第9話 俺はピエロなんじゃないか?

 ピピピ、ピピピ……、


 セットしたスマートフォンからアラームが鳴ったところで、二人は顔を挙げた。


「しんちゃん、どう?書けた?」

「ま、10分だとこんなに出れば十分だろう」

 新之助が、淡々と言う。


「ゆきやんは?」

「いや、俺は……」


 俺は何も書かなかった。いや、書けなかった。俺が一晩で考えてきた事業案は一つだけ。とてもじゃないが、こいつらの前で晒せないと思った。二人の手元には何枚もの付箋が広がっていて、ヒロがすばやい動きでそれらを回収し、ホワイトボードへと貼り付けていく。


「えーっと、じゃあ読み上げていくね。ペット、動画、音楽、ゲーム、福祉、介護、チケット売買、電子書籍、医療、知育、フィットネス、ファッション、キュレーション、名刺管理アプリ、O2O、MVNO、料理、民宿、旅行、美容、フリマ、越境EC、VR投資、動画広告、不動産、クラウドソーシング、Fintech、広告、アニメ投資、芸能、マイクロペイメント……」


 二人は、本当に頭に浮かんだアイデアを本当にただそのまま書いていったようだった。俺のように、大した考えもなしに書いて説明を求められたらどうしよう、などといった発想はないのだ。恐れがないから、ここまで出世しているのかもな、などと俺はついネガティブな方へと考えてしまう。ブレストは昔から苦手なんだよ。


 いや、違う……。

 こんなんではダメだ。


 俺は頭を横に振る。実際に、こいつらだって、そんなに深く考えているわけでもなさそうだ。しょせんは同じ人、それもかつては俺と同じ大学に通って、同じ馬鹿な会話をしてた連中だ。冷静に考えてみて、そんなに差が出すぎるわけがない。現に俺はこいつらから力を貸してくれと言われたのだ。


 ホワイトボードを眺める二人の顔も少し戸惑っているようだ。

「いくらなんでもバラバラすぎるな」

「うーん、ここまでだとはね」


 意外にも意見が異なりすぎたのか、困り顔の二人に対し、俺はすかさず空気を読む。期待されているうちに期待されたパフォーマンスを出さないと……。

「あ、あのさ。二人はアイデア考えるときの軸みたいなのはあるのか?これならやりたいとか、この分野ならイ、イケそうとか」


 旧知の仲である3人しかいない空間で、俺は緊張した面持ちで口を開いた。なぜだか全身からはあり得ないほどの汗が出ていて、早口になってしまって出てきた言葉は噛みまくっていた。一体俺はどうしちまったんだ?


 俺がそういうと、ヒロは一層困った顔になり、新之助の顔に目をやるのだった。

 

 しまった。そう瞬時に思った。そして嫌な感じがした。


「うーん、それはもちろんあるんだけど……。あ、じゃあ先にこういう新規事業立案のときに、コンサルがよく使うフレームワークを説明するよ」


 ヒロは頬を書きながらそう言って上下回転式のホワイトボードをひっくり返す。付箋を貼ったのとは反対の裏面に黒マジックで何やら書きこんでいく。


 PPM、SWOT、PEST、3C、4P、5Forces、7S……。


 どれも学生時代にミーハー心で読んだ外コン就活用の本に書いていたような言葉だったが、俺にはその使い方どころか、そのアルファベットが何なのかもわかっていない。


「順番に言っていくと、まずPPMというのは……」


 ヒロが説明を始めると、新之助は口を一文字に結んだまま、腕組みをしている。表情は明らかに不愉快そうだ。こんな説明に時間を使うなと、そんなことを言い出しかねない。さっきからつま先を何度も床に鳴らしている。

 とんとんとんとん。

 一方の俺は口をぽかんと開けたままに、立ち尽くしていた。頭は妙に冴えていた。ヒロの説明によって、フレームワークの知識がインプットされる一方で、嫌な予感が頭をめぐる。


 もしかして俺はピエロなんじゃないか?

 俺のせいじゃないのか?

 俺が無知なせいで、こいつらの議論の時間を喰っているんじゃないか?

 ヒロが俺を誘った理由はこれなんじゃないのか?

 ヒロは俺を晒すことで、相対的な評価を上げようとしている?

 いや、まさか……。


「と、まぁ大体こんな感じかな。どう?ゆきやんわかった?」


 説明を終え、俺の理解度を確認してくるヒロに、なんでだかはわからないが、俺の口から出たのは自虐めいた言葉だった。

「やっぱりコンサル出身だな。地方の工場のおっさんにセンサー機器の説明をしてきた俺とは違うよ」


 3人しかいない会議室が少しシーンと静まり返る。新之助が真顔で場を整える。


「じゃあ、前提知識が揃ったところで、案を絞り込んでいくか」


 そうだよな、自虐ギャグなんてのは、くだらなくて、リアルさに欠けるこそ面白いんだ。そんなことすらわからない今日の俺はやっぱりどこかおかしいみたいだ。

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