見えないのは……

尾行の心得(前)

 樹々が鬱蒼と茂り、ところどころ陽の光が斑に射しこんでいます。

 ここは森林。その中に、ひと筋のみちがありました。そこだけ地面に草は生えていません。その上をいま、白い影がゆっくりと歩いていきます。

 ヤギ(推定)がロッジアリツカから出発し、図書館へ向かう最中でした。片手には、オオカミに託された原稿があります。図書館にいる博士に頼むと、本というものにしてくれるそうです。

 道が正しいかわからず、また目に映るものが新しく、彼女の足取りはのんびりとしたものでした。


 その、少し後ろ。

 道沿いの樹の陰に身を隠しながら、こそこそと彼女をつける姿があります。

「ぐうう……。こんな時ばかりはこのマフラーが邪魔になるわね」

 アミメキリンでした。長いマフラーをいつもよりぐるぐると巻きつけて、幹から出ないようにしていました。とはいえ、ヤギの様子を窺おうと、思い切り顔を樹の外に出しているので、あまり意味はないかもしれませんが。

「まあこれも名探偵の義務だし、仕方ないわ。私の推理が合っているかどうか、ちゃんと見届けないと……」

 そういった理由で――つまり彼女が本当にヤギか知るために、こっそりキリンは跡を追っているのでした。それならば一緒に行けば良いようなものですが、これは彼女の尊敬する探偵、「ギロギロ」の真似です。名探偵たる者、尾行をしなければならないと彼女は思っていました。


 と、気づくとヤギの姿を見失いそうになります。キリンは次に隠れる樹を捜しました。

「……よし」

 ひとこと呟いて、別の樹の陰に移ります。

 が、その飛び込んだ先。

 なにかと衝突し、キリンは尻もちをついて転んでしまいました。

「いたた……。ごめんなさ――」

 腰をさすりながら、キリンは顔を上げました。

「……ん。だいじょうぶ?」

 気だるげな顔が、彼女を見つめました。

 ふわふわとした髪。なんとなく、ぼんやりした雰囲気を漂わすフレンズです。キリンは立ち上がりながら、

「え、ええ……。あなたも大丈夫?」

「うん」

「…………」

「…………」

「……そ、そう。良かったわ」

 会話のテンポが合わず、キリンは誤魔化すように言いました。なにか話を繋げようとして、

「私、アミメキリンよ。名探偵なの」

「私はナマケモノ」

「…………」

「……名探偵じゃないよ」

「いや、それはわかるけど」

 額に片手をあてて、キリンはナマケモノ(有毛目フタユビナマケモノ科フタユビナマケモノ属)を観察します。ナマケモノ、といえば彼女も聞いたことがありました。ゆったりした動きが特徴のフレンズだったはずです。


 ふいに、ナマケモノが欠伸交じりに口を開きました。

「……あ、それと」

「なにかしら」

「私、セルリアンに追われてて……」

 ナマケモノの背後の茂み。枝葉の隙間から染み出すように現れるものがあります。

 キリンの目の前に、全身が透き通るような青をした、奇妙な形をした生き物が、姿を見せました。ひとつしかない真っ黒な瞳が、ナマケモノとキリンを交互に見ました。

「セルリアン⁉」

 驚いて、キリンの動きが止まります。セルリアンが不気味な音をたてながら、彼女たちににじり寄ってきます。

「……すぐそこでばったりと」

「あのねえ……」

 ナマケモノの暢気な言葉に、キリンは溜息をつきました。

 それで緊張がほぐれたのか、彼女はすっと戦闘態勢をとりました。落ち着いて見てみると、それほど大きな相手ではありません。

 よし、とマフラーに手を伸ばしかけますが、そこにマフラーはありません。いつもなら提げているはずの余った部分も、今は首に巻きついているからです。

「そうだ巻いてたんだった……なら」

「おぉ~」

 ナマケモノが見つめる先、キリンが脚を振り上げました。

「名探偵きっく!」

 セルリアンが吹き飛んで、樹の幹に叩き付けられました。その衝撃で急所の石にヒビが入ります。

 ぱっかーんと音を立てて、セルリアンは消滅しました。

 ぱち、ぱち、とナマケモノが手を叩きます。

「かっこいい~」

「でしょう? 名探偵の力、しかと目に焼き付けたかしら」

「…………」

「…………」

「うん、凄かった」

「で、でしょ?」

 キリンがふふんと胸を張りました。

「でもあなた、普段どうしているの? セルリアンに見つかった時……」

「……う~ん、樹の上でぼーっとしてるから、見つかったのは今が初めてなんだよね」

「え、嘘!」

「……嘘じゃないよ~」

 キリンは驚いて、ナマケモノの姿を眺めます。

 一度もセルリアンに見つかったことがない? つまりそれは……。

「あなた! 私に身の隠し方を教えなさい!」

 キリンはナマケモノに人差し指を突き付けました。別に相手は犯人でもなんでもありませんが、気分です。

 優れた名探偵になるためには、尾行の技術は必須。そしてセルリアンに一度も見つかったことがないというこのナマケモノは、パーク一の隠れ名人ではないか、とキリンは考えました。彼女の技術を手に入れれば、自らの名探偵としての格もあがることでしょう。

「ね、お願い!」

 さすがに指差すのはまずいと思ったのか、キリンは手を合わせて、頭を下げました。

「…………」

「ねえ!」

「…………」

「ね、ねえ……」

 ナマケモノの反応は、ワンテンポ遅れるどころか、ぜんぜん返ってきません。

「……ぐう」

「え?」

 キリンが顔を上げると、ナマケモノは瞼を閉じて、気持ちよさそうに眠っていました。

「ちょっと!」

 肩をゆすっても、全然ナマケモノは起きません。薄っすら微笑んで、いびきをたてるだけです。


 キリンは少し考えると、ナマケモノをおんぶしました。するとナマケモノの手が、意外にもがっちりと、彼女の身体を摑みます。

 キリンはすこし笑って、

「起きたらみっちり、尾行のやり方を教えてもらうからね!」


 その尾行する対象を、すでに見失っていることに彼女が気づくのは、もう少し後になりそうです。

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