卒業式に告白できない

告井 凪

卒業式に告白できない


 卒業式の日に、三年生の先輩に告白をする。

 僕、広瀬ひろせ友秀ともひでは決意を胸に、高校への道を走っていた。

 校門をくぐり――


「――っ!! 生徒会長!」


 高倉たかくら理佐りさ先輩の後ろ姿を見付け、僕は咄嗟に声をかけた。

 先輩がくるりと振り返る。


「広瀬君。おはよう」

「あっ、おはようございます」


 冷静に挨拶をされ、僕も目の前で立ち止まり挨拶を返す。

 焦るな、落ち着け。ゆっくりと呼吸を整える。


 目の前にいる高倉先輩こそ。僕が告白をする相手だ。

 髪の長い綺麗な先輩で、身長も僕より少し高い。クールな生徒会長。


「広瀬君。私のこと生徒会長と呼ぶクセ、直らなかったね」

「……つい。すみません、高倉先輩」


 高倉先輩が生徒会長だったのは、去年の秋まで。退任してからもうだいぶ経つのに、咄嗟の時についそう呼んでしまう。

 一年生の僕が先輩に名前を覚えられていて話もできるのは、僕が代替わりした生徒会に書記として入ったから。

 ……というのは表向きで、実はそれよりも前から先輩と話をするようになっていた。

 あれは――。


「それじゃ、私は行くよ」

「え! ま、待ってください先輩!」


 僕が黙ってしまったからか、先輩が立ち去ろうとしてしまう。慌てて呼び止めた。


「うん? なにか用かな?」


 朝一で先輩に会えたのは、今ここで告白しろということに違いない。

 本当は卒業式後がよかったけど、このチャンスを無駄にはできない。


「あのっ、高倉先輩――」

「あ~! 高倉先輩だ! 先輩っ、一緒に写真撮ってください!」


 ――突然横から女の人が割り込んできて、僕の声を遮ってしまった。


 よく見ると知ってる人だった。生徒会の二年生の先輩。二期通して会計を務めていて、高倉先輩とも仲が良い。

 高倉先輩も驚いてはいるけど、嫌ではなさそうだ。


「写真撮るのはいいけど、そういうのは卒業式の後にするものじゃないの?」

「卒業式あとだと先輩とツーショットなんて撮れませんよ。先輩、人気あるんですから」

「それってどういう意味? ……あ、その前に広瀬君。なにか用があるんだよね?」

「広瀬くん? あ、ごめんね、なんか割り込んじゃって」

「い、いえ、いいんです。よかったら、僕が写真撮りましょうか?」

「いいの? 助かるよ~」

「すまない、広瀬君」


 僕は先輩からスマホを受け取って、学校を背景に写真を撮る。

 正直僕も撮って欲しかったけど、スマホを返して二人と別れた。


 ……出鼻を挫かれた。

 でもこれはきっと、まだ早いってことなんだ。やっぱり告白するなら卒業式の後がいい。

 さっきチャンスだと思ったあれは、うん、間違いだったんだ。


 僕は拳を握る。手が震えているのが、情けなくて。



                  *



 先輩と別れてから、僕は今さらながら不安になった。


 ひとつ。会計の先輩が言っていたように、高倉先輩は人気がある。卒業式が終わったあと、さっきのように一緒に写真を撮りたいという生徒はたくさんいるんじゃないだろうか? 告白するチャンスがないかもしれない。


 もうひとつは、高倉先輩自身のこと。この後の卒業式で、先輩は……。


「あ、高倉先輩。やっぱりここでしたか」

「広瀬君……」


 体育館脇。人気の無い場所で、先輩はひとりでいた。

 なにをしていたのか想像が付く。


「先輩、答辞の練習ですか?」

「そうなんだ。最後の最後で、大仕事が待っていたよ」

「相変わらずですね」


 僕がそう言うと、先輩は腕を組んでため息をついた。

 先輩が生徒会長として舞台の上でスピーチをする際、必ずここで練習をする。

 僕だけだが知っている先輩の秘密だ。


「聞きましょうか?」

「そうだね……しかし……」


 先輩の練習相手として、僕がスピーチを聞く。

 それが僕と先輩の関係の始まりだった。だからいつものように提案したのに、先輩は顔を曇らせる。


「今日は、やめておくよ。最後だから、私ひとりでやり遂げてみせる」

「そうですか、ちょっとだけ残念ですけど……」

「一年間、君にはお世話になったね」

「一年……そうですね、最初は僕の入学式でした」


 先輩をここで初めて見かけたのは、なんと僕が入学した時だった。

 偶然先輩を見かけて、そのままスピーチの練習を一通り聞いてしまったのだ。


「あれには参ったよ。まさか聞いている人がいるとは思わなかったから」

「顔真っ赤でしたね」

「そこは忘れて……。お願い」


 クールで冷静沈着な生徒会長。完璧に見えて、実は人前で話すのが苦手という欠点があった。

 そのためここで入念に練習をし、頭が真っ白になっても喋れるようにしているという。

 ……それで完璧にスピーチができるのだから、すごいと思う。


「スピーチ練習に付き合ってくれた君が、生徒会に入ってくれたのは、正直嬉しかったよ」

「本当ですか? ……入れ違いになっちゃいましたけどね」


 先輩は三年生。僕は一年生。当然、僕が書記として入ると、先輩は退任してしまった。

 引継ぎ期間の僅かな時間、一緒に仕事ができただけだった。


「他の生徒会メンバーも、私がスピーチが苦手なことを知らないから。それを知っている人が近くに来てくれて、少しの間でも気が楽だったよ」

「高倉先輩……」


 これは……今なんじゃないだろうか?

 卒業式前だけど、今度こそ千載一遇最大のチャンスだ。

 僕は、高倉先輩に告白する。


「先輩っ!」


 ピリリリリリリ!


「ん? ごめん広瀬君、電話が……。母さんからだ」

「え、あ、はい。どうぞ、出てください」


 な、なんて古典的な。とはいえ、お母さんからの電話を出ないでくださいとも言えない。

 先輩はスマホに耳を当て、


「どうしたの? うん……道に迷った? 近くになにが……あ、そこを右に」

「あ、えーと、僕はこれで……。生徒会の仕事があるので」

「母さんちょっと待って。――本当にごめん、広瀬君」

「気にしないでください。ほら、早くお母さん誘導してあげないと」

「ありがとう。……おまたせ。学校見えた? 見えない?」


 僕はそっと、その場から離れた。


 強く、強く拳を握る。なんで、このタイミングで道に迷っちゃうんですか、お母さん。

 いえ、決してお母さんは悪くないです。僕が文句を言える立場でないこともわかってます。

 だけど……だったら、どこにこの複雑な気持ちをぶつければいいんだ?


「……落ち着こう。そうだ、先輩はこのあと答辞が控えてるんだ。やっぱり今じゃないんだ」


 ただでさえスピーチが苦手な先輩に、直前に告白なんてしたらそれどころじゃなくなってしまう。

 うん、やはり告白は卒業式の後。これはきっとそういうことなんだ。


 僕はそう自分に言い聞かせて、生徒会として卒業式の準備に向かった。



                  *



 卒業式は何事もなく終わった。

 高倉先輩の答辞は素晴らしかった。完璧だった。

 終わった瞬間に目が合ったのは……偶然ではないと思いたい。


「せんぱーい、わたしとも写真撮ってください!」

「待ちなさいよ、クラスメイトの私たちが先よ」

「待って! あんたたち教室でいっぱい撮ったんでしょ? 次は隣のクラスのわたしたち!」


 会計の先輩の予想通りだった。式のあと、高倉先輩は引っ張りだこだった。

 さすがにこんなにたくさん人がいる前で告白なんてできないし、連れ出すのだって無理だ。


「……そうだ、後で体育館脇に来て欲しいって伝えてこよう」


 近付いてそっと耳打ちすれば――。


「お、広瀬みっけ」

「――え?! 祐司君?」


 ぽんと肩を叩かれて振り返ると、そこにはクラスメイトの祐司君がいた。

 そういえば彼は、卒業式の手伝いに駆り出されていたっけ。


「おつかれさん。なぁ、駆り出された連中でメシ行こうぜって話が出てるんだ。広瀬もどうだ?」

「えぇ?! ぼ、僕はその……」

「なんだ? なにか用事でもあるのか?」

「まぁ、うん。ちょっとね」

「ははーん。もしかして、先輩に告白するんだろ?」

「なっ、なんで?! えぇ? ちちち、違うよ?」


 慌てて手をぶんぶん振って否定する。

 が、祐司君は目をまん丸くして驚いた顔になった。


「まじかよ、適当に言ったのに」

「だから違うってば!」

「そんな顔真っ赤にして否定されてもなぁ」

「うっ……!」


 しまった……。動揺し過ぎた。

 僕が言葉を詰まらせていると、彼はニヤニヤと笑う。


「そうかそうか。ま、野暮なことは聞かないからさ、終わったら来いよ」

「え? 終わったらって……?」

「慰めてやるよ。な? じゃ、連絡してくれな~」


 呆然とする僕に、祐司君は手をひらひら振って歩き去っていく。


「……って、フラれる前提かよっ」


 僕は小声で呟いて、先輩たちの方に向き直る。


「あっ……」


 先輩はたくさんの人に囲まれたまま、校門の方へと動き始めていて。

 もう、そっと声をかけるのも難しそうだった。



                  *



 結局先輩を呼び出せなかった僕は、ひとりで体育館脇に来ていた。


 高倉先輩が退任してスピーチをすることがなくなっても、僕らはここで会っていた。

 僕が生徒会の仕事のことで相談に乗ってもらい、先輩も今度は受験の面接練習を頼んできた。

 毎日ではなくて、週に一、二回。僕の学校生活で、一番楽しい時間だった。


 だけど先輩は卒業する。あの時間は終わりなんだ。


「広瀬君。やっぱり君もここに来たんだね」

「えっ……高倉先輩?!」


 ひとり感傷に浸っていると、後ろから先輩がやってきた。

 他に誰もいない。ひとりでだ。


「やっと抜け出せたよ。まさかあんなに写真を撮ることになるとは思わなかった」

「ど、どうしてここに?」


 声をかけて呼び出すことはできなかったのに。どうして先輩は来てくれたんだろう。


「私にとって、ここは思い出深い場所だからね」

「先輩……」


 そう言って先輩は、寂しそうな目をする。

 卒業する先輩は、もう、ここに来ることはないから。


「ところで広瀬君。私になにか用があるんだよね?」

「えっ、あ……はい」


 卒業式後に、思い出深い場所でふたりきり。

 今度こそ本当に。今しかない。


「高倉先輩っ」

「うん?」


 いよいよだ。電話もならないし、邪魔も入らない。

 先輩に想いを打ち明ける。告白するんだ。


「…………」

「……どうしたの?」

「あっ……いえ。高倉先輩、卒業おめでとうございます。言ってなかったなって、思って」

「ありがとう。……律儀だね、広瀬君は」

「先輩、この後はどうするんですか?」

「クラスメイトの何人かと、カラオケに行く話になっているよ。門の所で待ってもらっている」

「そうなんですか? じゃあ、急がなきゃ」

「……そうだね。それじゃ、私は行くよ」

「はい。楽しんできてください」


 先輩は僕に背中を向けて、体育館脇から出て行ってしまう。

 僕はその背中を黙って見送った。


「……僕は、どうして」


 告白できなかった。

 先輩に声をかけられるまで、声を出すことができなかった。


 今の関係が崩れるのが嫌だったとか、そういうのじゃない。

 ただ、自分の想いを伝えるのが怖くて。

 勇気がない、ただの意気地無しだった。



                  *



 一目惚れだった。

 クールで落ち着いていて、聡明な生徒会長。高倉理佐先輩。

 実は人前に立つのが苦手で、恥ずかしがり屋で。

 僕の前で顔を真っ赤にした先輩が、可愛くて。

 入学式の日の出会いは、運命だと思った。


 でも一年生の僕と三年生の先輩では、接点なんてなにもない。

 だからすぐに提案したんだ。スピーチの練習相手になりますって。


 一年間、本当に楽しくて幸せな時間だった。


 そしてそのすべての時間が、僕にとってチャンスだったんだ。


 想いを伝えるのは、いつでもできたはずだ。

 ふたりきりの時間はいくらでもあったのだから。

 なのに、ずっとなにもしなかった。


 そんな僕が、卒業式に告白ができるはずがない。


「先輩……」


 先輩のいなくなった体育館脇。

 今日先輩は、ひとりで練習をして、卒業式の舞台に立った。


「先輩はこの一年で、成長したんだ」


 僕は一年経っても変わらない。情けない意気地無し。


「そんなの……ダメだろ……っ」


 卒業式に告白する。最後のチャンスを棒に振ってしまった。

 その前にも何度かチャンスはあったのに、邪魔が入ったからと逃げていた。


 そんな意気地無しはここで捨てろ。

 そんな情けない男に、先輩の隣に立つ資格はない。


「先輩っ……!!」


 僕は駆け出した。

 先輩と別れてからまだそんなに経っていない。きっと校門の辺りにいるはずだ。


 走って、まだ残っていた生徒をかき分け、駆け抜けた。

 ようやく校門が見えた。何人か生徒はいるけど、先輩はいない。

 間に合わなかった? もうクラスメイトとどこかに行ってしまった?

 いいやまだ近くにいるはずだ。僕は足を止めず、そのまま校門を飛び出して――


「――高倉先輩っ!」


 学校を出てすぐ左に、生徒の一団。その一番後ろに、先輩の後ろ姿を見付けた。


「広瀬君……?」


 振り返った先輩が、僕の方へ歩いてくる。僕も先輩に駆け寄る。


「どうしたの? そんなに慌てて」

「はぁ、はぁ、はぁ……先輩に、どうしても……伝えたいことが、あって」

「私に……」


 荒い息を整えて、背筋をピンと伸ばす。

 先輩の後ろには、何事かと様子を窺っている先輩のクラスメイトたちが見える。

 同様に僕の後ろにも、声が聞こえたのか校門近くにいた生徒の足音が聞こえた。


 先輩はもう学校を出てしまった。これでは卒業式に告白とは言えないかもしれない。

 しかも周りにたんくさんの人がいる。意気地のない僕に、告白ができる状況じゃなかった。


 だけど僕は告白する。成長したところを先輩に見せるんだ。


「高倉先輩、僕はあなたが好きです。付き合ってください!」


 "おぉぉ~!”


 周りから歓声が上がり、だけどすぐに静かになる。

 高倉先輩の返事を聞き逃さないためだろう。


 見ると、先輩の顔は徐々に赤く染まっていき、僅かに俯かせてしまう。

 先輩は小さく口を動かして囁く。周りがどれだけ静かにして耳を立てても、僕だけにしか聞こえない声で。


「……よかった。来てくれないかと思った」

「えっ……?」


 先輩は真っ赤な顔を上げて、今度はよく通る声で、


「私も君が好きだよ。……こんな私でよければ、よろしくお願いします」


 笑顔で、そう答えてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

卒業式に告白できない 告井 凪 @nagi_schier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ