第10話 カリスマ


 その日の夜、今岡さんたちサン&ムーンの社員と麻耶たち被合併会社の社員による壮行会が開かれた。場所は昼間に今岡さんが挨拶をした会議室。正直なところ、麻耶は参加しない人がかなりいるんじゃないか不安だったの――だって、今岡さんと長谷部の間で一悶着ひともんちゃくあったのを、ほとんどの人が見ていたから。


 でもね、それは麻耶の取り越し苦労に終わったの。きっと、長谷部を論破した後に今岡さんが言った一言が、みんなの心に響いたからじゃないかな――少なくとも麻耶の心には、思いっきり響き渡っていた。


★★


「――先程は感情的になってしまって申し訳ありませんでした。ただ、悪意は全くありませんので、その点は誤解のないようお願いします」


 今岡さんは社員一人一人に目を向けると、さわやかな笑顔でちょこんと会釈をした。そのときの今岡さん、長谷部を論破したときの雰囲気とギャップが大きかったせいか、麻耶にはすごく可愛らしく見えたの。麻耶は相変わらずのクールガールだったけれど、心の中ではニヤニヤが止まらなかった。


「――これからも言いたいことははっきり言わせてもらいます。ただ、僕は皆さんに隠し事はしません。器用なタイプではないので、二枚舌や三枚舌を使うことなんてできませんし、何より大事なことが共有されていない状況はビジネスでは命取りになるからです。だから、皆さんも思っていることは何でも話してください。もちろん、良いことだけではなく悪いこともです。

 悪いことを隠したいと思うのは人の常ですが、どんなに悪い状況でも早期に対応すれば乗り切れます。人は機械じゃありません。ミスを犯さない人はいません。大事なのはミスを犯した後にどんな対応をするかです。ケースバイケースで臨機応変に対応すること――それは機械にはできないことです。言い換えれば、そこに人の存在価値があります。

 最悪なのは、お互いの間に壁を作って大事なことが伝わらない状況――『近くにいるのに遠い関係』が存在することです。疑心暗鬼に陥って信頼関係がなくなったら終わりです」


 麻耶は「さすがは今岡さん」なんて、しきりに感心していたの――だって、話を聞いているみんなの顔に穏やかな表情が戻って来たのがわかったから。


「――先程長谷部さんが、皆さんの気持ちを代弁する形で思いをぶつけてくれたのは、とても良かったと思います。厳しい言い方をしてしまいましたが、本音で意見を言い合うことはとても大事なことだからです。互いの溝を埋めることで会社が一枚岩として機能するようになりますし、それまで見えなかったものが見えてきます。

 そういう意味では、僕は長谷部さんに心から感謝しています。これからも、僕の足りないところをしっかりフォローしてもらえたら助かります」


 屈託のない笑顔を長谷部の方へ向けると、今岡さんは小さく会釈をする。

 すると、長谷部は恐縮したような様子で今岡さんに丁寧に頭を下げる――まさに「雨降って地固まる」といったシーン。今岡さんの素晴らしい演出に、麻耶は心の中で大きな拍手を送っていたの。

 長谷部のことだから、腹の底で良からぬことを考えている可能性も無きにしも非ず。ただ、世渡り上手で長いものに巻かれるタイプの長谷部のこと。今岡さんにやり込められたとき、自分が逆立ちしても敵わないことがわかったと思う。まず大丈夫じゃないかな。


「それから、『木を見て森を見ず』という言葉があります。組織を管理する者が小さなことばかりに目を奪われて全体を見ていないのはNGだという意味です。ただ、僕は『逆も真なり』だと思っています。

 森というのは、文字通り木が集まったものですが、一本一本の木が健全でなければ森として存在し得ません。森の見た目ばかりを気にして、木をないがしろにするのはナンセンスです。

 森には全く同じ木は一本たりともありません。個性のある木が森を形成しています――人には得手・不得手はありますが、存在価値のない人はいません。それぞれが自分の得意な分野で力を発揮し不得手な分野を補完し合うことで、「一足す一」が十にも二十にもなる。そんな最適な環境をマネジメントすることこそ、ボクのミッションだと思っています」


 そのとき、麻耶の脳裏には、陽の光が燦々さんさんと降り注ぐ中、大地にしっかりと根付いた、青々とした樹木が生い茂る、広大な森の姿が浮かんでいたの。

 麻耶は、自分に先のことを見通す力なんかないのはわかっている。でも、そのとき見えたの――会社が素晴らしいものに変わっていく様子が。


「――長くなりましたが、僕の話はこれで終わります。この後ですが、就業時間が終わった後、を行いたいと思います。「壮行される」のは皆さんで「壮行する」のも皆さんです。新たな門出を迎えるにあたって、自分たちで自分たちを激励するといった趣旨です。よろしければ出席してください……いや、出席してもらわないと困ります!

 というのは、僕は、皆さんの会社のこともここ仙台のことも、ビジネスに関する情報しか知り得ていません。これから皆さんといっしょにがんばっていくには、明らかに情報が不足しています――仕事の話じゃなくてもいい。ちょっとしたことでもいい。皆さんが知っていることを僕に教えてください。個人情報や機密情報だと言うのなら取扱いには十分注意しますから、ぜひお願いします」


 今岡さんのユーモラスな言葉にあちこちから笑いが起きる。

 会議室に漂っていた、張りつめた空気はいつのまにか緩み、麻耶の背中に走った、凍りつくような感覚もどこへやら。

 今岡さんの表情がさっきよりも温かく感じられて、みんなの顔にも安堵の表情が浮かんでいる。驚いたことに、あの長谷部でさえ今までに見たことがないような良い顔をしている。


 みんなから「がんばろうオーラ」が出ている気がした。もちろん麻耶も同じ。

 男のことを「スゴイ」なんて思ったのは、物心ついて初めてのことだったし。


 つづく

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