私は本というもの大好きだ。


小説や漫画、童話や神話の本、伝記や文集、図鑑でも構わない。

指が紙を捲り、目が文字を追い始めたなら、私の汚れきった体を現実に置き去りにして物語に没頭し、思いを馳せる事ができる。

そうすることで漸く辛い現実を忘れられるからだ。

あの頃の私にとって、本を読むことは本の中の世界で自由に生きることだったのかもしれない。


その本に出会ったのは、父に連れられてパチンコに付き合わされた日だった。


父は何故か、学校が休みの日に私をパチンコ店に連れて行くことがあった。

勿論私は子供なのでパチンコは出来ない。

なので、行く前に本屋に寄ってもらい本を買って、父がパチンコを終えるまで自動車の中で待つのが常だった。


その日も本屋に着いて、待っている父の機嫌が悪くなる前にと目についた本を何冊か適当に選び、急いで購入すると自動車に戻った。

だからその本を選んだのは本当に偶然で、帯に書かれた内容が興味を引いたからとかそう言う理由だったと思う。


パチンコ店に着くと父は店に入っていき、1人残された私は自動車の中でいつも通りゆっくりと本を読んだ。


その本はファンタジー小説だった。


不幸な星の下に生まれた少年が、剣と魔法の世界で仲間たちと協力しつつ平和を築く物語。

立ちはだかる苦難に膝をついても決して諦めず、悩みつつも足掻き、やがては立ち向かって歩いていく。


主人公の前向きな考え方や、自分を甘やかさない真っ直ぐとした心、そして自分の周囲の人達に感謝し手助けする優しさが、私には凄く眩しく感じられた。

読み進める内に、泥の中に埋まって息も絶え絶えだった私の手を掴み、引っ張り上げてもらったように感じたのだ。

そして、私が今まで真っ暗闇だと思っていた世界は、実は自分が目を閉じて何も見ていなかっただけじゃないかと考えさせられた。


主人公と共に泣き、笑い、共感しつつ本を読み終える頃には、すっかり本の主人公に恋をしていた。

彼と会うことも、話すことも出来なくても、彼に恥じないように生きてみたい――素直にそう思えた。


それからは、学校に行く時も、家族でどこかに出かける時も、必ずその本を鞄に入れて出かけた。


クラスメイトの心を抉るような陰口に死んでしまいたくなる時は『彼だったらきっと負けないだろう。だから私も頑張れるはずだ』と自分を奮い起こし、父に暴力を振るわれる時は『私には彼が居る。大丈夫だ』と耐えることが出来た。


勿論、死にたいと思う気持ちは何時でもあったし、自分の死に方を考える癖は時々再発した。


毎日投げかけられる非情な言葉に心が砕かれ、愛のない行為に身体が引き裂かれる日々は変わらないのだ。

だが、他の本で『自らを殺す行為では生まれ変われない』と読んで以来、自ら命を断つことは止めようと思えた。

辛い毎日を耐えて生きていたら、いつか生まれ変わって大好きな彼の側に行けるかもしれない――幼い私は死に変わる生きる希望を見出した気がした。


その本との出会いを後悔したことだってある。


私が恋をした人は紙面上の登場人物なのだ。

どんなに恋い焦がれても彼と会えず、話すことも出来ない。

それは本当に苦痛で、いっその事あの本に出会わなかったらこんなに苦しくなかったと、希望を持たなかったと考えたことは何度もあった。

それでも、その本は私を生かし、何度も跪く私を立ち上がらせ、前を向くための動力源になった。


いじめに耐え続け、小学校を卒業する日が近付く頃、私は1人だけクラスメイトとは違う中学校を選んだ。

当時住んでいた家は小学校からかなり離れており、校区ぎりぎりだったため、幸運にも中学校は2つの中から選べたのだ。

私を知っている人が誰もいない中学校を選ぶことで、周囲の人間関係をリセットして頑張ろうと思った。


そして私は小学校を卒業した。

あれだけ私を苦しめ、悩ませ続けたいじめの日々は、本当にあっけなく終わりを告げたのだ。


卒業式から数日後、母と二人で新しく通う中学校へ行った。


出来たばかりの体育館で真新しい教材を手にした時、新しい制服や鞄を受け取った時、ワクワクした気持ちになった。

またいじめられるかもしれないという不安は確かにあったが、それよりも新しく始まる日々に期待する自分がいた。


中学校の教材を持って家に帰った私が真っ先にしたことは、貰ったばかりの真新しい鞄の上に彼の本を置くことだった。

彼のようにしっかりと前を向いて歩けますように――これから始まる新しい生活に向け、そう願った。

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