5.リワーク

 そして面接の約束当日、トキオと妻がクリニックを訪れた。

 あいかわらず多弁なトキオは受付に、今朝のニュースでとある大物芸能人が一般人と入籍をしたことについて永遠と語っていた。

 先日はあんなことがあったにも関わらず、あいかわらずテンションは高めの様だ。


 予定より十分早いが、話を切らないと止まりそうもないので雪凪は席を立ち、トキオと妻に声を掛けた。


「トキオさん、奥様。今日はありがとうございます。ちょっと早いですが、始めましょうか」

「ああ、雪凪さん。どうもこんにちわ。今日はよろしくお願いしますね」


 そう言うと、三人は先日トキオと話をした面接室へと入っていった。


「では早速なんですが、まずはリワークについて説明しましょうか」

「そうですね、雪凪さん。先生からちょこちょこ言われていたんですが、とはどんなものなんでしょうか?」

「はい、リワークとは――」


 休職者向けの復職プログラムのことを指す。

 精神的な症状のため、休職せざるを得なくなった人に対して行われる復職に向けたリハビリのことだ。


 今、リワークを行っている機関は多岐に渡る。

 精神科病院やクリニックが一般的に多くリワークを行っているが、地域によっては精神保健福祉センター、障害者センターなどでも行っている。


 実際の職場のような環境でパソコンを使い資料を作ったり、電話対応、会社内でストレスなどの負荷がかかった時に、どのように対処するのかなどセルフケア対策を学んだり、病気や薬の特徴を勉強したりしている。期間は平均三~六ヵ月といったところか。期間を設けているところもあれば、特に設定していないというところもある。

 もちろん、雰囲気、プログラムの内容は、病院やセンターによって全く異なる。基本的なところは同じでも、やっていることはそれぞれ特徴に違いがある。


 利用にあたってはまず、自宅の近くでリワークをしている機関を探す。

 自分で探すのが困難であれば、病院やクリニックの主治医、もしくはワーカーに尋ねてみるとよい。そうすると、いつもお世話になっている良いリワークを紹介してくれると思う。

 ポイントとしては、通いやすさ。リワークは“通う”を継続することに意味がある。通所のペースは人に応じて差があるが、基本的に週五日が多い。復職を目指している人が集まるので、モチベーションが高いせいもある。休職者はみんな結構しっかり通いたがる。しかし自分の体調ともよく相談して決めてほしい。


 いいところが見つかったら、見学に行ってもらう。

 先程も述べたように、機関によって雰囲気やプログラムの内容が違うのだ。極端なことを言うと、誰も喋らず無言でカタカタとパソコンの音だけが響いているようなリワークもあれば、学生のようにみんなで和気あいあいと楽しくプログラムを行うリワークもある。どの雰囲気で、どの内容であれば自分が続けて通うことができるのか、それを実際自分の目で見て確かめてほしい。


「なるほど。じゃあ、体調が良くなればリワークに通って復職を目指せば、スムーズに行くってことなんですね」

「そういうことです」

「雪凪さん。ちなみに私の病名、小山田先生からは特に病名は何も聞いていませんが、あの後自分なりに調べてみたんですよ。『精神病』『気分の波』とかってパソコンに入力したらね、『双極性障害』とか『躁うつ病』っていうのが出て来てね。たぶんというか絶対、私はこれに当たると思うんですけど」


 ある程度の力が備わっている人は、こうやって医者の言葉から自分でインターネットを使って病気や薬のことを調べる人が多い。

 今の世の中、とても便利になった。ネットで検索すれば、どんな情報だって調べられる。しかしその中にはやはり間違った情報も少なくないので、それを鵜呑みにした患者が医者に『調べたらこう書いてあった!』と不安をぶつけることもある。便利な分、正しい情報を世に送り込んでいほしいものだが、そううまくはいかない。特に精神科の領域に関することは、『この薬を飲んだら頭がおかしくなる』や『実はやりたい放題の精神科』なんて、結構ひどいことを書かれている場合も多い。


「雪凪さん、私は双極性障害だと思うんですが、こんな私でも利用できるリワークはあるのでしょうか? 調べたところね、『ない』って書いてあったんですけど。利用できないのであれば、しょうがないですけどねぇ」


 鋭い質問。

 しかしトキオは、本当に残念がっているようには見えない。

 これは、恐らく否認から来るものだと想定できる。要は、リワークなんて遠回りをせず、早く復職したいという気持ちの表れなのだろう。


 基本的に、リワークはうつ病の人を対象としている。

 そのため、プログラムもうつ病の人向けの内容が多かったりするのも、また事実。


 しかし幸いにも、小山田メンタルクリニックから二駅しか離れていない、精神保健福祉センターで行っているリワークは、うつ病以外のリワークプログラムを行っている。双極性障害の人だけでなく、統合失調症向けのプログラムもある。ハッキリ言ってかなりレアだと思う。


「ここからすぐの精神保健福祉センターで行っているリワークだと、うつ病以外のプログラムもやっていますので、それは問題ありませんよ」

「そ、そうですか」


 がっくりと肩を落とすトキオ。めちゃくちゃ分かりやすい反応だ。

 しかしトキオは、何とか弊害となる要素をひねり出す。


「あ、料金はどれくらいかかるものなんでしょうか。うちはこう見えてそうそうお金もないのでねー。毎日毎日かかってくるとさすがにつらいものがありますけど。な、お前」


 急に妻に話を振った。妻は慌てた様子はあるが、経済的に困難だという部分に関しては、ゆっくりと頷いた。どうやら妻も意見が一緒のようだ。

 恐らく今トキオの心の中では、妻をも味方につけ、もう一人のトキオがガッツポーズをしているのだろう。


 その時、雪凪の直感が働いた。

 妙である。会社の役員にまで就いてバリバリ仕事をしていたトキオの口から『お金がない』という言葉が出るとは。休職中で、傷病手当金が出ているが、そんなに悪い金額ではないはずだ。

 まぁしかし、その謎は後で解くにして、と雪凪の頭は冷静だった。


「料金に関しても特に問題ないと思います。自立支援の対象ですから」

「そうなんですか!?」


 これには少々驚いた反応だった。

『ちくしょー、自立支援め!』と思っているのか、『なんと、自立支援はここまでサポートしてくれるのか!』と思っているのか定かではない。『その反応は、どういう意味ですか?』と聞いてもいいところだが、雪凪は今はあえてスルーした。


「とまぁ、簡単ですが、以上がリワークについての説明になります」

「ほほう。だいたいよく分かりました。ありがとうございます」

「雪凪さん、ありがとうございます」


 三人はそれぞれに向けて頭を下げた。


「仕事を休職された方の八、九割ほどの患者さんがリワークへ通っています。トキオさんも、今後利用を検討されるといいと思います。今は先生が『もう少し波が落ち着いてから』と話があったかと思いますので」

「そうですね。まぁ考えてみようとは思いますが、なんせ私は今体調がすこぶるいいので、あまり必要ないかもしれませんね。ネットで見た、その~……うつ状態ってやつ? 私たぶん初診でかかった時がうつ状態だったとおもうんですけど、あそこまでひどくなればちょっと考えてもいいかもしれませんね」


 トキオは何としてでも、リワークの利用を回避したいようだ。

 躁状態の時は病識がないので、仕方がないと言えば仕方がない。拒否されれば、こちらは正直何もできない。強くは勧めるが、無理やりサービスにのせるようなことはできない。

 情報提供はする。いろんな情報を伝えて、本人にとってどんなメリットがあるのかデメリットがあるのかを伝えた上で、患者に選んでもらう。これは病名に限らず、どの患者の支援にも当てはまる。


 しかし、今回トキオがリワークを嫌がるのは雪凪の中では想定済だった。

 そのため『あ~ダメだった~』なんてうまくいかなかったことを落ち込むこともない。


 雪凪が二人を呼んだのは、もうひとつの意味があった。


「トキオさん、最近かなり具合が良さそうですね」雪凪は、突然話を始めた。

「そうなんですよ! 分かります? いやー。一時はどうなることかと思いましたが、こんなに元気になるもんなんですね」とご機嫌に答えるトキオの隣で、妻は下を向いてただ黙って聞いているだけだった。

「カルテを見ると、『具合が良い』と言っていたようなので。しかし、それだけ具合が良いのに、先生はまだ復職を許可できないと言っています。波が落ち着くまで、だと判断している。そこで、診察室だけでは聞き取れない、トキオさんのについて、私の方で話を伺おうと思うのですが、いかがでしょうか」

「ああ、いいですよ。この私の健康的な話を聞いてくれるのですか? はっはっはっ――」

「いえ。今回話を聞くのはトキオさんからではなく、トキオさんの奥様からです」


 トキオは固まった。

 そして、この雪凪の言葉を聞いた妻は、机ばかり見ていた視線を上げ、期待を潤ませた眼差しで雪凪を見つめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る