第11話 すれ違い

 畑仕事をしていた者たちは、全員が首を垂れ、跪いた。畦道で遊んでいた子供らですら、王に平服する臣民のように、額を土すれすれまでさげている。


(こうなるから、この旗を掲げて行くのは、嫌なのだ)


 農村にいる者たちにとって、時間とは代えがたい財産だ。有用に使えば、その日、その年の農作物を富ませてくれる。無駄に使えばその分、懐に入ってくる金銭はすくなくなる。

 手を止めて跪いているこの状態は『無駄』に他ならない。

 彼らと出身が同じ身分のガジンは、こういう風に頭をさげられると、自分が権威を振りかざす横暴な領主になったように思えて、心底嫌だった。


「クウロ」

「はいはいっと」


 ガジンはいつも通り、副官に命を飛ばす。クウロが後ろの槍士たちに合図を送ると、数名の槍士が隊列から外れた。槍士たちは跪いている村人たちに近寄って、二言、三言、言付けをする。村人たちは驚きに目を真ん丸にすると、びくびくとしながら仕事に戻って行く。


「さっさと行くとしよう。私たちがいては、満足に仕事もできなかろうさ」

「普通は〈八竜槍〉にお目にかかれれば、そりゃあ喜ぶもんですがねェ」

「お前は皇都の出身だからわからんのだ。村人は〈八竜槍〉を目にして喜ぶよりも、明日の作物の心配と世話をするものさ」


 クウロはよくわからないと、肩をすくめた。こういった価値観の違いは、生まれの違いだろう。時折、こういった物の見方の違いが軋轢の元になることも多々ある。

 もっとも、ガジンは生まれについて言及しない。気にしてもいない。隊の者たちは『譜代』と『外様』の者たちが半々で、上手くやっている。

 家柄や生まれなどに関係なく〈八竜槍〉が直接打って出るような案件は危険が大きい。だから、ガジンは腕の立つ者を身分に関係なく集めた。

 結果として、生まれも考えもバラバラな者たちが集った。当初は上手くいくか不安だったのだが、悲観的な予想に反して、彼らは心のどこかで噛み合い、互いを助け合っている。

 どうして彼らの結束がここまで強くなったのか、人材を集めたクウロに聞いてみたことがあった。彼は、こう言った。

『あいつらは、下でくすぶっていた奴らですよ。腕はあるが、生まれの関係で上にいけない奴。生まれが良くても、家の事情で生き辛い奴。没落寸前の家を建て直そうと資金集めに必死な奴。とまァ、色々とあいつらの中でも苦労の種類があって、そん中で互いに共感できるもんがあったんでしょうや。――お互い、大変だなってな具合で。そうなっちまったら、もう身分や生まれなんて関係ねェ。すでに、兄弟みたいなもんなんですよ』


 素晴らしいことだ。お互いを尊重し、理解し合える部下を持ったことを、ガジンは誇りに思う。軍内部で派閥やらでごたごたがあったりするが、このような関係を築ければ、馬鹿な争い事もすこしは減るだろう。


(それができないのもまた、人の業なのだろうがな――――ん?)


 ガジンの目が、進行方向から小さな影が凄まじい速さで駆けて来る様子を捉えた。

 菅笠をかぶっていて、あごまでしか見えないが、背丈からすると子供だろう。

 茶色の外套を着ていて、その下には紺色の綺麗な羽織りがちらちらと顔を出していた。

 ――村の子供? いや、それにしては……。

 空気が違うとでも言い表せばいいのか。ガジンは、直感ではあるが、駆けてきている子供が近隣の村の子ではないという確信が胸を走った。

 そう、異質だ。羊の群れの中に『竜』が紛れ込んでいるような、質の違い。

 子供は、減速しなかった。むしろ、邪魔だ退けと言わんばかりに走る速度をあげた。

 これにはガジンは驚いた。つい、手綱を強く握ってしまって、馬が足を止めてしまうくらいには。

 先頭を行くガジンが止まったことによって、隊全体が停止する。

 好機とばかりに子供は一切迷わず、小さな身体を生かして、凄い勢いで駆け抜けて行った。

 馬が驚く暇も与えず、風のように過ぎ去って行ったのである。


「はァ……こいつは驚いた。すばしっこいのもあるが、あの速さに正確さ。それにいい『气』の流れだった。大将、ありゃ何者でしょうね? ――――大将?」


 クウロに、ガジンは応えられなかった。

 手に持った〈竜槍〉が、子供の元へ行きたがっている。目に見えない力に引っ張られ、子供が走り去って行った方へ向かっている。磁石が互いにくっつき合おうとしているかのようだ。


「〈見初められし者〉……」


 ぽつりと、とある言葉が口から漏れた。


「はァ!? あの坊主が?」


 〈八竜槍〉になるためには〈竜槍〉を台座から引き抜き、槍自体に認められなければならない。「女を口説くのと、似たようなもんだな」とは、ロウハの言である。

 だから普通は〈竜槍〉を口説かなければいけないわけだ。だが、その逆がある。〈竜槍〉が人を口説く場合が。その者を皇国では〈見初められし者〉と呼ぶのである。

 もっとも、〈見初められし者〉は皇国の歴史を紐解いても、片手で数えられるほどしかいない。クウロの反応も当たり前のことであった。


「いや、わからん。ただ、そう思っただけだ。これは、いい加減こいつに愛想を尽かされたか。私もそろそろ引退時かな」

「よしてくださいや。大将に引退されたら、便乗してロウハまで止めちまいそうですよ。そうなると、残されるのはイスズ様だけですぜ?」

「若い内は苦労した方がいい、とはよく言われているだろう?」

「苦労で押し潰されちまいますよ。――いや、あの人だと、帝に不敬な発言をしたやつらを、片っ端から槍でしばき倒しそうで心配ですぜ」


 あり得そうだな――と、ガジンは柳眉を跳ね上げて槍を振り回しているイスズの姿を幻視した。〈八竜槍〉の中では最も教養があり、高い家柄の彼女だからこそ、帝への忠誠は比類なきものなのだ。それがかえって事態を混乱させることはあるが、それもまた若さゆえだろう。


「もうすこし年を重ねれば落ち着いてくる。ロウハのように、権威と感情とを使い分けてくれるだろうさ」


 そもそも、十七という若さで〈八竜槍〉に名を連ねたのは、イスズが初めてである。

 ガジンとロウハが打ち立てた最年少記録を八歳も更新しての襲名だった。当初は周りがいくらなんでも若すぎるといった声が大きく、イスズ自身も自らが〈八竜槍〉に相応しいか、疑問に思っていた節もあった。

 そのため、彼女の襲名はもめにもめたのだが、最後は帝の一言で彼女は現在〈八竜槍〉に連なる者として〈竜槍〉を振るっているのだ。

 ガジンとしては、後継として若い者がようやく一人出て来てくれて、内心はほっとしている。それは、ロウハも同じだろう。なにせ自分とロウハはもう三十半ばである。加齢による体の動きの鈍りはそう誤魔化せるものではない。

 無茶がまかり通っているのは〈竜槍〉の恩恵が大きい。槍が常時放っている〈竜ノ气〉は、身体の状態を常に最善に保ってくれる。だが、限度はある。〈八竜槍〉を最も長い間務めていた者は、八十だという記録が残っているが、それは特例だ。

 大体の〈八竜槍〉が四十半ばから五十の間に引退するのが常である。ガジンもロウハも先達のように、未来を見据えていつ引退するか、などと酒の席で笑い合っていた頃があったのだが――問題が起きた。

 ガジンとロウハが襲名して以降、誰一人として〈竜槍〉に認められた者が出なかったのである。

 この事態に対し、帝は何年も前から危機感を抱いており、何度も〈八竜槍〉を選定する儀を執り行ってはいる。だが、残念なことに〈竜槍〉に認められた者は出なかった。――つい、七か月前までは。

 イスズが選ばれた際、帝も胸をなでおろしたのではないだろうか。とはいえ、彼女が選ばれるとそれはそれでもめ事が起きたのだが。

 なにせ、女性である。槍士の中にも腕の立つ女性はいるが圧倒的に少ない。しかも女性が〈八竜槍〉になるのは、歴史上初めてのことであった。お固い連中が騒ぎ、また頭を抱えたのは言うまでもない。

 彼女を見出したのが『外様』のガジンであったのも、事が大きくなった原因の一つではあっただろう。


「あと、もう一人、二人ぐらいは欲しいところだ」


 〈八竜槍〉の座がすべて空席になると『外様』への抑えが効かなくなる可能性が出てくる。

 万が一のことも考えて〈八竜槍〉は最低三人いるのが望ましい。


(そう簡単に出てくるわけがないがな。――あと四十年は、現役でいなければならないな)


 イスズの前にあった最年少記録を更新し、今度は最年長記録を打ち立てるのも面白いかもしれない。

 ――穏やかな老後は当分先だな。

 ガジンは苦笑した。


「――どうします? さっきの坊主、誰かに追わせますか?」


 クウロの目は、冗談を言っていない。本気だった。彼も〈八竜槍〉が多くいる重要性をよくわかっているからこその提案だったのだろうが、ガジンは首を横に振った。


「こんな時でなければ、声をかけるのだがな……今は進むのが先だ」

「今回の件が終わったら、あの坊主を調べてみますか」

「そうしよう。……もしさきほどの子が、イスズよりも年若く〈竜槍〉に選ばれたら、また宮廷内で大騒ぎがあるのだろうな」


 イスズの時を思い出して、ため息が出た。


「違いねェ」


 からからと、クウロは笑った。

 それから予定通り、夕暮れには最も東の〈竜域〉に近い村に到着した。皇都付近の村々と比べると、集落の位にまで落ちる規模だが、れっきとした村である。

 ガジンは、まず村長に話を通そうとしたが――村が夕暮れ時だというのに、随分とざわついているのを察知した。大体、村人の生活は日の出に始まり、日の入りに終わる。それがこんな時間にまで、真昼のように動き回る気配がそこかしこにあるのはおかしい。


「なにかあったな」

「のようで。――なんとまァ物騒な。連中、武器まで持ち出してますぜ」


 尋常な様子ではない。村人たちの動きは常軌を逸している。彼らは、追い立てられた獣のようにせわしなく動いていた。

 ガジンは馬を操って村の端まで近づき、手に武器を持っている青年に話しかけた。


「一体なにがあった? この騒ぎは、事件でもあったのか」


 突然あらわれた一団に、青年は夢の中にいるように、ぽかんとしていた。だが、ガジンたちが掲げている旗を見るや、頭を地面に叩きつけそうな勢いで平伏した。


「こ、こりゃあ、皇都の槍士様方……! こ、こんなところにど、ど、どうしなすってぇ」


 青年は動揺しすぎて呂律が回っていない。ガジンは馬を降りて、青年の肩に手を置いた。


「落ち着け。なにも私たちは君たちをとって食いに来たわけじゃあない。この騒ぎはなにがあったのか、聞きたいんだ」


 優しく、ゆっくりと話しかけると、ようやく青年は平静を取り戻して説明し始めた。

 見知らぬ少年が、人が住んでいるはずがない方向から村に訪れたこと。村で聖域と呼ばれる場所からやって来たこと。その少年の両岸が〈青眼〉であったこと。

 すべてを青年が語り終える。ガジンの脳裏に、すれ違った少年の姿が走った。


(まさか……)


 あの少年が〈竜守ノ民〉であったのか。であるならば、真っ先に確保すべきだ。だが、もし違えばここまでの苦労は無駄になる。

 ガジンは様々な可能性を考慮したが、決定打となるものは浮かんでこなかった。


「その〈青眼〉の坊主は、なにか言っていなかったかねェ?」


 クウロも、屈んで青年と目線を合わせて語り掛けた。


「い、いや、その、もの凄いすばしっこさと怪力で…………あ、いえ、確か、なにか叫んでおりました。ええと、おれは、行かなきゃいけないんだ、なんだと」


 それは、決定打となりうる、まさしくガジンたちが欲しい情報だった。


「どこに行く、とは言っていなかったかね?」

「い、いえ、特には……あ、いやでも、やけに北への道筋を聞いて来たと、婆さんが言っておりました……」

「北……北っていやァ、一番でかい〈竜域〉がある場所ですぜ」

「そこに〈竜峰〉があるのか……」


 ガジンの方針は決まった。



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