7.ここが件の……

「嫌だなぁ……。そんな怖い顔で睨まないでくだせぇましよ。早まってあんな真似した事に関しては、あっしも悪かったと思ってるんですぜ?」


 突然現れたキンツバに、ミコトは無意識のうちに鋭い目で睨みつけていたようだ。

 結果的に何事も無かったとはいえ、一度は八雲に包丁を突きつけて脅しにかかって来た奴だ。今は敵じゃないと分かってはいても、やはりそう易々と気を許せるものでは無かった。


「おお、キンツバよ。意外に早かったのだな。して、今日集まれそうな者は?」

「どいつもこいつも空振りですよ。あいつらと来たら、いくらお嬢の憧れの人だからって、人間は人間だ……なぁんてぬかしやがる。けんもほろろってヤツでさぁ」


 キンツバはかぶりを振って、お手上げといったふうに両掌を返す。

 そんなキンツバに伊予は真っ赤になって、


「キ、キンツバちゃん! あ、憧れの人だなんて、ミコト先輩の前で言っちゃダメですよぉ!」


 と、わざわざキンツバのところまで行ってポカポカと叩いた。


「お、お嬢? い、痛っ! そ、そんなこと隠したところで今さらな気ぃしますぜ?」


 まったくだ……。

 すぐ近くに座っているミコトもこれには何も言えず、決まり悪そうにポリポリと指で頬を掻いている。

 そもそも伊予はあれだけ弟子になりたいという思いを熱っぽく語っていたのに、自分がミコトに憧れているという事が、まだミコトに伝わっていないとでも思ったのだろうか?


「まあまあ、お嬢。とりあえず、これだけしか集まらないと言うのでは仕方ありません。早速ではございますが、ミコトさんとそこなミコトさんの情人さんにも詳しい話をお聞かせしましょう」

「だから違うって!」


 凄んで見せるミコトだが、頬を染めていては迫力も何もあったものじゃない。

 まあ、同年代の人間に恐れられるミコトとはいえ、さすがにこの老齢と思しき化け狸には凄んだところで通用するとも思えないが……。

 善哉は咳払いを一つすると、あらためてミコトに向き直る。


「さて……まずは我々が伊予嬢をかしらとして、この廃寺を根城にしている理由をご説明しなければなりませんな」

「ああ……そう言えば、ここのご本尊の事にも触れてたな。クズに聞けば何か知ってるかもしれないんだけど、あいつ……今日このタイミングで寝ちゃってるからなぁ。文字通りのクズだ」


 ミコトはため息混じりに愚痴をこぼす。

 まあ、三日間起きている状態が続いて二日間眠るという決まったサイクルがある事は、取り憑かれた当初から分かっていた事なのだから、その事を計算に入れていなかった自分も悪いのだが……。


「なるほど……。白狐様にもお聞き頂きたかったが、それならば仕方ありませんな。この廃寺は先ほど申し上げたように、讃岐の屋島寺の末寺で蓑山大明神を祀っております。この蓑山大明神と申しますのが太三郎狸の事でしてな」

「あ……。じゃあ、ここって伊予のご先祖様を祀ってるのかぁ」


 善哉は「いかにも」と頷く。

 伝説の化け狸を祀っているのなら、確かに近隣の化け狸たちが根城にしているのも頷ける。


「関東で化け狸を祀る寺は浅草の伝法院でんぽういんなどにも見られますが、全国に知られる名狸を祀る寺は関東ではここだけなのです。故に関東に棲む我らにとって、この寺は心の拠り所なのでございますよ」

「そこへあの太三郎狸の末裔がこの地に居ると聞きゃあ、そりゃあそのお方を我らの頭領にって願うのが当然でごさいやしょ?」


 善哉の話に割り込むような形でキンツバが伊予を頭領に担ぎ上げた理由を述べた。

 口の利き方は江戸時代のヤクザ者のようであるが、伊予に対する敬意はちゃんと持っているようだ。


「まあ、分からないでもないけど……」


 そう言ってミコトは伊予を一瞥する。

 伊予は善哉の隣りへ戻り、またちょこんと座っていたが、その面持ちは決して晴れやかなものではなかった。

 彼女の口振りからすると、今の立場に困惑している様子だったが、望んでいるのかいないのかはハッキリと明言していない。明言していない以上、ミコトも口を出す訳には行かないと思っている。

 しかし、見るからに気弱で力を持たない伊予をわざわざ頭領に担ぎ上げたのには、他にも理由があるのだと善哉は続けた。


「ここはご覧の通り、長いこと住職不在の廃寺でございます。しかし、人間にこの土地の所有者がいるのは今も変わりません。その所有者がつい先日、この土地を他の者に売却したとの事でしてな……。まだ売却しただけなら良いのですが、新しい土地の所有者がこの寺を取り壊して福祉施設を建てようとしておる様なのです」

「ん? あれ……? その話……どっかで……」


 少しの間、記憶を探ろうと穴の開いた天井を見上げていたミコトであったが、やがて「ああっ!」と大声をあげてポンッと手を叩いた。


「そう言えば、そんなニュース聞いたな。ここのお寺を残したいって言ってる一部の人たちが反対してるって話だったけど……」


 以前、朝のニュース番組を見ていて、少しだけ祖父の平造たちと話題になった、あの廃寺だ。

 朝のバタバタしている時に、ちょっとだけ話題に上っただけだった為にすっかり忘れていた。


「ええ……。その売却に反対していた者というのは、全て我々化け狸なのです。わしや素甘のように、ごく少数の人間に変化できる化け狸が地元住民のふりをして反対運動を起こしていたのです。結局は売却されてしまいましたが……」


 檀家も殆ど無く、ここまでボロボロになって何十年も放置されている廃寺を保存したいという住民がいるという点に関しては、あらためて考えてみれば不自然ではあったが、人間社会に溶け込んでいる化け狸たちが人間に成りすまして反対を訴えていたという事なら、なるほど合点がいく。


「実のところ、これは伊予嬢にも無関係とは言えない事でありましてな……」

「え? それは伊予がご本尊の子孫だからって事でか?」


 しかし、善哉は重苦しい表情で首を横に振る。

 そして彼が哀れむような目で伊予を見下ろすと、伊予はゆっくりと口を開いた。


「この土地を購入して、お寺を取り壊そうとしてるのは……わたしのお父さんなんです……」


 その表情は……その声は苦悶に満ちていた。

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