第7話 ガイダンス(道案内)

 協会のリコッタ嬢に紹介された宿“釣り人の憩い亭”だが、宿自体の清潔性に加えて、少なくとも食事と寝台に関しては大当たりと言ってよいクォリティーだった。

 ベッド自体はやや堅めだが、これは現代日本のスプリングの利いたマットレスを使用した代物と比べる方が間違っている。むしろ、かつて会社の出張で行ったことのあるアジア某国の中級以下のホテルなどに比べれば、少なくとも清潔でかつ広さも十分とってある分、遥かにましと言えるだろう。

 女将さんを始めとする従業員の人柄も悪くないし、風呂がないことを除けば食堂・給湯・便所などの施設も必要十分かつキチンと手入れもされている。

 総合的に考えれば、朝食付き3泊800ジェニ(≒1万円弱くらいか?)の価値は余裕であると思う。


 朝の食堂で、宿泊客用セットの麺麭パンとチーズを交互にパクつき、黄色い柑橘の爽やかな酸っぱさを楽しみながら、つらつらとそんなことを考える。

 (それにしても、日本にいたころは朝はほとんど食べない派で、食べてもせいぜいコンビニで買ったおにぎり1個程度だったのに、なんかかなりの量の朝ごはんをごく自然に食べてんなー)

 狩猟士であることを考慮してくれたのか、あるいは元々そういうモノなのか、用意された朝食は、麺麭だけで食パン換算一斤くらいの量があり、チーズ(牛乳じゃなくてヤギに似たカプリコって動物の乳が材料らしい)も大人の拳くらいの塊りなんだが、それらをペロリと平らげてなお、未だ腹八分目って感覚になってる自分がいる。

 (こういうのも“体に心が引きずられている”と言うのかねぇ。まぁ、健康面を考えれば、朝もキチンと食べるほうが体にはいいんだろうから無問題だけど)

 食後にハーブティーに似た五香茶(これは別注だった)をすすりながら、そんなことを考える。


 と、ちょうどその時、広場の方(おそらく創立者像のすぐ背後に立つ塔のてっぺんだろう)から、「カーン、カーーン、ガーーーン、カーーーーン!」と告時の鐘が4回鳴らされたので、残ったお茶を飲み干して席を立った。

 昨日知り合った新米狩猟士の少女ロォズに、今日の午前中は店を案内してもらう約束をしてるからな。

 五香茶の代金を払い、待ち合わせ場所である宿の玄関前に出ると、広場のある方から早足──というより駆け足に近い歩調でこちらに向かって来るロォズの姿が見えた。

 「ご、ごめん、リーヴさん……待たせ、ちゃった?」

 案の定、目の前まで来た時には、わずかに息が乱れている。

 「いや。今しがた来たばかりだ。慌てなくてもよい」

 そこまで急ぐ必要もないので、できるだけ穏当な口ぶりでそう告げたつもりなのだが、かえってロォズは恐縮している。

 「ホント、ごめんね。広場で鐘番の人が、塔を上っていったから、すぐにこっちに、来るつもりだったんだけど、知り合いに呼び止められちゃって……」

 話しているうちに、徐々に乱れていた呼吸も整ったようだ。

 (ふむ?)

 微かな違和感を感じたものの、その正体がわからない。気にするほどのこともないか、と思い直し、「では行こうか」と声をかける。


 「うん。で、どういう店を探してるの?」

 「とりあえず着替えだな。普段着を売ってそうな場所を教えてほしい」

 それほど重装備ではない革製レザーセットとは言え、さすがに普段着にするには大仰すぎるし、何より着心地がよろしくない。

 寝るときは下着姿(黒に近い暗褐色のビキニ水着っぽいブラとパンツだ)になったものの、双葉は日本むこうでは寝るときはパジャマに着替える派だったので、それもイマイチ落ち着かない。

 (いや、確かにゲームの中のアバターは、街中でも鎧姿で、部屋ではそのままベッドにひっくり返って寝てたけどさぁ)

 ハンティングライフやその周辺事項には細やかな気遣いがなされていた『HMFL』だが、逆にそれ以外の部分のシステムについては比較的簡略化されている。昨日は色々テンパってたので気づかなかったが、街中を鎧姿で闊歩している狩猟士は案外少ないようだ。ちらほら見受けられるのも、これから依頼しごとにでかける、もしくは依頼帰りの狩猟士なのだろう。

 ゲームの知識が正しければ、このカクシジカの町の定住人口は約3000人。町外周の柵塀に代わって堅牢な城壁さえ築かれれば、そのまま“街”を名乗ってもおかしくない規模のかなり大きな町だ。

 3000人のうちの狩猟士の割合はおよそ200人強。普通の町では人口の3%前後が狩猟士だと言うから、カクシジカの狩猟士数はかなり多い方だろう──さすがに、文字通り“最前線フロントライン”の町ジェニシスの「総人口の1割以上が狩猟士、しかもその過半数が上級!」などというインチキっぷりとは比べものにならないが。

 単純計算なら道行く人の十数人にひとりは狩猟士のはずなのに、(ゲームの時と違って)一見したところほとんど見当たらないのは、装備を外しているからなんだろう。武器や防具は狩猟士にとって、あくまで商売道具で仕事着なのだ。

 ──してみると昨日(そして今)の自分は、警察官や軍人がプライベートなのに制服や軍服を着たまま、街角やお店にいた感じなのか。改めて考えるとドン引き案件かも。

 「なんなら古着でも構わんが、私のような大女でも着れる服がどれだけあるかが微妙だな」

 ちょっと自嘲気味にそう告げる。

 この世界の人間は(ゲームでの脳内設定同様、自分リーヴの身長が188センチだと仮定して)、見た感じ男性が170台半ば、女性はそれより7、8センチ下といったところだろう。つまり、リーヴは女性の平均身長どころか男性のそれよりさらに10センチは高いことになる(ちなみに、こちらでは“プロト”の下の単位は“ミプロ”で、これはおおよそ5センチに相当する。これもゲームサイトからの無駄知識だ……いや、満更無駄でもないのか)。

「だいじょーぶ! 確かにリーヴさんはかなり大柄だけど、女の人の狩猟士ならそういうのも珍しくないし、売ってそうなトコロの心当たりはあるよ」

 しかし、ロォズは自信たっぷりにそう断言した。

 「本当なら助かる」

 軽く頭を下げると少女は慌てて首をふるふると横に振った。

 「よ、よしてよ。単にお店を教えるだけだし、それにまだリーヴさんに合う服が見つかるとも限らないんだから」

 連れ立って歩くこと、数分(ただし、こちらの“1分”は役場や狩猟士協会などで売ってる砂時計っぽい道具で一回砂が落ちきるまでを指すので、地球の分とまったく同じかは微妙。体感的にはやや短いようにも思う)。広場につながる目抜き通りから2回曲がった路地の奥に、その店はあった。

 日本人にわかりやすく近い雰囲気を挙げるなら……“築地場外市場にありそうな老舗の干物屋”だろうか? 店構えの通りに面した側に壁はなく、古着とおぼしき商品を積んだ台が整然と並べにられている。それ以外の新品らしき服は店のやや奥まった方の壁にハンガーにかけて展示ディスプレイされているようだ。

 「マーガスさん、お客さんを連れてきたよ!」

 慣れた様子で店の奥に向かってロォズが声をかける。

 「おんや、ロズ坊。お客さんというのは、そちらのおっきなお嬢さんかい?」

 日本人的感覚で言うとたぶんアラフィフくらいの中年女性が店の奥から出て来た。

 宿のおかみさん以上にふくよかな(婉曲表現)体型だが、ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべていて、ほがらかでとっつきやすそうな雰囲気だ。

 「“お嬢さん”なんて歳でもガラでもありませんよ、マダム」

 「アッハッハ! あたしも30年以上、ココで商売してるけど“御婦人マダム”なんて呼びかけられたのは初めてだよ」

 まるで十代の娘みたくケタケタ笑い、ごく自然に右手を差し出してくる。

 「狩猟士かい……って、まぁ、見りゃあわかるか。あたしはマーガス。この服屋の主さ」

 出された右手を軽く握ってシェイクする。

 「昨日この町に着いたフリーの狩猟士で、リーヴと言います」

 「むぅ~、リーヴさん、ボクとマーガスさんでなんか対応が違うぅ」

 傍らで見ていたロォズは、何が不満なのかちょっぴり頬を膨らませている。

 「年長者に相応の敬意を払うのは社会の常識だ。無論、徒に馬齢を重ねてその礼に値しない輩もいるが」

 「ちょっと説教臭いかな」と思いつつも、たしなめるようにそう言うと、ロォズが驚いたように目を見開く。

 「! リーヴさんって……もしかして見かけによらずスゴく常識的?」

 だから、どうしてコレくらいで驚くのか、と問い質したいが、立場が逆なら自分もそういう態度に出るかもしれないので、とりあえず聞かなかったことにしてマーガスさんの方へと向き直る。

 「ご覧のとおり、無駄に馬鹿デカい体を持て余す不作法者ですが、さすがに町中で武装しているのは気が引けます。適当に普段着を見繕っていただけませんか?」

 当面の予算は1000ジェニです、と付け加える。

 「アンタが不作法なら、あたしの知ってる衛兵と狩猟士の過半数がゴロツキ同然ってことになりそうだけどね。1000か……それだけあれば、古着なら5着、新品でも3着は上下セットで揃えられるよ」

 これは予想外の朗報だ。普通の体格ならともかく、今の私みたいな大柄な女性向けの衣服は、そうそうない(あっても希少なぶん値が張る)と思ったんだが……。

 「腕利きの上級狩猟士なら、アンタくらい立派な体格のも少なくないからね」

 そういう人向けの普段着も、それなりに扱っているらしい。

 「ただ、種類はあまりないんだけど」と、マーガスさんは少し申し訳なさそうだったが、私としては問題ない。むしろ、自分の服装センスとかには自信がない方だから、ありものを買うだけという方が逆に助かる。

 そのごく僅かな“選択の余地”に関してはロォズの意見なども聞きつつ、無事に新品2着・古着1着と替えの下着2セットを購入して、マーガスさんのお店を出た。


 「次は武器屋をお願いする」

 畳んだ服が押し込まれた麻袋(袋代はマーガスさんがサービスしてくれた)を、サンタクロースか大黒様のように担ぎながら、ロォズに告げる。

 「狩猟士には必須だもんね! でも、どうせならその前にその荷物、宿に置いてきたら?」

 「ふむ」

 確かに、“釣り人の憩い亭”はここから歩いて5分もかからない場所なんだから、一理あるな。

 「そうだな。少し時間をくれ」

 他の通行人の邪魔にならない程度に早足で宿に戻り、荷物を置いて来ようと思ったのだが……。

 「あ、待ってまって、ボクも行く!」

 ロォズも一緒に来るつもりのようだ。

 「宿まで来ずとも、広場で待っててもよいぞ?」

 と念を押したのだが、「いいからいーから♪」となぜか妙にご機嫌だ。


 ──そして、宿に戻ったところで、その浮かれっぷりの理由がわかった。

 「へ~、普段着だとけっこうイメージ変わるね」

 なんとこの少女、宿の個室まで来て、私に買ったばかりの服に着替えるよう強要(言い方的には「そうした方がいいよ」という推奨だったが、妙に押しが強かった)してきたのだ。

 無論、断ることもできたが、私自身もいい加減、革鎧姿で町をうろつくことに嫌気がさしていたので、着替えることにした。

 購入した3着のうち、新品のひとつは寝間着用なので除外、残るふたつのうち、割と気軽に着られそうな生成り地の袖無しチュニックと藍染めのショートパンツ(というよりホットパンツか?)の組み合わせを選択する。

 「うむ。古着だが着心地は悪くない」

 「そういうカッコなら、あんまり会う人にも怖がられないと思うよ?」

 どうやら、密かに気にしていたことに、気づいていたらしい。

 「そう、だろうか?」

 硝子鏡なんて代物はこの世界では希少なので、無論この部屋にはないため、自分で自分の姿が見れないのはちと不安だが……。

 (それでもまぁ、“鎧で完全武装の大女”よりは“平服の大女”の方がマシはマシか)

 全身から発せられる威圧感も少しは和らぐだろうと納得して、私はロォズと共に部屋を出た。


 先程のマーガスさんの服屋とは、広場を挟んでちょうど逆の方角に歩いてすぐ、わずか20歩ほどの場所に武器屋はあった。

 「ね、“武器屋”でいいの? “鍛冶屋”じゃなくて」

 「ああ、今日のところは、な」

 『HMFL』のゲーム内(そしておそらくはこの世界)において、武器屋と防具屋、そして鍛冶屋はそれぞれ独立した店を構えているのが普通だ。例外は、人の少ない辺境の村くらいか。そのあたりだと、鍛冶屋が残るふたつも兼ねていることが多い。

 武器屋と防具屋の営業内容は説明するまでもないだろう。それらに対して鍛冶屋というのは少し特殊で、適切な素材を持ち込むことで1から武器・防具を製作してくれたり、手持ちの武具を強化・改良してくれたりするのだ。

 ただ、現状、自分は(ゲームではしこため貯め込んでいたはずの)素材をまったく持っていないし、唯一手元にある武器「百屯煩魔」は、上級者向けかつ攻撃力と取り回しの良さ、メンテナンスの容易さなどのバランスがとれた逸品なので、当面改造する気はない(というかできない)。

 で、ロォズに頼まれた弓の指導のために、店売りの一番安い弓矢を購入しておこうと考えたのだ。

 「えっ! リーヴさん、弓持ってなかったの!?」

 そのことを告げると、途端に狩猟士の少女は慌てだした。

 「ああ。少々事情があって、武器は愛用の大槌ひとつしか今は持ってない」

 「だったら、ボクのためにわざわざ買ってもらうのは悪いよ~」

 「気にするな。飛び道具はサブウェポンとして、持っていて損はない」

 そもそも、新米狩猟士が請けるような依頼で「百屯煩魔」を使うと、下手すると獲物がミンチよりひでぇ状態になるのがオチだからな。

 幸いにして武器屋に並べてあるものは、どれも値段の割にはしっかりした造りで、付近の小型&大型獣を狩るくらいなら十分役目を果たせるだろう。

 「では、準備を整えたら協会に仕事を請けに行こうか」

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