第3話 呪われた国と都の外

 ユリユールは息を吸い込んだ。"呪われた"。その形容詞が彼女の頭にこだました。金属を溶かしたような彼女の銀の瞳が揺れるのを見ながら、イフはきらきら美しいブローチに目を落とした。

「ぼくもみたことはない。あくまで噂だ。

 ――城の地下には、牢があってね。悪しきものが外へ洩れるのを防ぐ鏡水晶の洞窟を、螺旋状にけずりだしたものなんだけど。そのいちばん下に、誰もあけられない扉があると言われている。

 ぼくはかつて一度だけそれを見た。岩壁に擬装されていたけれど、確かにそこからは、鏡水晶の結界の気配を感じた。

 ……きっとそこに、ラルカは閉じ込められていたんだ」

 ユリユールの脳裏には、かつて一度見たことがある、触れれば手が切れてしまうほど冷たく、鏡のように光を跳ね返す稀少な宝石である鏡水晶がよぎった。産出量が極端に少なく、このノルニシュカ皇国でも限られた土地でしか取れないそれは、父がいつか研いてみたいとため息をついていたものだ。その記憶が彼女の周囲を取り囲み、まぼろしの牢獄をつくりだす。

「……どうして?」

 震える声で問うたユリユールに、イフは目を伏せた。

「我が国の古い言い伝えには」イフは指を折る。「大体、千年前かな。まあいいや。氷と火から如何にしてこの国が誕生したかという話があるんだけど――長くなるからここでは省くよ――その話に由来して、王族には、ときおり呪われた子が生まれると言われている。それは銀色の髪と、紅色の瞳を持ち、肌は雪のように冷たく、爪は氷のようにきらめく。それは男女どちらであっても、この国に災厄をもたらす」

 これがこの国で長く信じられてきた神話だ、とイフは遠くを見た。透きとおった氷のような午后の青空が、少しずつ夕方の靄めいた光をまとい始めている。

「この国が大陸からの宣教師によって教化されたあとも、この信仰は残り続けている。"呪われた子"は、生まれればすぐにその命を奪われた」

 ユリユールは祈るように指を組んだ。自分たち旅人は、"時の呪い"を受けていると、かつて父が言ったことが思い返される。

 黙りこくるユリユールの様子をどう受け取ったのか、「王族などにはよくあることだと思うよ」悪習の密かな存続なんて、とイフは呟いた。

「ぼくはこの話を、兄たちの噂話から、そして父がたった一度こぼした言葉から推測した」

 イフは立ち上がり、菩提樹の幹に手を置いた。凍りついた葉群を見上げて目を細める。万華鏡のように色を変える彼の瞳は、今は森の青に染まっていた。

「我が父は、息子を殺せなかった。ラルカは生きていたんだ。けれど、地底の螺旋のいちばん下、春など来ない永遠の氷の牢獄で。生まれてから二十八年間、ずっと呪われたまま、閉じ込められていた」

「……その人が、国を凍らせたというの?」

 イフは黙っていた。彼の沈黙が、彼自身がそう思っていることと、肯定できる確証がないことをあらわしていた。

 ユリユールは草の上に腰をおろし、顔を覆った。

 生まれてから十四年、ユリユールたちを運んでくれた幌馬車。二頭の馬。革の袋に包んだほんの少しの家財。寡黙だが、優しくて大きな体をした父。城に向かう父と最後に交わした会話を思い出そうとする。明確には思い描けない、見慣れた父の背中に自分はどう声かけたか、それに父がどう答えたか。城壁のなかに置いてきた日常。

 それらは、永遠に凍りついてしまったのかもしれないのだ。

「……今、城の魔術師は半数が出払ってる」

 イフは指先で、戯れに小枝を組みながら呟いた。

「何人かは賓客の出迎えで近隣の街に、何人かは国への出入りを警戒するために各中継地点に。確か、キアランのいる士官学校にも、国境の結界を強化するために何人か呼ばれていた」

 そして残りは戴冠式の準備と、城の警備に就いていた……と言うイフは、小枝だけで簡易的な皇宮の外形を組み上げ始めていた。

「キアランっていうのは……」ユリユールが遠慮がちに問えば、「第四皇子。実質、第二皇位継承者だね。ここからだいぶ南に行ったベルンテにある士官学校にいるはずだ」

「じゃあ、キアラン皇子は無事なのね」

「恐らくね」イフは皇宮の塔の群れを再現しながら難しい顔をする。「……都に何かあれば、すぐにあそこにも連絡がいく。でも、どれだけ急いでも連隊を動かすには多少時間はかかるし、普通の兵士が凍った街相手になにかできるとも思えない。キアランはまず、魔術師を先に送るだろう。ベルンテには、魔術の研究機関や教会もある」

「その人たちが、呪いを解いてくれるのかしら」

 弱々しい希望を口にしたユリユールに、しかしイフは首を振る。「あまり期待はしない方がいい。ドーレストの力は、大陸の魔術とは根本的に異なるんだ」

 ユリユールは黙って、了解したという風に力なく頷いた。

「あたし、街のことはよく知らないけれど、多くの大都市はふつう、街を結界で覆っていると聞いたわ。他国から魔術の攻撃があったときに備えて……ここには無いの?」

 イフは城壁がある方向を睨み、凍った水蒸気の靄を含んだ冷気がドーム状に白くなり始めている上空を確認してため息をついた。

「……あるけれど、主に、外からの攻撃から民と都を守るため、そして王宮を守るための結界なんだ。内側からのこういう事態は想定していない」

「反乱が起きたらどうするつもりだったの」

「……反乱程度なら、鎮圧できる力も仕掛けも、城にはある」

 イフは自分が生まれ育った城の構造を思い返していた。入り組んだ階層に、迷宮のような回廊、あちらこちらに仕掛けられた侵入者への罠、厳重な結界や鍵。外から見る分には、ありったけの花やお菓子や宝石で建てたような、まるでお皿の上の美しいケーキのような城は、戦争も充分視野に入れた設計で成り立っている。千年ものあいだ、皇族や重臣にしか伝えられない呪文や紋章に護られた要塞は、しかし、内部で弾けた暗黒の氷の火花によって崩壊せしめるほど脆かった。

「ずっとずっと昔、この国ができたときから既に存在していた呪いなんて、誰も想定なんかしなかったさ」

 呪いの芽が生まれたのは千年前、とイフは言った。

「千年の昔、かつてこの国を生んだ氷と火の力は、遍く自然へ行きわたり、美しい宝石の結晶となった。それでもひとかけら残った氷のさいごのひとひらは、生物の魂に宿ることにした。初めは菩提樹。次は鯨。次は角鹿。次は氷狼。そして、その次に……人間に宿った。

 それがぼくたちの祖先、ドーレストの一族だったんだ」

 神話ではそう伝えられている、とイフは注釈した。

「……そのとき既に、呪いはあったというのね」

 ユリユールが確認すると、イフは頷いた。ちらりと二人で視線を交わし、もう一度イフは口を開く。

「言ったと思うけど、長くなるよ、この話。何かの手がかりにはなるかもしれないけど、今はもっとやるべきことがありそうだ」

「そうね」

 ユリユールは抜けるような青空を見上げ、木立にだいぶ傾いた角度で日が射し込んでいるのを見て、立ち上がった。

「……森の日暮れは早いわ。まず、今晩のことを考えましょう」




 今からおよそ千年前、氷と火によってこの国が生まれたとき。冬をつかさどる力を手に入れたドーレスト一族は民をまとめ上げ、やがて古ノーレン語で「北の土地」を意味するノルニシュカという名をつけ、その王――のちに、大陸の宗教であるソール・ハリト教に改宗して国のあり方が変わったあとは皇帝の座につき、千年の治世を保ってきた。

 現在のノルニシュカ皇国は、ミッドガリア大陸の北西に霜の花のように取りついた、小さな半島を領土としていた。人が暮らしているなかでは、恐らく最北にあたるだろう国土は、森林と湿原が広がり、白い結晶をおおく含んだ土壌から、水晶をはじめとする鉱石が産出する、冬に愛された地だった。複雑にいりくんだ海岸線をもつ南部には漁村が多いが、冬は海が凍りつくため、多くのものは様々な二足のわらじをはき、美しい宝飾の工芸や、まじないの技術を磨くことで民は暮らしていた。隣接する、大陸のカールマリエ王国やその属国であるラウエン公国との関係も長年良好で、イフたちの祖父が皇帝であった時代に、さらにその南……科学と軍事の大帝国、エスタリアが、海と陸から、稀にみる純粋な宝石が溢れる冬の王国を狙ったことがあったが、それも幸いにして和平を結ぶことができた。

 しかし、都が呪いによって氷に閉ざされたとなれば話は別だ。

 実際にその光景を目にした近隣の民から、話は波のように広がっていった。それは誰かが飛ばした鳥や魔術によって、さらに遠方まで、じわじわと季節の風がめぐるように伝わっていった。

 都――国名と同じ、ノルニシュカの地から森や丘を越えた先にある、ベルンテの地にも、その噂は早くも届いていた。

 もっとも、この街の住民はすでに、都になにかがあったことを理解していたが。

 士官学校の鐘は王都の結界と連動しており、都になにか異変があれば、その特徴的な、氷河が割れるような音を響かせる。

 真昼の太陽を受けた銀の鐘が、不意に悪夢のような大音声で響きわたり出した途端、演習場や校舎がざわめく。六つの棟が雪の結晶のように並んだ建物から、軍服をまとった若者たちやローブを着た魔術師が表へ出て口々に騒ぎ出した。

「都でなにかが」「連鏡の術で状況を聞け」「騎士團第一連隊とも連絡がとれないだって?」「鳩、それと"目"と"耳"を飛ばせ」

 呪文や紋章を書いた紙が飛び交い、にわかにベルンテの空が騒々しくなる。街の住民が、その喧騒に気づいて、すわ有事かと不安そうに街中に集い始めた。

 そんななか、鐘楼へ駆け上がり、遠くに見える白く染まった都を視認するなり、ひとりの人物――菫青石のような軍服を着た、二十歳そこそこに見える青年――が、その美しい皇族のかんばせを歪めた。氷鳥の羽根で編んだマントを翻し、丘の向こうまで見渡せる高さを勢いよく飛び降りる。

「キアラン皇子!」

 若い指導官らしい男が彼に駆け寄る。音もなく着地し、舞い上がったマントが本物の翼のようにゆっくりとおりてくる間に、彼は素早く踵を返しながら早口で男に指示を出し始めた。

「まずは都と連絡をとることが最優先だ。"目"、"耳"はもう飛ばした。伝令を出して、こっちにいる城付きの魔術師を戻す。場合によっては俺の隊を出そう。教会にいる魔術師に連絡はついたか? なにか術が使われているようなら痕跡を辿るよう言ってくれ」

 てきぱきと周りの人間を指差して命じるたび、ファイア・オパールのような紅のつよい金髪が、祭壇の火のように揺らぐ。鋭い瞳は万華鏡のように虹を宿し、彼の磨かれた種々の才能をうかがわせる。異変に動揺していた人々が、彼を振り返り次々に知り得た情報を告げるが、如何せん直後なもので錯綜が多い。キアランは手を振ってそれらを制する。

「カイエ! カイエはいるか!」

 凛と声を張り上げて呼ばわる。

「ここに!」

 応えて叫んだ声は、若い獅子の遠吠えのようだった。声の主は、石造りの建物を繋ぐ三階の回廊からひらりと飛び降りる。獣のようにしなやかに着地すると、キアランの前に跪いて深く首を垂れた。

「無礼な参上の仕方をお許しください」

 キアランと揃いの、少し装飾の少ない菫青石の軍服に、小造りだが充分に鋭い面立ちをした若者だった。逆立てた短髪は灰銀色に近く、しかし光を受けたところは金がきらめく、二重構造の宝石のようにも見える不思議な色をしていた。

「カイエ、至急お前が都へ行け。なにか起きているようだったら偵察だけでいい。もし道中対処不可能なことがあれば戻って、俺たちと合流しろ」

 カイエは、その狼のような瞳を輝かせた。瞳孔で虹色の火花が散る。

「俺でいいんですか!」

「お前の馬がいちばん早い。"鉱信"はできたな? 紅水晶と紫石英を持たせるから、どちらかは俺と繋いでくれ」

「任せてください!」

 思わず拳を天に突き上げたカイエに、キアランは小さな袋を手渡す。カイエは慌ててそれを受け取り、中身を確かめた。それは、鉱石同士の相性を利用した、遠くの人間と会話をする"鉱信"という魔術に使われる大きな鉱石だった。

 強靭に編み込まれた革紐の先に下げられた、二色の鉱石を手に、カイエはしっかりと頷いて、厩舎へ駆け出した。

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