第22話 どうしてそこまで言われないといけないの?

 お客様をテーブルに座らせるところからスタートする川野によるロープレ。椅子を引き、お客様を上座に座らせるのは、いつもと同じ習慣づけられたものだ。そして今、新人営業役の未菜が、それを行っている。瀬里花は少し離れたところでそれを見ていた。


 やがて飲み物を伺い、お辞儀をして未菜が一旦席を離れる。彼女も背筋は良いほうだから、黒いミニスカートのスーツが様になり、大人の女の魅力をぷんぷん匂わせている。


 カツカツとヒールを鳴らしながら、瀬里花の側まで歩いてくる未菜。静かに歩くことが理想ではあるが、実際にはなかなか難しい。瀬里花は予め、ヒールのゴムを音の出にくい柔らかいものに替えたおかげで、音はだいぶ低減し、また足への負担も減った気がした。だけれど、めい一杯音を鳴らして床を踏み締めながら歩くのが、瀬里花は女性に与えられた特権だと思っている。いつか、どこかでそうすることで、瀬里花は瀬里花たりたいと今も願っている。


「どうしよう、瀬里花。何か緊張しすぎて上手く歩けなかったよー」


 九条大橋店の女性が相手だったら、真っ先に指摘されていただろう。でも今の相手は川野だ。


「男だからあんまり気にしてないと思うよ。でも、問題はこれからだね。川野課長、何か企んでいるみたいだし。ほら、美波さんと河出さんに何か耳打ちしてる」


 単純に研修を利用して、セクハラをしたいだけかもしれないが、彼のさっきの言葉がやはり気になる。


 ――


 瀬里花たちにさせていたものを、真っ向から否定する物言い。確かにまだ初歩的なものだったかもしれないが、これからどんなものを見せつけてくれるというのだろう。瀬里花は望むところだと、そこで気合いを入れ直した。


「大丈夫、ロープレは先に言ったもん勝ちだから、どんどん話を勝手に作っていこう」


 そう、ロープレというものは、先にシチュエーションを作ったもの勝ちだと瀬里花は思っている。基本的には話す内容は何も決まっていないし、わかってもいない。逆にいうと、どんなことでも話すことが出来るということである。そしてそれは、最初に状況を示唆する発言をした人の内容が、あたかも真実であるかのように現実化させることが出来てしまうということだ。だからこそ、こちらから先手を打てば、相手は話をそれに合わせることしか出来なくなり、あっという間にこちらのペースに持っていけるのだ。


「おっけー。じゃあ、私も瀬里花に合わせるよ。それが一番楽そうだし」


 流石に未菜は要領がいい。でも、それだと瀬里花にだけ負担がかかる。そして、それでは新人がメインであるこのロープレの意味をなさないだろう。やはり瀬里花は未菜を生かさなければならないのだ。


「未菜、一緒に川野課長を倒すよ!」


「倒す? いいね、何か面白そうー!」


 そう、これは戦いだ。そして、新入社員を軽んじている川野に一矢報いる唯一のチャンスかもしれない。だからこそ、瀬里花は武器を持って戦う。


「じゃあ、未菜。私が飲み物持っていった流れで、三人に同席の挨拶をするから、まずは名刺を全員に渡しておいて」


「おっけ~。目上の男の人からだよね。流石に生保やってたから、私でもわかるよ」


 ニッと笑みを見せる未菜。ショートボブの髪のラインが、彼女の口元を更に魅惑的なものにしている。美容室の担当さんが、良いセンスをしているのだろう。


「うん、ここは私も納得いかないところだけど、一般的には夫婦なら、ご主人から先に名刺を渡すみたい。多分世帯主がご主人であるケースが多いからかも」


 男尊女卑、今でこそ聞かなくなった言葉だが、やはり社会のあらゆる部分に、男性を持ち上げる風土が根づいている。それを否定したいわけではないが、瀬里花はいつか、この世界で女性がいかに素晴らしいものなのかを証明したいと思っている。


「それで、勝つからには、何か秘策でもあるの?」


「うーん、実はまだ考え中。このロープレ自体、突然の流れだしね。やりながらうまく考えるよ」


 実際、まだ漠然とした考えさえ瀬里花にはなかった。だからこそ、先制攻撃をするしかないのである。


 ――さあ、実戦あるのみ。


 手を握り合い、気合いを入れ直した二人。未菜は、再び商談テーブルに戻り、早速笑顔で名刺を渡している。旦那様役の川野と奥様役の美波は、愛想良く名刺を受け取っているが、女子高生役の河出は、ひどく無愛想で、テーブルの上ですぐに名刺を裏返し、ひたすらスマホを見ている。川野の戦略だろうが、これはある意味でいじめに近い。


 ――そう、新人いびりだ。


 このまま先に主導権を握られたらまずい。瀬里花はすぐに飲み物をテーブルに運ぶ演技ををした。


「本日はわざわざご来店頂きまして、誠にありがとうございます。私、許斐と申します。こちらの小代がまだ入社して間もないため、商談にご同席させて頂いてもよろしいですか?」


 テーブルの横で立ったまま、瀬里花はニコニコして、三人の顔色を窺う。


「姉ちゃん。テーブルにつくのはいいけど、この子の実績を横取りしようってのは無しで頼むよ? 俺さ、車の担当者はがいいから」


 ――はい?


 「老けてねえよ!」とは、口が裂けても言えなかった。我慢、ここは我慢だ。これはあくまで川野の作戦なのだから。


「申し訳ございません。私はあくまで小代のサポートのために、同席させて頂くだけですので、もしお客様がお車をご購入頂けるのでしたら、それは全て小代の実績でございます。どうかご安心下さいませ」


 出来るだけ地雷を踏まないように言葉を選ぶ瀬里花。いつもの相手なら、笑顔で了承してくれるのだが、目の前の川野は不服そうな顔をしながら、瀬里花を睨むのだった。


「もしかして、この子が間違えたりしないように、監視するってわけだな。そしてそれを理由に後から怒鳴りつけて、この子の未来を潰そうっていうんだ。ひでえ話だなあ。会社っていうのは、お局様がいると、本当大変だなあ」


 どこまでも喧嘩腰の川野。演技にしても酷すぎると瀬里花は腹立たしくなった。


「あの、私、初対面の方にどうしてそこまで言われないとならないのか不思議なのですけど、それでももし、私が不快な思いをさせてしまっているのでしたら、本当に申し訳ございません。小代をサポート出来る他のスタッフに交代したいところですが、生憎他の営業は出払っておりまして、私しかいないのでございます。どうかご容赦下さいませ」


 これが瀬里花に出来る唯一の抵抗。軽いジャブで川野を牽制する意味もあった。このままこの話では、面白くないと思ったのか、川野は舌打ちをしてようやくテーブルにあるはずのコーヒーを口元に運ぶ振りをした。


「ちっ、なら仕方がないなあ。せっかく彼女が初めての商談なんだから、あんまり邪魔をしないでくれよ。俺は新人のたどたどしい説明が好きなんだから」


 ――変態か。


 それとも本音か。あくまで年増の女と言わんばかりに、瀬里花を見て大袈裟に笑う川野。隣の奥様役の美波も何か言ってくれればと思うが、予想外の展開に、唖然としているばかりだった。


 冷静になれば、これは川野が瀬里花を苛つかせるための精神攻撃だ。そしてそれを顔に出した瞬間にロープレは終了だろう。だから、受け取り方を変え、良い方に思い込むしかない。目指すはプラス思考。


 そう、考え方を百八十度変えるのだ。まだ戦いは始まってもないのだから。

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