第10話:-京都の雅、祇園の夜-【04】

午後十九時五十四分 祇園四条


 私たちは電車を利用して、祇園四条へと足を運んだ。

 辺りは既に真っ暗で、寺や神社などの有名どころの観光名所は、既に本日の見学を終了とさせている。

 観光客達の数も圧倒的に少なくなっており、辺りには、数人がちらほらと歩いている程度でしかなかった。


「人、思ったより少ないですね」

「京都の夜は、意外と見る場所が何も無いんですよ。だから早々に観光客達は引き上げてしまうのです」

「な、成る程……」


 なんとも健康志向に満ちあふれた場所なのだ。

 まあ、治安的には良い傾向なのかもしれないけれど。


「それで山梨さん。見る場所が無いのにもかかわらず、私たちはどうして祇園へ来たんですか?」

「何を言っているのですか先生。先ほど空腹と言われていたじゃないですか。だからここへきたのです」

「は、はぁ……」


 古風な建物が並んでいる通りには、提灯による明かりが連なっている。

 日本らしい、和の美しさ溢れる光景だ。

 紅葉が舞い散る道なりは、幻想的な世界に来ているようだ。


「ここには京料理を振る舞う料亭が多くあります。せっかく京都まで来たんですから、地元の料理だけでも味わっておくべきかと思いまして……」

「なるほどですね。それは良い提案かと……」


 京都の祇園、なんというすばらしきシチュエーション。

 山梨さん、良いセンスをお持ちのようですね。

 しかし――


「京都の、しかも祇園だと、なかなかに良いお値段するんじゃないですか?」

「ああ、そのことですか」


 東京で言えば、銀座の寿司屋で寿司を食べるようなもの。

 地理的ボーナスで、決して値段は安くないはず。


「安心してください。お金のことなら心配ないです……」

「そ、そうなんですか。経費ということでしょうか……?」

「まあ……先生はタダで夕食が食べられるって思ってくれれば大丈夫です」

「……?」


 ……なんとも微妙な反応だ。

 一体どんな手法を使うのだろうか。

 特別な割引券でも持っているのだろうか。


 疑問を抱きつつも、私は歩みを止めない山梨さんにおいていかれないよう小走りで追いかける。


…………

……


午後二十時十一分 祇園四条:紅葉-雅-


「いかがでしょうか、先生。京都らしいお店じゃないですか?」

「ま、まあ……確かに京都らしいですけど……」


 山梨さんに連れてこられて来た先は、いかにも和な雰囲気をかもし出す建物に、達筆な文字で『みやび』と書かれた店だった。

 店の中に入るやいなや、山梨さんは慣れた様子で二階席へと上っていき、掘りごたつのあるテーブルへと着席した。

 しかも完全個室。

 ひのきの良い香りが心地よい。


「ここって予約されたんですか?」

「予約……ああ、まあ。一応予約というのですかね。行くという旨は伝えてあります」

「……は、はぁ」


 またはっきりとしない返答。

 なんだろうか、このしっくりしない感は。

 そんな疑問を抱いているうちに、階段からお盆を持った店員さんがやってくる。


「どうも、いらっしゃいませ。よくおこしくださいました」

「は、はぁ……どうも」


 和服を着た初老の店員さんは、正座で頭を下げ、いかにもな礼儀作法で私たちを迎え入れてくれる。


「とりあえず、ビールとおつまみを用意しましたので、軽くつまんでいてください。後で天ぷらとかお持ちしますので」

「あ、ど、どうも……」


 六十代程の店員さんは、お盆の上にのせていたビール瓶二本と、つまみの入った小皿を私たちのテーブルの前に置いてくれた。

 そして、また深々と頭を下げると、そそくさと階段を降りていった。


「…………」

「……どうしたんですか、先生?」


 何かを思う私に、山梨さんが声を掛けてくる。


「ん、いえ。何で今の店員さん、まだ注文していないのに料理を持ってきてくれたのかなって思いまして」

「それは突き出しというやつですよ。居酒屋でやっていることと同じです」

「でも、ビールまで出してくれるもんなんですかね?」

「それは私が伝えたんですよ。先生、日本酒とかダメじゃないですか」

「確かに、そうですね」


 私はビール以外は得意じゃないので、正直、料亭のお酒には警戒していた。

 しかし、実際には山梨さんが連絡を……って。


「初めてのお客さんに、そこまでしてくれるものでしょうか?」

「ああ……私は初めてじゃないですからね」

「え、ああ……そうなんですか」


 京都の、しかもこんな高級そうな料亭に、そう頻繁に来るものなのだろうか。


「何回くらい、ここで食事したんですか?」

「えっ、何回くらい……? 難しい質問をしますね」

「難しい……?」


 今、私は難しい質問をしたのだろうか?

 世間話のつもりだったのだけれど。


「回数で言うなら、二十歳までほぼ毎日だから、三千回くらい?」

「さ、三千回っ!?」


 ちょっと想定外な数字が出てきてしまい、思わず驚いたが……

 いや、しかしそれって。


「あの、山梨さん」

「はい。なんでしょうか? 先生」

「つまり、この料亭は……」

「私の実家です」


 そうさらりと返答する山梨さん。

 しかし、その割には、どこか回りくどい事情を感じた気がする。


「まあ、実家なので料理の原価くらいしかお金は渡していないですが、先生に見栄を張るために、わざと隠していました」


 悪気もなく無表情で開き直る山梨さん。

 その言葉には、屈折のない、真っ直ぐな信念を感じる。

 ……いや、どんな信念だ。


「仕事で家庭を旦那に任せることが出来たので、今日だけは羽を伸ばしてみようと思いましてね」

「ほうほう……」

「私一人だとフルでお金を取られるのですが、先生を連れてくれば原価でまかない料理が食べらますので、来ていただきました次第です」

「おい」


 なんて現金な既婚者なんだろうか。


「まあまあ良いじゃないですか。おかげで先生も、我が家のまかない家庭料理を楽しむことが出来るんですよ」

「は、はぁ……」


 祇園の京料理を家庭料理と言うあたり、文化の違いがあるのだと感じる。

 我が家の家庭料理は、納豆ご飯。

 もはやランクというか、次元が違うのだろうな。

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