エピローグ

元の世界、そして……

 ズドンと大きな音を立てて、ボクは落下した。

 ベッドでマンガを読みながら横になっていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。ボクの顔には読みかけの漫画が半端なページで被さって、よだれが付着してしまっている。

 これでこのベッドから何度落下しただろうか。柵があると窮屈だからと言って、柵がないタイプのベッドを買ってもらったのだが、ここまでボクの寝相が悪いとは思ってもみなかった。自分で転落防止用の柵でもDIYしようかな。


 ボク、橋本雄介は元の世界に帰ってきた。

 マンホールに落ちて異世界にうっかり転移してしまったあの時に戻ってきたのだ。

 あの日以後、あちらの世界で過ごした一年半もの年齢の齟齬は、あらかじめ魔王から貰っていたユグドラシルの果実酒とやらを飲む事で若返る事が出来た。その後は何食わぬ顔をしてボクは家に帰ってきたけど、家族の顔を見た時に思わず目から涙がこぼれて泣き崩れてしまった。家族からしてみればなんでボクが泣いているのか皆目見当もつかなかっただろうけど、転移した世界で一生暮らすしかないのではないかと諦めかけていたところを、あれよあれよという間にこちらの世界に戻ってこれて家族と無事に会えたのだから、やっぱり泣いて当たり前だと思うんだ。


 今のボクは受験に合格し、晴れてこの春から高校生として新たな生活を送る前の短い休みを満喫している所だ。

 自分だけではきっとどうしようもなかっただろう。数多の人の協力と、そしてあのやけに人間臭く好奇心旺盛な魔王の協力が無ければボクはこの世界には帰ってこれなかった。

 外は日が少しだけ傾き始めている。もうじき太陽が黄色からオレンジ色に変えようかなと考え始める頃合いだ。開いている窓から穏やかな風が吹いてレースのカーテンを揺らす。その時、ボクの部屋にチャカチャカと足音を立てて入ってくる存在があった。


「わん」


 器用に前足でドアを開けて入ってきたのは、ハスキー犬のロッキーだった。毛色は灰色で、外見からの年齢は多分一歳くらい。その年齢に反して物腰は落ち着き払っている。

 多分ボクがうたた寝から目を覚ましたのを感じて、というかボクがベッドから落ちた音を聞いて部屋にやってきたのだ。口には散歩用のリードを加えている。

 これは散歩に連れて行けと言う意思表示だ。


「はいはい、準備しますからちょっと待っててくださいね」


 今の僕は白いシャツとトランクスの下着姿だったことに気づき、外に出られるようにジーンズとTシャツ、その上には適当なシャツを羽織った。

 ロッキーの首輪にリードを繋ぎ、ボクらは外に出た。

 ボクらが住んでいる所はいわゆる一般の人々が住まう住宅街。ベッドタウンとして有名な街で人の数自体は多いけど、治安が良くてほどよく都心からも離れていて犯罪率も低めで、一言で言えば日常生活を送るには最高の街と言う事だ。


 ボクとロッキーはある場所を目指して歩き始めた。

 ロッキーは黙ってチャカチャカと足音を立てながらきびきびと歩いていく。ボクはむしろ散歩をしてあげているというよりも彼についていくという感じだ。

 途中、散歩をしている犬とその飼い主に出会うけど、大抵の犬はロッキーを見るや否やぎょっとして恐れを抱いて飼い主の後ろに回るか、しっぽを股の間に丸めてびくびくしてしまう。

 それも仕方ないかなと思うけど。

 たまにロッキーに対して吠える犬も居る(大概そういうのはしつけのなっていない小型犬である事が多い)が、ロッキーがひと睨みすればそういう犬もビビって小便を漏らして腰を抜かしてしまう。逆に言えばそれだけやらないと気づかない馬鹿な犬も多いと言う事だ。

 うちのロッキーさんは人間にも及びもつかない存在なのだから。


 何百メートルか歩いたところで、ボクたちは目当ての場所に着いた。

 何時からあるのかわからない、古ぼけた小さい神社が目の前に建っている。周囲はちょっとした林かというくらいに木が無秩序に生えている。

 所々建物はひび割れて居たり、鳥居の塗装が一部剥げていたりと随分管理が杜撰で、雑草も伸び放題で背丈が大分高くなっている所が多い。

 ボクとロッキーは神社の境内に入り、ひび割れた石畳の上を歩いてさい銭箱が置かれている階段の前に二人して座った。そしてボクはロッキーに話しかける。


「もう人の気配もしないし、喋っても大丈夫だよロッキー」


「二人きりの時くらいはロッキー呼ばわりはやめてもらいたいものだな。ハッシーよ」


「ごめんてマオウさん」


 彼は座った姿勢のまま目を瞑り始めた。

 こうする事によって周辺に漂う「魔素」とやらを取り込んでいくらしい。


「全く計算外だった。この世界がこれほどまでに魔素が薄いとは思ってもみなかった。調子に乗って空間転移で様々な場所に行き過ぎたせいでMPが枯渇するとは。おまけに自動回復すら使えなくなるとはのう」


 マオウは嘆息する。転移初日にろくにこの世界と自分がどう関係して影響するのか調べずに浮かれるのが悪いと思うけど、それは言わずにおく。


「僕は一日眠ればHPもMPも全回復するんだけど」


「それはお主が元々居た世界だから体が馴染んでいるんだろう」


「でも、僕の鍛えた能力や覚えた魔術、奇蹟がこっちに戻ってきても使えるとは思わなかったよ。全部消えるかと思っていたけど」


「それは我も予想外であったな。長く生きてみるものだ」


 とはいえ、会得した魔術や奇蹟を表立って使うつもりはない。

 この世界の理と成り立ちが異なるものを無闇に使うと、多分だけど歪みが生まれるんじゃないかって思うんだ。


「全くお前は、その力があれば世界を支配する事だって可能だというのに使わないとは勿体ない」


「いくらボクに力があると言っても、ひとりじゃ無理だよ。他の人々にいずれはやられちゃうさ」


 にわかにマオウの体が青く発光しはじめる。魔素を取り込み始めた様子だ。

 魔素はこのような神社やお寺、あるいは人里から離れた山や森の不快場所に多く存在しているらしい。また、人里にあっても廃墟など、要は人の気配を感じず霊的な気配を感じる場所が良いとのこと。


「魔素集め、心霊スポットや墓場なんかも良いんだっけ?」


「そうだな。今度は恐山とやらに連れて行ってくれないか。あそこはたぶん魔素が充満してそうな気配がする」


「恐山、お化けとか出てきそうで怖いな。遠いし」


「散々あっちの世界でゴースト系の敵を倒しておいて何をぬかすか。それに金ならそこらの柄の悪そうな住人から奪えばよいだろうに」


「いくら相手が悪人でも強盗は犯罪です。ボクが捕まります」


「全く難儀な世界よの」


 ボクが転移した世界は悪人に人権はない世界だったな……。ある意味やりやすい世界だけど秩序も何もあったもんじゃなかったので、やっぱりしがらみがあるとはいえこっちの世界の方が良いよな。人権とか法律とかが一応大事にされてる世界だし。

 マオウが魔素を取り込み始めてからしばらくたつと、神社の背後からなにやら物影がのそりと顔を出した。


「めええええ」


 草をもしゃもしゃと食みながら現れたのは黒い子ヤギだった。赤い首輪を付け、その先には銀色の鈴を提げている。


「お、我が父もやってきたぞ」


「めええええええ」


 彼はボクたちが来ると小屋から様子を見に来て、時々ボクの尻を齧ろうとする。

 こちらの世界に来た時の衝撃か何かわからないが、マオウが父と呼ぶ前魔王は記憶を失っていた。犬はともかく流石にヤギを飼う事は出来ず、どうしたものかと思っていた所、この神社を管理している氏子の人がこの神社内の敷地内で面倒を見てくれることになって助かった。以来、このヤギは境内の草刈りを生業にしてこの世界に生きている。

 ボクはかじろうとする口をよけながら、ヤギの背中を撫でる。


「相変わらず、まだ記憶は戻ってないんだね」


「何が原因でこうなったのか皆目見当がつかぬのが困る。まあ、このままヤギの本分を全うしてくれた方が我としてもありがたいがな」


 マオウからこの人のアレな様子は散々聞いていたので、ボクは苦笑いで返した。

 今日の分の魔素を取り込み終えたのか、マオウはすっくと立ちあがりボクを見る。


「では帰ろうか。今日の分でようやくMPが2000くらい溜まった」


「一つ聞くんだけど、マオウさんってMP上限いくつなの?」


「65535だがなにか? HPも同じだぞ」


「16ビットかよ」


 そしてボクらは家に戻り、夕食を取ったあとに離れの小屋に行く。

 元々物置として使われていた小屋を、ボクたちが整理して使えるようにしたのだ。

 ちょっとした机に椅子を置き、机の中央にはパソコンがある。そしてボクとマオウ用のヘッドセットが二つ、パソコンに接続されている。

 これからボクたちはある事をやろうとしている。


「よし、パソコン起動したよ」


「これ一つで色んな事が出来るのだから魔法の箱よな」


 マオウも犬の姿から骸骨に戻り、頭にヘッドセットを装着している。

 懐から水晶玉を取り出すと、そこにはユミルさんの姿が映っていた。


「マオウ様。今週のラジオの準備が完了いたしました」


「よろしい、でははじめようか。タイトルコールを頼むぞハッシーよ」


「了解。3、2、1……」


『では、今週もはじめましょうか! DJマオウと元勇者ハッシーの! ミッドナイトラジオ!』


 ボクとマオウのラジオ番組は、今まさにはじまったばっかりだ。



----------

 次回作「魔王と元勇者が現代社会で生活しつつラジオDJをやるようです」

 乞うご期待!

(書く予定は未定です)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DJマオウのデッドオブナイトラジオ 綿貫むじな @DRtanuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ