第32話 追跡者たちの事情

 上空に黒い影が飛んで行くのを見て、ガジンは舌打ちをした。


「あの鷹が、どうかしたんですか」

「〈影〉が連絡用に使う鷹だ。この先は網を張られている」


 町で準備を整えて、主要な街道から外れて山間の村々を通っていたが、とうとう包囲網を敷かれてしまったらしい。

 日が暮れ始めている。そろそろ野営の準備をしなければならないが、敵が周囲にいるかもしれない中、眠りに落ちるのはリュウモも勘弁したい。


「今日はここで野営しませんか?」


 リュウモは提案した。これ以上先に進めば網にかかるだけだからだ。だが、ガジンはあまりいい顔をしなかった。


「いや、ここは〈竜域〉に近い。小さくとも危険だ。もうすこし先に行けば、村がある」

「でも、待ち伏せされてるんじゃあ……」


 〈影〉の驚異的な後追いの技術は、リュウモ自身、体験してわかっていた。ガジンは、彼らの力を理解したうえで村に向かおうというのだ。たとえ、どれだけ追跡の手が伸びてこようと〈八竜槍〉の前では意味がない。見つけたとしても、捕えられなければかまわないのだ。


「そのときは、まあ、倒すしかあるまいな」


 選択肢は、ひとつしかない。ガジンの中では、であったが。リュウモは〈竜域〉の方向を指さした。


「あそこなら安全です」

「あそこ? ――まさか……〈竜域〉へ?」


 リュウモはうなずいた。『外』の人々は〈竜域〉に恐れて近寄らない。どこの生まれであろうと徹底して教え込まれるのだと、クウロは言っていた。ならば〈影〉 とて例外ではない。むしろ、国の事情をよく知る彼らだからこそ余計にためらうはずだ。


「〈影〉の人たちもあそこまでは追って来ないはず――だと思うんですけど」


 あまりに常識外れな提案に、思わずガジンは唸っていた。リュウモの案に一理あると感じたからだろう。


「確かに、入っては来ないだろうが……。それは安全ではないからだ。裏をかけるのは事実だが、余計な危険が迫るのは避けたい」


 ガジンの心配を跳ね飛ばすように、ふふんと、リュウモは誇らしげに胸を張った。


「おれがどこに住んでいたか、忘れてしまったんですか? ここよりもずっと深い〈竜域〉に住んでいたんですよ。これぐらいなんともありませんって」

「むぅ、いや、しかしな……」


 明らかに心配そうなガジンに、リュウモはむっと腹が立った。村では一人前とは言えずとも。ひとりで森に入る許可を得られていたのだ。子供扱いはともかく未熟者として見られるのは、自分を認めてくれた村の人たちを否定されたようで納得ができなかった。

 しかし『外』の人々にとって〈竜域〉とは畏れられる場所である。生まれついてずっと言い聞かされてきたガジンたちからすれば、異端は自分たち〈竜守ノ民〉である。死地よりも恐ろしい領域に気軽に踏み入るのに不安を覚えるのは仕方ないことだろう

 リュウモは『外』の常識を内で吟味し、まずはガジンの不安を取り除こうと旅の袋に手を入れた。目当ての物を掴むと、中から引っ張り出した。


「それは?」

「竜が近寄って来ないようにする、竜避けの道具です。」


 リュウモが鳴子をすこし振ると、からん、からんと音が鳴る。これは竜の骨から削り出して作られた物で『外』の人たちの言葉に当てはめるならば〈竜操具〉という名称が正しい。

 ――竜を思うがままに操れるなんて、あり得ないのにな。

 もし皇国の他mが思い描く通り、『竜』を意のままに操れるなら、あんなことは起きなかったはずだ。今頃、大人たちと一緒に〈竜域〉を目指していただろう。

 リュウモは竜除け用の鳴子を握りしめて、故郷の人たちの顔を、心の奥に悲しみと共にしまい込んだ。




 太陽が高くあがった空に、黒点がひとつ旋回している。〈影〉が使う、連絡用の鷹だ。大きな翼を羽ばたかせ、眼下に捉えた人影へ降下を始める。その先には二人の男たちがいた。

 山々の自然に隠れるような色合いの衣をまとった者たちだ。片方は、大柄な男で、精悍な顔つきをしている。厳しい自然環境に鍛えあげられた者だ。もう片方は、そこまで体は大きくないが、その分機敏そうで、顔つきも素朴さとは離れた、計算高そうな冷たさを帯びている。二人は、ガジンを追っている〈影〉に所属する者たちだった。

 〈影〉のゼツは、鷹が止まれるように片手を棒のように突き出すと、訓練を施された鷹は、丁度、腕当てがある部分に止まり、羽を休ませた。


「どうだ?」


 ゼツの同僚のケイが、大柄な体に似合わない動きで近寄り、話しかけた。ゼツは、鷹の足につけられている小さな紙を手に取ると、広げて中身に目を通した。他の〈影〉の報告には、発見なしの文字が書かれている。また、近辺地域の捜査結果も記載されていた。


「近くにある氏族の村にも、ガジン様は訪れていない。今まで皇都を出てから、一度も食料を補給していないらしい」

「本当に、この先に行ったのか……」


 ケイが、恐れをこらえて、震えそうになった声を抑えたのが、ゼツにはわかった。

 二人が足を止めている先には、二つに分かれた道がある。ひとつは、小さな村に通じる道で、先にある村を経由すれば、そこから複数の道を通る選択肢が生まれる。

 片方は人が通ることのない、完全な獣道だ。うっそうとした草木は、奥にある景色を遮っている。普通は、右の道へ行き、村に立ち寄る選択をするはずである。だが、痕跡は獣道の方へ続いている。


「冗談だろ? 左は〈竜域〉への道だぞ?」


 今度の声は、震えていた。


「俺も、冗談だと思いたいが……」


 〈影〉に所属し、時には汚い任務に身を投じてきたゼツでさえ、〈竜域〉へと近づくのは気が引けた。『外様』出身であるケイは、特にその思いは強いだろう。『譜代』出身の人間が住む地域は〈竜域〉よりも遠く離れた位置にあるので、敬うべき存在と認識してはいても、生活に深く結びついているわけではない。だが、『外様』の人々は違う。〈竜域〉に近い氏族の人々にとって、『竜』とは畏怖と恐怖の対象でもあった。

 数年に一度程度の割合だが、子供が迷い込んでしまって『竜』の逆鱗に触れ、惨殺される事件が起きるのだ。ケイは〈竜域〉に近い村の出身者だから、顔が青ざめ、怖気づいてしまうのは仕方のないことだった。


「お前だって知っているだろ、同じ『外様』の出なんだから」

「そうだな……もう無くなってしまった村だが、『竜』に殺される子は、何人かいた」

「ちくしょう……行くしかないよなあ――ッ!」


 ケイは、親の仇でも見るような目で、獣道を睨みつけた。


(正気じゃない、〈竜域〉に向かうなんて)


 鷹に現状を書いた紙を足に括り付け、餌の肉片をやって、空へと飛ばすと、ゼツは獣道へと足を進め始めた。「お、おい、待てよ、まだ心の準備が……」――後ろでケイがわめいていたが、聞く耳を持たず歩く。

 ゼツとケイは、鷹が来る前から逃亡者の跡を見つけていた。それは点々と、皇国に住む者ならばあり得ない非常識へと向かっていたのだ。ゼツは真っ先に偽装を疑った。ケイも賛同し、近隣の村へ行っていないか、他の〈影〉を使って調査を始めた。返って来た文は、ゼツが描いていた最悪なものへと転がり落ちた。〈八竜槍〉たるあの男は、気が狂ったとしか思えない行動に打って出たのだ。

 足跡は、黙々と止まることなく〈竜域〉へと向かっている。少年の背を守る形でガジンが随伴していた。

 地面にこびりついた『气』と、比較的新しい足跡を追いながら、ゼツは必要以上に自分が神経質になり、周りをきょろきょろと確認していることに気づいた。

 ケイもまた、数歩進むたびに、木々の影に潜む薄闇に怯えるようにして目を走らせている。


「ちくしょう……ゼツ、お前、すこし早すぎだ、もっとゆっくり歩けよ」

「遅すぎると、逃げ切られるぞ」

「だ。だから、早いッ……くそ、お前本当に『外様』の出かよ」


 心臓が跳ね上げられた。


「――――おい、俺が本当に、なにも思っていないと、本気で信じてるのか?」


 ゼツは、声色を相手を責める厳しいものに変えて、不機嫌さを演出した。


「あ、い、いや、すまん……」


 ケイは、その演技にまんまと騙されてくれた。


(危ない、危ない)


 ケイに疑る感じはなかったが、隠し事を暴かれた時のように、体と思考が、一瞬止まってしまった。ゼツは自らの未熟さに嫌気が指した。――いつもなら、こんな馬鹿げた間違いなど、俺は犯さぬと、言い訳がましく、内で呟いた。


(くそッ。すこし遅く歩くか?)


 ケイの様子を見て、ゼツは歩幅をわずかに調整した。

 〈影〉に所属する人間は、例外なく厳しい訓練を受けているが、全員が『譜代』ではない。『外様』の出の者もそれなりの数、混じっている。彼らの地域特有の規則や土地勘といったものは『譜代』にはないものだ。

 そう。『譜代』出身のゼツには生来無いものだ。土地に根付いた特有の感覚は、模倣するのが難しい。

 ゼツには二つの顔があった。〈闇〉の一員として〈影〉に入り込み、内部から彼らを見定める顔だ。〈影〉はケイのような『外様』の人間を取り入れている。潜入工作を行うのなら、その地域に精通していた方が都合がよい。

 だがそうなると、『外様』の〈影〉と内通して領主に情報を流す者があらわれた。即座に処断されるのが当然だったが、泳がせた方が後のために有益と判断される場合もあった。

 内通者を狩り、時には飼い主をも殺すために泳がせるさいの眼。ゼツの役目とはそういったものだった。


(貧乏くじだ、くそ……)


 いつもなら、こんなぼろを出すことなど、ない。ゼツの心をざわつかせて焦らせているのは、ひとえに、この周りの空気のせいだった。

 〈竜域〉からまだ遠いはずなのに、肌全体が、ゆるく締め付けられているかのように感じるのだ。――巨大な大蛇の腹の中にいる。そんな錯覚に陥りそうになる。


「ちくしょう、くそ、ついてねえよ」

「おい、ぼやくな、声を出すな、気づかれる」


 ぼそぼそと独り言を繰り返す同僚に注意したが、効果は薄そうだった。ゼツは、彼とは何度か任務を共にしたことがある。そのさいは、寡黙で、口を開かず、黙々と任務に勤しんでいた。

(この男が、怯え切るのだから〈竜域〉は『外様』にとって、魔境のようなものなのか……)

 〈闇〉として、内通者を見張っていれば自ずと彼らの事情もわかってくる。彼らには『譜代』に理解できない格差や、生まれのしがらみがある。

 『外様』の土地も、条件がよいとはいえず、地味が痩せているところも多い。また〈竜域〉にも近く、交通の便も『譜代』と比べるのも馬鹿らしい。身分も経済も、格差が大きいことは否定できない。

 それでも、ゼツは彼らに同情しなかった。

 ――国の仕組みを変えるのは、自分たちのような者ではない。

 様々な内部事情を見聞きしてきたゼツは、そのことを骨髄に至るまで理解していた。だから『外様』に肩入れしようとは思わないのである。薄情と誹りを受けるだろうが、〈闇〉として個人的な感情に振り回わされることは、愚の骨頂だ。


(だから、俺はこの役目を任されたのだろうか)


 〈闇ノ司〉から〈影〉の監視を言い渡された時、なぜと疑問を抱いていたが、なかなかどうして、天職だったらしい。

 監視対象の〈影〉のひとりに目を向ける。『气』が乱れっぱなしで、集中力と注意が取っ散らかっている。見つけられている痕跡を何度も見逃しては、ゼツが見つける。それを繰り返している。


(俺がしっかりしないと、駄目だなこれは。――くそ、俺だって、恐怖がまったく無いわけじゃないぞッ)


 むしろ、ゼツが内に抱えた恐れは、今、追跡をしている〈影〉の誰よりも強い。

 ゼツは、思い出す。突如、襲いかかって来た『竜』。のどかな村に、それは起きたのである。悲鳴と騒乱、そして、笛の音。


「ゼツ、お前、ガジン様の部隊に同行してたんだろ? じゃあ、やっぱり、見たのか?」

「ああ、見たさ。『竜』が笛の音に従って、退去していた様をな」


 目を背けたくなる。思い返したくもない光景だった。


「幸いに、誰も死ななかった。――――執拗に襲い続けて来た『竜』が、笛の音を聞いただけで大人しくなって、去って行った。あれが〈竜奴ノ業〉なんだろうな」

「ちくしょう、本当に、貧乏くじだぜ……」


 まったくもって、その通りだった。


「笛の音が聞こえたら気をつけろ。『竜』を操って、俺らを襲わせるかもしれない」

「――――ッ!!!」


 かろうじて、無様に悲鳴をあげることだけは防いだようだった。ゼツは、視線を下に向けて、二人の足跡を追う。追跡において、標的の残した痕跡というのは、生物であり、時が経てば経つほど、腐って消える、時間との厳しい勝負なのだ。

 ここ数日、雨は降っていない。山の激しい雨は簡単に痕跡を洗い流してしまうため、幸運だった。慎重に足を運びながら、辿って行く。


「――? おい、見ろ、ゼツ。この跡」


 ようやく調子を取り戻したのか、ケイがなにかに気づいたようだ。ゼツが通りすぎた地点の足跡を観察している。


「どうした?」

「すこし前までは、ガジン様が先導していたのに、ほら、ここからは件の少年が先を歩いているぞ」


 途中、少年の小さな足跡が、ガジンの足跡に並んでいる。追うことばかりまでまったく気づかなかった。

 ――くそ、おかしくなっているのは、俺も同じか。

 ゼツは、二人が並んでなにかを話していただろうところまで戻り、毛糸同じように腰を下ろして地面を見た。

 少年は、一度立ち止まっただけではなく、ここで膝立ち状態になったらしい。爪先と膝頭が沈み込み、土がへこんでいる。


「ここで、持っていた荷物を下ろしたようだ」


 わずかだが、土が擦れた跡がある。袋の中を漁って、なにかを取り出していたようだ。


「なあ、ゼツ。少年の荷袋の中は、なんだったんだ?」

「検視官がな、怯えて中身を確認しなかった」

「ッチ! 俺らが必死こいて禁忌を追い回してんのに、宮廷の奴らは職務怠慢かよッ」


 ケイは、検視官をなじった。目の前に彼らがいたら。ところかまわず殴りかかりそうな激しい感情の動きがあった。さすがに、癇癪を起した子供のように、当たり散らすことはなかったが。


「職務怠慢は否定できないが……彼らの気持ちも、理解はできる」

「なんでだ? 国の大事だぞ。恐れるは仕方ないとしても、個人の勘定で職務を放棄していいはずがねーだろ」


 ぐうの音も出ない正論である。国家が割れるかもしれない、この一大事に誰もが必死に動き回っている。ガジンでさえ、追われる身であっても、国のために少年を連れ出したのだ。

 怖いから、禁忌だからといって、任された仕事を怠っていい理由には微塵にもならない。

 だが、かの民の業を眼に焼き付けられたゼツは、検視官の気持ちも、わからないでもなかった。


「『譜代』の奴らは、任を放棄しても咎められねえのか、くそめ」

「よせ、今はそんなこと、言ってもしかないだろ」

「お前、『譜代』の奴らの肩を持つのか」


 明らかな敵意がこもった視線が突き刺さる。ゼツは、微妙に、腰を浮かせた。


「――――いや、悪かった。お前の言う通りだ。今は、そんなこと言ってる場合じゃない」


 ゼツは肩の力を抜いて、短刀に掛けようとしていた手を止めた。ケイは、気分が悪かっただけで、こちらを〈闇〉の人間だと看破したわけではないようだった。


「……一度、ここで休もう。お互い、こんな状態だと接近した途端に、ガジン様に気づかれる」

「いいのか、遅れはこの様子だと、一日足らずだと思うが」

「無理に追いかけて、気づかれでもしたらどうする? 忘れるな、あの人はこの国で最も強い槍士で、我らが追っているのは、その人だ」

「……〈八竜槍〉を止められるのは、同じ者だけか」


 ケイは、嘆息して木の根元に腰を下ろした。ゼツも、足跡を消さないよう注意して座った。


「四半刻、休もう。心身を整えて出発だ」


 互いにささくれ立っている精神を落ち着かせに入った。

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