せなかあわせ

鯵哉

花束とバームクーヘン

散らぬ桜


神崎律は一番最後の香盤に来ていた。


入り口で料金を支払い、券をもらって中に入る。壁にさえ染み付いた煙草の匂いが身体を包み込む。それに幾分か安堵を覚えた。


階段の途中に大きく額縁に入っている踊り子たちの顔がある。上っていくと、一番最後に楠原ありさと横に名前が書いてあった。

紙袋を左手に持ち替えて、右手で扉を押した。冬も終わりに近付いているけれど、中は冷房がかかっていた。丁度公演の入れ替え時間にぶつかったらしく、出てくる客と入れ違った。これから最後の公演だ。何人かの若い女性とすれ違う。最近は女性も劇場に出入りするようになったらしい。良い傾向だ、と思う。


後ろの方の端の席に座ると、常連の客が会釈してきたので返す。神崎は紙袋を膝の上に乗せた。少し経ってから、放送がかかる。最後の公演が始まる。

周りを少し見回すと、満席だったが女性客は居なくなっていた。酒を飲むおっさんも多くなっているし、最善の選択だと感じる。ライトが落ちて、カーテンが開く気配がした。ステージに注目が集まる。


踊り子が出てきて踊る。服を脱ぐ。その肉体美を表現する。


最初は上司の倉木に誘われて、断るのが面倒でついてきただけだった。お気に入りだったかイロだったか忘れたけれど、確かにあの男好みの顔。他で働く人間に様々理由があるように、ここで働く人間の理由も様々。

ありさと出会ったのは、そこだ。未だ女性客が珍しかったときで、女である神崎の顔を見て手を差し伸べた。まるで、昔からの友達のように。


裏社会で働くのが長くなって顔が知れた頃、倉木に連れられて再度劇場へ足を運んだ。運命か、ちょうどありさの踊っていた。どの踊り子も美しいけれど、ありさはなんというか、脱ぐよりも踊りが好きなように見えた。

がんがんと響く音楽の中、ありさの妖艶な踊りに観客一同が集中していた。


「神崎さん、下の名前なんていうの?」

「どうして」

「下の名前で呼びたいから」


カメラをこちらに差し出してありさは笑いかけた。首元にかいた汗が照明に当たってキラキラしている。神崎が渡した紙袋の中から花束を取り出して、香りを嗅いだ。それにカメラを向ける。


「教えたくない」

「ざーんねん。あたしもう知ってる」

「は?」

「神崎さん有名人だもん。ちょっと歩けばみんな神崎さんの話してる」

「あっそ。ほら、撮るよ」

「一枚くらい一緒に撮ろうよ」


ぴぴ、とデジタルカメラのシャッター音が鳴る。


「つれないなあ。りっちゃん」

「やめろその呼び方」

「ほらほら、後ろの方ーカメラお願いします」

「撮らねえよ」

「りっちゃんがいらないならあたしが貰うから。ね」


溜め息を吐いた。ありさはステージの縁に腰掛けて神崎の肩に腕をまわす。

嫌そうな顔をする神崎を前に、次に並んでいた客が撮って良いものかとおろおろする。


「はいはい、可愛い顔してー」


ぴぴ、と仏頂面のままシャッターが押された。神崎は財布から札を出しておくと、「神崎さん、ありがと」と手を握られる。本当、女性にはありがたい待遇だ。


最後の香盤をやる、と聞いたのは倉木からだった。暫く劇場に近寄っていなかった神崎は、その理由を聞いた。「引退するらしい」という答えに、それ以外の答えようがないなと考えた。何故自分にそのことを報せてくれたのかは不明だが、神崎は礼を言った。


その意味がやっと分かった気がする。

ありさは美しく舞っている。音楽に合わせ踊り、はらりはらりと布を落としていく。値段のつけられない身体を晒し、爪先まで魅せる。

その視線が、神崎と絡む。一瞬驚いて、そして微笑む。


「一枚、一緒に撮ってくれ」


写真は長蛇の列になっていた。時間と他の客のことも考慮して、一人ずつの時間は短い。ありさは後ろの客にカメラを渡して、神崎の隣に並んだ。初めて隣に立って、ありさの背が自分よりも低いことを知る。ピースをしているのを見ると、ありさが年相応に見えてきた。


「これ、好きだろ」


紙袋を渡す。中には花束と、もうひとつ。


「ん? これ好きなのりっちゃんじゃないの?」

「え?」

「あれ?」


前にバームクーヘンをあげたら喜んでいた気がする。有名な焼き菓子店のものなので、仕事前に並んで買ってきたのだ。


「りっちゃんが好きだから、私も食べるようになっちゃったんだけど」

「そうなのか」

「ありがとう。ね、公演終わったらちょっと待ってて」

「うん、それは良いけど」

「約束ね」


手を握られる。

神崎は自分の座っていた場所に戻り、客と接するありさを見た。


神崎の母親は踊り子だったらしい。今は入院しているが、昔は健康的で見目が良かったので沢山のファンがいたらしい。それを知る上司やここの観客が話しかけてきたことがあった。お前はやらないのか、と言われるのが一番多い。それを少し前までは不快に思っていたが、今では挨拶とさして変わらない。

ありさが神崎を知っていたのも、そのことでだろう。

ストリップに対して偏見を感じていないが、自分が脱げるのかといえば話は別だ。人を貶めて金を分捕る度胸はあるが、脱いで金を貰う度胸はない。


「本当にいてくれた! よかった!」

「寒くないのか、それ」


神崎はジャケットを脱いで未だ衣装のような薄着のありさの肩にかける。にこにこと笑って、裏口においてあるビールケースの上に座った。とんとん、と隣を叩かれて、神崎も腰をおろす。


「もー全然来てくれないから心配したー」

「仕事が忙しかった」

「そっかー、来てくれてありがとう」


劇場のものを借りたらしいサンダルの先に、白く塗られたありさの爪が見える。


「どうして引退?」

「あたし結婚するの。赤ちゃん出来たから」

「へえ」

「その顔は知ってたなー」

「うん。これ祝儀」


なんとなく予想はしていた。辞めるのは結構突然のことだったらしく、色々と揉めたことは耳にした。女の決意が固いのは、愛する者ができたときだ。子供が出来たのだろうと大方予想していた。

分厚い封筒を押し付けると、ありさは固まっている。


「早く受け取れよ。つーか、子供がいるならちゃんと厚着をしろ」

「神崎さん……お父さんみたい」

「まさかの父親か」

「ありがとう、でもこれは」

「金は金だ。無いよりはあった方が良い」


神崎はありさに母親を重ねていた。


その職業、人気、気さくさが似ていると感じた。そしてこの劇場とまできた。ここで母親が踊った。それを見てみたかった。きっと美しかっただろう。多くの人がそれを覚えているのだ。

ありさは苦笑して、神崎の腕ごとそれを受け取った。その手が温かい。


「あたし、大丈夫かなあ……」


封筒を抱きしめて呟く。それを今まで何度呟いたのだろう。


「大丈夫だろ。子供出来たから結婚してくれる奴と一緒なんだし」

「うん」

「もし駄目でも、子供は大切にしろよな」

「うん?」

「子供はどんなに生意気なこと言ったって母親を必要としてる」


うん、と頷く。神崎は立ち上がり、ありさの手を引いた。茶色い長い髪が肩からさらりと落ちる。

風が冷たい。神崎も自分が風邪をひきそうだと考え始めた。


「帰るよ、じゃあな」

「うん……これ返すね」


ジャケットが返される。それを着て、ありさを裏口に押し込んだ。不安そうな双眸が神崎の方を向いている。それを気にしないふりをして、頭を撫でて扉を閉めた。

路地裏を歩いて、大通りに向かう。

がちゃ、と扉の開く音がして、振り向いた。誰もいない、ということは、誰かが入ったのだろうか。ふと嫌な予感がして、踵を返す。あの様子だと裏口には鍵がかかっていないのだろう。神崎はドアノブに手をかけて、一気に扉を開けた。

男がありさと対峙していた。

その手にはナイフのようなものが見える。振り向いた男が、神崎の姿を見て何かを吠えた。言葉には思えなかったのか、それとも神崎の耳が悪かったからなのかもしれない。


「神崎さん、逃げて!!」


りっちゃん、と友達に呼ばれた事がなかった。友達というものが出来なかったというのもあるが、少し親交を深めた人間は神崎と呼んだ。

なりふり構わず神崎に突っ込んできた男を避けて、視界に入っていたビニール傘を取り後ろから力一杯叩いた。一瞬にして伸びた男からナイフを遠ざけた。


「こいつ誰?」

「だ……たぶん、お客さ、さん……」


がたがたと震えるありさを見て、神崎はビニール傘を放ってその腕を掴んだ。もう片方の腕が首にかけられて、よろめく。啜り泣く声が聞こえる。背中を撫でて、そのまま抱き上げた。


「おわ!?」

「なんて声だよ」


裏口の開いた向こう側から足音がした。まだ誰か来るのかと振り向けば、知り合いの七海がいた。


「神崎さん、どういう状況ですかこれ」

「七海、伸びたそいつ劇場の小牧ってひとの所まで連れていって。ありさを襲おうとしてたって」

「承知です」


理由を聞かずに、七海は男を引きずっていく。


「ありさ、向こうに行ったら鍵ちゃんとかけろ」

「え、はい」

「じゃあ、今度は本当にさよなら」

「神崎さん、あの!」

「なに?」


ありさをおろして、尋ねる。


「また会えるよね。会っても良いよね……」


答えずに、扉を閉めた。裏口に転がっていたナイフは七海に回収されたらしく、既にない。あ、ビニール傘折れてる。まずいかなこれ。

まあ良いか、と神崎はそのまま傘立てにさした。


裏口を出ると、七海がやってきた。


「突き出してきました。ここら辺では有名な常習らしいです」

「そうか、ありがとう」

「神崎さん、一人でこういう所来るの辞めた方が良いですよ」

「プライベートだよ。それにお前こういう所嫌がるだろ」

「嫌じゃないですよ。神崎さんがこの後脱いでくれるなら」

「息の根止めてやろうか」


大通りに出た。

時計を見ると、零時を過ぎている。


「今日何日だっけ」

「四月の一日です」

「まあ、お前が心配せずとも、もうここには来ないよ」


え、と七海は神崎の方を見る。


歓楽街のネオンが二人を歓迎していた。







花束とバームクーヘン END.

20170401


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