第06話「ゆうべは おたのしみでしたね」

 何度もスマホとテレビの画面を見比べながら、天童てんどう たえは真剣な顔で、最後の文字を選択してAボタンを押す。

 冒険が再開されるはずの画面に表示された白い文字に、彼女は頭から血の気が引いてゆくのを感じた。


『じゅもんが ちがいます』


 もう一度、スマホに表示されているゲーム画面を撮影した写真を見ながら、任は1文字ずつ声に出して確認する。


「がー、ぼー、めー、ろー、がー……いーまーそーきーがーれーみー……ほーぺーらーれーしー……むーひーれ……」


 あっている。

 一文字もたがわずにあっている。

 ……はずだ。


 それなのに、画面には変わらずあの『じゅもんが ちがいます』の文字が表示されていた。


「はわわ……も……もう一度です」


 任はスマホの画像をピンチ操作で拡大し、胸に手を当てて深呼吸をしてから、落ち着いてもう一度最初から文字を確認した。


「がー、ぼー、めー、ろー、がー……」


 計4回。お経のような、変な俳句のような言葉を繰り返し、任はがっくりと肩を落とす。

 そもそも浅海あさみの撮影したテレビ画面の画像は、解像度が低いのだ。

 拡大しても背景が映りこんだテレビ画面は文字が見えにくい。


「がー、ぼー、めー……あれ? これ、『め』じゃなくて『ぬ』かもしれないです」


 声出し確認からの流れで、普段は言わない独り言を言いながら、任は間違えやすそうな文字を変えて何度もトライする。

 そのたびに、また夜のJKの部屋に、お経のような、変な俳句のような言葉が朗々と響いた。


「あぁ! これ『ぺ』じゃなくて『べ』です! 半濁音じゃなくて濁音です! きっとそうです!」


 最後に『ほべられし むひれ』と入力し、ボタンを押す。

 スッと画面が変化し、いつものラダトームの城の2階が表示されたときには、任はコントローラーを投げ捨て、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを全身で表現した。


「やったぁ! やりましたー!」


 ぴょんぴょん。


『おお たける! よくぞ ぶじで もどってきた。 わしは とても うれしいぞ』


「たえもうれしいですよ! 王様!」


 ぴょんぴょんぴょん。


――ガチャ


「お姉ちゃん! ママがドンドンしちゃダメって!」


「! っはいっ!」


 ぴょんと飛び、両手を左右に広げて着地した姿勢で、任は突然開いたドアに顔を向けて固まる。

 ドアから顔を出した弟のたけるは、ジトっとした目で8つ年上の姉を見ると「あと、お経もやめなさいって」と捨て台詞を残し、固まったままの姉を残してドアを閉めた。


 任は着地姿勢で曲がっていた膝をゆっくりと伸ばし、大きく広げていた両手をゆっくりと下げる。

 ふと見ると、ドラクエの画面は彼女と同じように固まり、マリオの時にも何度か聞いた「プーーー」と言うバグった時特有の音を発していた。


――ファミコンの隣でぴょんぴょん跳ねるなどと言う暴挙に走ってはならない。


 任は、その新しい教訓を胸に刻み、静かにファミコンの前に正座するとリセットボタンを押した。



  ◇  ◇  ◇



「おはようさ~ん。たえちゃん、うちドラゴンクエストのこと色々調べてきたよ~」


「たえも昨日たくさんスライムをやっつけて、レベルを上げました!」


 天童家の玄関先で、満面の笑みを浮かべたたえと絵里が「すごいです!」「完璧やんなぁ」と手を取りあっていると、「おっはよーう!」と浅海あさみが現れ、任の返事も待たずに「おっじゃましまーす!」と階段を駆け上がった。

 ドタドタと階段を駆け上がる浅海を見て、任の顔が青ざめる。


――ファミコンの隣でぴょんぴょん跳ねるなどと言う暴挙に走ってはならない。


 昨日得た教訓だ。

 2階の任の部屋では、今朝起きてから数時間分の冒険をこなした勇者たけるが、復活の呪文もメモしないまま、荒野にたたずんでいるのだ。

 今ファミコンにバグられたら、その数時間は全て無駄になってしまう。


 やっとの思いでさっき買ったばかりの「どうのつるぎ」も「かわのたて」も、全てがだ。


「――あ、あさみちゃん! 静かに! 静かに走ってください!」


 これが「止まってください」とか「走らないでください」なら良かったのだ。

 しかし、すでに階段の真ん中あたりまで駆け上っていた浅海は、「静かに走る」と言う難しい注文に答えようとして、空中で自転車をこぐように足を動かし、結果として脛を強打することになった。


 どたーんと、思わず台所から任のママと弟の尊が顔を出すほどの音をたてて階段に伸びた浅海は、脛を抱えてプルプルと震える。


「たえ……そんな難しい走り方……わたし無理だ……」


「ほんなら、走らんかったらええやんか~」


 絵里の冷静なツッコミが入り、任は心配そうな顔でその横を駆け上がる。

 自分の部屋のドアを開いた彼女は、テレビで勇者たけるが動いているのを見て、ホッと胸をなでおろした。


「そーっとですよ。そーっと座ってください」


「どうしたんだよたえ、そんなに神経質になって――」


「そーっと! です!」


 任の迫力に押されて、浅海も絵里も、ファミコンからなるべく離れた位置へと腰を下ろす。

 それを確認してうなずき、まるで武道の達人のような佇まいでファミコンの前に正座した任は、厳かにコントローラーを握ると、勇者たけるを王様の元へと連れて行った。


 王様に話しかけ、画面に「ふっかつのじゅもん」を表示させる。

 SNS用の小さなサイズではなく普段の撮影用の高解像度な写真を撮影すると、任はやっと肩の力を抜いた。


「ふぅ、もう大丈夫です」


 別に汗をかいている訳でもないのだが、なぜか服の袖で額を拭う素振りをする任につられて、浅海も大きく息を吐く。

 絵里も「もう大丈夫なんやぁ。よかったわぁ」と笑った。


 任はレベルが「5」まで上がった勇者たけるを自慢し、画面を移動する勇者たけるが剣や盾を持っていることに絵里たちも驚く。

 とりあえずゲームしたいと言う浅海にコントローラーを渡して、3人はドラゴンクエストの続きを楽しんだ。


「――ええっ?! そんなにかかるの?!」


 ネットや父親からの情報で、ドラゴンクエストはクリアまでに数日から数週間かかると絵里が告げると、浅海は青いコウモリのようなモンスター「ドラキー」に向かって連打していたコントローラーから指を放して頭を抱える。

 任は逆に、これからも長く続く勇者たけるの冒険譚に目を輝かせた。


 それでもさすがに、全員が集まっている間だけのプレーでクリアするのは気が遠くなる。

 そこで、平日はやりたい人がファミコンごと家へ持ち帰って、物語は進めずに経験値やゴールドをため、週末にみんなで物語を進めようと言う約束になった。



  ◇  ◇  ◇


――それからは毎日が冒険の日々になった。


 マイラの村で「ぱふぱふ」を経験し、救出したローラ姫と宿屋に泊って「ゆうべは おたのしみでしたね」と言われ、リムルダールの町で女性の着替えを覗いた勇者たけるは、経験を積んで今や30レベルに達していた。

 主にたえがこつこつと経験値を稼ぎ、いつの間にか最高レベルとなって、経験値も65,535からぴくりとも動かなくなっている。

 ロトのよろい、ロトのつるぎ、みかがみのたてと言う最強装備も得て、ついに「にじのかけら」で竜王の城への橋を掛けた勇者は、竜王の城の地下を突き進んだ。


「うう……、敵が強いですねぇ」


「大丈夫だって! 王様にも『そなたは もう じゅうぶんに つよい! なぜに まだ りゅうおうを たおせぬのか?』って怒られたじゃん!」


「たえちゃん、そろそろレミーラの魔法が切れそうやよ」


「も……もうちょっと光が小さくなるまでがまんです。MP節約です……」


 レミーラの魔法は真っ暗な地下迷宮を周囲5×5のサイズで明るく照らす。しかしそれは時間と共に少しずつ小さくなり、最後には真っ暗になってしまうのだ。

 任は竜王との戦いを目前にして、MPを節約しながら地下を進む。

 階段の場所とおおよその進行方向だけを記入した簡易地図を描きながら、勇者たけるはもう一段、階段を下りた。


「「「わぁ!」」」


 思わず、3人の声が重なる。

 竜王の城の最深部、地下7階には、まるで地上のように明るい世界が広がっていたのだ。

 しかも、ゲームを始めたときに見えた竜王の城のように、どう見ても竜王であろうと思われる姿が、壁のすぐ向こうに見える。

 そこまではぐるりと遠回りしなければならないようだったが、彼女たちのテンションは上がった。


「あ! あ! あれ! 絶対竜王じゃん!」


「竜王やねぇ。もうちょっとやねぇ」


「はぁ~……はぁ~……あさみちゃん、たえは胸が苦しくなって来ました……。操作代わってほしいです……」


 まだボスバトルも始まっていないと言うのに、任の顔は上気して赤くなり、呼吸も荒くなっている。

 絵里がペットボトルの水を手渡し、手が震えて開けられないと言う任の代わりにふたを開けてあげていた。


 その間にも、勇者たけるは竜王に迫り、ついに目の前へと歩を進めた。


「話すよ!」


「はい!」


「ええよ~」


 ピッ。

 ウィンドウから「はなす」「にし」を選択して、勇者たけるは竜王に話しかける。


『よくぞきた たけるよ! わしが おうのなかのおう りゅうおうである。わしは まっておった。そなたのようなわかものが あらわれることを。もし わしのみかたになれば せかいのはんぶんを たけるに やろう。どうじゃ? わしのみかたに なるか?』


「やった! 世界の半分くれるって!」


「……え?」


 まさか浅海がそんな選択をするとは誰も思っていなかった。いや、そもそもそんな選択肢がここで現れるとは思っても居なかったのだ。

 浅海は問答無用で「はい」を選択する。


「ええぇ?!」


「え? あさみちゃんなにしとん?」


『ほんとうだな?』


 もちろん浅海は連打で「はい」を選択する。


『では せかいのはんぶん やみのせかいを あたえよう! そして……そなたに ふっかつのじゅもんを おしえよう!』


 いつもの復活の呪文が画面に表示される。呆然としていた任は、慌ててスマホを取り出して、一応その画面を写真に収めた。


『おまえの たびは おわった。さあ ゆっくり やすむがよい! わあっはっはっはっ』


 画面は暗転し、メッセージは死んだ時と同じく真っ赤に染まる。

 浅海はコントローラーを連打したが、もうドラクエは何の操作も受け付けなくなっていた。


「……ああ?! だまされたぁ!」


「あかんよぉ、あさみちゃん。ないわぁ~」


「こんなの子供でも引っかかりませんよぉ!」


「だって世界の半分だよ?!」


「とにかくやり直しです!」


 任がリセットボタンを押し、さっき写真を撮った復活の呪文を入力する。

 始まったゲーム画面を見て、3人は絶句した。


「えぇ~? たけるレベル1になっとる~」


「装備も何も持ってないですよぉ!?」


「あんのやろ~! 絶対ゆるさない!」


 仕方なくもう一度リセットして、今度は竜王の城へと向かう前の復活の呪文を入力する。

 ここ2時間ほどの作業が無駄になったのは悔しかったが、最高レベルで装備も整っているたけるが画面に現れたのを見て、3人はホッと胸をなでおろした。


 今度は絵里が、任の書いた地図を見ながらすいすいと竜王の城を進む。

 前回の3分の1ほどの時間で竜王の前にたどり着いた勇者たけるは、今度こそ竜王との戦いに突入した。


 最高レベルの勇者たけるは、案外簡単に竜王を倒す。

 3人が手を取り合い「やった~!」と喜んでいると、画面には続きのメッセージが表示された。


『りゅうおうが しょうたいをあらわした!』


「えぇ!?」


「このやろ~!」


「さすがラスボスやなぁ~」


 しかし、ベホイミで体力を回復しながらロトの剣で切り付ける最高レベルの勇者の相手は、さすがの竜王でもきつかっただろう。

 苦戦はしたが、こちらも勇者たけるは斬り伏せることが出来た。


『たけるは りゅうおうのてから ひかりのたまをとりもどした!』


「今度は……変身しないですか?」


「……大丈夫みたいだ」


「大丈夫みたいやねぇ」


 喜び勇んでラダトームの城へ戻った勇者たけるは大歓迎を受ける。

 そして、尊敬する王様の元へと向かった。


『おお! たける! すべては ふるいいいつたえの ままで あった! すなわち そなたこそは ゆうしゃロトのちをひくもの! そなたこそ このせかいを おさめるに ふさわしいおかた なのじゃ! このわしに かわって このくにをおさめてくれるな?』


「え?! たけるが王様になるんですか?!」


「たけるすご~!」


「ほんとやねぇ」


 盛り上がる3人の見ている前で、勇者たけるは口を開く。


『いいえ もしわたしの おさめるくにが あるなら それは わたしじしんで さがしたいのです』


「たけるかっこいいです!」


 旅立とうとする勇者たけるに、ローラ姫が追いすがる。

 勇者たけるについて行くと言っているその姿を見て、今まで盛り上がっていた任の目つきが変わった。


「……何言ってるんですか。ダメです。ダメに決まってます」


『このローラも つれていってくださいますね?』


 任は「いいえ」を選択する。しかし、ローラ姫は引かなかった。


『そんな ひどい……。このローラも つれていってくださいますね?』


「しつこいですねぇ」


 ピッ。「いいえ」


『そんな ひどい……。このローラも つれていってくださいますね?』


「たえ~、ゆるしてやんなよ~」


「うちのたけるに、こんな女は相応しくないです」


「こんな女て……せやけど、このままやと、これ一生終わらんよ?」


 ピッ。「いいえ」


『そんな ひどい……。このローラも つれていってくださいますね?』


「……あぁ! もう! わかりました! でも結婚はダメですよ!」


 任がついに「はい」を選択して、ドラゴンクエストはエンディングを迎える。

 なんだかんだ言ってかなり物語に没頭していた3人は、感動で体が震えるのを感じた。


 数分の放心のあと、誰からともなくそろそろ帰ろうかと言う話になり、任の部屋を出る。

 クリアしたと言う達成感と、そこはかとない寂寞の思いに、3人は無言で階段を下りた。


 ちょうど階段の下、廊下を歩いていた尊が、3人の足音に下から見上げる。


「あ、あさみちゃんたちもう帰るの?」


 その姿を見て、3人は階段を駆け下り、尊にしがみついた。


「たける~! おねえちゃんは許しませんよ! あんな女!」


「たける~! 私は応援するよ! がんばんな!」


「たけるちゃん、幸せになぁ」


 しばしの抱擁のあと、2人を見送った尊は8歳年上の姉を見上げる。

 まだ涙目の任の顔を見て、尊はとりあえず疑問を口にするのをやめた。


 その夜、任は久しぶりに尊と一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで眠ったのだった。

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レ! -Retro Game- 寝る犬 @neru-inu

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