7.カケルの夢

 相談員は、ひとりの相談員につき、ひとりの患者しか担当を持たないわけではない。入院中の患者すべてが、やまざと精神科病院の【地域医療連携した】に配属している八名の相談員に均等に割り当てられている。外来患者に関しては、金本が対応することが多いが、金本が不在時には手の空いた者が対応することになっている。

 基本的には、相談員ごとに担当する病棟が決まっており、そこの病棟への入院対応した患者をそのまま受け持つ形が多い。今田の場合は、急性期閉鎖病棟の担当をしているため、この病棟に入院となったカケルの担当になったというわけだ。


 そのため、カケルの対応をする以外の時間は、他の患者の支援を行なっている場合がほとんど。毎日毎日、【地域医療連携室】と急性期閉鎖病棟を何十往復としている。中央に設置されているエレベーターは基本的には使わない。病院の職員用に造られた階段で行き来している。今田は『こんなに登り下りしているんだから、もっと体引き締まらないかなぁ』と考えながら階段を登るのが日課になってしまった。元々太っているとか、そういうわけではないのだが、健康のためにちょっと前からジムに通い始めた今田は、体つくりを意識するようになっていた。


「今田さん」

「あ、カケルさん。どうかしたんですか?」


 病棟で他の患者対応を終えた今田は、カケルの元へ向かおうとした時、先にカケルに声を掛けられた。


「今日新井先生から、許可が出たんです」

「あら。それは良かったですね」


 入院中は、主治医の許可がないと病棟から出ることができない。そもそも閉鎖病棟は鍵のかかる病棟のため、誰か職員に鍵を開けてもらわないと出られないのだ。

 そのため退院に向けて、本人の体調に応じ、少しずつ行動範囲を広げていくのが一般的なやり方である。

 まずは病院の敷地内の外出。その次は敷地外。最終的には自宅への外泊。それを繰り返し行い、退院となる。

 ごく稀にだが、入院中とても優等生のふりをして、外出許可が下りたとともに脱走してしまう人もいる。そうなってしまうと、警察のように追いかけ回して病院へ連れ戻すことはしない。それは入院の時にも家族によく説明をし、納得をして頂く。そして脱走した後は、再び具合が悪くなり、病院へ逆戻りというパターンが多い。


「ここの病院広いので、早速外を散歩してみたいんですけど、スタッフさんみんな忙しそうで……」

「そうだったら、一緒に行きましょうか。僕、次の面談まで少し時間ありますし」


 本当であれば、この後は今田の休憩時間の予定であった。しかし今田は自分の休憩よりもカケルの散歩に付き合うことを優先させた。

『休憩は、十分もあれば充分だな』と、そんなことを思いながら今田は【地域医療連携室】に白衣を置き、再びカケルを迎えに行き、外へ出た。


「うわぁ、いい天気ですね」

「そうですね。病院の周りは木に囲まれているので空気もおいしいですよ」

「俺、最初ここに来た時、そんな余裕なかったからちゃんと見てなかったけど、おっきい病院なんですね」

「ここ、歴史ある病院だからね」


 病床数が三百床となると、そこそこ大きな精神科病院に値する。

 急性期閉鎖病棟の他にも急性期開放病棟、慢性期閉鎖病棟、慢性期開放病棟、認知症病棟、ストレスケア病棟などがあったり、精神科デイケア、精神科訪問看護など、病棟以外の施設もいくつか持っている(※これらは今後物語で登場するため、あえて今は解説を省く)。

 敷地内の一箇所には、患者用の喫煙所も設けている。外出を許可された患者が唯一たばこを吸える場所。病棟の中に喫煙所を造っている病院も中にはあるが、やまざと精神科病院は、外にある。その前を通ると、数名の患者がたばこを吸いながら「今田さーん!」と手を振ってくるひともいた。


 カケルは実年齢よりも無邪気な印象で、子供のようにあれは、これは、と今田に質問を投げかける。


「今田さん、あれはなんですか?」


 カケルは病院の向かいにある孤立された施設を指差した。


「あ、あれはね、っていうところですよ」

「デイケア? おじいちゃんおばあちゃんが通うところですか?」

「高齢者向けのデイケアがよく知られているんですけど、精神科にもデイケアがあって、主にリハビリを目的としているところです。生活リズムを整えたり、コミュニケーションの訓練をしたりするところです。いろんなプログラムをしているので、とても楽しい場所ですよ」

「へぇ。そうなんだ」


 カケルはデイケアの窓から見える、中で楽しそうに笑っている患者たちの姿から目が離せない様子だった。


「俺も、ああいうところに通ってみたいなぁ」

「デイケアに通いたいですか?」

「はい。これまで、家族以外の人と話した記憶があまりないし。友達とかできたら、嬉しいっていうか」


 カケルは照れくさそうに話をしてくれる。


「そういう気持ち大事ですよ。カケルさんは、退院したらやってみたいこととかありますか?」

「そうですね。いつになるか分からないし、叶うか分かりませんけど、最終的には仕事がしたいです。これまで、アルバイトもしたことなかったし。自分でちゃんと稼げるようになりたい」

「お仕事がしたいって思っているんですね」

「はい。これまで家族にすごく迷惑かけてきてたし、自立できるようになりたいです。お金稼いで、親孝行したい」

「とても素晴らしい目標ですね。僕は応援しますよ」

「嬉しい。今田さん、ありがとうございます」


 否定はしない。本人が目指しているものがあるなら、それを応援し、サポートするのは精神保健福祉士が患者と関わる時に大事にしているもののひとつだ。


 本人ができることは妨げない。できないことがあれば、代わりにやるのではなく、できるように少しだけ手を貸す。それは、本人の〈できる力〉を信じているから。


 カケルのように統合失調症の人は、果たして仕事をすることは難しいんじゃないか。

 未だに幻聴も聴こえている状況で、雇ってくれる会社はないんじゃないか。


 答えは『ノー』だ。


 もちろんそのためのトレーニングやリハビリは必須。カケルのように仕事についたことのない人は特に。

 そのため、退院後のデイケアの利用はとても有効的である。統合失調症の人は、デイケアでのリハビリはとても効果があると言われている。実際に、デイケアに通い、体調や生活リズムを整え、就労支援を利用し、仕事を始めた人もいる。


 今田はカケルの人生を考えなければいけない。

「仕事がしたい」

「じゃあハローワーク行って」

 ではない。

 いくら遠回りになっても、本人の今後の長い人生を考えた時に、どのやり方が本人にとっていいのかを一緒に考える。


「カケルさん。じゃあその夢を叶えるために、退院する前にでも、僕と一緒にデイケアの見学に行きませんか?」

「今田さん、いいんですか?」

「もちろんですよ。行きましょう」

「ありがとうございます!」


 選択肢を与え、本人に選んでもらう。

 今田が「デイケアを利用しませんか?」ではなく「見学に行きませんか?」と言ったのは、そういう理由もある。


 精神保健福祉士がやることは、精神保健福祉士が作ったレールの上を本人に走ってもらうのではなく、本人の意思決定を大事にし、寄り添うこと。本人が選べるように情報を提供し、希望があれば本人に出来る限りやってもらい、壁にぶち当たれば手助けする。




 今田は今日、カケルの一番の笑顔を見た。


 どこまでも晴れ渡るこの青空のように、どこまでも広がる希望を胸に抱いて。

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