あまいかじつ

闇来留潔

第1話 あらいさん~ろっじ~ふぇねっく

「すごいのだ! 『かばんさん』と会えるとは思わなかったのだ!」

 巨大セルリアンとの対決を控え、七人のフレンズが岩場で集まっている間、アライさんはずっと興奮していました。

「アライさん、さっきからそればっかりだねえ」

 フェネックさんが右の口角を少しだけ上げて微笑みます。

 夕暮れの色は濃く、『その時間』は次第に迫っていました。船に誘導して、セルリアンを海に落とすなんて――そんな風に上手くいくのかな、とぼくは心配でなりません。

 キンシコウさん、ヒグマさん、リカオンさんの三人は、岩場から少し離れ、夜までの間、少し体を動かしてくる、と近くの森に行きました。さっきセルリアンに負けたことがよっぽど悔しかったようです。三人とも気合十分、とても頼もしいです。

「だって! かばんさんはすごいのだ! かばんさんが言うまで、キタキツネもギンギツネも、アライさんもこれが脱げるなんて知らなかったし、『おんせん』の危機も救ったし、おっきな川では、かばんさんの作った橋? のおかげで助かったのだ! かばんさんは命の恩人なのだ!」

「そーでしょそーでしょ! かばんちゃんってすっごいでしょ!」

 サーバルちゃんが身を乗り出します。

「すごいのだ! あんなおっきな橋を作るの、どうやったのだ?」

 あのねあのね、とサーバルちゃんが話を始める。コツメカワウソさんと、ジャガーさんと一緒に、大きな川に橋を架けたこと。サーバルちゃんはその話をする間、何度も何度も、ぼくのことをすごいと言ってくれた。こんな僕には、もったいない言葉だけれど。

「すごいねー、大活躍じゃないかー」

 少し間延びしたフェネックさんの声が響きます。

「いやあ……」

 ぼくは恥ずかしくなって、思わず後頭部に手をやります。

「そうなのだ!」

 その時、アライさんがはたと立ち上がって、ぼくの顔を覗き込んだ。

「きっと頭の良いかばんさんなら、あの謎も解いてくれるに違いないのだ!」

「あー、あれねー」

「えっ、なになに? どんな話?」

「そうなのだ。アライさんたちは、『ろっじ』にいたときに、幽霊に襲われたのだー!」

 ぼくとサーバルちゃんは顔を見合わせた。

「えっと……それはたぶん……」

「サーバルちゃん、言おうとしていることは分かるけど、たぶん、違うと思う……ラッキーさんがいないと、幽霊は出現しないはずですから」

 厳密にいえば、ラッキービーストは何体もいるみたいなので、全く同じことが起こらなかったとは言えないと思います――でも、『ろっじ』で同じことが起こったなら、さすがにタイリクオオカミさんたちも気付くでしょう。そうなっていないのだから、きっと違う原因だと考えられます。

「あ、そっか! じゃあ、今度こそ本当に幽霊……?」

 サーバルちゃんはぶるぶると震える。

「勘違いか何かじゃないの!?」

「そんなことはないのだ!」

「まあ、たぶん勘違いなんだけどねー」

 幽霊……まさかそんな事件がまた起こるなんて。

 お日様が、遠い遠い地面に没しようとしています。あの火の玉がどんどん下がっていくと、夜が来ることをぼくたちは知っています。夜が来たら、幽霊よりも怖いものと、自分たちが戦わなければならないことも。

 でも、それまでにはまだ時間があります。

「かばんさん! お願いなのだ! 本当に本当に怖かったのだ! かばんさんに、あの幽霊の正体を教えてほしいのだ!」

 アライさんの剣幕に、ぼくは思わずうなずいた。

「ええと……じゃあ、やれるたけ、やってみましょう」


     *


 アライさんとフェネックは、二人でずっと旅をしてきたのだ! 帽子泥棒を追いかけて――わかってるのだフェネック! それはアライさんの勘違いだったのだ……。

 それで、かばんさんたちを追って、『ろっじ』に着いたのだ。

 アリツカゲラと、タイリクオオカミと、アミメキリンがいたのだ。帽子の話を三人にした後、少しだけ『ろっじ』で休むことにしたのだ。アライさんたちも疲れたのだ。

 部屋は『ふわふわ』にしたのだ! ハンモック? でゆらゆら揺れると、水の中にいるみたいでとっても気持ちよかったのだ。ぐらぐら揺らして遊んでたら、一回落ちちゃったけど楽しかったのだ。かばんさんも今度やってみると――わかってるのだフェネック! ちゃんと幽霊の話もするのだ……。

 事件はその夜に起こったのだ。アライさんはハンモックがとても気持ちよくてお昼寝しちゃって、ご飯を食べそびれてしまったのだ。アライさんはおなかが減って、ジャパリまんを盗み食いしに行って……どうしてサーバルは目をそらしているのだ?

 そしたら、台所に入った途端、何かが落ちてきたのだ。白い煙、みたいなものが襲ってきて、もくもくってなって、アライさんはとても苦しかったのだ。

 アリツカゲラに聞いたら、それは、『こむぎこ』というもので。はかせたちのところからもらってきたけど、『りょうり』の仕方が分からなくて使いあぐねていたらしいのだ。

 台所の入り口は一つだけで、内側に開く扉があるのだ。幽霊は、その扉を少しだけ開けて、扉の上に袋を開けた『こむぎこ』を載せておいたのだ。つまり、アライさんがそれを開いたら、いま言った『こむぎこ』が落ちてくるようになっていたのだ。

 これは、帽子泥棒を追わせないための、誰かの仕業に違いないのだ……そう思って、フェネックをすぐに起こしに行ったのだ。何度も言わなくてもわかってるのだフェネック、帽子泥棒は勘違いだったけど……。

 アライさんはすぐにみんなに聞いて回ったのだ。アリツカゲラ、オオカミ、キリン、この三人の中に幽霊がいるはずなのだ。そしたらびっくりしたのだ! 三人は、ずっと一緒にいて、シンリンオオカミの新しいマンガを読んでいたというのだ!

 三人とも一緒にいたなら、誰にも『こむぎこ』を仕掛けることは出来ないのだ……そんなことはありえないのだ。だから、もうこれは、『ろっじ』にいた幽霊の仕業に違いないのだ!


 アライさんは何としても幽霊を見つけ出すと決めたのだ……。でも、その夜はもう遅かったからフェネックのハンモックに入って一緒に寝たのだ。こ、怖かったわけじゃないのだ!

 そうして、その次の朝に事件は再び起こったのだ。アライさんは目覚めると――フェネックは朝はねぼすけさんなので、起きるのはアライさんの方が早いのだ――フェネックを起こさないように、慎重にハンモックを降りたのだ。

 そうしたら――『ふわふわ』には四つハンモックがあるけど――アライさんが寝た隣のハンモックの下に赤いものがたくさんバラまいてあったのだ……。それは『とまと』で、これもはかせたちからもらったものなのだ。その『とまと』がいくつも潰れていて、赤いじゅうたんの上に散らばっていたのだ。『とまと』は食べるものだってわかってるけど、潰れて、赤いのとか、緑色のとか、バラバラになっていると、なんか怖いのだ……。

 アリツカゲラとタイリクオオカミ、キリンに話を聞いたら、またおかしなことが分かったのだ。『ふわふわ』の部屋にかかる鍵は、アライさんがちゃんと持っていたのだ! だから三人は部屋の中に入って、『とまと』を置くことは出来なかったのだ……。

 こんなの絶対におかしいのだ! 幽霊も、『とまと』なんか潰して、何がしたかったか分からないのだ! アライさんは食堂でご飯を食べながらいっぱい頭を悩ませたのだ――ご飯はおいしかったのだ、『かんづめ』っていうもので、そこに『おさかな』がいっぱい入っていたのだ。『かんづめ』はちゃんと開けてあって、アライさんのために用意してあったのだ。アリツカゲラは気が利くやつなのだ。『おさかな』は何だか懐かしい味がしたのだ――絶対に、誰か、六人目の人物がいるに違いないのだ。

 その時、タイリクオオカミが食堂に入ってきて、アライさんの方を見るなり全速力で逃げていったのだ! 何か知っているに違いないのだ! アライさんは追いかけたのだ、一生懸命追いかけたのだ、でもダメだったのだ、オオカミの足は速すぎるのだ……。


     *


 それでー、とフェネックさんは続けました。

「アライさーん、確かに幽霊のことも気になるけど、帽子泥棒も追わなくちゃだめだよー、先に山に着かれちゃうよー、って、言ったんだよね」

「そうなのだ……だからオオカミを追うのを諦めて、かばんさんたちのところまでやって来たのだ」

 それで、とアライさんは続けた。

「かばんさん、これはどういうことだったのか、教えてほしいのだ!」

「うーん……」

 僕は思わず首をひねってしまいます。どうにも要領の得ない話で、そんなことをする動機が、誰にあるようにも思えないからです。

「何個か、聞いてもいいですか?」

「いいよー。私も覚えている範囲で協力するよー」

「ハンモックの下に『とまと』が潰してあったらしいですけど……そのハンモックは四つのうちのどれでしたか? つまり……アライさん自身が使っていたハンモックだったりしませんか?」

「どういうことなのだ?」

「アライさんはその日、フェネックさんと一緒に寝たんですよね? つまり、もともと寝ようと思っていたハンモックの下に、その『とまと』があったんじゃないですか?」

 アライさんが身を乗り出した。

「そういえば、そうだったのだ! 幽霊のやつ、やっぱりアライさんを狙っていたのだ!」

「えっと……じゃあ、アライさんが翌日に食べた『かんづめ』はどんなものでしたか?」

「『おさかな』がいっぱい詰まっていたのだ。一緒に食べたフェネックは何だかいやそうな顔をしていたのだ」

「いやー、だってねー」

「だって、なんなのだ?」

「まあ、まさかあそこまで感覚が鈍いとは……いや、何でもないさー」

 全然わけが分からないのだ、とアライさんはむくれました。

「フェネックさんは何を食べていましたか?」

「私はジャパリまんを食べてたよー」

 ぼくは頷いた。

「サーバルちゃん」

 ぼくはサーバルちゃんの耳元に口を寄せて、ちょっとした伝言をします。

「それで、かばんさん、何か分かったのだ?」

「はい。たぶん、アリツカゲラさん、キリンさん、タイリクオオカミさんが三人で仕掛けた、いたずら、だと思います」

「三人!?」

 アライさんは目を丸くしました。

「そうです。最初の『こむぎこ』の時、アライさんは三人がずっと一緒にいたから、犯人であるはずがないと言いましたが、三人とも犯人なら何の問題もありません。それに、アライさんが鍵を持っていたから『ふわふわ』の部屋に『とまと』を置けたはずがない、ということでしたが、アリツカゲラさんは、あそこの『ろっじ』の管理をしているので、合鍵を持っていると思います」

「あいかぎってなんなのだ?」

「えっと、アライさんが持っていた鍵と、そっくりなのを持ってたんです」

「えっ! それじゃあアライさんたちの部屋に入れちゃうのだ!」

「でもさー、どうしてそんなことするのさー」

「きっと、タイリクオオカミさんの新作の実験をしていたんじゃないかと。タイリクオオカミさんは幽霊の話が好きみたいでしたし、キリンさんとも意気投合していました。きっと、二人に流される形で、アリツカゲラさんも協力したんじゃないかと」

 なるほどね、とフェネックさんは答えました。

「そうに違いないのだ! かばんさんはやっぱり偉大なのだ! タイリクオオカミがあの時逃げたのは、自分が犯人だったから気まずくなったのだ! フェネック、今すぐ『ろっじ』に戻って、三人を問い詰めるのだーッ!」

「アライさーん、いまは、あのセルリアンを何とかしないと、ダメだよー」

「あっ、そうだったのだ……」

 アライさんは意気を削がれて、しょんぼりした顔をしましたが、すぐにぼくの手を握ってばあっと顔を輝かせました。

「でも! かばんさんのおかげで助かったのだ! ずっともやもやしていたことが分かったのだ!」

「う、うん。ぼくも良かったよ」

「よーし!」

 サーバルちゃんが立ち上がった。

「じゃあじゃあ、夜までの間、ちょっと体を動かしてこない?」

「賛成なのだ!」

 アライさんとサーバルちゃんが連れ立って、キンシコウたち三人がいる森の方に歩いていく。アライさんがくるりと振り返って、首をかしげました。

「フェネックはどうするのだー?」

「あたしはまだ疲れてるから、ここでお休みしてるよー」

「わかったのだ」

 アライさんは少し不満そうな顔をしながらも、サーバルちゃんについていきました。

「……ね。アライさん、純粋でしょー」

「……はい」

「かばんさんさ。三人共犯っていうのはまあまあだけど、質問したことと関連してないのはいただけないよー。三人共犯説だと、アライさんがもともと寝ようとしていたハンモックの下に『とまと』がある意味がないじゃないかー。新作の実験をしたいだけなら、私のハンモックの下でも良かったはずさー」

「……はい」

 ぼくは深く長い息をつくと、フェネックさんに向き直って言いました。

 お日様が今にも沈みそうで、岩場はあかあかと燃えるような色をしています。彼女の右の口角は少し上がっていて、皮肉そうな笑みを浮かべていました。でもその瞳が、森の中に分け入ったアライさんの背中を切なそうに見つめているのに、僕は気付きました。

「フェネックさん、犯人は、あなたですね」


 フェネックさんはそう指摘されると、ふうっと力が抜けたように岩場にもたれかかって、けだるそうに微笑みました。

「……まあ、それ以外に誰がいるのか、って話だよねー」

「そうですね」

 その笑みを見ていると、少しだけ心が軽くなります。

「ここから先の話を聞かせるか迷ったから、嘘の解決をつけて、アライさんをよそにやったんでしょー」

「はい。サーバルちゃんに頼みました。ぼくが話し終えたらアライさんを連れ出してもらえるように、って」

「はは、おぬしもわるよのー」

 ぼくはちょっとだけ咳払いして説明を続けます。

「『こむぎこ』の一件の時、シンリンオオカミさんたち三人はずっと一緒にいたから、仕掛けを用意できない……でも、アライさんはハンモックが気持ちよくてお昼寝をしたと言っていました。つまり、その昼寝の間、フェネックさんは自由に動けました。ご飯を食べ損ねたアライさんが台所を覗くのも、予測できないことはないでしょう」

「それで、『とまと』はアライさんがハンモックから降りたときにかかるようにセットしたものだねー。いやー、まさか一緒のハンモックで寝ることになると思わなかったからなー。あの仕掛けを作った後で、アライさんがハンモックに潜り込んできたときは、残念だったけどドキドキだったよー」

 で、とフェネックは促す。

「私はどうして、そんなことをする必要があったのかなー」

「一度目の事件は『こむぎこ』、二度目の事件は『とまと』……これだけでは、材料に欠けました。どんな共通点があるのか分からなかったからです。でも、もう一つの事件が見えてくると、少し全体像が見えてきたんです」

「ほう、もう一つ、それは何かなー?」

「『かんづめ』です。フェネックさんが先ほど言った、『まさかあそこまで感覚が鈍いとは』って言葉が気になったんです。単に、『鈍感』と言いたいだけなら、『あそこまで鈍いとは』で十分なはずです。でもあの時、フェネックさんは『感覚』が鈍いとあえて言いました。だから、味覚とか、聴覚とか――何かの『感覚』それ自体が鈍いと言いたかったんじゃないかと思ったんです。食べ物のことですから、味覚かと思いましたけど、アライさんが『かんづめ』を食べているとき、フェネックさんはジャパリまんを食べていたそうですから、味覚が鈍い可能性は消去されます。食べているときに、視覚、聴覚、触覚の話が絡むとも思えません。

 フェネックさんは、アライさんがそれを食べている間いやそうな顔をしていたそうですね。それだけでは分からなかったですが、タイリクオオカミさんが全速力で逃げた、という情報から閃いたんです。タイリクオオカミさんは、サーバルちゃんと同じで……とても、鼻が利いたんじゃないかって」

「なるほどね。つまり……」

「はい。『かんづめ』からは強力な『におい』がしたんじゃないか、と。つまり、嗅覚が鈍い、とフェネックさんは言ったんです」

「ふんふん。じゃあ、『こむぎこ』『とまと』『におうかんづめ』……そこから、どんな共通点が分かるっているのかな?」

「『こむぎこ』は白い粉がもうもうと舞ってきます。『とまと』はハンモックから何気なく降りていたら、服が汚れてしまったでしょう。アライさんがはしゃいでハンモックから落ちた、という話がありましたよね。夜中に寝相が悪ければ、そういったことで『とまと』の海に落ちることもあり得ます。つまり、フェネックさんは、アライさんの服を『汚す』ことが目的だったんです」

「やだなー、なんだかそれだと、私が意地悪なやつみたいじゃないかー」

「はい。ぼくの思考は、一回ここで止まったんです。汚すことに何の意味があるんだろう、って……。『こむぎこ』の白い汚れと『とまと』の赤い汚れではだいぶ違いますし。でも、ここに『かんづめ』のにおいを絡めたら分かったんです。においは、服を目に見える形で汚しません。でも、においがついたら……一度、洗いたくなりますよね」

 ぼくの中には、服が汚れたら洗いたい――という発想がなんとなくありました。この旅の途上では、大変なことばかりで、そんな余裕はなかったけれど。アライクマのアライ、というのは、「洗う」動作をするところから来ているらしいし、他のフレンズさんよりも「洗う」という発想を思いつきやすいフレンズさんだった可能性はあります。

「……アライさんね、酔うと洗い上戸になるんだ」

 洗い上戸、というのがよくわかりませんでしたが、フェネックさんがほとんど答えを認めてくれたことに気が付きました。

「つまり、フェネックさんはアライさんにアライさんの服を洗わせたかったんです――」

「半分正解ー、ぱんぱかぱーん」

 フェネックさんは力のない拍手をします。

「半分、というと?」

「あれれ、かばんさんは、分かってるんじゃないかなー。だって、服を洗わせたかった、だけじゃあ、あんなことまでする理由にはならないよー。ヒントは、かばんさんの旅路を、私たちも辿ったことかなー」

 本当は、言われるまでもなく分かっていました。それを言い出すのは、なんだかとても気恥ずかしく、もし外れていたら、フェネックさんの名誉を傷つけると思っていたから、ためらっていたのです。

「……他のフレンズさんが、人前で勢いよく服を脱ぐのを見ると……ぼく、なんだかそれって、とても恥ずかしいことなんじゃないか、って思うんです。でも、サーバルちゃんたちは全然気にしてなくて、ぼくにも脱ぎなよ、って声をかけてきて……だから、ぼくが間違ってるのかな、ってたまに思います。それでも、恥ずかしいっていう気持ちが、後ろ暗い気持ちが、あるんです」

 フェネックさんは静かに目を閉じました。

「フェネックさんは、ぼくらの旅路を辿りました――だから、『おんせん』に入ったと思います。そこで、アライさんの裸を見たんですね。……アライさんの服を汚して洗わせることで、もう一度、それを見たいと思ったんですね」


 もうすぐ、夜がそこまで迫っていました。

 こんな謎解きなんて、するべきじゃないと思いました。だけど、フェネックさんに寄り添ってあげられるのは――きっと、服について同じ気持ちを持っているぼくしかいないんです。そう言い聞かせて、ぼくは自分を奮い立たせました。

「フェネックさん、でも、それは決して――」

「私ね。この気持ちがなんなのか、全然分からないんだー」

 フェネックさんが間延びした声で言って、僕ははっと言葉を止めた。

「あの時のことを思うと、胸が、きゅうって、苦しくなるのさー。すべすべしていて、白くて。私の体も似たようなもので、あそこには、ギンギツネも、キタキツネもいたのに、アライさんのことを考えるときだけ、違う感じになっちゃったんだ」

 ぼくは、何と言えばいいのか分かりませんでした。もし、サーバルちゃんたちが「服」が脱げることを知らずに過ごしてきたのなら、「そういうこと」との葛藤は味あわずに済んだのかもしれません。

「何だかさ、それからずっと分からなくなっちゃって。こんな気持ちを抱いてたら、アライさんに悪いよ、って思うのに、全然止められないんだー。もう一度見たくて、出来れば……なんて思ったりしてさー。アライさんさ、さっき話してる時も、全然、私のこと疑ってなかったでしょ? 最初っから、私のことは容疑者にも数えてないし、私はずっと一緒にいてくれるって、心の底から、信じてるんだよ」

 たまにね、とフェネックは続けた。

「アライさんが明後日の方向を向いていて、良かったー、って、思うんだ」

 そこまで言うと、フェネックさんは長い息を吐いた。

「こんな話して、ごめんねー。でも、誰かに聞いてもらえて楽になったよー」

「いえ……」

「私もアライさんに嘘つくのつらくてさー。あんなことしなきゃよかったよ。やー、反省反省」

 さびしそうなフェネックさんの目を見ながら、ぼくはうつむいて考えました。

 ――本当にぼくは、フレンズさんたちの助けになれているのでしょうか?

 カレーを作るために火を使ったとき、サーバルちゃん、はかせさん、じょしゅさんが、怖そうな表情で見つめていたことを思い出します。ヒグマさんは大丈夫だったようですが、ほとんどのフレンズさんは、火が怖いみたいです。それを平然と使えてしまうぼくって、何なのでしょうか?

 確かに、服を脱いで『おんせん』に入るのは、サーバルちゃんが言ったように気持ちのいいことかもしれません。でも、ぼくがあんなことさえ言ったりしなければ、フェネックさんだって今こうして、思い悩んだりしなかったはずです。

 本当にぼくは、フレンズさんたちにとって必要な存在なのでしょうか?

 本当にぼくは、自分はお客さんじゃないと言い切る資格が――あるのでしょうか?

 それを考えると、ぼくは胸が苦しくなります。今すぐここから逃げ出したくなります。

「でも、さ」

 フェネックさんの声に、顔を上げました。

「私も、アライさんのこと信じてるんだよー。どんな時でも、『アライさんにまかせろ』って、アライさんは力強く言ってくれるんだ。どんなに明後日の方向向いてても、アライさんは全力疾走なのさ。いつも、何とかしてくれるって、信じてるんだ」

 フェネックさんは胸のあたりを掴むと、目を閉じて言いました。

「この気持ちも、いつかきっと解決してくれるって、信じてるんだ」

 そうだ。

 ぼくも信じています。

 こんな、見るからにだめなぼくを、ここまで見守ってくれたサーバルちゃんを――いつも、ぼくのすごさを見つけてくれたサーバルちゃんのことを、ぼくも信じています。

 フェネックさんは照れたように頬を掻きました。ぼくは彼女を目を合わせて、ふふっと微笑みます。

「フェネックー! かばんさんと何のお話をしてるのだー! アライさんにも、聞かせるのだー!」

「かばんちゃんかばんちゃん! 今日、すっごく爪の調子が良いよ! 絶対に、かばんちゃんと一緒にあのデカいのやっつけちゃうんだから!」

 アライさんとサーバルちゃんが森から帰ってきて、一気に岩場が賑やかになります。アライさんの質問をはぐらかしながら、フェネックさんは何だか楽しそうです。

 ほどなく、夜がやってきました。

 ぼくは信じています。きっと、どんな困難も――彼女たちとなら、何とかできるって。

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