第4章 営業開始!

第27話 戦いはもう始まっている

 月も変わり六月に入った。


 ようやく辿り着いた九条大橋店。建物が大きい。テーブルが多い。スタッフが多い。そして、お客様が他店と比べて圧倒的に多く、華やかなのだ。


「やっと、やっと来たね……」


「うん、やっぱりすごーい」


 未菜と二人で見上げる九条大橋店は、どこか高級ブランド店のような煌びやかな風格があり、またどこか日常からかけ離れたように異質で、そのオーラにスタッフだけでなく、お客様まで取り込まれているようだった。


 ――まるで貴族の舞踏会みたい。


 それが九条大橋店に瀬里花が抱いた印象だった。スタッフが貴族の男子だとすると、お客様であるご令嬢たちが、スタッフにエスコートされるようなそんな雰囲気だった。


 そしてそこに降り立つ二人。そう、結局、九条大橋店に配属されたのは、瀬里花と未菜の女子二人だったのだ。何より未菜が同店舗を望んでいた力弥は、この店からだいぶ離れた大津店に、営業として一人配属となった。九条大橋店以外のスタッフは、みんな一人ずつの配属だったが、やはり彼と離れてしまったことで、朝から未菜は元気がなかった。瀬里花としては「いつでも会えるんじゃ?」くらいの感覚だったが、彼女としてはそうもいかないらしい。


 そういう意味では瀬里花は恵まれているのだろう。唯一の願いが、この九条大橋店への配属だったのだから。


 しかし、安心する余裕など瀬里花たちにはなかった。ここには、化け物クラスのスタッフが集まっているのだから。


「おい、新人!」


 早速若い男性からお声がかかる。背が瀬里花と同じくらいだが、随分と優しそうな顔をしている。


「来るのおせーよ! もうミーティング始まるぞ?!」


 いや、優しそうな顔はしていたが正解である。いきなり男に毒づかれ、瀬里花たちはキョトンとしてしまう。川野に聞いた話では、八時五十分くらいに行けば問題ないと言われたが、この九条大橋店はどうやら違うらしい。


 ――川野め。


 またもやしてやられたと、未菜と顔を見合わせるのだった。


 カーディーラーの始業時間は、一般的な企業に比べてゆったりとしていて、午前九時半前後が多い。そして当ディーラーも九時半が始業開始時間だ。だからこそ、少し余裕を持って挑んだのだが、これでも遅いらしい。完全に出鼻を挫かれた結果となってしまった。


「おはようございます」


 事務所に入った瞬間、およそ十五人もの視線が一気に二人に集まる。善玉菌の巣の中に悪玉菌が入ると、まさにこんな風に一斉攻撃を受けるのだろうと容易に想像させる。鋭すぎる視線。そしてその視線の矢は、瀬里花たちの顔や容姿だけでなく、一瞬にして身だしなみまで見定めたようだ。


 ――怖い。


 特に女性営業四人の冷ややかな視線が……。後で聞いた話だが、彼女らはこの会社の女性四天王と呼ばれているらしい。道理で恐ろしいわけだ。でも、その美しさや可愛さは、並のモデルでは太刀打ちできないほどのものを持っている。良く言えば精巧に造られた最新型のマネキンのような。あるいは、雨露を受けしなやかに弧を描きながらしなる笹の葉のような。


 いや、女性だけでない。この店舗の営業スタッフは、男性でさえも、好みこそ分かれるが、一般的にカッコいいだとか可愛い部類に入る人ばかりだった。まるで一つの場所にホストとホステスが入り交じっているようだった。


「じゃあ、新人の二人は、空いているデスクに座って下さい」


 店長だろうか、奥のデスクに座る四十手前くらいの優しそうな男性が、にこやかに微笑みながら二人を席に促す。二人仲良く並んで座れたら良かったのだが、そこはやはり仕事だ。学生時代のように甘くはない。瀬里花は男性スタッフの間に、未菜は女性スタッフの間に着席することとなった。


「失礼します」


 瀬里花が座ると、長い黒髪がふわりと上昇するように舞い上がり、やがては天女の羽衣であるかのようにそっと舞い降りる。接客業として髪を束ねなければならないことは理解している。だが、この九条大橋店ではそれも一つの武器と認められているとのことだった。


 そして選りすぐられた男性の複数の目が、瀬里花の髪を捉えるのを彼女は見逃さなかった。


 ――それが瀬里花の挑戦状。


 もっとも瀬里花がみんなを試しただなんて、誰も思っていないだろうけれど。


 店長らしき人物が一度パンッと手を合わせる。瀬里花は一瞬で空気が締まるのを感じる。


「さあ、六月に入りました。先月思うような実績を出せなかった方も、ある程度満足のいく成果を出せた方も、色々と思うところはあると思います。ですが、新しい月には、また新しい目標があり、新しい出会いがあるはずです。そして本日から研修を終えた新しい仲間が、この九条大橋店に加わります。お二人にはまた朝礼で、みなさんに自己紹介をして頂きましょう」


 そうか、確かに配属したら、挨拶くらいは求められるものかもしれない。でも、みんなの前でとは、また酷な試練だと瀬里花は思った。


「とりあえず月始めの行動が、君らの世界を決めます。君たちの広げた視野が、君たちに成果を与えてくれるパイになるのです。努力は期待を裏切るかもしれませんが、努力を重ね実行したことは、君たちの信念を揺るがないものにするでしょう。そして新入社員のお二人には、先輩方の歩む道をしっかりと目に焼きつけ、良いところは学び、悪いところは反面教師とし、お客様にとっての一番の存在になれるように努力して下さい。先輩方は、一日も早く君たちが自分たちを脅かす存在になってくれることを期待して待っています」


 いつのまにか、店長の視線は瀬里花たちに向いていた。


「九条大橋店は、県内で一番大きな店舗です。まずは、ゆっくり雰囲気に馴染んで下さい」


 何だかほんわかとしていて、掴みどころのないように思える店長。かといえば、中身が変わったかのように、しっかりとした力のある言葉を発する。この九条大橋店では、少し浮いているような気もするが、人を引きつける求心力は確かなものだと瀬里花は思った。


「朝礼が終わったら、まずは全員に顔を覚えて貰って下さい。相手の顔や声を覚えるためにも、みなさんに挨拶して回るのが社会人として常識でもあります。それと君たちには先輩パートナーをつけなければなりませんね。お二人とも女性ですので、ここは女性二人にお願いしたいですが、そうですね――」


 ――ドキドキ。


 誰が指名されるのだろう。怖いお姉様がつかなければ良いのだけれど。


 そこでふと手を上げるスタッフがいた。


「あ、店長? そのことなんですが、こいつは僕の顔見知りですから、僕が面倒見てもいいですか? 同性よりも、こいつは僕のやり方の方がスタイル的に合うと思いますし」


 ――えっ?


 手を上げたのは……。


 ――どうして。


 無情にもあのだったのだ。瀬里花が拒絶するために立ち上がろうとした矢先、その向かいで立ち上がる女性がいた。


「柊木さん、何それ? あなたが後輩を指導だなんて、どういう風の吹き回しかしら。冗談ですよね?」


「いいや、本気だよ、三嶋更紗みしまさらさ


 柊木の言葉に、ムッとしたように眉間に皺を寄せる更紗と呼ばれた女性。瀬里花の目から見ても、見た目は完璧過ぎる女性だった。瀬里花の母が若ければ、こんなイメージだろうか。美しく綺麗な社会人女性の見本のようでもあった。


「あら珍しいですね。でしたら、この私が小代さんを育てるわ。人に物を教えたことのないあなたが、許斐さんを立派な営業ガールに育てあげられるとは思えないけれど、まあ、楽しみですね」


 ――何?


 いきなり空気が張りつめた。店長が柔らかくした雰囲気を、一瞬にして二人が凍りつかせたのだった。


 柊木と三嶋更紗。この二人が九条大橋店でトップセールス争いをしていることを知るのは、朝礼が終わってのことである。

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