第14話 憎しみの引き金

 俺たちのすぐそばで爆発が起きたのだという事を理解したのは、右手の先に転がるクマのぬいぐるみに触れた時だった。

 麻痺していた五感がやっと機能し始め、悲鳴と怒号、モノが焼ける匂いと熱、そして激痛が全身を支配した。


「シャルロットさん……!」

 痛む体に鞭を打ち、上半身を引き起こす。

 どうやら、彼女が咄嗟に庇ってくれたおかげで目立った外傷を受けずに済んだらしい。

 だが、その肝心の彼女がいまだにピクリとも動かないのだ。


 最悪のパターンが頭をよぎる。

 血の気が引き、体の痛みなど忘れて彼女の体を強く揺さぶった。


 もしかしたら自分のせいで彼女が……。

 頭が真っ白になり、ただただ彼女の体を揺さぶることしかできない。




「大丈夫ですか! シャルロットさん! シャルロットさん!!」

 周りのことなど気にもせず幾度か揺さぶると、



「いっててて……!」

 顔を苦痛にゆがませながらではあるが、彼女は自身の力でゆっくりと立ち上がった。


 心の底から安堵のため息が漏れだす。

 だが、少しばかり落ち着いてきたところで再び血の気が引く。

「シャ、シャルロットさん! あの女の子は……!」


 右手の先に転がる、焼けただれたクマのぬいぐるみ。

 持ち主の女の子の姿はどこにもない。


 それもそのはず。先ほど女の子が走り去っていった店の奥が、ごっそりなくなっていたのだ。

 残っているのは、まさに跡形もなく崩れ落ちた瓦礫の山と焼け焦げた洋服のなれの果てのみ。


「あ……あ……!!」

 全身が震えだす。言葉を発することができない。

 さっきまで笑っていたはずの女の子が、もうこの世にいない。


 急激に、世界が色を失っていく。

 生まれて初めての感情だった。


 初めてだから、これが何という名前の感情なのかすらもわからない。


 ただただ、目の前が真っ暗になっていくような感覚。

 思考が停滞していくような、そんな感覚。



「ルーキー! ルーキー!! おい! 大丈夫か! ケガしたのか!」


 ……ガクガクと体が揺れる。

 シャルロットさんが必死に俺の肩を揺らしているのだとわかるのに、だいぶ時間がかかった気がする。


「あの女の子と家族はきっと大丈夫だ! それより、ここは危険だ! 私たちも早く逃げるぞ!」

 だけど、足に力が入らなかった。

 いったい何が起きたのかすらわからない。誰か、一から説明してくれ。いったい何が起きたんだ? あの女の子は、家族はどこに……!



「おいリョウスケ!!!」


 名前を呼ばれ、ハッと我に返る。

 次いで、胸倉をつかみ上げられた。


「あの子たちはきっと無事だ! 私達も早く逃げなきゃヤバい! いいか! お前は戦闘機乗りなんだ! どんな時でも冷静に物事を判断できる人間になれ!」



 そ、そうだ。ネガティブな考えだけにとらわれちゃいけない。きっとあの女の子もその家族も、店を出ていたはずだ。それより今は自分の身を守らなくては。

 俺がここで足を動かさなければ、きっとシャルロットさんまで巻き込んでしまうことになる!




 なんとか立ち上がって崩れかけの店を辞し、あたりを見回す。

 目に飛び込んでくるのは、泣き叫ぶ人たち。耳に響き渡るのは、飛び交う怒号。

 サイレンを鳴り響かせながら緊急車両も走り回っていて、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図といった様相を呈していた。



 それもそのはず、街のそこかしこから黒煙が立ち上り、さらに少し先の店のいくつかも俺たちが出てきた洋服店のように、跡形もなく崩れ落ちていたのだから。


 あの黒煙の下では、同じように建物が崩壊しているのだろうか。



 その時、シャルロットさんの腕時計が雰囲気にまったくそぐわない可愛らしいアラーム音を響かせた。

 彼女は急いで腕時計を確認し、画面を軽くタッチする。


『シャル! リョースケ! 無事かい!?』

 

 すると、腕時計からリュートさんの声が流れ出してきた。


「サイナス、何があった!? 街が吹き飛んだぞ!」

『よかった! その様子だと無事なようだね! デート中に申し訳ないんだが、なるべく早く帰ってきてくれ!』


 リュートさんのその声は、今まで聞いた事がないほどの焦燥を纏っているような気がする。


「待て! 何があったんだ! まずそれを教えろ!」

 彼の次の言葉で、それが正しいということを確信した。


『メデュラドが、我がルーニエスに対して宣戦布告した! 宣戦同時攻撃だ! 早く基地へ帰ってきてくれ! ヘロンが全機上がったが、おそらく防ぎきれない!』


「わかった。十分で戻る! 聞いたなルーキー、買い物なんてしてる場合じゃなくなった。基地に帰るぞ!」



 こういう時のために、戦闘機パイロットはアラートハンガーでスクランブル待機をしていなければならないはずなのに。

 ヘロン無人戦闘機がスクランブルしたとはいえ、二人とも基地を離れてしまっているというこの現状。最悪のパターンだ。




 だが来てしまっているものは仕方がないのだ。なるべく早く基地に帰るほかはない。

 俺はあの女の子とその家族が無事であることを祈りつつ、駐車場への道をひた走った。





 所々から黒煙の立ち上る、悲鳴と怒号が支配したアーネストリアの街を飛び出し、基地への道を突き進む俺たちの車。

 街から少し離れれば喧噪は全く聞こえなくなり、まるで何事もなかったかのように、行きと同じような穏やかな雰囲気へと様変わりした。



 だが現状は最悪だ。

 運転に集中するシャルロットさんに変わり、助手席に座る俺がリュートさんとの会話を行って情報を受け取っているのだが、腕時計型携帯電話から報告される戦況は最悪と言っても過言ではないものだった。



『メデュラドは現在、国境上空に無人戦闘機四個飛行隊、その後方に攻撃機、および爆撃機部隊を配置し、制空権が確保でき次第ルーニエス国土に対する無差別爆撃を実施するつもりらしい。

地上でも、戦車を先頭にした大部隊が今現在も侵攻を続けている。それに加え長距離砲が国境近くの都市部に対して砲撃も開始している。こちらに対しては陸軍と海兵隊が、戦闘機部隊に対しては高射防空部隊と無人戦闘機が対応しているが、数が多すぎて正直長くはもたない。

そうなったら最悪だ。罪のない人々が多く住む都市部に爆弾の雨が降り注ぐことになる!』


「四個飛行隊……!? そんなに!?」



 一個飛行隊が一般的に一二機なので、合計四八機もの戦闘機が今まさにルーニエスの空を犯そうとしているということだ。



『他の基地からもスクランブル機が上がっているが、それも二個飛行隊だけだ! 守り切れる数ではない! だからこそ、君たちに上がってもらわなければ困るんだ!』

「わかってる! 今向かってる!」



 シャルロットさんはアクセルべた踏みで、俺の世界の軽自動車とは比較にならないほどの速度で突っ走っている。

 行きの三倍以上の速度だ。おそらくあと十分もせずに基地に到着することができるはずだ。



 だが十分あれば、敵は制空権を確保して爆撃機を進めてくるかもしれない。

 今は一分一秒すら惜しい。



「くそっ! 買い物になんて行ってなければこんなことには……!」

「過ぎたことを悔やむなルーキー! それより、基地についたら一秒でも早く空に上がれるよう準備を整えとけ!」

「は、はい!」

「それとリュート! メデュラドの連中はどういう用件でケンカを吹っかけてきたんだ!? 当然発表されてるんだろ!?」

『それが、まだ発表されてないんだ。なぜ宣戦布告されたのか、まったくわからない』

「なんだそれ! 理由も発表せず街に砲弾ブチこんだってのか!? ふざけんな!」

『全く同感だ。とにかく早く基地へ!』



 もうすでに、基地の管制塔が見え始めている。

 理由のわからない戦いの空に、これから上がるのだ。


 でも理由なんて今は必要ない。敵が攻め込んできて、罪のない人たちを傷つけた。

 俺はルーニエス国防空軍のパイロット。


 国を守るために戦うんだ。ほかに理由はいらないはずだ。


 言い聞かせるように深呼吸し、行く先を睨み付ける。

 基地入り口に立つ警備兵が大きく手を振り、俺たちの乗る車を中へと招き入れた。


 シャルロットさんは駐車場には向かわず、そのままエプロンへと。

 そしてエイルアンジェの待つハンガーのすぐそばで車を止めた。

 ハンガーの中では、ミサイルをフル装備したエイルアンジェがもうすでに離陸可能な状態でスタンバイしている。


「ルーキー、三分で上がるぞ! 遅れるなよ!」

「了解!」


 車を飛び降り、ハンガー内の更衣室へと駆け込んだ。

 飛行服と生命維持装置ベストを着込み、ヘルメットを抱え、ベストのホルスターへと拳銃を挿し込む。


「戦争、戦争か……」

 戦闘機パイロットとしての素質を見込まれてこの世界に呼び出され、この国のためにできることはしてやろうと思ってはいる。

 でも、まぎれもなくこれは戦争なんだ。ゲームでも何でもない。


「いや、今は考えてる暇なんてねぇ!」

 そうだ、俺が飛ばなければ、アーネストリアの街みたいに罪のない人たちが苦しむことになるんだ。

 俺は再び自分に言い聞かせ、洋服屋の女の子のことを無理やり頭の隅へと追いやってから、ハンガーへと向かって足を踏み出す。




 ハンガーに着くなり、俺の乗機の隣でケインさんが大きく手招きをした。

「ルーキー! 詳しい作戦内容は空に上がってからだそうだ! 今はとにかく発進を! 敵の長距離砲撃がいつ来るかわからねぇ!」

「了解! ケインさんたちも早く退避を!」

「お前らが上がったら防空壕に退避する! だから早く上がれ!」

「了解! エンジン回すので離れてください!」


 走り寄ってタラップを駆け上がり、一週間ぶりの射出座席へと身を預ける。

 簡単に計器類をチェックし、メイン電源を起動。


 教えてもらった通りにスクランブルシークエンスでエンジンを起動し、キャノピーを下降させた。


『こんにちはマスタ。一週間ぶりですね』

「あぁアンジェ、今回も頼むぞ!」

『任せておいてください』


 アンジェの声を聴くと、不思議と安心することができた。

 今回も大丈夫だと。根拠のない自信が湧き出してくる。


『離陸許可はすでに出ています。スパロウワン離陸の後、順次発進を。滑走路までのタキシングは、今回も私が担当します』

「サンキュー!」


 ゆっくりと動き出し、ハンガーの外へとその身をさらすエイルアンジェ。

 シャルロットさんの機体はすでに滑走路の離陸位置へとついており、すぐにバーナーを吐き出して急加速。

 あっという間に空の住人となった。


 俺たちもそれを追い、擦り切れたタキシングロードを速いペースで駆け抜けていく。

『マスター、今回は全てのハードポイントに三連ミサイルランチャーを釣り下げたフルパッケージです。前回と少し操縦特性が違いますので、そこだけ理解のほどを』

「ってことは、エウリュアレーが十八発か。ほんとにフル装備だな……」

『これでも足りないのです。敵は四個飛行隊だけでなく、そのあとに攻撃機と爆撃機も控えているのですから』

「そうなんだよな……」


 ビーム機銃が無限に発射できるとはいえ、四八機相手をするというのは無謀にも程がある。

 ゲームで五十対五十の大規模空中戦ならしたことがあるが、今現在こちらの戦力は相手の半分以下。

 しかも増援が到着するまでは、この基地の航空戦力だけで敵戦闘機を相手にしなければならない。


『どうしましたか? 何か問題が? マスターにはビーム機銃があるではありませんか』


 でもアンジェは、なんてことはないという感じでそう言ってのけたのだった。

 あぁ、そうだった。アンジェはこういう奴だった。人工知能のくせに、やけに人間臭い。そこがまた、彼女のチャームポイントなのだが。



『マスターとシャルロット様ならば、四個飛行隊など片手間で済ますことができるでしょう』

彼女に勇気をもらい、ほっぺたをひっぱたいて喝を入れる。

「そう、だな! やる前からしょげてちゃ話にならねぇ! 上がるぞアンジェ!」

『了解、離陸何時でもどうぞ』




 滑走路の離陸位置へとついた俺たち。

 フラップを下げ、ノーズホイールをロックする。



「スパロウツー、テイクオフ!」

スロットルをバーナー位置へ押しやり、ノーズギヤを解放。

 弾かれたように急加速を始める機体から伝わる振動が、精神を研ぎ澄ませていく。



 四十八機、たかが四十八機だ。十分で終わらせる!



『よし、上がったなルーキー! エンジン吹かせ! マッハで行くぞ!』

「了解!」



 俺とシャルロットさんは、バーナーを吐き出したまま戦場の空へと機首を巡らせた。



十五話へ続く

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