第28話 第一の刺客

 柊木と三嶋更紗は、ここ数年、この会社での新車販売台数のトップ争いをしているという。二人ともに年間の販売台数は、平均でも百五十台を超えるとのこと。それを証明するかのように、壁に貼られた目標と実績を記した大きな模造紙には、その二人だけに二十近くの塗り潰されていない白丸がある。白丸は月の目標の台数を示していて、売れれば赤丸をペンで塗っていくといった昔ながらの伝統的なスタイルだ。二十という数字は、先輩方の話では、他のスタッフの四倍から五倍の数字であり、また小さな店舗の一月の目標の数字でもあるそうだ。


 ――一騎当千。


 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。彼らは一人で小規模店舗の力を持つ。もちろん、車会社だからそれだけで利益を獲得しているわけではないが、それでも凄いことだと瀬里花は思う。しかし、凄いと尊敬出来るは同じではない。瀬里花はつくづくそれを思い知ることになる。


「どうだ、凄いだろ。あそこまでは俺でも売れはしない。とりあえず新人である君は月三台を目指すんだな」


 背がかなり高く、細身で短髪の金子。眉も薄く今風男子といった感じで、若い女性には人気が高そうだ。そんな彼が挙げる三台という数字。


 ――でも、どうして三台なのだろう。


 瀬里花の疑問を見透かすように、背後から女性が声をかけてきてくれた。


「三台という数字はね。一般的に営業スタッフ一人が、自分の給料分の収益を会社に出せるかという一つのボーダーラインなの。だから、金子君が言ったのは、遠回しに、まずは自分の給料分くらい稼げよってことね」


 天宮知里あまみやちり。三嶋更紗と同様、女性四天王と呼ばれる一人だ。更紗が切れ味が鋭く刀身が美しく綺麗な日本刀のイメージだとしたら、知里は、眼鏡をかけた可愛らしく知的なミーアキャットのイメージだ。巣から外に出て、周囲を警戒している姿が、瀬里花にはしっくりきた。そしてそう、今は新しく入った瀬里花が味方かどうかを探っているのだろう。眼鏡の奥の細められた瞳は、男を魅了するには十分だった。いや、彼女なら女性受けもかなり良さそうだ。瀬里花とは真逆なタイプかもしれない。人として合う合わないは別として。


 店長に言われた通りに、全員に挨拶をして回る瀬里花と未菜。サービスマネージャーの向井も快く「おかえり」と出迎えてくれ、「何かあったらいつでも声かけてな」とも心強く言ってくれた。研修の時のお手伝いの効果は、まだしばらくは有効のようだ。また向井の息子も同じ会社で働いているらしく「あいつ彼女いないから、仲良くしてあげてな」と、別の意味で期待をされてしまった。


 ――それなら。


「実は今恋人が死にそうで、死にかけていて、それどころじゃないんです。みんなには内緒なんですけど……」


 瀬里花の言葉に、向井は口をポカンと開けて、さらにその目を丸くしていた。きっと聞いてはならないことを尋ねてしまったと後悔しているのだろう。間違いではないので、瀬里花には後ろめたさは微塵もなかった。


 そして、丁度みんなへの挨拶が済んだくらいのタイミングだった。


「ねえ、新人ちゃん。ちょっと柊木さんのお客様の法人さんに見積り作って。届けてくれない?」


 それはまだ挨拶程度しか話をしていない女四天王の眞鍋咲希からだった。


「どなたについて行ったらいいのでしょう?」


 嫌な予感がしたが、瀬里花はあえて自分を守るようにそう言い放った。


「何を言ってるの? あなたは今日からもう立派な営業なんだから、一人で行くに決まってるじゃない?」


「……私一人でですか?」


 予感は的中した。普通こういうケースでは、誰か先輩が付き添うものではないのだろうか。ましてや相手は法人だ。失敗はその後の他の車のサービス入庫にも影響を及ぼす。もちろん、瀬里花だけで出来なくはないだろうが、やはり一人では不安だ。会社相手では人数が多すぎて、スナックのようにはいかないだろうから。


「そう、あなた一人よ。だって柊木さんからのご指名だから」


 ――またあいつか。


「だって、あなた、彼のお気に入りなんだよね?」


 ――はあ?


「恨むことはあっても、気に入られる理由なんて一切ありません!」


「あら、そうなんだ……?」


 驚いたように目をしばたたかせる咲希。どうやら彼女は、柊木が瀬里花を見た目で選んだと思っていたようだ。


 ――だけれど、そう……。


 瀬里花には彼を許す理由は何もなかったのだ。



 咲希が、予めご要望の車の見積もりを印刷してくれていたようで、瀬里花に見せることなく封筒に入れてくれる。言葉とは裏腹に優しい一面もあるようだ。ホッと息を漏らしてしまう瀬里花。


 咲希に依頼をされた法人は、梱包材や発泡スチロールなどのトレイを、市場などに配送する会社とのことだ。その会社が配送用の古い車を入れ替えたいと、たった今、柊木に電話をしてきてくれたらしい。


「まあ、見積もりを届けるだけで終わるから、後は柊木に任せればいいよ」


 実際、担当者ではない瀬里花は、会社の社員さんたちに見向きもされないだろう。あくまでも瀬里花の仕事は、柊木の見積もりをお客様に届けるなのだから。


 会社の社用車を早速借りようとすると、今時珍しいマニュアルトランスミッション車。昔の中古車雑誌には、良く「走りの五速」と記載されていたらしい。咲希にオートマはと聞くと、今は出払っているとのこと。なるほど、みんなが使わないからこそ、残っているのか。咲希が困った声を上げながらも、その顔はニヤニヤと笑っているのが瀬里花にはわかった。


「あ~せっかく許斐さんに行って貰おうと思ってたけど、ミッション車しかなかったみたい。ごめんね~、足ないみたいだから、走ってでも届ける?」


 こうなるのがわかっていて、咲希はわざと優しくしてくれたのだ。新人を陥れるのが好きなのだろう。一般的に女子は、オートマ限定の運転免許を取ることがほとんどなのだから。


「構いませんよ。私、ですから」


 不敵に笑うと、咲希はそれまで見せたことがないほど邪悪な顔をして、舌打ちをするのだった。守りが甘いとすぐに本性を現すなと、瀬里花は微笑むのだった。

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