第23話 二人

  海兵隊撤退作戦の二日後。あの作戦以降、大きな戦闘は起きていない。

 前線で小規模な戦闘は毎日続いているけど、無人機でどうにかなる程度だそうだ。

 でもこのままではメデュラドの思うつぼだ。泥沼化して長期化した戦況は、国力の差がモロに出るのだから。


 一時大規模攻撃作戦が失敗に終わったメデュラドは、チマチマとした攻撃は続け、またルーニエスの卑劣さを国際社会に喧伝しつつなにか次の策を練っているらしい。

 ルーニエスは爆弾テロに正規軍が関与していないことを必死にアピールしているけど、実際爆弾の破片が現場から見つかっている手前その効果はあまり出ていないようだ。

 でも国際社会はルーニエスとメデュラド、どっちが悪いと一概に決めることもできず、ずるずると時間だけが経過している。




 どこの世界でも、お偉いさんの腰は重くて頭は固いらしい。





 その隙にルーニエスは戦力を前線へと集中。防衛ラインを構築することに成功した。

 このアーネストリア基地にもヘロンが六機配備され、今日の午後には地上戦力もいくつか配備されてくるっていう話だ。


 これでとりあえずメデュラドがまた攻め込んできても暫くは持ちこたえる布陣が完成したわけだけど、何度も言うようにこの状況が長く続けば続くほど不利になるのはルーニエスだ。

 なるべく早く、何らかの形で解決を図る必要があるのは明白だった。


 でもそれより、あの有人機との戦闘でのアンジェの言葉が頭を離れなかった。

 戦闘機に乗って、俺は何をしたかったんだろう。

 そして、俺は戦争とそれにともなう戦闘、つまり人殺しを楽しんでしまっているのではないか、と……。


 考えてみたら、海兵隊を救うために行ったCAS任務。

 あれで大量の地上兵器をスクラップにしたわけだが、そこで俺はおそらくもう何人もこの手にかけている。


 でも任務の最中は、そんなこと考えもせずにトリガーを引いた。


 それに気づかされたのが、アンジェのあの言葉だった。





 それを考えると、震えが止まらなくなった。

 実際この目で、俺の手で人が死ぬところを見たわけじゃない。だけど、きっと間違いない。


 負のスパイラルから抜け出せなくなり、心はどんどん色を失っていく。




 ……とはいっても誰かに相談することもできなくて、俺はあれからずっともんもんとした気分を抱えてしまっている訳だが、ゆっくり考える時間が欲しいという個人の思い通りに社会が動くはずもなく――


「だからぁ! 撃つときは両目開けろって言ってるだろ! それと銃の重さを腰で支えるな! 上半身が後ろに反ってるぞ! ちゃんと前傾姿勢を取って銃を前に押し出せ!」

「で、でも重いですし……」

「ゴチャゴチャいうな! キンタマついてんだろ!」

「はしたないですよ……」


 ――俺はその雨が降り出す前の空みたいな気分のまま、またしてもシャルロットさんに射撃を教え込まれていた。

 ここは基地の射撃場じゃない。基地からさらに南へと海岸線を下ったところにあるマルタというリゾート地の巨大な民間射撃場。

 開戦からまだ一週間もたっていないというのに、リュートさんの采配で俺たちスパロウスコードロンに二日間の非番が言い渡されたのだ。


 

 しかも今度は拳銃じゃない、ルーニエス全軍で正式採用されているアサルトライフルだ。

 でも、いい気分転換にはなるかもしれない。マルタの街はまさにハワイやグアムといった雰囲気で、それもまた気分を軽くさせてくれる。


 こういう開放的な場所での実弾射撃は、思いのほかストレス発散になるのだ。

 射撃の時は他のことを考えず、それに集中しないと危ないしね。




 ……今俺が構えるこのアサルトライフルは、俺の世界の銃で例えるとM4がかなり角ばった感じっていうデザイン、見た感じHk416とクリソツだ。

 でも細かいところがところどころ違い、こっちのほうが本当にカクカクしている。名前はMk3アサルトライフルと言うらしい。

 作動方式はガス圧作動方式。それもタフなショートストローク・ガスピストン方式だ。

 重量約三キロ、全長約八百三十五ミリ、ストックを最大まで伸ばして九百ミリ。発射速度毎分九百発。

 二十ミリのレイルシステムも俺の世界と同じようで、そこにバラエティーに富むアタッチメントを取り付けて様々な状況に対応することができるようになっていた。


「口径も五.五六なんですね……。俺のいた世界でも歩兵用小火器は基本的に五.五六ミリだったんですよ。ほんとに似てるんですね、俺のいた世界とこの世界」

 そしてマガジンも見慣れたスタナグ規格のバナナマガジン。装弾数最大三十発。


「そうなのか? そういえば尺度法も何もかも同じなんだよな。メートルとヤード・ポンド法だろ?」

「そうなんですよ。不思議なことってあるものなんですね……」

「だなぁ、世界は狭いんだな」

「うーん、ちょっと違うと思いますけど」

 なにせ世界が違うんだから。

 ……まぁ細かいこと気にしててもしかたない。



「話を戻すぞ? いいか、我がルーニエス軍ではパイロットにも一人一丁アサルトライフルが支給される。人が足りなくて銃が有り余ってるからな。一人前のパイロットになるためには、射撃もうまくなきゃいかん」

 シャルロットさんも自分のアサルトライフルを肩にかけていたナイロンケースから取り出し、黒光りするバレルを優しくなでる。




 俺たちが今手にしているものこそ、本当に人殺しのためだけに進化し続けてきた『兵器』だ。

 拳銃を初めて撃った時は特になにも感じなかった。


 でも今は、銃という『兵器』を手にしているんだと思い知らされている。


 そしてそれは、戦闘機もかわらない。




 戦闘機もそうだけど、これを使うための訓練をするということは、人を殺すための訓練っていうことになるんじゃないだろうか……。

 ズシリと重い鉄の塊を見下ろし、深く息を吐き出す。

 それに返事をするかのように、トップレイルに乗ったドットサイトのルビーコートレンズが陽光を反射し、キラリと光った。




「……ルーキーお前、何悩んでる?」

「えぇっ? そう見えますか?」

 いきなりそう問われ、俺は声が裏返る。

 顔に出てしまっていたんだろうか? なんとか平静を装おうとはしてたけれど、無駄な努力だったようだ。


 シャルロットさんはライフルをケースに戻し、神妙な面持ちで腕を組んだ。

「……ルーキー、私じゃあ信用ならないかもしれない。でもお前は唯一の部下で、私と対等に戦える初めてのウイングマンなんだ。話くらいなら聞いてやれるかもしれん。だから、話してくれないか?」

「いえ! 信用してないだなんてそんな!」


 シャルロットさんは、何かと俺を気にかけてくれる。粗暴なところはあるけどたまにクラッと来てしまう時があるほど、やさしい女の子だ。

 だからこそ、くだらない男のプライドとでも言ってしまえば良いのだろうか。この世界で一番親しいと言っても過言ではない彼女に、悩みを打ち明けることができていなかった。


「じゃあ、話してくれ。誰にも言わないし、笑ったりもしない」

 彼女の眼は、相変わらず綺麗だった。

 本気の言葉だと、疑う余地もない。


 ……そうだ、彼女はいつも本気で俺のことを気にかけてくれてたじゃないか。

 あのアラートハンガーでの会話。十歳で軍隊に入ったと自分の過去を打ち明けてくれたときもそうだった。



 俺は大きく深呼吸してから、彼女に向き直る。

 サファイアの視線がまっすぐ俺の顔を見つめ、小さく頷いた。

「あの、実は……」




 そこからは、まるで決壊したダムのようにスラスラと言葉が流れ出してきた。

 戦闘機パイロットになりたくて努力を重ねてきたこと。視力が落ちてそれがかなわなくなったこと。

 でもこの世界で、そのチャンスをもらえたこと。




 その恩に報いるために、ルーニエスのためにできることはしようと思っていること。

 でも戦争というこの状況を、俺が楽しんでしまっているのではないかということ。そして、戦闘機に乗って空を飛んで、そのあとに俺は何をしたかったのかということ……。




 女の子が死んでいるかもしれないのに、俺は心の底から悲しむこともできていない。上っ面だけの感情しか持てていないんじゃないかってことも。




 シャルロットさんは目を閉じ、その全てを真剣に受け入れてくれた。

 聞き役に徹し、ところどころで適切な相槌も打ってくれる。だけど俺が一通り話し終わるまで、口をはさむことはしなかった。




 そしてあらかた吐き出し終えた俺は、それだけで少しだけ心が軽くなっているのを実感する。

 人に話を聞いて貰うっていうのは、本当に大事なことなんだって思ったりもして。




「なるほどなぁ」

 シャルロットさんは腕組を解き、軽く息をつきながら天を仰いだ。

 彼女のそのサファイアの瞳に、同じくらい青い空が映り込む。

 俺もつられて空を見る。




 今日もいい天気だ。

 雲ひとつないとまではいかないけど、それでも絶好のフライト日和だと言えるだろう。




 今空に上がったら、どんな景色が見えるんだろうか。

 彼女に思いのたけをぶちまけて軽くなった心には、そんな考えが浮かんできた。




「ルーキー、今空を見て何を考えた?」

「え? いや、今日飛んだら気持ちよさそうだなって……」

「それが答えなんじゃないか?」



 彼女はニヤリと笑い、俺の肩をポンと叩く。

「リョウスケ、お前は本当に空が好きなんだろうよ。それは間違いない。空を見て一番最初に『飛びたい』なんて抜かすのは、根っからの飛行機バカか鳥だけだ。

でも、どうして空を飛ぶのに戦闘機を選んだんだ? 民間のパイロットとか、他にも道はあったはずだ」

「それは……」

そうだ、俺が一番初めに戦闘機に乗りたいと思った瞬間は……。




「空を飛んでいる戦闘機を見て、かっこいいなって。それで俺も、戦闘機に乗りたいって思いました」

 あの日見たF-15J。今でも忘れない。

 真っ白なヴェイパーをその灰色の機体にまといながら、俺の頭上を旋回していったその機体に、俺は心奪われていたんだ。




 それは今でも、同じこと。




 彼女は再び、腕を組みながら続けた。

「リョウスケ。好きだから、好きな戦闘機で空を飛ぶ。まずこれは何も問題ないよな?」

「はい。でも、やっぱり戦闘機はどこまで行っても兵器なんだなって……。それで、戦闘を楽しんでるってことは戦争を楽しんでるってことで、それは人殺しを楽しんでることなんじゃないかって」



 言葉に出すことも憚られた。

 もしかして俺は戦闘狂で、人殺しを楽しんでるんじゃないかってことを。



 だけどシャルロットさんは、眉をひそめてキッパリと言い切った。

「それに関してはバカかお前はと言いたい。なんで戦闘を楽しむことが人殺しを楽しむことになるんだ? バカか?」

「えぇっ!? バカってそんな……!」

 こんなにバッサリ切られるとは思っていなかった。というか実際バカって言ってるし!

 結構マジメな悩みなんだけどなぁ……。


 

 頭の上にハテナマークを浮かべる俺に、彼女はあきれたようにため息をつく。

「あのなぁ、戦闘の結果確かに人が死ぬことはある。戦争で、戦闘が起きるから人が死ぬ。当然だ。でも、なんでそれをつなげて考える?」

「えっと……?」

よく、彼女の言っている意味が理解出来なかった。



「つまりな? もし、もしもだ。人が死なない戦闘と人が死ぬ戦闘が選べるとしたらお前はどっちを選ぶ?」

「それはもちろん、人が死なない戦闘です」

考えるまでもない。いくら敵国の人間とはいえ、殺さなくていいならそれに越したことはない。



「つまりそういうことだ。ここで後者を選んでいたなら、人殺しと戦闘を楽しんでるジャンキーってことだ。でもお前は、戦闘は楽しくても人を殺したくはないと思っているんだろう?」

「それは、はい」

「ほら、もう答え出てるじゃんか。お前は人殺しを楽しんでなんかいない。うーん、別のことで例えるならそうだな。銃が好きなだけで人殺しが好きだと結論付けるのはなんか違うだろ?」

「それは、確かに……」



 なんとなく理解できる。どんどん心が軽くなっていく。

 シャルロットさんはさらに続けた。



「あとな、女の子のことについて。これは持論なんだが、私はよく知りもしない赤の他人の死を悲しむのは、正直どうなんだろうと思ってる」

「それはいったい……」

「悲しいなんて感情は、普通制御できるもんじゃない。本当に大事な人を失ったときは、我慢なんてできるもんじゃないだろう。お前はまだわからないかもしれないけどな」



 そこで彼女はいったん区切り、大きくため息をついた。

 いったい、今彼女は何を思い返しているんだろうか?



「誤解を恐れず言うならば、赤の他人が死んだって時に出てくる感情は上っ面だけのものだ。確かに社会での付き合い上それが必要な時もある。でも必要以上に、上っ面の感情を表にぶら下げていく必要なんてないんじゃないか? 正直、私はあの女の子が死んだかもしれないとしても、まったく悲しくない。悔しいとは思うけどな。そもそもまだ死んだと決まった訳でもないし」



 彼女のその言葉で、心の靄がハッキリと消えた気がした。

 俺以外にも、彼女のことについて心の底から悲しみを抱いていないという人がいるというだけでも、ずいぶん心が軽くなった。


「結果的に人を殺す事になるかもしれないってのは、もう割り切るしかない。だってやらなきゃこっちがやられるんだから。理由のない人殺しを正当化するわけじゃない。殺さなくていいならそれが一番だ。でもこれは、戦争なんだと割り切るしかない」

 あぁやっぱり、そこはどうにもならないんだよなぁ……。

 戦闘機で空を飛びたい。でも、戦闘機は兵器。これは覆しようがない事実なんだから。


「リョウスケ、私が何のために戦ってるかわかるか? 悪い言い方をすれば、戦闘での人殺しを正当化してる理由だ」

「えっと……国とか、仲間のためとか……ですか?」

「違う。自分のためだ。メシを食うために戦闘機に乗って、生き残るために人を殺してる。言い訳も言い逃れもするつもりはない」


 俺は、言葉を返すことができない。

 そんな俺にやさしい微笑みを向けつつ、彼女はさらに続けた。


「こんな自分勝手な理由で人を殺して、罪悪感も何も抱いてない人間がいるんだぞ? お前の悩みなんて、悩むほどのものじゃない」

 彼女はそう言いながら、俺に背中を向けた。

 俺も銃の後片付けを急いで行い、彼女の背中を追う。


 射撃場を辞したところで、彼女は振り返った。

「でもな、最近。お前のためにトリガーを引いて、お前のために飛ぶのもいいかなって思ってる」


 そう言いながら、彼女は今まで見た中で一番キラキラした微笑みを俺に向けてくれたのだった。

 女の子としてではない。部下を見る上司としての微笑み。


 ……だけど正直、見とれた。



 常夏のマルタの街。当然照り付ける太陽と、身を焦がすうだるような暑さ。

 でもその全てが吹き飛んでしまうような、そんな微笑みだった。



二十四話へ続く。



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