集まる、広がる(前)

「き、キリン……なの? それに、ナマケモノ……?」

 誰とはなしに、そんな声が上がりました。

「え、ええ。そうだけど……」

「……うん」

 ロッジの玄関に立つキリンとナマケモノは、困惑しながらもはっきり頷きました。立ち並ぶフレンズたちは、己の目が信じられないとばかりに、瞬きを繰り返します。

 そんななか、ひとりオオカミが、にやりと笑います。

「……いや、もしかしたらセルリアンの化けた、偽物かもしれないよ?」

「えっ?」

 ざわざわ、と視線を交わすフレンズたち。

「お、オオカミさん! こんな時になにを……」

 アリツカゲラが窘めますが、オオカミはなおも続けます。

「いやいや、だってギンギツネの言うことには――」

「えーっと……」

 状況がわからず、目の前で繰り広げられる言い争いを、キリンたちは黙って見ているしかありません。

 ふいに、彼女の肩がちょんちょんとつつかれました。見ると、身を縮こまらせたピューマが、俯いて手遊びをしています。

「き、キリンたちは……、その、せ、セルリアン……なの?」

「え? な、なんでそんな話になるのよ!」

 キリンが目を丸くすると、クララが髪をいじりながら言いました。

「やけに強く否定するの……」

「ま、まさか、本当なんですの⁉」

 クロテンまで一緒になって、キリンに疑いの目を向けてきます。

「えぇ……」

 どこから湧いた疑惑なのかもわからず、キリンは助けを求めるように、ナマケモノを見ました。ですが彼女にも状況はわからないらしく、黙って肩を竦めるだけです。

「……ふむ」

 一歩離れた所で、ロビーの様子を静観していたシバが、キリンたちの方へ歩み寄ります。

「キリン、そしてナマケモノよ。また会ったな」

「ああ、シバ。相変わらず素敵なマフラーね!」

 ありがとう、と頭を下げ、シバは咳払いをひとつ。

「ところで、この騒動だがな。おぬしらは、逃げてくる途上、セルリアンの群れに食べられた――ということになっているのが原因だ。キタキツネ、ギンギツネがそう言っていたのだが……」

「……そうなの?」

 ナマケモノが視線を投げかけると、キツネたちは、うんうんと勢いよく首を縦に振ります。

「なるほど……。まあ、あの状況だと確かにそう見えるかも……」

 つぶやいて、キリンになにか耳打ちすると、彼女も納得したように「あぁ!」と手を打ちました。

 そのやりとりを見て、シバは背後のフレンズたちにも聞かせるように、大きめの声で言いました。

「我々に、如何にして助かったかを教えてもらえぬか? さすれば、この疑義もなくなると思うのだが」


 地方と地方の間――というのは不思議なもので、境目を跨ぐや、がらりと気候や植生が変わり、またそこに住むフレンズも変わります。

 そしてその境目は、だいたいにおいて、細い谷や、その底にながれる川によって区切られています。往々にしてその間には橋が渡してあるので、通行に支障はないのですが、セルリアンから逃げていた時は、当然ながら、橋を渡っている余裕などありませんでした。

 そういうわけで、彼女たちは境目を飛び越え、またそれでキリンは転んでしまったのですが――。


 数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群が迫り、キリンはぎゅっと目を瞑りました。飛び掛かってくるセルリアンは彼女の頭上を黒く覆い、太陽を隠します。

「…………」

 がらがら、と音がします。

 ああこれで食べられてしまう……ナマケモノには悪いことをしたわ……食べられて、私はどうなるのかしら……それにしても……。

 それにしても食べられる感覚が全くなく、キリンは眉をひそめます。それとも、セルリアンに食べられるというのは、こんな感じなのでしょうか。

 恐る恐る彼女が薄目を開けると、セルリアンは頭上を覆ったところで、動きを止めていました。

「……?」

 不思議に思っていると、すぐにまた、がらがらと音がしました。しかしそれはセルリアンの鳴き声や咀嚼音ではなく、どうやら彼女の下――地面からしているようなのです。

 どういうことだろう、と考える暇もなく、一際大きな音が響いたかと思うと、身体は落下をはじめました。

「ひゃぁぁぁぁっ」

 叫び声を上げ、わけもわからず堕ちていく身体。自分がいま上を向いているのか下を向いているのかさえわかりません。

 目に見えるのはセルリアンばかり――否。

 その隙間に、ナマケモノの姿が見えます。

「なっ……」

 ナマケモノ、と言い切れず、キリンは彼女へ懸命に手を伸ばします。それに気づき、ナマケモノもまた腕を伸ばしてきます。手を繋いだところでどうなるわけでもないのですが、ふたりにはそんなことを考えている余裕もありません。

 互いの手がしっかり握られた、その瞬間。

「ぐッ……!」

 キリンの首に衝撃がはしりました。次いで、ナマケモノと繋いだ手に。

 痛みに耐え顔をしかめていると、ふと落下が止まっていることに気づきます。

「?」

 不思議に思って見ると、キリン自慢のマフラーが、なにかに引っ掛かっているようでした。どうやらそのお蔭で、間一髪助かったようです。手を繋いだナマケモノも幸運でした。

 しかしそれに喜ぶ間もなく、とんでもない苦しみが彼女を襲います。ナマケモノを摑む腕――ふたり分の体重が依る首。

「ちょ、これ」

 ぐぐぐぐ、と首が締まります。いまにも息が止まりそうです。しかしマフラーを外せば今度こそ谷底へ真っ逆さまですし、まさかナマケモノの手を離すわけにもいきません。

 キリンが苦痛にあえぐのを見て、ナマケモノも慌てます。

「ま、待ってて! いま登るから……!」

 今までにないほど大声で叫んで、キリンの身体をよじ登ります。頭上に岩が突き出た部分があり、ふたりくらいなら充分な足場になりそうなのです。

「は、はや……く……」

 腕から肩、頭と、ナマケモノは史上最速で登っているのですが、生来の動きの鈍さはいかんともしがたく、キリンはいまにも気を失いそうでした。

 それでもどうにか登り切り、足場の頑丈さを確かめ、ナマケモノは下のキリンに腕を伸ばします。

「ほら、キリン!」

 互いに腕を伸ばしますが、届きません。マフラーがゆらゆら揺れるうえ、高さにしても、指先が辛うじて触れ合う程度。

「……しかたない」

 ナマケモノは即断し、別の策をとることにしました。キリンが見上げる先、ナマケモノは立ち上がり、腰を落としました。せーの、とかけ声を上げ、

「ぐぐぐぐぐぐっ、ちょっ、おぇっ……」

「我慢……して!」

 つまり、マフラーを引っ張り上げることにしたのです。マフラーと首の間に手を入れ、足をばたつかせるキリンの姿が、ゆっくりゆっくり上がっていきました。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……ぇほっ」

 どうにかこうにか、ふたりは助かりました。

 岩の足場に仰向けに寝転んで、荒い息をつきます。

「まったく……」

 マフラーを顔の前に持ち上げて、キリンは溜息をつきました。マフラーがなければあのまま落ちていたでしょうが、同時にこのマフラーのせいで死にそうになったわけで、なかなか複雑な想いがあります。

 手をぱたりと下ろし、空を見上げます。陽は届かず、暗い日陰と微風が、汗を乾かしました。

 自分たちが落ちてきた地面も目に入りました。どうやら、崖沿いの大地が崩れ、セルリアン共々落ちてしまったようでした。通常境目の崖は補強されているのですが、彼女たちのいた部分だけ、朽ちていたようです。

 セルリアンはというと、谷の下の方へ落ちていったきり、音も聞こえません。彼女たちを見失ったのか、あるいは皆落ちてしまったのか、上の地面に残っている気配はありませんでした。

 寝転がったまま、ナマケモノが口を開きます。

「……これからどうする?」

「どうするって言われても……」

 上半身を起こし、辺りを見廻しますが、荒い岩壁が続いているだけです。

「――登るしかないんんじゃないかしら」

「……ほんき?」

 ナマケモノも身体を起こし、壁へ目を向けます。

 確かに壁は凹凸が多く、登れないこともなさそうです。しかし地面までは遠く、随分時間がかかりそうでした。

「いつだって、私は本気よ!」

「……ほかに経路はないかなぁ。大変だと思うけど」

「う~ん、例えば、どんな?」

「もっとこう、なんていうか……、賢い解決策というか」

 もごもごとそう言いましたが、特に良案が思い浮かんでいるわけでもありません。

「まあ、これも名探偵稼業の一環と思いましょう」

 元気づけるように、キリンが背をばしんと叩きます。

 対するナマケモノは溜息をひとつ。

「どこらへんが?」

「よく言うでしょう? 『探偵は手と足で稼げ』って」

「……それ、初耳」

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