逃亡準備

「さて。ここからどうするかだ」

 ホークは二人の死体を前に腕組みをした。

 メイは狼耳を垂らしてしょげかえっている。

「あたしがアイツらの作戦に引っかかって、二人のところを離れなかったら……みすみす死なせたりしなかったのに」

「ああそうかもな。お前がアホだったのが悪い」

「っ! ほ、ホークさんだって!」

「俺はジェイナスがピンチになるような状況ではハナっから何もできねぇぞ。最低限リュノくらいは生きてて貰わないと困るんだが……死んじまったしなぁ」

「……リュノ様だけ生きてたって、魔王には……」

「死体運ぶのが一人分と二人分じゃ話が違う。リュノが生きてれば、ジェイナスだけ俺が引きずってけば、お前が敵と戦ってリュノが援護すれば戦えるだろう」

 ホークは胸元を血で染めた美女の死体を見て溜め息。

「でもこれじゃあ俺とお前、一人ずつ引っ張って帰らなきゃいけない。いきなり襲われたらシャレにならないぞ」

「引っ張って……も、もしかしてこの二人連れて、レヴァリアまで帰るの!?」

「当たり前だアホ。手ぶらで帰るつもりか。それとも一人で魔王倒す気か」

「う……っ」

「生き返らせるんだよ」

 ホークは懐から畳んで硬く縛った羊皮紙を取り出し、それをほどいて広げる。

「復活に備えての死体処理の方法。まずは服を脱がせ、聖水で邪気をできるだけ払う……」

「え? えっ? それ何?」

「……出がけに持たされたんだよ」

 先日の雑談でホークは「自分に特別の役割なんてない」ということにしていたが、それは嘘だった。

 戦いに加わらずにいたのは、もちろん勇者やメイのように敵をなぎ倒す力を持っていないためでもある。

 だが、彼自身が他のメンバーより先に死ぬわけにはいかない……依頼者の王家からそう立ち回ることを期待されているのは、さすがにわかっていた。

 王家は、こういう事態になることを予想していたのだ。

 王家がドライで冷淡であると取ることもできる。だが、ほかならぬ魔王討伐がそんな安っぽく甘い感情、奇跡的な勝利を信じる気持ちだけでうまくいくわけがないのは事実だった。

 自分以外全滅なんてことにならなくてよかった、とホークは内心で安堵している。

 国元までの長距離を行くなら、三人の死体を引きずるわけにはいかない。運ぶ相手を選ぶ必要がある。

 そうなったなら、当然の優先順位としてジェイナスの死体を抱え、後の二人を埋めて行かなくてはならなかったのだ。

「よし、脱がそう」

「ちょっ……待ってホークさん、そっちは駄目!」

「なんでだよ」

 ホークが女神官の死体の服に手をかけたところで、メイが慌てて飛びついてきた。

「死体だぞ」

「死体でも女の人を裸にするのは駄目! リュノ様は神官なんだからバチが当たるよ!」

「イタズラするわけじゃねえよ。いい乳してるが、その乳を真っ二つに割られてる女に欲情できるかってんだよ」

「と、とにかくあたしがやるから! ホークさんは勇者様をやって!」

「……チェッ」

 実際、イタズラしようなんて魂胆があったわけではない。だが男の死体をいじるよりは、女の方がまだしも気が滅入る割合が少ないと思ってもいた。

 げんなりしながら勇者の鎧を剥ぎ取り、その血染めの鎧下を丁寧に脱がすのも面倒なので手で引き裂いて捨てる。

 下半身も同様。ブーツを脱がすのも乱暴にするか迷ったが、靴は何かの時にスペアに使えるし、勇者仕立ての高級品は売っても金になる。仕方なく丁寧にほどく。

 そして死体は裸になった。リュノは胸を一突きだったが、ジェイナスは激闘を続けたのか全身に刺し傷や切り傷、骨折があり、綺麗な死体とは言いがたい。

 最終的な死因は頸動脈を裂かれて失血死したようだった。

「次はどうするの?」

「……だから聖水を振って邪気を払うんだよ」

 メイもリュノを脱がし終えたようだ。視線をやるとメイは怒ったように視線を遮る手を突き出してきたが、血の気の失せた女の死体は、やはり劣情を催すものではなかった。

 ホークは自分がまだ正常な感性を持っていることに安心する。ホークの住処である裏社会には、むしろ死んだ女にこそ興奮してしまうようなクズはいくらでもいる。

「聖水聖水……」

「リュノの道具袋にはあるだろ」

「も、持ち物漁るの?」

「死んでんだよ。むしろ助けるためにやるこった。気にするな」

 脱がされたリュノの服を雑に漁るホーク。

 すぐに拳大の革袋が出てきて、その口紐をほどくと中から淡い光が漏れ始めた。

「……高い道具袋使ってやがるな。これ相当大量に入るやつだ」

「リュノさんってやけに何でも持ってると思ってたけど……」

「この道具袋だけで田舎なら家が建つくらいの代物だ。これなら聖水くらいは……」

 中に手を差し込んで、手当たり次第に外に引き抜いていく。

 裁縫道具に手鏡、聖印、下着、麻紐、ナイフ、聖典、水筒、塩入れ、止血布、鼈甲櫛、地図、八面体の宝石、通行証、教会あての手紙、土産物の木彫りドラゴン、インク瓶、羽ペン入れ、クルミ数個、髪油と書かれた小壺、石鹸、卓上ランプ、火打石、蝋燭の束、手ぬぐい、木製カップ、食事用の串、豚毛ブラシ、何かの薬らしい粉末の包み、飾り気のない指輪、その他用途のわからない金属具。

「……聖水、ないのか?」

「聖水ってだいたい綺麗なガラスの瓶に入ってるよね」

「そうだと思うが……」

 道具袋に手を突っ込むが、もう何も手に触れない。袋の内張りの手触りだけだ。

「リュノは聖術が使えるから聖水を持ってなかったのか……?」

「そうなのかな……」

 聖水の主な用途は、死霊除けだ。

 呪いを清める効果も多少はあると言われているが、正直そのために聖水を買う者はあまり見かけない。というか、「多少」というのが専門外の者にはどの程度なのかわからないので、そのために聖水を手に入れるくらいなら教会か魔術師に直接頼む。

 死霊除けの方の効果は覿面で、聖水を振りまけば、その地点に踏み入ったゾンビやスケルトンはその場で糸を切ったように動かなくなる。

 強力なアンデッドにはそれでは駄目だが、直接かければ酸で焼くようなダメージを与えられ、下手に切ったり殴ったりするより強烈だ。

 家主が非業の死を遂げた家などは、聖水を含んだ布で隅々まで拭くといいとも言われている。

 ……とはいえ、基本的に使い捨てることになるので難しい道具でもある。

 死霊系の魔物は旅人の前に突然現れる。数も読めない。倒したところで死体がいいものをくれるわけでもない。

 死者と無意味に戦うより逃げてしまえ、というのは、一般の旅人の間では常識に近い話である。

 ましてリュノは高位の神官。魔法で死者を退けるのもおそらくワケはない。

 聖水を持っていないからと言って彼女の怠慢を責めるわけにもいかなかった。

「じゃ、じゃあ……普通の水で清めたらいいんじゃないかな」

「……背に腹は代えられないな」

 ホークはしぶしぶ、メイの提案に従って、リュノの水筒の水をリュノとジェイナスの裸の死体に振り、彼らの裂けた衣服のうち、比較的血汚れのない部分を布巾代わりにして拭う。

 そして、ホークは手順書の羊皮紙を再び開く。

「そして……首を切断する」

「えっ」

「首を切るんだとよ」

「……ほっ、本……気?」

「…………」

 手順書には、その後「体は最悪の場合、途上で埋葬か火葬、あるいは然るべき場所に放棄してもよい」と書いてある。

 なんでわざわざ面倒にも裸にして邪気を払わせた後に、それを切り離し、捨てるなんて指示があるのか。

 説明を求めようにも、たかだか羊皮紙一枚の書き付けには、その理由をしっかり書いてはいない。

 いくら既に死体とはいえ、先ほどまで話していた相手の首に刃物を当て、切り離すのは、アウトローの身にも気分が良い作業とは言えなかった。

「……このまま運ぶか。幸い人手はあるし」

「そ、そうしようよ。変なことしない方がいいよう」

 メイも必死に懇願するので、ホークは運ぶための準備に取り掛かる。

 メイは小娘とはいえ、10フィートの巨人を一撃で殴り殺す腕力がある超人だ。ホークも正面切っての殴り合いは専門外だが、旅の不自由になるほどひ弱ではない。

 だがその彼らをもってしても、人間一人の死体は邪魔で、重たい荷物であることに変わりはない。

 まず、嵩張るジェイナスの鎧はバラして埋めた。

 いつか戻ってきた時に取り戻せるかもしれないが、あまり期待はしていない。しかし丸のまま置いておくのは、魔王軍の誰かに最上級の鎧をどうぞ使ってくださいと進呈するようなものだ。せめてもの抵抗だった。

 膝当てや籠手など、いくつかホークでも使えそうなものもあり、少し悩んだが……やはり埋める。

 盗賊は盗賊。勇者のような戦いはしないのだ。余計な装具は何より大事な身軽さを損なう。

 しかしよほど金目の物は別だ。リュノの道具袋の中身を整理し、空いたスペースに放り込む。

「そういえばホークさん、勇者様の魔剣は?」

「折れたのがそこに転がってるぞ」

「……お、折れっ……!? これすっごい大事なやつじゃないの!?」

「知るか。もう役には立たねーよ。どんな上等な魔剣でも、折れた奴なんて廃品扱いの値しかつかねえ。柄の宝石だけでも外して、帰りの路銀にするか?」

「……そんなことしたら王家にめちゃくちゃ怒られそう」

「ま、持って帰るだけは持って帰ろう。折れてくれてるのは幸いだな。完品の長さじゃリュノの袋でも飛び出すし」

 魔剣は剣であると同時に、一種の圧縮魔法陣だともいわれる。壊れてしまったら打ち直したところで元には戻らないのだ。

 今後、ジェイナスが生き返ったとしても、「魔剣デイブレイカー」で戦うことはもうないのだろう。

 だが噂では王家ゆかりの品だ。捨てて帰るか迷ったと言えば、ちょっとした小遣い程度の褒美は出るだろう。

 そういえば、ジェイナスはリュノ同様の高い道具袋は持っていないのだろうか。

 剣士は戦う際、旅荷物をそこらに放り出す。何日も野営するための食料や小道具を持ったまま、殺意あふれる魔物や魔王の眷属と剣戟を交わせるわけがない。

 もしかしたら近くにあるかもしれない。それが見つかれば、そしてリュノのような魔法の道具袋なら余裕はだいぶ増える。

 そう思ってホークはその場を離れ……そして、すぐにメイの悲鳴を聞く。

「きゃあああああっ!?」

「!?」

 慌ててホークは伏せ、そして慎重に見回す。

 普通の奴なら走ってメイの場所に向かうだろうが、ホークは普通ではない。

 メイの方が何倍も強いし、もしも敵襲だとしたら、最悪メイを見捨てて逃げることも考える。

 魔王と戦うのは尊い仕事だが、勝算があっての話だ。完全にゼロになったら、その後王家に恨まれ、一生つけ回されるとしても、自分の命を優先させてもらうしかない。

 メイがやられるというのはそういうことだ。ジェイナスたちの死体を国に持ち帰るのは、単純な運搬力の面でも、護衛戦力という面でも、最低ホークとあと一人いなくてはいけない。手順書の言うようにジェイナスの首だけ持ち帰るのだって、ここでメイが倒されるのなら諦める方がいい。

 ……と、非情な選択肢を頭に浮かべながら茂みに這い、もといた場所を覗き込むと……。

「い、いやっ、やめっ……いやあああああっ!!」

 なんと、リュノの死体が起き上がってメイに手を伸ばしていた。

 生きていた?

 いや、違う。それはあり得ない。致命傷を受けていたのは確認した。

 何より、その動きにはたおやかで生真面目だったリュノの面影が見られない。

「チッ……まさか、いくらなんでも……死んで半刻もしないうちにゾンビになったのかよ!」

 ホークは導かれた答えに自ら愕然としつつ、ある意味安堵する。

 魔王軍でなくてよかった。……よかったが、これは13の少女には荷が重い。

 自分がやるしかない。

 手順書はこのことを言っていたのだ。

 首を切り落とせ。

 首が繋がっていなければ、ゾンビもスケルトンも活動できない。

 既に死んでいるのだ。躊躇すべきではなかった。

「メイ!! 目を瞑ってろ!!」

 ホークは走る。

 胸に無残な穴をあけた美女の、泥にまみれた長い髪ごと、駆け抜けざまに……刎ねる。

「…………っ」

 メイは言われるまでもなく目を瞑っていて、ホークの短剣が仲間の首を空高く飛ばす様を見ずに済んだ。

 血は出なかった。ただ、ドウッと土気色の女の裸体が倒れた。


「……ふう」

 ホークは念のためにリュノの首を布にくるんできつく縛る。

 死者の顔を見るのはいい気分ではない。体の方も足を抱くような体勢を取らせて紐で縛り、その上から野営用の掛け布を巻いた。

 これで一応、担いで歩く体裁は整った。

「ご、ごめんなさい……ホークさん、ありがと……」

「俺も悪かった。ゾンビになるのがこんなに早いなんて……可能性はあったのに、仲間の死体だと思って油断してた」

 ホークは意識的に勇者ジェイナスや神官リュノとは距離を置いていた。彼らが死ぬという事態を想定している、という自分の役割もあったが、それでなくとも日陰の住人である盗賊が馴れ合うべき相手ではないと思ったからだ。

 そんな彼でさえ、ジェイナスやリュノがゾンビになるという事態を全く想像していなかった。

 聖水で清めろ、というのはそういう意味だったのだ。何故想像しなかったのか、今となっては不思議だった。

 改めて、情というのは怖いな、と思う。

 ……そして。

「…………!!! ほっ、ホ、ホーク……ホークさん、うしろっ……!?」

 メイの叫びに緩慢に反応したホークは、背後からまさに自分の首に手を伸ばしてくるジェイナスの姿に戦慄する。


 一瞬ののち、ホークはジェイナスの生首を脇に抱え、彼の体をうつぶせに踏みつけていた。

「えっ……ホーク……さん? あれ?」

「はっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……!!」

 ホークは腹立ちついでにジェイナスの背を力任せに踏む。

 立っていたはずのジェイナスの死体。一瞬で上がったホークの荒い息。

 ……目を見開いていたはずのメイは、自分が数秒間気絶でもしたのかと疑う。

「……えっ? な、なに……? ホークさん、なにかした……の?」

「……何も」

 ホークはぶっきらぼうに言ってジェイナスの首を見つめ、忌々しい、という目で見つめる。

「急ぐぞ。……これ以上疲れることなんてやってられるか」

「う、うん……?」

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