第六章 出征(日中戦争) 昭和12~14年(1939)

 金沢山砲連隊からの召集令状であった。

これより先の昭和12年(1937)7月7日に中国北京で起こった盧溝橋ろこうきょう事件で、時の近衛内閣は戦線不拡大を唱えながら、日本軍も中国軍も各地に戦線を広げ始めていたため、俺たち元気な若者が続々中国戦線に送りこまれたのだ。

 初めての外征とあって、菅原神社で町が出征式を開いてくれた。それは盛大を極めた。やっと国の役に立つ時が来たという思いと、女子どもだけを残して出発しなければならないという思いが一緒になって、前の晩は寝付けなかった。

 「何としてでも生きて帰還しよう」と自分の心に誓い、このような複雑な心境を当日見送りの人たちの前で演説した。町田女学校(現在の町田高校)の女学生がそれを聞いていたらしく、戦地への慰問の手紙や千人針などを送ってくれた。

 金沢の第九大隊に入隊し、その後博多港から輸送船で朝鮮半島西海岸を北上、北支の天津に入港したら大陸は秋だった。

 上陸後ははっきり「支那事変」と呼ばれ、全面戦争になっていたので、来る日も来る日も行軍の連続だった。

 都会育ちの兵隊は途中で倒れる者もいたが、俺たちの中隊では、坂浜の榎本、町田の俺、二宮の川口、の3人が最も足達者と言われた。揃って農村、漁村の出身だったからだろう。しかし、内地の流行歌で唄われたような「徐州徐州と人馬は進む、徐州はいよいか住みよいか、歌の文句に振りかえりゃ、お国訛りのおけさ節」というような風情のある行軍は経験しなかった。

 兵隊たちは、霧島昇や渡辺はま子、伊藤久雄などが慰問に来ることを楽しみにしていた。これらの歌手は望郷の歌をよく歌ったからだ。音痴の俺は、歌よりも、馬の扱い方、伝令としての役目を果たすための訓練を夢中でやった。そのせいか昇進が早く、1年後には一等兵、3年目には上等兵となった。

 戦争の方は、行く先々で日本軍が勝利を続け、生命の危険に晒されることは少なかったが、夜になるとさすがの俺も日本の家のことが想い出された。山東省を行軍している時、山脈に昇った満月を見て、「ああ、この月はよく『下の街道』で見たっけ」と、急に家族や親類の者たちの顔を思い出した。その幻の中に、嫁ぎ先で病気になったと知らされた妹のソヨもいた。眠ってからは珍しく夢を見た。ソヨが中国まで訪ねて来た夢だった。何だか胸騒ぎがしたが、一か月程過ぎてタキから来た手紙により、妹は病死したことが分かった。

 大陸進攻中に分かったのは、やはり今度の戦争が馬鹿げているということだった。

 日本軍があれほど中国人を殺し続けているというのに、「チャンコロ」などと馬鹿にされている支那(中国)の住民は、おとなしくて親切であり、特に子どもは日本兵によくなついていた。

 有名な南京の大虐殺に俺たちは参加しなかったが、途中でわが連隊に合流した兵隊の話によると、現地妻のように毎日世話をしてくれる若い娘を、移動前夜にさんざん弄んだ揚句、五、六人ずつまとめて銃殺し、死体を裸にして広場へ積み上げておいてあるという。

 一体戦争とは何なのかと考えさせられた。弱い中国の一部にも根強く抵抗してくる勢力が目立ち始めた。

 蒙古方面で組織された八路軍(後の中国共産党)で、指導者は毛沢東だったが、その中に日本から亡命している野坂参三が加わっていて、我々日本軍の野営地によくビラを撒いて行った。

 

 ―日本兵よ、君たちは何のために命を捨てに来たのか。

  君たちの働きで日本が勝った時、一番喜ぶのは日本の財閥だぞ。  

 財閥の手先になって善良な中国人を殺し続ければ、 

 いずれ、君たちは世界中から袋叩きにされ、君たちの国の家族が

 将来悲惨な日を迎えるはずだ―

 

 俺たちは必死になってこのビラを処分したが、処分している一等兵たちも心の動揺は隠せなかった。「早く戦争が終わらないものか」と。

 昭和14年(1939)7月、俺たちの中隊に内地帰還命令が出た。南京陥落後の蒋介石政府軍が奥地の重慶へ立てこもり、戦線が膠着(こうちゃく)状態になったからだ。内地に戻って一か月足らずの内に、今度は除隊命令がおりた。「やれやれ、無事に家へ帰れる。夢のようだ」と、戦友一同争うようにそれぞれの自宅に知らせた。


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