狼の拳

 盗賊ホークと拳士メイは、道半ばで倒れた勇者ジェイナスと神官リュノの死体を担いで撤退を始めた。

 レヴァリア王国まで戻れば、生き返りの秘法は存在する。

 本来、勇者という称号は魔王を撃破した戦士にのみ与えられる名誉だったという。今では各国の精鋭がてんでに名乗っているが、世間ではジェイナスこそが真なる「勇者」となる筆頭候補と見られており、彼の剣腕は、復活のための容易ならざる代償を支払ってでも、王家は手放さないことだろう。

 それを実現するには、有事の際は他の仲間を見捨ててでも生き延び、ジェイナスの死体を確保する非戦闘要員、「盗賊」が必要であり、ホークはそのためだけに王家に見出されたと言ってよかった。

「……盗賊っていうけど、そういえばホークさんってどうして王家に雇われたの?」

「なんだ藪から棒に」

「いいじゃん、王国まではホークさんと二人っきりなんだし。お話しよーよ」

「……まあ、そうだな」

 撥ねつけてやってもいい。だがホークも、雨こそ降らないものの一向に冴えない天候と、背中に伝わる死体の感触と戦いながら黙って歩くのは嫌になっていたところだ。

 それに相手はまだ子供。13歳の女の子に過ぎない。後々のことを考えても突っ張る必要はないような気もする。

「大した話じゃない。王家が撒いた罠に引っかかったのさ」

「罠って……」

「王家の秘宝が旧王都エンシャで一般公開されたっていう話、聞いたことないか」

「……ごめんね、そういうのあんまり興味ある人、周りにいなくて……」

「まあ、そんなもんだろうな。王家の財産自慢だ。わざわざあんなところに行ってまで見る価値なんて普通ないんだよ。だからこそ、俺たち盗賊の間では話題になったんだ」

 旧王都は山間の不便な場所にあった。

 今でもレヴァリアは大陸的には小国だが、その領土の四分の一しかなかった頃に建設された王都だ。交通の便や発展性より、他国に容易に攻めさせない城塞としての能力が優先された時代の都市。

 今の王都であるハイアレスは80年前の遷都以来順調に発展しているが、古都エンシャは逆に王家ゆかりの建物保全や観光案内くらいしか職もなく、早くも半ば遺跡のような状態になっている。

 いくらレヴァリア王家がきらびやかな秘宝を持っていると聞いても、一般市民が仕事の手を休めて見に行くなんて、よほどの奇人変人か、勉強熱心な書生くらいしかありえないだろう。

 そんな催しだからこそ、盗賊にとっては魅力的だった。

 まだ旧王都にそんなものを残していたのか、という驚きもあるし、そんな行軍するだけでも大変な場所なら、警備の兵もそうは多くないだろう、という目算もある。

 兵は多く動かせば動かすほど飯を食うための準備も大規模に必要になる。

 何しろ農民でも漁民でも商人でもない兵士というやつは、自分で飯は生み出せないのだ。警備にやる兵数が多いほど、彼らの飯炊きと荷運び要員も多くなり、それがまた山賊にやられないための警備も必要になり……と、費用は跳ねあがっていく。

 たかが宝石自慢のためにどれだけ動かせるだろう。

 そして、身軽な盗賊はそんな奴らを出し抜くのが本分だ。

 一攫千金の夢がそこにはあった。

「それが罠だったって、どういうこと?」

「盗賊が寄ってくる……盗賊だけが寄ってくるだろう、ってことは最初から王家はお見通しだったってことさ。警備兵は少ないわりに盗っ人心理をよく心得た、イヤな奴らばかりだった。連日のようにケチな盗賊が捕まっては縛り首にされた」

「……知り合いとかも捕まったの?」

「何人かは知った顔だったな。まあ、だからといってダチだったわけでもない。商売敵が勝手に消えてくれるのはいいことだったし、どれくらいの腕の奴がやられたっていうのも、いい物差しになる」

「でも……捕まったんでしょ、罠だったってことは」

「一緒にすんなよ。盗むのは成功した。ブラッドローズっていうこんな手のひらくらいの大きさの豪奢な宝石だ……まあ、掴んだら呪いで手から離れなくなったんだが」

「……駄目だこれ」

「う、うるせえ」

 とにかく、それが引っ付いたのを隠してハイアレスの下町に戻り、しばらく生活したが、片手を袋で包んでも懐に差し込んでも、どうにも目立ってやりづらい。たまりかねて解呪法を探し始めたところで、王家に嗅ぎ付けられた。

「最初から仕込んでやがった。あの警備を潜り抜けてアレを盗める奴を探してたんだ。解呪してやる代わりに言うことを聞けと来た。ひでえ狸どもだ」

 実際は褒賞の約束として、ブラッドローズの価値の倍額の富を与えるという約束もあるが、もはや拒絶もできないので慰めにしかならない。

「それで、仲間になったんだね」

「仲間か。どうかな。死体になるのを待ってる奴を仲間と呼ぶもんかね」

「でも、そうなってほしくて待ってたわけじゃないんでしょ?」

「無駄飯食らいの役立たずのまま終われれば、確かにそれに越したことはなかったがな」

 メイは声を立てて笑った。ふて腐れていると思ったのだろう。

 だが、今を時めく第七魔王に勝てる気が、そもそもしない。

 ジェイナスは確かに国一番の剣士で、魔剣デイブレイカーを使いこなし、ドラゴンを何度も倒したというのも頷けるが……だからと言って数人の供を連れて、国が亡びるような規模の魔王の軍勢と戦って来い、なんて正気の沙汰ではない。

 ジェイナスが奇跡を起こし、その劣勢をひっくり返して勝つというならぜひとも目撃したいところではあったが……現実にはこの通り、敗死である。

 そしてこうなると、帰りもまともな旅ではない。敵の勢力圏の真ん中である。

 少なくともホークの生存術をもってしても、うまく運べるとは約束できたものではない。

 しかし……。

「しかし、俺たちがこの死体運びさえしくじったら、ジェイナス以外に魔王を倒せる奴……いるのか?」

「……わかんない」

 となると、死体運びを放棄して逃げても、いずれ魔王軍に世間が支配されてしまう。

 それでは、どんなに世の正道と縁のない盗賊の身とはいえ、快適な世の中にはならない。

 ならば、やるしかないのだ。

「……く、暗くなっててもしょうがないし、帰ったらどうしようって考えようよ」

「あ? 帰ったらって……」

「王都に帰ったらちゃんとしたお風呂も入れるし、慣れたベッドで寝られるし、保存食とかじゃないおいしいものだって食べられるよ。勇者様やリュノ様だって、死んじゃってるところからすぐに動けるとは限らないから、一週間ぐらい休ませてもらえるかも」

「一週間の暇を楽しみにして敵中突破ねぇ……お前強いな」

「うん、あたしってば強い強い。だって……」

 雑談を、ホークは人差し指を唇に立てて打ち切る。

 雰囲気が変わっていた。

 どこからか聞こえていた鳥の声や虫の音もない。風もいつからか止んでいる。

 もはや夏も近いのに、底冷えする空気が漂っている。

 そして。

「ククククク……なんだ、これはいい……」

 木立の裏から、信じられない巨大な怪物が現れた。

 今までも10フィート程度の巨人は何度も見たし、ジェイナスもメイも戦ってきた。

 だが、その倍にも達しようかという巨大な生き物は、二足二腕の生き物でありながら、それは人という印象を与えぬほどに凶悪だった。

 足元まで伸びた、丸太どころか神殿の柱のように不格好なほど太い前腕。

 それを支える脚も、それ単体で馬二頭を踏み潰しそうな奇怪な巨大さ。

 それらを支える胸筋も異常なまでに発達しており、ホークの短剣どころか3フィートの「デイブレイカー」でも、突き刺して心の臓まで傷をつけられるようには見えない。

 その上に載った頭は汚らしく生え散らかした雑草のような髪の中に、ギョロリと瓜のように巨大な単眼を光らせている。

「バストンの奴が見えぬと思えば、目障りな勇者どもがこんな場所でコソコソと逃げ歩いているとは……バストンは倒れたようだが、これは我の丸儲けになりそうではないか」

「チッ……こんなバケモノも飼ってるのかよ、魔王はっ!」

「小虫が甲高く鳴きよるわ。いかにも我は魔王様の造りしバケモノ、“奇眼将”ドバル。虫ケラには想像もし得ぬ存在よ」

「……くそっ」

 魔王軍の幹部たる「魔王の眷属」と呼ばれる連中は、元は普通の人間か、せいぜいが亜人のような種族だ。

 彼らは魔王に忠誠を誓い、その手足となることで生きることを許されている。魔王から特別な力を得た者もあり侮れないが、一応は人間の範疇だ。

 だが、たまにこういった、自然界に存在しないバケモノをも生み出しているらしい。

 らしい、というのは、その姿を見て生きている者がレヴァリアやロムガルドなどの対抗国家まで帰ってこないせいで、情報が少ないのだ。

 こういった手合いはホークにとっては最も厄介だった。常識が通じない。

 人間や野生動物なら、知恵や道具次第で何とでも騙せるしハメられる。切り抜けるだけなら可能だ。

 しかしこういう相手には何をすればどう効くのか、逃げるにしてもどういう逃げ方がいいのか、正解がわからない。

(それにしても、なんでこんなに近づくまで気づかなかった? 斥候を出すだけの人手さえあれば……)

 焦り、怯え、苛立ち、後悔がないまぜになり、とにかく何かを罵りたくなる。

 だが一瞬のうちにホークはその気持ちを殺した。敵はその瞬間にも迫ってくる。不可能な想定を思い浮かべるのは全くの無意味だ。

「メイ!」

 ホークは即座に判断した。リュノを捨てる。

 勇者ジェイナスは他では代わりが務まらない。しかしリュノの代わりは……腕のいい神官は、いないわけではない。

 次の旅は色気の足りないものになるかもしれないが、全滅の代わりがそれで済むならいい。

「リュノを置け!」

「うん!」

 メイは背負った死体袋を素直にその場に置く。

 幼いとは言ってもさすがは死線をくぐった拳士。生死を分かつ判断に迷いはないのか。

 ……と、少しは駄々をこねられるかと思ったホークは拍子抜けしつつ、次の指示を出すのを迷う。

 メイを囮にするか、自分が引きつけるか。

 腕力で言うとメイだ。それは戦闘力という以上に、運搬力という意味でもある。

 ジェイナスの死体を担いで遠くまで行く速度。それは、メイの方が速いというのは間違いない。

 だが、メイなら普通に戦ってもこのバケモノと渡り合えるのではないか。

 それで稼げる時間、そしてふたりして生還できる確率はホークが挑発しながら逃げ回るよりも多いのではないか。

 何よりホークは、自分が死ぬのはまっぴらごめんだ。褒美は欲しい。だがこの得体の知れないバケモノと短時間でも向かい合うというのは、危険が大きい。

 選択肢は二つ思い浮かび、三つに増え、そして二つに減った。

 メイを囮にして逃げるか。……ジェイナスをも捨てて二人で逃げるか。

 ホークが囮になって、ジェイナスをメイが運んで逃げる案は没にした。

 勇者自身が転がればこのバケモノも満足するはずだ。魔王軍の勢力圏から生きて逃げるのにメイは必要だ。魔王は倒せなくなるかもしれないが、また別のどこかの誰かが倒すかもしれない。自分はここで死んでも誰も生き返らせてくれない。

「…………っ!」

 逃げるぞ、と叫ぼうとした。

 だがメイはその声を聞く間もなく、小さな身で勇ましく拳を構える。

「ほう」

 ドバルは小さな狼耳の少女拳士を見下ろして、愉快そうな声を巨躯より揺すり出す。

 20フィートは下らない、二階家よりもまだ大きなバケモノと、耳まで含めて5フィートにも足らない少女。

 大人と子供どころではない。大熊と子犬のようなものだ。

 今まで見てきた魔物とは格が違い過ぎて、戦いになるとは思えなかった。

「我に立ち向かうか。命もいらぬほど仲間が大事か、小娘」

「あたしたちは第七魔王を倒すために来たもの」

 メイがゆっくりと構えを変え、狙い定めるように両の掌を差し上げていく。

「あんたが魔王ですらないなら、魔王より弱いなら、逃げる必要なんてない」

「く……クフフフフフフッ……勇者について回れば、子供ですらここまで舞い上がるか」

 ドバルは嘲笑した。

 ホークも呆気にとられる。最初から、彼女は逃げるつもりなんてなかったし負ける気もない。

 リュノの死体を置いたのも、戦うのに窮屈という理由でしかないのだ。

「……馬鹿かっ」

 ホークは罵り、そして自分も時を浪費していると気づく。

 一瞬でもメイが時間を稼いでくれるなら、ホークは逃げるべきだ。なんの変哲もない短剣では戦いになんてならない。ジェイナスの死体を担いで遠くまで逃げるのだ。いざとなったらこの死体さえ捨てて。

 そのドライな決断こそが自分のすべきことだ。

 ホークは今更ながらに、戦いから離れるように走り始める。

 しかし目はメイと大巨人の戦いから離せなかった。

「……簡単に死ぬなよっ……」

 魔王軍の支配の中、彼女がいなくなれば、自分一人で逃げなくてはいけない。

 できれば無謀な真似はしてほしくなかった。

 あんなバケモノの相手など、パーティの半壊した状態でやるべきものであるはずがない。

 ホークは見たことはないが、ドラゴンと戦うのにも似ている。技量やちょっとした腕力、脚力の差など、圧倒的な質量の前では意味なんかなくなるのだ。

 巨岩を叩き割り、城門を突き破る「デイブレイカー」が健在なら、そしてジェイナスが生きているなら、アレと戦うのも現実的かもしれない。しかしそれらは、今やどちらもこの世にない。

 メイはどうやって凌ぐのか。あるいは、凌ぐ気すらない自己犠牲なのか。

 背後を振り向きながら死体袋を引いて無様に走るホークの視線の先で、大巨人は巨大な拳を緩慢にバックスイング、そして斜め上からメイに向けて振り下ろした。

「ッ!」

 メイは素早く跳んでかわす。それくらいはしてくれないと困るが、ヒヤリとしたホークは一瞬詰めた息を吐いた。

 だが大巨人の拳は大地を大きく震わせ、比較的離れていたホークですら足をもつれさせることになった。さすがに転びはしなかったが、凄まじい衝撃だ。

 当たれば人の形など残らないだろう。一瞬でそう理解させる一撃だった。

「クフフフッ……早く潰れておくのが賢いぞ。我はこう見えて加減は苦手だが、半端に死に損ねた敵にトドメを刺してやるほど無粋ではない。良い具合に命を残したのなら、部下どものオモチャにくれてやるのも、また将の器なのでなぁ」

「そんなノロマな動きで誰が当たるの?」

「一度目や二度目には誰もそう言うものよ」

 ドバルは悠長な口調で言いながら、逆の拳を振り抜く。

 叩き潰すのではなく薙ぎ払いの拳は、メイの後方宙返りにかわされる。

 だが、その拳の軌道上にあった木立や岩は、まるでその打撃を鈍らせる気配もなく叩き壊されて空を舞い、礫になって撒き散らされる。

「そら、何発目まで無駄口が叩けるか、数えてやろうか」

 さらに逆の拳、そしてまた逆の拳。

 山津波のような拳の絶え間ない連打に、大地が穿たれ、林が薙がれ、岩は砕かれて、逃げ隠れも無駄だと本能に思い知らせる。

 ホークは必死で逃げているのに距離がさほど離れない。死体が重いのと、移動しながら攻撃してきているからだ。

 緩慢に見えるのは大きいせいだ。おそらくその拳の最高速は、達人の剣速にも及ぶほど速い。

 そのことに数撃目で気づいて戦慄するホーク。

 もしかしたらメイはうまく引き付けて、あの大巨人を撒いて、どうにか合流してくれるかもしれない、という甘い期待もしていた。

 しかし、一発でも当たれば虫のように潰される攻撃が、逃げ足にも容赦なく届こうという速さで追ってくる。

 それを躱し続けて、挙句に撒く?

 希望的観測にもほどがある。

 自分が相対しているわけでもないのに、ホークは絶望で膝が砕けそうになる。

 それでも、逃げなければ。

 死ぬわけにはいかない。こんなところで。こんな暗くてつまらなくて誰も看取らない敵地の奥で。

 滅入るような曇天の下、背筋の凍える破壊音に追われながら、ホークは必死に足を動かす。

 魔王は人類を滅ぼす。どこか絵空事のように思えていた事実が、今、物理的な圧力となって追ってくる。


「奇眼将さん、だったっけ? やることはその駄々っ子みたいなやつだけ?」


 唐突に、メイが少し低い声で言った。

「……何だ、当たってもいないのに気が触れたか……?」

 拳を止めずに大巨人は怪訝そうな声を出す。

 メイは縦に打ち込まれる拳は左右に飛び、薙ぎ払う攻撃は背後や上に飛び回りながら、華麗に躱し続けていた。

 しかしそれは蚊が人の手を逃れているに過ぎない。そういう風にしか見えない。

 だが、フッとメイは後退をやめた。

「じゃあ、あたしの勝ちだよ」

「聞きごたえのない遺言だな」

 ドバルはそう言って、巨大なハンマーのような拳を、背後から半月を描いて振るい、縦に打ち落とす。

 メイはその拳を見据え、


「ハィアッッッ!!」


 次の瞬間、そのハンマーは空高く跳ね返り、自分の腕に体ごと引きずられるように大巨人の全身が浮き……そしてドウッと背後に倒れる。

 ホークはその光景を見て足を滑らせ、やられたドバルはというと全く何が起こったか理解できない様子で、じたじたと攻撃を続けるように仰向けのまま体を揺らす。

「な……なん、だ……?」

「あんたにあるのが怪力だけなら、あたしが負ける理由がないんだ」

 メイは腰を落とし、腕を翼のように広げた奇妙な残心からゆっくりと立ち上がり、そして遠目のホークにもわかる冷酷な肉食獣の目を見せる。

 それは表情豊かで快活な獣人少女らしからぬ、13歳の少女らしからぬ……獰猛で本能的すぎる目。

「もらうよ」

「……ぬ、ぐぅぅっ!?」

 捕食者。

 ドバルはその瞬間、自分の数十分の一の体重しかないこの敵が、自分を食らい殺す様を幻視する。

 自分は被捕食者だと、直観させられる。

 それを理解した瞬間、それ以上の戦いをするのを放棄して、一直線に四足で這って逃げ出す。

「もらうって言ってる」

 だがメイはドバルの背に躍りかかり、その小さな拳をまるで伝説の武器のように叩き込む。

 ドバルは轟音を立てて一撃で地にめり込む。重量などまるで問題にならない。全く別の理由の威力が、バケモノを打ち伏せていた。

 既にそれは戦いではなかった。

「さあ、何発……耐えられるだろうね?」

 ゾッとする冷たい声で、メイはなおも攻撃を放とうとする。

 だがドバルは発狂したように暴れ、地響きが周囲を揺らした。ホークは既に動くことを諦め、ジェイナスの死体と一緒に伏せて耐えるばかりだ。

 メイはそれにも関わらず、幾度も幾度もドバルを殴り、地に打ち据える。

 やがて、その動きも弱々しくなるころに……ようやくメイは手を止めた。

「……ごめん、ホークさん」

「う……あ……?」

「逃がしたみたい」

「…………!?」

 メイは既に大巨人の皮膚を突き破り、返り血を掘り返していた赤黒い手をだらりと下げて申し訳なさそうにする。

 逃がした? 勝った……?

 何が起こったのかわからないままにホークは起き上がり、メイの足の下に転がる巨大な死体を……巨人の死骸と思われるものを凝視する。

 それは肩から上がちぎれて消えていた。

 いや。

「逃げた……まさか、あいつ、腕と頭だけでどこかに行った……?」

「うん。どうもそうみたい。胸から下はトカゲの尻尾みたいなものなのかな」

「デタラメだ」

 ドバルも、メイも。

 どちらも理解を超えている。

 そんな盗賊の複雑な言葉には気づかず、メイは血を巨人の皮膚になすりつけて拭った。

「あまりにも暴れたから、まさかそっちだけいなくなってるなんて気づかなくて」

「いや、っていうかお前……あれなんだよ、何がどうなってるんだ。下手な魔剣どころじゃないだろお前の技!」

「うん。そうだよ?」

 メイはあっけらかんと頷いて、今更何を言っているんだ、という怪訝な顔をした。

「『デイブレイカー』がなければ勇者様だってあたしにはかなわない、って言ったじゃん。一応うちの流派で最強だよ、あたし」

「……って、まさかこんなドラゴン級のバケモノ倒すほどなんて思うかよ!? 今までだってこんなヤツとやらなかっただろ!?」

「まあ今までそんな強くない相手ばっかりだったし……勝ってたもんねえ」

「……お前ひとりで魔王倒せるんじゃないか」

「あ、それはちょっとむりだと思う。魔法とかそれ系の奴には返し技とかないから」

 パワーだけの相手ならどんだけのでも負ける気しないんだけど、とメイは溜め息をつき、近くに吹き飛ばされていたリュノの死体袋を開けて損傷程度を確認する。

「一応……色々折れてそうだけど原形あるからいい、よね?」

「知らん」

「ちょっとは一緒に心配してよう」

「どんな状態でも、できることは持って帰ることだけだろ」

 ホークはつっけんどんになりながらも、メイの見せた戦闘力と……その特性について考えを巡らせる。

 逃げるのは変わらない。だが、対処できる状況は少し変わってくるかもしれない。

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