第4話 この水、源泉水だね 後編

数日関係者をあたったが、収穫はなかった。

「会社関係は全員白ですね。平日ですし、ほどんどの社員が出勤。休んでいた人と出先に行っていた人もアリバイがありますし、怨恨の線もない」

「真面目で働き者。だが、最近成績が落ちてきた」

「上から責められていたようですが、特に何とも感じてなかったみたいです」

「真面目な割には、抜けているところがあるみたいだな」

「そうですよね。真面目な人ほどストレスを溜め込むイメージがありますけど」

そこに、秋田が戻ってきた。手には、紙袋を持っていた。

「やれやれ」

「警部、なんですかそれ」

「大根の漬物」

同行していた刑事によると、誤認逮捕をした男の母親からもらったということだ。

真犯人も捕まえ、大変喜んでいたという。

「千葉君と福岡君。旅館の事件は解決しましたか?」

「いいえ、会社関係をあたってみたのですが、全員白でした。それに、亡くなった南田は真面目な性格で、人から恨まれることはないということでした」

「小峰については、なかなか情報が出てきません。家族、親戚が口が堅くて。友人がいないのはわかりましたけど」

「その小峰さん、気が弱いみたいね」

「はあ、まあそういう気はしますが」



「千葉君」

秋田が千葉を呼んだ。千葉は秋田の前に立つ。

「手を出してください」

何を言い出すのかと思えば、手を出す?

千葉は、右の掌を秋田の目の前に出した。

秋田はその掌に、あるものを置き両手で包んだ。

「これ、あげます」

秋田は両手を離した。すると、掌にはゴキブリが乗っていた。

「わっ」

と千葉は声を上げ、ゴキブリを放った。正確には、本物のゴキブリではなく、おもちゃのゴキブリである。

千葉は、秋田を宇宙人でも見たかのような目で見ていた。

「これ、小峰さんにもしてみましょう」

千葉は、なにかを言いたげな様子だったが、何も言わぬまま立ち去った。


ふたりは旅館に向かう坂を上っていた。

「本当にするんですか?」

「警部がそう言ってるんだ。するしかないだろ?」

「えー?」

千葉は何かに憑りつかれたように夢中で坂を上った。

(なんなんだ。あの警部)

旅館に着くと、小峰を呼んでもらった。

千葉は早速、やってみた。

「小峰さん、手を出してください」

「いきなり、ですか?」

福岡の心配をよそに、千葉はやるしかないと決心していた。

小峰はゆっくり両手を差し出した。

その両手は、手錠をされるのを待っているかのように。

「逮捕しにきたのではありませんので」

と福岡が彼女の気を落ち着かせる。

「これを、渡しにきました」

千葉は、小峰の両手にゴキブリのおもちゃを乗せた。

すると、声をあげることなく、小峰は固まった。

「す、すみません」

と福岡が謝る。

千葉は、おもちゃを回収した。

「では、失礼します」

「本当に、すみません」

固まった小峰をそのままに、ふたりは旅館を後にした。

「千葉さん、あれだけですか?」

「ああしろって言われたんだ」

あまり驚かなかった小峰に、千葉は恥ずかしさを覚えた。

「あれで何がわかるんですか? あっ、手錠かけると思われてましたね」

「もしかして、小峰が犯人? 警部はそう言いたいのか?」

わけのわからぬことをさせた秋田に文句があるようだ。坂を下りながら歩くスピードを落とさない。早足の千葉に、福岡もついていく。

「何の関係もない客をどうして殺すんです?それに、傷の深さから見て、女性ひとりでは無理ですよ。共犯がいたとすれば、旅館の従業員か他の客ですか。友人もいない彼女に協力者なんているんですね」

「じゃあ、なぜああいう風に手を出したんだ」

「気が弱いからじゃないですか? 千葉さんみたいに警部の目の前に大胆に掌向ける人なんていませんよ」

「悪かったな」

「その後ゴキブリで驚いたの、面白かったですけど」

と福岡は笑いながら言う。

「そうだよ。このおもちゃ。持っていく必要あったか?」

「そういえば彼女、千葉さんみたいに驚いていませんでしたね」

「まったくだ。あんなことさせて、馬鹿にしてるのか」

千葉は、怒りのあまりおもちゃを投げ捨てた。

「あー、あれ警部のですよー」

と福岡は、おもちゃを取りにいく。

おもちゃは、茂みの中でじっとしていた。

「こういうところにゴキブリってリアルなんですよ」

そして、おもちゃを見つけた。

拾おうと手を伸ばすと、足で踏んだ草の揺れが伝わり、おもちゃが動いた。

「あっ!」

福岡は大声をあげ、茂みの中から飛び出した。千葉以上に、驚き方が激しい。

その姿を見て、千葉は思った。

人には、驚くときに声をあげる人と、驚きを飲み込んでしまう人がいる。

千葉と福岡は前者で、小峰は後者である。


「警部」

千葉は秋田に今あった出来事を報告した。


「それで、小峰は10時に南田を起こしたとき、遺体を発見したのではないかと思います。しかし、その驚きを閉じこめてしまい、自分は立ち去った。誰かに発見されるのを待っていたが、客室の担当は小峰。黙っていることもできなくなり、1時に遺体を発見したようにみせた」

秋田は感心したように聞いていた。

「こうすれば、死亡推定時刻は10時前であることと折り合いがつきます」

「それで?」

「小峰は手を出せというと、手錠をかけられるかのように手を出しました。それはきっと、嘘の証言をしてしまったことを悔いてのことだと思います」

「うん」

「犯人は……」

と言いかけた千葉。犯人についてすっかり忘れていた。

「おしいね」

秋田は笑っていた。

「あの旅館に監視カメラあるの見たかい?」

「はい。しかし、客間の前は死角となってました」

「入口とかは怪しい人、動き、なかったよね」

「はい」

「そもそも、あの古びた旅館に監視カメラがあるなんて普通思わないよね」

「それは、そう思います」

「だから、犯人なんていなんいんだよ」

「え」

ふたりは、きょとんとした顔をした。

「いや、仮に自殺なら、背中にナイフを刺すっていうのは……」

「背中、湿ってたでしょ?あれ、氷だと思うんだよね」

秋田は立ち、近くにあった本とナイフに見せかけたペンケースを床にセットした。

「こんな感じ。これでこう、背中から倒れるように、飛び込む」

「そうか。氷は時間が経てば消えてなくなる。湿っていたのは、まだ乾ききっていなかったから」

「氷は旅館からもらったもの。魚を自分で捌きたいと言って厨房を借りていたようだから、そのときにナイフ付の氷を作ったんじゃないかな。」

「なるほど」

「いいかい。今回の事件では、人をよく見るということが大切なんです。南田さんは生真面目な方です。だから、成績が落ち上司から叱責されたのをストレスに感じていました。真面目な人ほど、ひとりで抱えてしまうものです。とうとう抱えきれなくなり、死を選んだ。小峰さんはどういう人でしょう。気の弱い女性です。人を殺すことなんてできません。遺体を放っておくことなんて、できないでしょう」

こうして、江戸旅館での一件は、自殺で幕を下ろした。


「なあ、福岡」

「はい」

「警部、最初から知ってたよな」

千葉は、秋田を不審に思った。

あのとき、秋田は何か事件かと訊いた。そして、遺体を見にいこうと言った。

しかし、実際は遺体をすでに見ていた。

運んだ後に遺体を見たのかと思ったが、鑑識によると、秋田は事件現場で遺体を確認したらしい。どうも、話が合わない。

「よく偶然あんなところにいましたよね。っていうか、勤務中なのに滝を見に行くってどういうことなんですかね」

そう、秋田はあのとき滝を見に行っていたと話した。

「まさか……、まさかな……」

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お出かけ警部のグルメ日記 柚月伶菜 @rena7

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