで話てても拉致があかないな。クズが目を覚ましたら相談してみる」

「すみません……ミコト先輩……」


 伊予は目にいっぱいの涙を浮かべていた。


「任せろ! なんと言っても、あたしは完全無欠の絶対王者だからな! 大船に乗ったつもりでいろ! はぁ〜っはっはっはっ!」


 と、久しぶりにミコトらしい高笑いが出たわけだが、正直なところ虚勢を張ったに過ぎない。

 それこそバカな安請合いだと自分でも分かっている。

 それでも……今の伊予を見ていると、そう言ってやる以外に無かったのだ。


 結局、事実のみを聞かされ、これといった策も思いつく事なく、ミコト達は廃寺を後にした。

 帰りも素甘さんが送ると言ってくれたのだが、ミコトも八雲も丁重にお断りし、徒歩で一時間くらいかけて山道を下り、各々の家まで帰る事にした。

 彼女の運転する車に乗ることだけは、もうこりごりだったのである。

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