第3話 語り部の少年、リュウモ

 

 竜、怒り狂う時、人が積み上げし、栄達への階は脆くも崩れ去り、末世が訪れる。忘れるなかれ。竜は天が遣わせし、人の傲慢を監視する者なり。

 かの竜達が怒り狂う――すなわち天の怒り。

 竜と供に生き、死に逝く者達よ。天が傲慢なる我らに鉄槌を下す時、竜の峰にて首を垂れ、赦しを請うべし。さすれば天は振り上げた槌をおさめ、再び我らは生きることを赦されよう。

 されど、心せよ。天へと我らが祈り届かず、竜の峰へ辿り着くこと叶わず、人の業によって阻まれし時、天は我らを灰燼と化すであろう

 祈りを届けよ。竜の峰にて、我らが赦しを込めた祈りを。――竜を鎮める旋律を奏でよ。


「はい、終わり。どう、爺ちゃん?」


 重々しく老人は頷いた。合格の合図だ。同時に、今日の教えの時間の終わりを示す。

 リュウモは語り終えると、語り部である老人から体を逸らして、ご褒美とばかりに囲炉裏に体を近づけ、冷たくなっていた手足を温めにかかった。

 薪が燃えて、ススキで葺かれた茅葺屋根へ煙が吸い込まれていくのを、暖を取りながら、リュウモはぼーっと眺めていた。

 ようやく冬が終わったとはいえ、まだ寒々しい空気が民家の中に滞留している。ほとんど春になっているが、吹いてくる風には未だに冷たい物が混じり込んでいた。

 反対側に語り部のジジが座り、彼も冷たくなった体を温めた。リュウモは、唇を尖らせる。

 いつもこの時期になると寒々しい軒下の縁側で、ずっとこの村に伝え聞かされてきた伝承を覚えないといけないのだ。部屋の中でやればいいのに、といつも思う。


「ほんに、お前は物覚えがいい。もう、立派な語り部だのう」


 村で唯一の語り部であるジジは、孫同然のリュウモに色々と教えることができて、上機嫌である。


「ねえ、爺ちゃん。聞いていい?」

「おう、何かな?」

「どうして、村の語り部は、紙に書いてみんなに伝えないの?」


 そうすれば、寒空の下、延々と話を聞いて、何度も反復する必要は無い。

 語り部が村からほとんど――というより、ジジ以外いなくなってしまったのは、伝えるべき膨大な量の内容と、厳しさからだ。

 村人の絶対数が多ければ、もっと後継者も出たかもしれないが、残念ながら、リュウモが住む村の人口は、余剰人数が出るほど余裕はないから増加も見込めない。

 しかし、紙に書けば、その問題は一気に解決する。ただ、そんなことは村人全員がわかっている事実であり、なんとなくリュウモは聞いてはいけないような雰囲気を感じていたから、問い質したりはしなかった。

 でも、さっき覚えたもので、語り部として後継に伝えるべき内容は最後だ。

 だから、何年も頑張って来たのだから、ちょっとくらい言い辛い事柄を聞いても、罰は当たらないだろう。


「そうさな……」


 短く切った白髪をがしがしとかき、皺だらけの顔を難しそうにして、ジジはすこしの間考えていた。囲炉裏の薪が、燃えて形を崩した音が、二人だけの部屋に響くと、それを合図としたかのように「よし!」と言って両膝を叩き、ジジは口を開く。


「お前も十一になる。事の分別はつく年頃だろう。だから、決して村の者以外に、話してはいけないよ、いいね?」


 ジジは、真剣そのものといった面持ちだ。リュウモと同じ、深い、青色の眼が、鋭い光を放っている。約束を守れるかどうか、見定めているようにも見える。


「うん!」


 リュウモは、元気よく頷いた。幼い頃からずっと言い聞かされてきた約束事を、今更破るつもりは、毛頭なかった。ジジは、満足気に笑う。


「全部話すと長くなってしまうから、まずは簡単にして話そう。わしらの伝えているものは、村の外にいる者達からすれば、とてもいけないことだからなんだ」


 いけないこと? リュウモはよくわからなくて、首を傾げてしまった。語り聞かせ、受け継がせることの、何がいけないというのだろうか。


「外の者達にとって、『竜』と供に生きるのも、『竜』が村に入って来ないよう、竜避けの鳴子を張り巡らせるのも、ましてや『竜』が棲息する場所付近に住むことさえ、してはいけないと教える――らしい」


 最後の一言で、リュウモは調子を外されてしまった。がっくりと首を折る。


「らしいって……」


 大層な話しであるような気がしていたが、結局、それは迷信ではないのか。リュウモは村の外――正確には、村人以外の人間に会ったことはないが、『竜』がいる場所近くに住んだだけで罰せられる何て、信じられなかった。


「まあ、わしも村の外――遠くまで行ったことがないから、わからないから、許しておくれ」


 大体、今いる村人の中で、ジジが言う遠くへ行った人物は、村長と彼に付き従った者達しかいない。つまり、片手で数えられるぐらい少ない。残念ながら、語り部であるジジは、村でも貴重な人材なので、同行が許されなかった。


「外の彼らは、『竜』を崇め、神ノ御遣いとして祀ったりもしているらしい。そんな彼らからすれば、わしらのように、必要とあれば『竜』を殺め、『竜』を遠ざけ、撃退する技術を持っていることは、許されぬ。小さい頃から、外の者たちには絶対に我らの業を教えてはいけないと、ずっと言われ続けていたであろう」


 リュウモは、掟については重々承知しているが、他はあまりピンとこなかった。上を向いて、ぼんやりと考える。


「『竜』が神ノ御遣い、かあ」


 『竜』――この世で人よりも遥かに強靭な生命体であり、リュウモにとってはこの上なく身近な存在でもある。竜避けの鳴子が張り巡らされた村から、そう遠くないところに、彼らは居るからだ。

 彼らは決して、神などではない。腹が減れば獲物を求めて駆け回り、雄と雌で交尾し子を成す。

 自らよりも強い相手には立ち向かわず、天敵である上位者には、捕まれば餌として食われる運命が待っている。

 果たして、そのような存在が、神から遣わされた者であろうか?

 彼らを貶めるわけではないが、神とは、全能であり、傷つけられず、あらゆる者共の頂に座っているべきだ、という印象がリュウモにはある。そんな完璧な存在から遣わされたのならば、使者である『竜』もまた、完璧であるはずだ。


「おれたちと『竜』って、そんなに違わないと思うけど……」


 人も、腹が減れば獲物を探し回り、男と女で番になり、子を成す。強弱はあれ、根本的なところでは、まったく違う生物だとは、とてもではないが、リュウモは思えなかった。


「わしも、理解できぬ。が、外の者達は、とても『竜』には敏感で、臆病だと聞いたよ」

「臆病って、どうして?」

「彼らは『竜』を知らぬ。知らぬものにどうして対策が取れよう? 外の者達は、竜避けの技術も、『竜』に対しての知識も、まったく持ち合わせておらぬのだよ」

「あ……そっか」


 ジジの言葉で、リュウモは納得した。自分も、『竜』を知らなかった時、彼らの縄張りに不用意に入ってしまって、死にかけた。その時に負った傷は、今も残っている。

 鋭い、剃刀のような爪に切り落とされた、かつて左耳があった場所に触れる。


「『竜』にだって、ちゃんと規則がある。それを破る者には、容赦しない」

「おお、そういうことだ。――お前が一人で森に入ってしまった時は随分と、肝を冷やしたわい」


 幼いリュウモが、村を飛び出して森に入ってしまったと発覚した際、大騒ぎになり、大人達は必死の形相で探し回ったのである。リュウモは、恥ずかしそうに頭をかいた。


「もう、あんな風にはならないって。勝手に、縄張りに入ったりしないし。ちゃんと、言いつけは守って、森に入ってるよ」

「おお、おお、そうさな。でなければ、『竜』達の観察を任されないからのう」


 色々とやらかしたりしたが、リュウモはそれから『竜』について学び、今では森に一人で入ることを許されている。とは言っても、森の浅い場所まで、という条件付きだ。


「さて、外の者達については、大まかに言ったが、次は、どうして彼らが『竜』を恐れるようになったかだが……ふむ、リュウモよ。そろそろ森周りの時間であろう」


 外の日の高さ具合から、ジジの言う通り、そろそろ『竜』の様子を見に、森へ行かないといけない時間帯だった。森周りは当番制で、今日はリュウモの番だった。


「そういえば、そうだね。じゃあ、続きは戻って来てからにしてよ」

「うむ、行ってこい。――そうだ、リュウモ。〈龍赦笛〉は持っているな?」

「え、うん、いつも肌身離さず持ってるよ」


 服の内側、帯で締められている箇所に、リュウモはいつも〈龍赦笛〉をさして固定している。笛を引き抜いて、ジジに見せる。


「うん、それならばいい。決して、無くしてはいかんぞ」

「うん、わかってるよ」


 この〈龍赦笛〉は、村にとって大事な物であるから、リュウモとしては、村長に持っていてもらいたかったのだが、昔、彼の家を訪れた時、興味本位で手に取って、口をつけてみたら綺麗な音が出て、それ以来、持たされるようになってしまったのだ。

 笛は、手触りはツルツルとしていて、真っ白い筒型の笛だ。吹き方がかなり特殊なため、この笛から音を出せるのは、村ではリュウモしかいない。


「それじゃ、行ってくるね」


 草鞋を履いて、リュウモは勢いよく駆け出した。




 『竜』が棲息する森の入り口は、リュウモが住む村から、歩いて四半刻と経たないところにある。村の周囲はほとんど人の手が入っておらず、獣道だらけだが、『竜』が棲む森は、特段すごい。植物から生き物に至るまで、その生態が特異に過ぎるからだ。

 昨日、雨が降ったせいで湿った地面をしっかりと踏みしめながら、リュウモは『竜』の森の入り口に立っていた。


「……なんだろう、森が、ざわついている?」


 周囲の木々とは、明らかに形も大きさも違う、『竜』の森入り口前で、リュウモはいつもと森の様子――森が放っている『气』がおかしいことに気が付いた。

 『气』――すなわち、万物に宿る、生命の根源。空気中に充満している『气』を体内に呼吸によって取り入れることにより、生命は活動できる。

 これらを体内の『气』と大気中の『气』を呼吸によって内に取り込み感応させ、体能力を高める技術を『气法』といい、鋭敏になった感覚は、超人の体能力と変わらない。

 人でありながら、獣のような力を持てるのだ。常人を超えた超感覚を得た者達は、『气』の揺れや歪みといったものを感じ取れる。

 リュウモも『气法』を幼いながらも修めているので、森全体が発する『气』を察知できるのだ。


「――殺気立ってる」


 胸やけを起こした時のような、ぴりぴりとした嫌な感じが、鋭敏になった感覚を通して伝わって来る。リュウモは、緩んでいた心を締めなおした。いつもと同じように森を見回っていたのでは、おそらく痛い目を見ると、勘が告げていた。

 切り落とされた左耳があった部分が熱を持つ。体にも警告されている。いよいよもって、大事になってきたかもしれない。リュウモは慎重に足を進めた。

 むわっとした空気が顔に直撃して、その中に、嫌な、悪い予知めいたものがない交ぜになって押し寄せて来た気がする。リュウモの喉が、ごくりと鳴る。


(何だろう……ざわざわする、体の、腹の奥ら辺が、重苦しい……)


 森に入り続けて、二年半。まったく違う気配を発する見慣れた場所に、リュウモは戸惑いを隠せなかった。地面を踏みしめる音が、変に聞こえる。落ち葉や木の根の上を歩く際に発する一つ一つの音が、いちいち耳に響く。

 リュウモの首に、冷たい汗が伝った。


「早く帰ろう」


 言って、リュウモはすこし歩調を早めた。『竜』達の縄張りにはまだ入っていない。多少、急いでも彼らの気に障るようなことにはならないだろう。

 早足になりながらも、地面に目を凝らし、『竜』の足跡が無いかどうか、確認しながら進む。

 リュウモは昔、肉食の獰猛な『竜』の縄張りに入ってしまって、片耳を失う大事件に遭った。今更ながら、よくあの時は生きて村に帰れたものだと思う。

 これから行く場所は、肉食性の『竜』達の縄張りではなく、草食の『竜』達が棲息するところなので、襲われる心配はまずない。

 肉食竜の縄張りが大幅に変わって、森の比較的浅い場所まで来ていれば別だが、村の長年蓄えられてきた知識によれば、それは無いと断言してよい。彼らでも、見知った地域から出て、大移動するのは危険が伴うからだ。

 他の木々よりも、ひと際馬鹿大きい樹木が見えて、リュウモはひとまずほっとした。

 この大木は、村の者達が一つの目安として使っている物で、ここを超えると、いよいよ本格的に『竜』が棲む領域へ、足を踏み入れることになる。逆を言えば、ここを通り過ぎなければ、滅多に『竜』に出くわさない。

 幼い子供の胴体よりも、遥かに太い根っこが地表に顔を出していた。休憩にちょっとした椅子代わりに座れるものだ。

 見上げれば、空を塞ぐ笠のように緑色の葉が覆い茂り、木漏れ日が丁度いい塩梅で落ちて来る。

 太古の昔から此処に在る巨木の身には、苔が付着し、樹齢を物語っている。いかな『竜』と言え、この老木を枯らすのは容易ではない。


「見回り札はっと……」


 根があまりに巨大なため、一部が洞のようになっているところへ、リュウモは降りた。

 そこには、釘を打ち付けられた木の板に、四角い手作りの掛札がかけられており、掛札には村人の名前が書かれている。

 村人達の間での決まりことで、『竜』がいる場所へ入って行く時には、必ずこの大木を通り、掛札を持って行くことになっていた。行方不明になった時、ここに札が無ければ、森で何かあったのだと、すぐに周囲へわからせるためだ。

 リュウモは自分の名前が書かれている掛札を取って、懐に入れた。軽快な足取りで、大木から離れて行く。

 『竜』の棲む地へ、本格的に入る。空気が変わった。気のせいではなく、『气』の性質からも感じ取れる。

 『气』には種類があり、竜が内に秘めるそれを〈竜气〉といい、『竜』が棲む森には、この『气』が空気中に充満している。本来、竜の体内に収まっているはずが、森中に漂っているのには、何かしらの理由があるのだろうが、今現在に至っても解明されていない。

 わかっているのは、この〈竜气〉が多くの動植物へ影響を及ぼすという点だ。

 〈竜气〉に感化された動植物は、異様なほど丈夫に、大きくなる。そのおかげで、森の木々は通常の樹木よりも、遥かに頑丈である。特に硬い物は、鋼鉄の刃でさえ樹皮に傷をつけることすら叶わない。

 そういった物で村の家屋は作られているため、耐用年数が長い。そこらの熊が扉を爪で引っ掻いても、傷つきはしない。ただ、熊も〈竜气〉にあてられていて、とんでもなく強いから、悲しいが、あんまり意味がない。


「む……そろそろかな」


 三つ指の形をした足跡が、深く地面に沈んでいる。リュウモは、辺りを見回しながら、慎重に、できる限り音を立てないよう進んだ。

 ここ一帯は、高い木々がいくつも立ち並び、背丈の低い灌木が生えていない。だから、視界は悪くないのだが、周囲にある木々は、胴回りが大きい。耳を澄ませ、音に気を配らないと、ひょっこりと樹木の影から出て来た小型の『竜』と鉢合わせになりかねない。

 『竜』は、種にもよるが鼻が利き、人体の臭いなど簡単に嗅ぎ分けるため、そうそう鉢合わせにはならないが、寝ている『竜』の尾をうっかり踏もうものなら、命懸けの追いかけっこの鐘が鳴りかねないので、慎重になる必要があるのだ。

 よく訪れている此処が、未踏の地になったかのような錯覚を感じながら、リュウモはこの辺りを根城としている草食竜を探す。探すといっても、彼らは巨大な木の根辺りに居を構える。だから、一度彼らの居場所がわかってしまえば、迷わずに済む。

 巣に近付くにつれて、『竜』の足跡が段々と多くなってきた。草食性の彼らは、基本的に群れで行動する。一か所に固まり、生活を共にするので、彼らの居住空間の境界線内に入らなければ、攻撃はされない。――そのはずであった。

 背後で、何かが動いた気配。同時に、後頭部に狙いをつけられたのを感じ取った。

 咄嗟に、リュウモは前方に身を投げ出す。受け身も取れず、水気を含んだ土に頬がぶつかって、鈍い痛みが伝わってくる。


「うわっ!?」


 重々しい、重量のある物体が空気を裂いた。ブォン、と低音を響かせて、リュウモの頭の上を、何かが通り過ぎた。リュウモの頭を砕くはずのそれは、近くにあった木の幹にぶち当たり、衝撃によって破壊をまき散らした。鋼鉄の刃すら通さない樹木の体が、べっこりとへこみ、かち割られる。


「な、何でっ」


 まだ、『竜』の居住区には足を踏み入れていない。彼を怒らせる行動もしていないはずだ。それなのに、明らかにこちらを初撃から殺す気でやってきた。警告ではないことは、傷つけられた木の幹を見れば、一目瞭然だった。

 あの一撃が頭に直撃していれば、幼いリュウモがどうなっていたかなど、想像するまでもない。今度は片耳でなく、命を失う。

 どっ……と、冷たい暴風が頭上を通過した後、リュウモは体中に冷や汗が伝ったのがわかった。腰を抜かさなかっただけ、上等だろう。『竜』が人を殺す気になれば、気性が大人しい草食竜ですら、綿を割くように、頭蓋を砕くなど容易なのだ。

 食物連鎖の三角形、その最も高い位にいる生物。それが、『竜』なのだから。


「――っ」


 自分がまだ生きている事実が、徐々に心へ染み渡ると、リュウモは恐る恐る立ち上がって、背後を見た。直後に、振り返らなければよかったと、後悔する。


『――――』


 低い、風の唸りにも似た声。草食の彼らが、外敵へと出す、警戒音。

 穏やかな性格の彼らは、はっきりと敵意と殺意がこもった、血走った眼でもって、侵入者を睨みつけていた。『竜』特有の、青い眼が、このときほど恐ろしいと思ったことは、リュウモになかった。彼らは、『竜』達は……怒り狂っていた。

 心が底冷えし、硬直する。――だが、反射的にリュウモは走り出していた。

 物心ついた時から、ずっと言い聞かされていた。――『竜』が怒り狂った際には、脇目も振らず、逃げろ。運が良ければ、逃げ切れる。

 亡くなった父の、身も蓋も無い言い方だったが、今は非常に役に立っていた。リュウモの体を、意思に反して勝手に動かしてくれているからだ。


「……っ! ――は、はっ……!」


 リュウモは、一心不乱に、足が千切れんばかりに前後へ動かし続けた。後ろから、まだ『竜』達の鳴き声が聞こえてくる。振り返ったら、追いつかれて死んでしまう。そういった、確信が胸の内にあった。竜の声は、真後ろからも、耳元からも聞こえてくる気がした。

 肺と喉に焼け付くような痛みが自身を苛んでも、リュウモは足を止めない。死んでしまったら、『竜』が怒り狂ったことを、村のみんなに伝えられない。ただ、それだけの念で、走り続ける。――走って、走り続けて、疲労から足を取られて地面へ思いっきり転倒した。


「っが! ――!」


 痛みに耐えて、すぐさま後ろを向くと、『竜』は、もう追って来ていなかった。


「は、は、は、あ、はぁ……!」


 どこで彼らが諦めたのか、必死過ぎて、わからなかった。走り続けた代償に、肺が空気を求めていた。リュウモは思いっきり息を吸うと、今度は一気に入ってきた空気に驚いたのか、肺が変な具合に動いたらしく、吐きそうになった。

 それから、肺が正常に動くまで、じっとしていた。体の調子が戻ってくると、ようやくリュウモは、死の恐怖からひとまず脱したことに安堵した。

 村に戻らなければと、立ち上がろうとするが、膝が震えて上手く立てず、尻もちをついてしまう。体を限界点で酷使し続けた反動だろう。


「もう、何なんだよ……」


 震える足が使い物になるまで、ここで休まないといけなくなってしまった。もし、『竜』がここまで追ってくれば、リュウモの命は無い。束の間の安堵を味わい、身を隠せるところを探す。辺りを見回してみると、此処は、境界線である大木の根本だった。足を取られた物は、木の巨大な根っこだったようだ。

 リュウモは、『竜』に見つかり難くなるよう、根っこの影に自分が隠れるよう、這って行った。

 何とか辿り着いて、背を根に預けた。

 足音が聞こえて来たのは、それから数分後だった。足音は『竜』のものではない。ほっとして、リュウモは手で体を支えながら、ひょっこりと根から頭を出した。


「リュウモ、無事か!」


 同じ時刻に森に入っていた、村の青年が、リュウモを見つけて駆け寄って来た。


「う、うん……なんとか。ただ、足が」


 震え続けている足を指さして、動けないことを伝えた。青年は頷く。


「わかった。ほら、背に乗れ。村まで走るぞ」


 青年の背に乗り、リュウモは彼が走る振動を感じながら、『竜』を思い出していた。


(何が、起こってるんだろう……?)


 もしかしたら、村で伝え続けて来た、伝承が現実となって襲いかかってきたのかもしれない。ちらりと、リュウモは後ろを見た。そこには、いつもと変わらないように見える、深い緑の森が在るだけだ。しかし、変わってしまったものは、確かにあった。

 怒り狂った『竜』。それが何を意味しているのか、未だにリュウモには実感が沸かないでいた。


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