奮闘編

第8話 ルールは至ってシンプルで

「ゆきやん、来たね!」


 翌朝、俺が渋谷のL社本社ビルの一階ロビーで待っていると、嬉しそうな顔でヒロがエレベーターから顔を出してきた。ヒロはジーンズにパーカーをいったラフな服装で、それは大学時代と少しも変わらなかった。俺はいつもの挨拶でヒロをギュッと抱きしめようとして、ヒロに身をかわされる。


 昨日、少し考えさせてほしいと言った割に、家へと帰った俺はすぐに新之助に連絡をしていた。


〈今日はありがとう。明日だけど、行くことにしたよ。正直、何でだかわかんねえけど、すごくワクワクしてる〉


そう送ると、少し長めの返信が帰ってきた。

〈さすがは雪哉だ。お前ならそう言ってくれると思っていた。こちらこそ突然の誘いですまなかったな。明日とは言わず、これから一緒に仕事ができることを楽しみにしている〉


ヒロがゲスト用のセキュリティカードを俺に手渡しながら屈託のない笑顔で言う。

「やっぱりゆきやんなら、来てくれると思ってたんだよ。はいこれ、入館証。あとごめん、入る前にコーヒー買っていい?」


 ビル一階にあるカフェは週末は営業していないらしく、俺たちは一度外に出て隣ビルに入っているコンビニでコーヒーを3つ注文する。セルフ式のコーヒーマシンを操作するヒロの背中に俺は向かって言う。


「ヒロ、ありがとうな」

「うん?何が?」

「いや、声かけてくれてさ。ありがとう。嬉しかったよ」

「何言ってんの、当たり前だよー。僕ら大学の頃からずっと一緒だったじゃん」


 俺とヒロはコーヒーを持ったまま、セキュリティゲートを抜けていく。34階まで上がったところにあるL社受付ロビーは白で統一されており、床はピカピカに磨かれている。社外のメンバーを招いたNew BIT参加チームの打ち合わせ用に、3月からは週末もゲスト用ミーティングルームが開放されているとのことだった。各部屋は世界の各都市の名前がつけられているようで、ヒロがSan Diegoとネームプレートのついた部屋のドアを開ける。

 ノートPCを見つめる新之助の顔がパッと上がる。


「お、来たな雪哉。下まで迎えに行けなくてすまんな」

「いや、そんなの別にいいよ。しかし噂通りキレイなオフィスだなあ」


挨拶もそこそこに、俺達は早速本題に入る。仕切るのはもちろん新之助だ。


「ということで、だ。我々に残された時間は多いようで少ない。まず4月末に書類選考が行われるが、それを間違いなく通過するためにも、4月は丸々企画書の作成とそのブラッシュアップに時間をかけたい」


ヒロが続ける。

「そうだよね、書類で落とされちったら、プレゼンすらできないもんね」


俺もヒロの後に続く。

「てことは、3月中にテーマ決めか。何かしら条件とかはあるのか?」


「ああ、そうだな。まだ詳しく説明していなかったな」


 俺は新之助から、New BITのルールを教えられる。ルールは至ってシンプル、必須要件は以下の3つだけだった。


① 3年以内に年間10億円以上の規模に育つ見込みのある事業であること

② 同じく、3年以内に投資回収が見込める事業であること

③ 反社会勢力と関係がなく、かつ公序良俗に違反しない事業であること


 要は、早期に金儲けができて、世のためになる事業をしましょうってことだ。俺だって、ダテにサラリーマン5年もやってない。昨夜家に帰ってからは、ビールを開けずに冴えた頭で、どんな案がいいのか、ベッドに横になってぼんやりながら考えてきた。単なる営業だって、事業を考えることはできるんだよ。問題はいつどこでそれをこいつらに話すかだ。


二人の様子を伺っていると、新之助が話し出す。

「まずはアイデア出しをしよう。雪哉は今ルールを聞いたばかりだから、難しいだろうが、ヒロ、お前はある程度のアイデア候補はあるだろう?一人ずつ意見を出し合って、ブレストをするか。それとも付箋に考えられる事業案をひたすら書き出すか、どっちがいい?」


「じゃあ、後者でいこう。二人の考えてる方向性もなんとなくわかるし、今の時点で個別のアイデアに対して、ディスカッションする必要はないからね。んで、書き出しのを並べたあとは、それを絞る、もしくはゼロベースで考え直す必要があるだろうね。判断の基準を明確にしたほうがいいから、そのとき僕から基本のフレームワークを説明するね。ゆきやんもいるし」


「了解だ。では、10分間もあれば十分だろう。俺とヒロは、事業案やテーマを付箋に書き出す。雪哉、お前ももし、何か思いつくことがあったらぜひ書いてくれ。どんなものでも歓迎だ、ただし無理する必要はない」


「……わかった」


 二人のやり取りは驚くほどスムーズで、きっと普段の仕事もこんな風にこなしているのだろう。大学時代に部長の新之助を支えていた俺の姿が、社会人になってからはヒロへと変わり、いつの間にか強い信頼関係で結ばれた二人……。


 付箋に大量の案を書き殴っていく二人の姿を見ながら、果たして再び俺の入る隙間などあるのだろうか、と考える。昨晩考えたばかりの案も出すのが憚られて、俺は二人のペンの動きを10分の間ひたすらに見つめていた。

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