機械の話

 この世界を表現するには<荒廃>という言葉だけで十分だった。建物は、全て崩れ去り鉄筋を剥き出しにしている物もあれば、かろうじで原型を留めている物もある。しかし、どれも廃墟と化していしまい、命の温かさは当の昔に消えてしまった。あるとすれば無機質な銃弾の後だけだ。

 僕は、今日もたった一人で荒廃した世界を歩き回る。脳内にプログラムされた、たった一つの命令を全うするため、錆びついた歯車に鞭を打って歩き出すのだ。


 機能を失った純粋な世界の青空の下で、毎朝、駅だった場所に行く。そこには、ボロボロの掲示板が、ぽつんと世界の皮肉みたいに佇んでいる。

 僕は、そこに自己紹介を書いた。

 長く続いた戦争が終焉を迎え、僕を作った博士が組み込んだプログラムが起動して、僕の中で、ある計画が始動した。博士が生きている頃、彼はその計画を「ハッピーヒューマンプロジェクト」と呼んでいた。そして、それと一緒に「わしら人間は、幸せにはなれん」と口癖みたいに言っていた。

 <ハッピーヒューマンプロジェクト>の最初の目標は<学び>だった。明確な指示がなく戸惑ったが、僕が学ぶべきものは<人間>なのだと導き出した。

 僕の中には、大量の知識がある。世界の重要役人の名前を瞬時に答えることが出来るし、戦況を把握し二秒で1000通りの戦術を導き出すことが出来る。だが、たった一つ<人間>は知りえなかった。

 そして、最初に学んだことは<あいさつ>だった。

 だから、看板に自己紹介を書くのだ。

【こんにちは。 僕は、自立式戦闘兵器です。 <名前>という物はありませんが、博士からは「ラッキー」と呼ばれていました。 毎朝、ここに来るので人間に会えたら友達になりたいです】

 上出来だと思う。人が、他者を認識するのに必要な最低限の情報は「名前」「身柄」「性別」だと学んだ。その結果から導き出せた最適な自己紹介が、これだと思う……きっと。自信はない。今までなら自分が導き出した答えは、その場の状況が解答のようなものだった。だが、今の状況は、正解も不正解も与えられていない。

 僕は、返事のない掲示板を指で撫で、また、歩き出す。

 今日は、どこに行こうか。今日は、人間に会えればいいな。

 と思いながら。


   *


 晴天だった空は、機嫌を損ねて雨を降らした。雷鳴が響き、責め立てるように雨音が体を打ち付ける、そんな雨だった。

 僕の身体は、銃弾をも跳ねのける金属で出来ているが、時間の経過と戦後の酸性雨には勝てなかった。だが、それは<死>を知ることのできない僕の疑似体験とも言え、学べることに誇らしく思うと共に恐ろしくもある。

 軋む錆びた関節が悲鳴を上げる。痛覚はない。だが、痛かった。

 逃げるようにして墜落した爆撃機の羽の下へと腰を下ろし、空を見上げた。鉛のように重そうな雲の中で、時折、雷が光り、遅れて鈍器で殴られたような雷鳴が響く。僕は、足を抱えるようにして座り、朽ちた爆撃機へ寄りかかる。すると、灰色の汚れた世界には似つかわしくない純白の白を見つけた。膨大な知識からその白を検索したが<花>としかでなかった。

 兵器である僕にとって、潔癖なこの白の知識を持つことは無意味なのだ。

 ぬかるんだ地面に咲く一輪の白い花に水滴が垂れ、小さくて弱弱しい花弁を叩きつける。

 その時、僕の中のプログラムが書き換わった。<学ぶ>と冷凍状態だった<殺せ>という命令が綺麗に削除され、たった一つ<守れ>と命令される。

 守る――これは、どういう意味なのだろう。自衛という意味ならば、生きるために他者を<殺せ>の言い換えなのだろうか。それとも、今まで蓄えた膨大な知識を守れということなのだろうか。どちらにせよ、僕には、冷酷な朽ちかけの身体と感情を持たない心しかない。

 これから、この命令をどう解決するべきなのだろう。

 そんなことを考えながら、小さな一輪の白い花の上へと屋根代わりに手をかざす。水滴に打たれ垂れていた花弁は、起き上がり美しく咲き誇る。

「僕には、<守れ>の意味が分かりません」

 底の見えない思考の中に自分を投げ入れ、最期の命令を考え続けた。ずっと、ずっと、ずっと……ただ、この美しい花が枯れないことを願いながら。

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