第9話:-京都の雅、祇園の夜-【03】

午後十五時二十五分 京都駅前


「……さて、先生。まずは爆弾発言を控えていただきまして、ありがとうございます」

「それはお礼と言うのですかね。山梨さん」

「はい。余計なことを言わないというのは、ある意味努力が必要なことです」


 褒められていないのが、よく分かる。


「ともあれ、想定よりも多くの作品とコラボが出来そうです。先生の仕事も増えますので、会社としても報酬を見直さなくてはいけないですね」

「えっ、本当ですか!?」

「本当です。相手方は、先生のイラストをたいそう気に入られたようでした。話さずとも、実力で結果を出せた証ですよ」


 それは直接的に嬉しい限りだ。

 そろそろ新しいスマートフォンが欲しかった時期だったし、冬の臨時ボーナス万々歳。


「……さて、私はこれから先程まで話をしたことについて、資料をまとめなければなりません。明日また、モミジ紅葉出版に訪れる必要がありますからね」

「それはそれは、大変ですねぇ……」

「まあ、これは楽な部類ですよ。本社で締め切りに追われる方が、よっぽど地獄を見ますから……」


 山梨さんを屈服させる出版社……恐るべし……。

 出版業界は、闇が深い。


「なので、少し早いですが、私はホテルにチェックインして仕事をしようと思います。先生はどうしますか?」

「えっ、私ですか?」

「先生も出張とはいえ、普段の漫画の締め切りは守って貰いますよ。紙とペンくらいは用意していますので、ネームくらいは作れるんじゃないですか?」


 京都に来て、普段の仕事……なんという幻想砕きの運命なのだ。

 これが……出版社のやり方かぁ……!


「まあ、別に遅れているわけじゃありませんので、明日の十三時までは実質フリーでも問題ないですけどね」

「えっ、本当ですか!?」

「ええ……遅れてはいませんが、年始特大号でページが五ページ増量になっていますけど」


 山梨さん、それは私に仕事をしろという間接的な命令じゃないでしょうか?

 避けられない運命を受け入れろという圧迫でしょうか……

 大人の世界は、なんという残酷なんだ。


「……ね、ネーム。書きます……。特大号……頑張ります……」

「賢明かと……では、ホテルに向かいましょうか。お互い、仕事に励みましょう……」


 そう言う山梨さんは、どこか疲れた表情を浮かべている。

 京都に来たのに、仕事で終わってしまう悲壮感が、表情となって浮かび上がっているようだ。


 季節は晩秋――

 紅葉が舞い散る美しき季節――


 私たちはこれから、暗く静かな部屋にこもって仕事をします。

 わぁい、仕事、楽しいなぁ……エトナ、仕事大好きぃ……。


-----------------------------------------------------------------

午後十九時四分 京都ルリアホテル六〇七号室


 私と山梨さんは、なぜか同じ部屋で仕事に励んでいる。

 出版社のお涙都合で、二人で一部屋しか経費が出なかったためだ。


 おかげで、私は山梨さんの眼光が光る地獄の環境下の元で、年始に向けた漫画のネーム作りに励んでいた。

 普段のサボりながらという、マイペースかつ怠惰なワークライフを送ることが出来ずに、真面目に仕事をし、一枚ずつネームを作成した。


「……ふむ。普段よりもネーム作成が早いですね。今日は調子良いんですか?」

「ま、まあ……良い部屋を借りていますので、舞い上がって頑張れたのかもしれないです。あはは……」


 言えない。

 普段から、あまり真面目に仕事をしていないから遅めな納品だなんて……。

 絶対にっ……!


「まあ、先生は仕事をすれば成果を出せる人です。同じ部屋で仕事が出来て良かったですね」

「そ、そうですねっ……! ははは……」


 ああ、監視下だから筆が早いことが知られている。

 言わなくてもバレているって、嫌だね。

 このなんとも言えない空気が、私のこの状況を苦しめている気がする。


「私もですね、先ほど資料を完成させましてね。明日の準備は完了できました」

「そうなんですね、山梨さん。お疲れ様でした」

「ええ……本当に疲れました。もっと褒めてください」

「いよっ、山梨さん。社畜の鑑! ブラック企業を生き抜く女騎士! ゼロから始めるクッ殺OL!」

「……やっぱり、良いです」


 遠慮することないのに。

 恥ずかしがってたら、漫画の担当は出来ませんよ。


「……それより、先生」

「は、はい。なんでしょうか?」

「おなか、空きませんか?」

「空いています。かなり空いてます」


 京都駅に到着してから飲んだ、無糖カフェオレと、打ち合わせ中に飲んだ粗茶以外、何も口にしていないので、身体が空腹を訴えているのがよく分かる。


「もしかして、ルームサービスでも頼んでくれるんですか?」


 部屋の中にあるカタログの中に、軽食を作って持ってきてくれるサービスがあるが……


「いいえ。ルームサービスは高いです。そこに使う経費はありません」


 残念ながら、私の期待は大きく外れてしまったようだ。

 まあ、私も一度は頼んだことはあるが、味音痴あじおんちの私にとっては、ファミレスと大差ないという感想以上は何も感じ取ることが出来なかった。

 一応は、プロのシェフが振る舞っているのかもしれないけれどね。

 しかし――


「じゃあ、コンビニですか?」

「いいえ。京都に来てまでコンビニに行くわけないじゃないですか?」


 京都に来てまで――

 山梨さんにしては、随分と珍しい発言な気がする。

 パッと向かい、パッと帰る社畜なイメージがあるからだ。


「仕事は終わり、会社の定時は過ぎました。明日の朝まで、私も今は解放されているのです。だから――」

「だから?」

「先生、祇園へ向かいましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る