彼女は今朝、UFOに轢かれました。

高叢阿斗

彼女は今朝、UFOに轢かれました。


 ———朝目覚めるとUFOが壁に刺さっていた。


 ふざけていると思われたく無い、そんなことを無意識下で感じていたのかも知れない。その為に出だしの文章を何度書き直したかも分からない。しかし事実は事実、妙な体裁を気にして実際の出来事を捻じ曲げても仕方が無い。人も一人亡くなってしまっている。

 あるがまま、それで未来の僕がこの文章を見返した時にどう思うかは今の僕には分からない。しかしそれでいい。出来るだけ詳細に状況を書き記し、彼女への弔いとしたい。



 周囲にやけに肌寒さを感じた。朝日が浅くなってきた眠りの無の中に差し込み、僕は瞼を開いた。

 巨大な円盤状の塊が壁をぶち抜いているのが見える。


 その円盤状の物体は約直径5m。材質は分からないが、アルミを連想させる安っぽい輝きがあった。基本的な形状は昭和の白黒映画の中でピアノ線に吊られて回転しているような典型的なUFOのそれで、水色のペンキのようなものの上に白い着色でハイライトを思わせる斜線が描かれた円形の窓をも幾つか見えた。(※あくまで“思わせるもの”であって、実際には違うものであるのは間違いが無い。少なくともそれは丸く切られたダンボールをボンドか何かで貼り付けたようなものであった)

 その窓を思わせるものが付いた円盤の中心部分の、コクピットを思わせるものの出っ張りの頂点に、スプリングの先に黄色いピンポン球のようなものがついたものがびよんびよんと揺れている。

 そんな物体がいかにも「私、空から落ちてきました」というような角度で壁を突き破り僕が横たわっていたベッドの半分を破壊していたのである。

 起きたその時は、そのことも相まって、そこが何処だか暫く分からない状態のまま僕は暫くの間混乱した。放心状態で2〜3分程その物体を眺めた後、僕はふと手に付いたぬめるような感触に気付き、掌を見て思わず「うわ」と叫び声をあげた。

 それはおびただしい量の血液だった。

 傍を見遣ると半分破壊された血染めになったベッドとUFOの間に挟まるようにして潰れた稲田さんの姿があったのである。

「うあァぁァアーッ」


 その瞬間、僕はそこが何処かを思い出した。


 それは大学に入って付き合い始めたばかりの僕の恋人、稲田さんの実家の個人部屋だった。

「両親が旅行に行くから、今週末私の部屋に遊びに来ない?」

 僕らは勉強ばかりしていた為、お互いに奥手で恋愛をしたのは初めてのことであり、付き合って半年を経ても彼女は処女であったし、僕も童貞のままだった。しかし、この彼女の提案に明確なメッセージ性を感じた僕は、意を決して昨日彼女の部屋に来たのだ。

 しかし結局お互いに下着姿のままベッドに無言のまま隣り合って座ったまま数時間が経過し、結局セックスすることは無かったが、布団に包まりながら抱き合って寝たことは二人の間で大きな進展であり、幸福感の絶頂の内に二人は同じ布団に包まった。


 その愛しい彼女の顔が得体の知れないUFO状の何かに潰されてひしゃげているのである。


 うああーッ

 ああー……。

 ………。

 ……ああんッ?


 混乱と慟哭が交互に襲い、僕の脳味噌は崩壊寸前だった。

 どう見ても間違いなく紛れも無いUFOだ。幼稚園児でも分かる。むしろ、成長して社会に適応した大人より、子供の方が見たままを素直に受け止めるのかもしれない、兎にも角にもその謎の物体のてっぺん、ピンポン球がびよんびよんと風に揺れている。

 その愉快な動きと潰れた恋人の顔が頭の中で交互に切り替わり、それは高速化、やがて融合し、気付くと僕は絶叫していた。


「うああアぁァーッッ!?」


 その時に、もしかしたら僕の頭の線は切れてしまっていたのかも知れない。


「朋美ー。誰か部屋に居るのかー」

 ふと、絶叫する僕の鼓膜に男の声が聞こえ、階段を登ってくる人の気配を感じた。

 僕は事前の情報では居る筈の無い彼女の父親の存在に対する恐怖と、目の前の理解不能なことがらに対する恐怖を混ぜこぜにする脳味噌が阿鼻叫喚の指令を下し続けることに逆らえないまま狂ったように叫び続けた。

 そしてそれは勢いよく開けられた引き戸の音に極まり、突如停止した。

「誰だ…、お前…」

 ピンと張り詰めた空気に壁の裂け目から遠くでちゅんちゅんとさえずる雀の声がその細やかな輪郭を持って浮かび上がった。

 そして次の瞬間そのギリギリの均衡を保っていた静寂は決壊した。

「お前誰ーッ!」

 その怒号は言葉の上では僕に向けられてはいたが、彼女の父親の絶叫を構成する不安は僕より、寧ろ背後のUFOに向けられているのが伝わってくる。

 そして次の瞬間には僕の存在は彼の意識の中から完全に消え去り、UFO状の何かを定義する処理が脳のメモリの総てを占有する事態に発展していることが彼の外部表現に現れ出でていたのである。


「あ…、ああんっ?


 ——あ、

 ………は??」


 彼の気持ちが僕には我が事のようによく分かる心地がした。

 それはほんの数分前の僕の混乱の追体験であったに違いない。状況を把握しようにも脳の処理が眼前の事象に追いつかないのである。

 “頭が真っ白になる”という言葉を耳にすることがある。しかし殆どの場合においてその程度というものはその表現を使用するのに沿わない。本当に頭が真っ白になるとは、あの場に居合わせた者の体験を指して言うのだ。これは本当にその場にいたものにしか分からない。目の前でUFOに愛しい人間が潰されている状況に遭遇した者にしか。その意味においては間違いなくその瞬間、僕は世界で唯一彼のことを理解する人間であったに違いない。

 彼は呆然と巨大なUFOを眺めていた。恐らく人間が体験できる最も純粋な虚無感の中で——

「あの、た、助けて下さい。朋美さんが、朋美さんが、UFOに潰されて…」


 ——自分でも何を言っているのかよく分からない。


 しかし、それは紛れも無い事実、“よく分からない”のは、僕の言葉の選び方ではない。混沌とした眼前の現実の方である。

 僕の声に正体の感じられない彼女の父親の双眸そうぼうが血染めのシーツに落ちた。僕は思わず顔を反らした。そこには潰れた彼女のがあるのである。

 しかし僕を嘲笑うように視線を逸らしたことは見事に裏目に出ることとなった。

 反らした視線の先にはピンポン球がびよんびよんと揺れ続けていたのである。


 ——ひきちぎってやりたい。


 何かに八つ当たりしても、例え彼女に死を与えたこのUFOをめちゃめちゃに破壊することが出来たとしても彼女が蘇ることは無い。虚しさが増すばかりなのは目に見えている。

 しかし理性と感情は全く別のもので、僕は言語を絶する強烈な怒りで、スプリングの先のピンポン球に飛びかかる寸前だった。辛うじてその衝動を抑えると、僕の両手は膝の上の布団を握りしめ、目には涙が溢れ出てきた。

 僕は直接見ることをしないまま、知らぬ内に傍で潰れていた彼女の顔を脳裏に浮かべてしまっていた。今、彼女を見つめている父親はどんな気持ちなのだろうか。少なくとも、今の潰れた彼女に、生前のあの可愛らしい笑顔を重ねることは非常に困難を極める処理となるであろうことが予見できる。


 潰れた彼女は、“ひょっとこ”の面のような、どこか人を馬鹿にしたような顔で、どこか、おかしいというか、何か、少し悲しそうな感じが、とても——


 ——笑える感じになってしまっているのである。


 亡くなった人間を、しかも恋人である、その遺体を見て笑える感じであった等と言えば、大多数の人は僕を非難するのだろう。しかしその時は状況が違っていた、ということを僕は言いたい。

 例えば、目の前で殺されかけている人を救うべく止む無く行われた殺人に対する罪に対してどう評価するのか、というのは、その状況や背景の詳細な情報を集めた上で多角的に論じられるべきだ。つまり、僕が「笑える感じ」ということを思ったことに対しても端的に取り扱うようなことをして評価を下すべきではないのである。

 状況を示すものとして先ず僕は彼らに朋美のその時の写真を見せることだろう。いや、もちろん無いけども。兎に角、見せられた者は必ず噴き出す。その直前まで僕を非難していた自分の判断の方こそが誤りであったことを瞬時に悟り、僕に同情し、完全納得する。

 断っておくが僕は彼女を笑い者にしたい訳では決してない。もう本当に、とにかく桁外れ。酷い有り様なんです。

 未来の自分がこの一件によりどんな精神を持つ人間に変化しているかは見当も出来ないが、少なくとも当時僕は死体を見て笑うような精神疾患をもっている男では決してなかった。ましてや、それは僕の初恋の人だ。笑う理由が何処にあるというのか。

 だいぶん長いこと彼女の顔が滑稽なことになっていたことに関する周辺のことについて述べたので、話を少し戻そうと思う。

 僕が助けを求める部分からである。


「あの、た、助けて下さい。朋美さんが、朋美さんが、UFOに潰されて」

「何? あ、とも…、朋美…? ともみぃぃッ!」

 彼女の父親が僕をはね退け、転げ回るように彼女の方へ寄った。こんな悲惨な状態であっても、親というのは自分の娘が一目で分かるものなのだ、ということを思った。間違いなく彼女は愛されていた。

 しかしその父もその愉快な顔を見て悲壮感が漂っていた表情を少し違うベクトルの方へ歪ませながら、“困ったな”という感じで「こんな…、なんだこれ。えーっ?」と頭を掻いている。

「お父さん…」

 僕の問いかけに静寂が再び周囲を包んだ。

 そして父親の頭がぐるりとこちらを向いた。

「…お前誰だよ」

 得体の知れない人間が家に侵入している、という状況に神経を傾ける方が狂わずに済むからなのだろう。それでも僕の方へ顔を向けた父親の声は、恐怖に飲み込まれぬよう何とか峻厳さのある体裁を保とうとはしていたが、体験したことのないレベルの不安に震えていた。

「あの」

「お、おま、お前誰だよって聞いてんのだよォ! こっちはぁッ」

 彼女の父親はベッドの上で子供のように地団駄を踏んで発狂したようにまくし立てた。

「や、山田!……山田、太郎、です」

「山田……、太郎……?」

 彼女の父親は目に涙を溜め、僕を真っ直ぐに睨みながら鼻で深く何度か呼吸し、僕がふざけている訳ではないのを感じ取ったのか、すっと視線を外し、うつむき、頭を掻きむしった。

 そして、足元の娘の顔をちらりと見た後、再び「ああああッ!」とつま先立ちで仰け反るように咆哮し、勢い余って足を滑らしベッドから落ちた。そして頭をUFOにぶつけ、血溜まりのフローリングに倒れた。

 床の血がシーツに飛び散り、ピンポン球が衝撃に一層大きく振れる。

「ああ…、何だ。何なんだよ、もう…、これは一体」

 血塗れの父親は嗚咽交じりにその場に胡座あぐらを掻いて前後に数回揺れると、スクッと立ち上がり、「おい、ママッ。ママァッ!」と叫びながら大股でどたどたと部屋を出て行った。


 しばらくすると下の階から父親の絶叫と、皿の割れる音が聞こえてきた。


 僕は膝に布団をかけたまま、一切の混沌とした状況を受け入れるように壁に上半身を預けてぐったりとして次の展開を待った。病床にて死を待つ老人とはこんな気持ちなのだろうか、と僕は思った。


 ふと脳裏に昨夜布団に包まって作った二人だけの世界の出来事が蘇った。

「いつか、僕と結婚して欲しい。絶対稼げるようになってみせるから」

「嬉しい」

「あのさ、好きだよ」

「…え」

「ちゃんと言ったことなかったよね。…実際言ってみると結構恥ずかしいな」

「ふふ。うん、あのね」


 ——私も、好き。ずっと前から。


 布団の闇の中であっても、彼女が喜びに目に涙を溜めていたのが分かった。そしてそれが二人の間で交わした最後の会話となってしまった。


 僕はふと傍の彼女の潰れた顔を眺めた。

「………神よ」

 そして、何とかこの悲しい気持ちの中に留まろうということを思って努力をした。

 辛辣な表情を維持しようと努めた。


 彼女の鼻から一本だけ長い毛が出ていたのである。


「もう、やめてくれ、頼むから。神様」


 絶望と矛盾するような笑いの腹筋の強張りが同居していた。


 神様の名前を呼んでこうしてお願い事をするのはもうずっと昔のことだった。

 あれは僕がほんの4、5歳の時に弟が事故に遭って、手術の無事を願った時。

 結局弟は半身不随になって、人工呼吸器無しには生きられない身体になってしまった。


「神は、いない」


 お願いをしておきながら、僕はそう確信した。本当にこの世界に神が存在するのであれば、こんな過酷な状況を僕に与える訳は無いのだ。自分が何をしたというのか。


 ふと、言葉もなく父親が部屋に入ってきた。そして部屋の入り口でUFOをぼんやりと眺める朋美の母親の方へ振り返った。

 父からの訳のわからない情報と怒号によって心を滅茶苦茶にした直後なのか、既に母親は目を真っ赤に腫らしていた。

「何っ…、これ…?」

 父親は応えることなくUFOの方を眺めた。誰にも答えられる訳は無い。明らかにUFOだからだ。そして彼はふと「ママ」と呼んだ後血溜まりの方へ頭を向け、朋美の遺体の在る場所を示した。

 膝を抱え込むようにして爪を噛む僕の視界の中を、スリッパを履いた朋美の母親の脚がガラスを踏みしめながら無言で歩いていく。そして「ひ」という声の直後、母親の絶叫が部屋に木霊した。

「ひゃああァーッ」

 爪を噛む僕の鼓膜をその悲痛な絶叫が無感動に揺らした。父親は血塗れの服のまま、泣き叫ぶ母親を背後から抱きしめ、「寿子ひさこ寿子ひさこ…」と朋美の母親の名を呟くようにして呼んだ。

 僕は虚ろな意識の中で二人の方を眺めた。日が昇り出し、差し込む太陽を背に抱くようにして、巨大なUFOの輪郭が逆光に白く光っている。その手前で震える母を背後から抱いてぽんぽんと肩をたたく父は何かを諦めた子供のようにうなだれ、母親も鼻を啜りながら「何でぇ? うう、何でぇっ?」と子供のように泣いている。


 しばらく父は母を抱きかかえていたが、ふと「おい、君」と僕の方を向いた。

「……はい?」

「そう、君だ、山田太郎」

 父の沈んだ声が僕を呼んだ。

「はい」

「何なんだ…、これは」

 それは何か特定の事柄を指して言ったことでは無かっただろう。言うなれば“すべて”、そう、この状況を生み出した宇宙の一切を対象にしていたと言っても過言では無いのかも知れない。勿論僕には世界が何故カオスという性質を持っているのか、ということについて応えることなど出来る筈も無い。どんなに世界のことを理解した気になっても、現実というものは私達の想像の遥か斜めをゆく展開の連続だ。

 捉えようとすればする程曖昧になっていく素粒子にもこの宇宙のその性質は表われている。そんなものが数という概念が適用されない程の多元的無限性の内に関連し合っている宇宙に想いを馳せると、理解という概念自体が虚妄なのだと悟られてくる。

 そんな僕の気持ちを察したのか朋美の父親は、「お前は…、何だ。——宇宙人か」と質問を変えた。ふと父の腕の中の母が「ふ」と空気を漏らして肩を揺らした。——笑っている。

「違います」

 時折僕の瞳に直接届く日の光を揺れるピンボン玉の影が遮ぎる。

「ふ、ふはっ、ふはは。そうだろう。そうだろうなぁ。宇宙人じゃあねえよなぁ…」

「………」


 ——じゃあ何なんだこのUFOはぁーッ!?


 父親の絶叫が破れた壁の裂け目から三鷹中に木霊した。

「…分かりません」

「分かりませんじゃねえだろ! ところでお前は何なんだよ! 何度も聞いてるけども、なあ、おいィッ!!」

「………」

 口がパクパクとは動くものの声が出ない。僕は疲弊しきっていた。心は途方も無い広大な世界をぼんやりと眺めていた。

 常に世界を分析し、理解という虚妄の内に捉えようとする自我を破壊し続け、リアリティを体得することを目指すぜん。その、ひとつの境地の片鱗を僕は見ていた。

「ああ…、そうか。全て分かったぞ。そうだったんだ」

 僕はそれまでの人生が一種の幻であることを体得し、くすりと微笑んだ。


 それまでの人生の中で、もっとも自然に。そう、その時、僕は宇宙の微笑み、それ自身であった。


「こ…、このッ!!」

 父親は自分が無視されたと感じたのか、虚無性、即ち、宇宙である僕自身へ飛びかかって来た。

「お前は誰かって聞いてんだよ、こっちわァ!?」

 父親は僕の頭の横の毛を両手で掴んでガクガクと揺らした。しかしその時の僕にとっては痛みすらもどこか遠い出来事のように感じられた。視界の片隅に母親が呆然と床の血溜まりを眺めているのが映る。

「僕は…、僕は朋美さんの、恋人です」

 僕は只、あるがままに応えた。

「ああん!? ふざけやがって!貴様、裸じゃねえかおい!!」

 頭を揺らす腕が一層激しく揺れた。

「はい、裸です。すみません」

 そう僕は裸。裸即ち僕、即宇宙である。

「すみませんじゃ…、ねえだろてめえッ!!」

「あべし」

 突如、ゴツっという音と共に脳が激しく揺れる感覚がした。殴りつけられた僕は背後の壁に叩きつけられ、口や鼻からボタボタと落ちたシーツの血の上に折れた歯が落ち、僕は意識を宇宙から取り戻した。

「…あなた、やめて」

「てめえ、山田太郎…、お前だ。お前が殺したんだ、朋美を! このっ!覚えやすい名前しやがって!」

 ——それは今は関係無い。

「ふっ…、も、もうやめてっ!」

 僕の髪の毛を掴んでもう一発浴びせようとする父へ母親が叫んだ。

「寿子、こいつだ。こいつのせいなんだよ、全部」

 母親は恐怖と笑いにガタガタと震えながら「……もう、お願いだから、やめて」と訴え、父親は拳を振り上げたまま涙をボロボロと流した目で僕を睨んでいる。

「いいや、やめない。なあ、お前だやったんだろ。太郎君よ!」

「ち、違います…」

「じゃあこのUFOは何なんだ! 答えねえと同じ目に遭わせるぞ!」

 同じ目に遭わせる……?

「分かりません。ぐっ、分かりましぇん!」

 分かりませんと言う度に僕は何度も何度も殴られた。朦朧とした意識の中で母親が「あなた、外に出ましょう」と言うのを僕は聞いた。

「ああん!?」

「いいから、ここから出ようって言ってんの、私は…!」

「出てどうすんだこれ…っ。この、UFOはぁッ!」

「その言葉を出さないでよ!!」

 母親も精神が限界を超えた様子で言葉遣いが乱暴になってきた。

「お願いだから。意味が分からないから考えたくないの、もういやなのッ」

「どーすんだよ、じゃあ。どうすりゃいいんだよ、俺は! ところでお前、ちゃんと見たのか!? その、朋美の…、顔を」

「み、見たわよ! 凄かったわよ! って、何笑ってんのよあんた! 娘よ? 死んでるのよ!?」

 二人とも泣いてるんだか怒っているんだか笑っているんだか分からない。全ての感情が同居し、この場に包摂ほうせつされている。

「あー、もう嫌、もう嫌よ私は! 私帰ります、帰らさせて頂きます! 金輪際二度とこの部屋に足を踏み入れたくありません、来ませんから!」

「帰るってどこにだ。おい、寿子ひさこ!!」

「分からないわよ! もう何もかも!! あの顔、あっはっは、うわああーッ!?」

 部屋を落ち着きなくウロウロしていた母親は朋子の鼻毛を見て錯乱状態になり、UFO方へと走って激突した。頭を強く打ち付け過ぎたのか、白目になったその一瞬の表情が僕の網膜に未だ焼き付いている。彼女は失神、膝から崩れ落ちるようにして倒れた。しかし数秒の後に再び身体をよろよろと起こし、薬指の指輪を床に叩きつけると拳を振りかざし、UFOを思いっきり殴りつけた。



「こんなもの、こんなもの!!


あんたさえ落ちて来なければ!!


あんたさえェッ!!」



 UFOを殴る母親の拳の皮がどんどんと捲れ血だらけになっていく。



「朋美、朋美、朋美」

 体が震える。この震えは何なのか。その時、何故僕は彼女の名前を呼んだのか。愛しさ、悲しさ、憎しみ、絶望、虚無。


 神よ。


 ああ、神よ。



 神よ。



 雲ひとつない空に、スプリングの先についたピンポン球がいつまでもびよんびよんと揺れつづけていた。

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彼女は今朝、UFOに轢かれました。 高叢阿斗 @atotakahashi

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