第16話 梅雨明け、そしてはじめての夏3

「えっと、怒ってたんじゃないの?」


 おずおずと尋ねると、彼はきょとんとした顔であたしを見た。


「なんで?」

「だって、あたしが小学校へ行ったりしたから」

「はじめて菜月から会いに来てくれて、すごく嬉しかったけど」

「でも、出くんに名前を聞こうと……」


 彼はポリポリと頭をく。


「名前がわかんなきゃ、探せないからだろ。それだって、元はといえば、最初に名乗んなかったオレが悪いんだし。怒る理由なんてどこにもないじゃん。むしろ菜月のが怒ってたんじゃないの?」

「怒ってないよ。怒ってない」


 安心したら膝の力が抜け、道路にしゃがみ込んでしまった。


「菜月っ?」


 慌てて近寄ってきた彼を、あたしは見上げる。


「よかった。嫌われたかと思ってたから」

「なんで? 嫌いになるわけないじゃん。オレは菜月が好きなんだから」


 眩しい笑顔。

 胸がきゅっと締め付けられるような、それでいてふんわり温かくなるような。

 ああ、やっぱり……。


「あたしも翔大くんのこと、好きだよ」


 口からすっと言葉が出た。

 でもそれは、まがかたなきあたしの本心。

 いつからなんてわかんないけど、気付いたら好きになっていた。


「えっ? えっ! それって、えっと、あの、おっ……男として好きってことでいいの? いや、別に、人としてとかでも、全然嬉しいけど」


 自分は平然とすごいこというくせに、彼は真っ赤な顔で狼狽うろたえている。

 そういえば、はじめて告白されたときも、赤くなっていたっけ。

 そういうとこ、すごく可愛いっていったら、キミは怒るかな。

 なんだかとても楽しくて、自然と笑いが込み上げてくる。


「あー、それはどっちだろう。考えたことなかったな」

「ええっ、そんなぁ」


 さんざんヤキモキさせられたし、いつも振り回されてたんだから、これくらいの意地悪いいよね。


「まあ、少なくとも、あたしが知ってる男子の中では、今キミがナンバーワンだから」

「菜月っ」


 いきなりぎゅっと抱きしめられて、今度はあたしが慌ててしまう。


「待って。あたし、汗まみれだからっ。ベタベタするし、汗臭いかも」

「それなら、オレだって汗だくだよ。こんだけ暑い中、飛び出してきたんだし」


 確かに、今も、太陽がギラギラと照り付け、焼け付くような暑さだ。

 やかましい蝉の声に混じって、かすかに祭り囃子ばやしが聞こえる。


「そういえば、あたしもワカちゃんにカバン押し付けて、飛び出してきちゃった。どうしよう」


 呟くと、彼はあたしから離れ、すっと手を差し伸べてくる。

 あたしと大して変わらない、小さな手。

 でも、これからきっと、どんどん大きく逞しくなっていく。


「大丈夫。オレがなんとかするから、とりあえず戻ろうぜ。このままじゃ熱中症になる」

「だね」


 あたしはその手を取って、立ち上がった。

 そして、そのまま、二人並んで歩き出す。


「そういや、菜月はなんでうちに?」

「ああ、ワカちゃんに誘われたんだよ。一緒にお祭り行って、そのあとお泊まりしないって」

「ええっ! 菜月がにお泊まりっ!」

「それは、まあ、間違ってはいないけど……」


 その言い方はちょっと、誤解を招くというか……。


「そっか。お泊まりかお泊まり。羽奏、グッジョブ! 菜月の手料理食べたり、浴衣やパジャマ姿も拝めるってことだよな。それから、菜月の入ったあとの風呂に入ったり、いや、ここは一つ勇気を出して、ラブコメにありがちな “お風呂でドッキリ” にチャレンジとかどうだ。あとは、部屋間違えたふりして夜更けに……」


 こらこら、ガキんちょ。

 心の声、だだ漏れてるから。


「そういえば、この間の水族館、今度一緒に行かない? ゴハンはあたしが奢るから」


 彼と迎える、はじめての夏。

 やりたいことは、たくさんある。

 でも、大丈夫。

 夏休みはまだ、はじまったばかりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はじめての夏 一視信乃 @prunelle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ