第十四章 戦後の前田家【次女・輝子】

 次女 輝子


 父と一緒に畑を手伝いに行った幼い頃、父の声はいつも荒々しかった。叱責の声を浴びるたび、ビクビクした。

 古びた家が台風で今にも壊れそうになる時など、激しい雨の中を、太いロープや竹を支えにして家を守ろうと力の限り挑んでいる父は、やはりとても怖い存在だった。

 父と暮らしている時、父の優しさなど分からなかった。太くごつい手、鋭い視線、荒々しい声、そして言葉。

 それなのに自分が子どもを持ってみると、父親、母親が自分たちにしてくれたことを思い出すたびやさしさだけが蘇ってくるのはどうしてだろう。

 母が病気で倒れて寝付いたままになった時、私は小学3年生だった。

 自分の家の田畑の仕事以外に、父はよその家の野良仕事から庭造りなどあらゆる仕事に出かけていた。重病の母は時々ひどく苦しみだし、父を呼んでくるようにせがむことがあった。呼んでくるのはいつも私とすぐ下の妹だった。

 晩秋の張り落ちた田畑は暗い。ひと山越えるような遠い所まで、妹と二人で父を呼びに行く。父は私たちと共に駆けつけ、何くれとなく母の世話をし、また出て行く、ということがよくあった。

 7人もいる子どもたちの中で、熱を出す、お腹が痛い、怪我をした、などということはしょっちゅうあった。野良仕事から疲れて帰った父を待っているのは、いつもそうした騒ぎだった。でも父は、誰のことでも親身になってくれた。お腹をさすってくれたり、手ぬぐいで頭を冷やしたり、食事もとらないで怪我した妹や弟を病院へ連れて行く。そんな姿ばかり思い出される。

 また、妹たちとよく話すことの中に、お盆とお正月の思い出がある。

 給食費にも不自由していた我が家だったが、父は年に2回、いつもどのように都合をつけるのか、家中の晴れ着を買い込んでくる。

 どこの家よりも遅い餅つきが済むと、父は背負いカゴを背負って町へ行く。私たちは大晦日、父が帰るまで起きていたことはない。

 正月の朝になると、家中のものが別々に分けておいてある。晴れ着や足袋、下駄、羽子板や手毬など、一年中のうちで夢のような元旦の朝である。

 私たちはこうした子ども時代の喜びの思い出を何べん語ったか知れない。

 この父の優しさが、私たちきょうだいの何にも勝る財産だったと、今しみじみ思われます。



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