第20話夕闇の神殿(その四)

 雄叫びをあげて、クラインが落とし穴の壁に剣を突き立てた。

 腰にはバルダーナとリザがすがりついている。

「け、剣士!」

 クラインは喉を鳴らしながら、応えようとして、言葉が出てこない。

「ぜい、ひゅうっ」

 とクラインの喉が悲鳴を上げ、剣が壁をえぐりつつすっぽ抜けた。

 頃は昼。だというのに、明るい光の片鱗もない。地獄はまだ深く、三人は取り残されてしまった。

「落ちてきたのか……」

 バルダーナが起き上がる。体が半分エーテル体なので、ダメージが小さかったようだ。

 そしてリザ。彼女は一切の物理的制約を受け付けないから、一緒に落ちてきたのは単なる付き合いの良さだ。

「リザ、平気か?」

「ん、大丈夫なようだ」

「剣士は?」

「なんの、たいしたことではない」

 クラインがあたりを見回すと、てん、てんとほのかな明かりがつく。

 命の灯火ではない、なにか、攻撃的な意図をもって灯されたもの。

「光の、方陣」

 リザが言った。

 よく見れば、光る方陣の中央には小さな球体が点滅している。

「あれはなんだ?」

 と、クラインが言うと、

「あれは攻防一体の方陣で、敵を封じ込めたり、痛めつけたりする魔法だ」

「魔法だと? えらく派手なことをしてくれるじゃないか」

 決して油断のならないものだ。だがクラインは、ものは試しと進み出る。

「ばか、進むな!」

 バルダーナの忠告も、意味を成さない。

 一歩、方陣に近づくと、点滅が激しくなり、人を寄せ付けまいとするように真紅に光る。

 のみならず、踏み込んできたクラインの体に刻印をするかのように、禍々しい力がまとわりついてくるではないか。

「ぐああ!」

「剣士!」

 バルダーナが、必死の形相で、蒼いマントをもって、クラインの背中を抱きしめる。

 すると、禍々しい力は勢いをなくし、光の明滅もやんだ。

「無茶なことをするな……剣士!」

「たぶんこんなことだと思っていた」

「この方陣はわたくしにも解けない。これは、遠隔操作系のオーブが近くにあるぞ。術者もだ」

 リザがそういうと、クラインは鼻で笑った。

「ありがとうよ、バルダーナ。おまえ本気出すとすごいやつなんだな。リザ、このズラッとならんだ方陣を操る奴がいると言ったか」

 すると、リザは黙ってうなずく。

「なら、そいつを片付けてくる」

 クラインは肩から落ちたマントを拾い上げ、二人に被せた。

「け、剣士。これは……っ」

「なんでか知らないが、オレを守ってくれたんだな。こんどは自分の身をしっかり守れ」

「ば……バカヤロー! そんなこと、言われなくったってだなあ~!」

 二人を尻目にクラインはく、と笑う。

 彼の歩む道のりから、じり、と空気の震える音がした。

 構わず押し進むと、妖しい煙と幻惑の香りが流れる。

「おうおう、ぴりぴりしやがって、今行くからよ……おとなしく待ってな」

 彼が呟くと、方陣の力はいや増す。

 だが、熱を帯びるその威圧感もものともせずにクラインはオーブを見つけ出した。

 それは小さな瑠璃色をしている。触れようとすると、パチパチっと火花が散る。

「少しばかりの痛い目は、覚悟の上だぜ」

 クラインは靴底から煙を発しながら、細い壇上へと登る。オーブはそこにある。

「ここにございと、鎮座ましましてると、思ってたぜ。なにせ、魔法使いの最強アイテムだもんなあ!」

 言うと、クラインはオーブを剣で叩き割ろうとした。

 簡単にはいかない。オーブが反応するに従って、剣もダメージを受ける。


 ガキィ!


 と、言う音と共に、剣もオーブも砕け散ってしまった。

「チイ、剣が……」

 しかし、あたりを包んでいた異様な空気は消え失せる。

「剣士――!」

 バルダーナとリザが駆け寄った。

「来るな! まだだ……」

 クラインが見返ったところには、真鍮の扉があった。

 細長い壇上に階段はついてない。クラインはそこから二人を見下ろして、言い放つと、オーブの真後ろにあった扉の取っ手に手を触れる。

「な、なんだよ。まだって。これ以上なんかあるのかよ!」

「バルダーナ、オーブの使用者がそばにいる」

「ああ? つまりそいつを倒すまで、オレらはここから一歩も出られないのか?」

 見回す空間はほの暗い。威力を失った球体の放つあかりが唯一の光源だ。

「こんなことはしょっちゅうだ。地上ではな」

「!」

 バルダーナは、うつむきがちだった顔をはっと上げると、羽織っていたマントを差し出し、自分の手をクラインのそれに重ねる。

「オ、オレはしょっちゅうじゃないぞ」

 そして赤くなった顔をもたげて、クラインを見る。

「……わかった」

 と、クラインはマントを受け取った。

 扉はなんなく、取っ手がまわる。が、開きかけたとたん、爆発した。無事だったのはクラインのみで、後方へ吹っ飛ばされたバルダーナと、爆風の煽りをうけて倒れたリザが折り重なっている。

 崩れ去った扉の向こうには、左右に無数の扉のある細長い通路が出現した。だが、今の爆発で、それら一つ一つに、果敢に向かっていくには痛手が大きすぎた。

「納骨堂……?」

 リザがなんとか起き上がって言うと、

「こんな地獄にな」

 と、クラインは眉間をよせる。

 そのとき、砕けたはずの瑠璃のオーブがぎらりと輝き、光の方陣が再び激しく明滅し始めた。

「まずい! リザ、バルダーナ、こちらへ!」

 罠でもなんでも、その爆発を避けるには、そちらの通路へ逃げるしかない。

 全ての方陣が消えたとき、彼らはひどい爆風で、神殿奥まで追いこまれてしまった。

 クラインは振り返っては、微かにため息し、

「まさか、あそこで剣を失うとは……」

 思わず漏らす。

 聞きつけて、バルダーナが気の毒がって、何とも言えない表情をする。

 そのとき。

 永遠とも見えた神殿の奥地から、うめき声のようなものがするではないか。

「なんだ? 今のは」

 バルダーナが顔をそちらへ向け、顔をしかめる。

 嫌な予感にリザが身震い。

「なあ、姫さん、あの強力な方陣をいくつも使いこなすオーブの持ち主は健在だろうか?」

 クラインの嗅覚に答えは出ていた。爆煙に混じって、見えざる者の確かな存在を、感じ取っていたのだ。

「ああ、ここで眠ってたんだろう」

 そう返すリザに、バルダーナが質問する。

「なぜ、眠っているとわかるんだ?」

「間違えないで、眠っていた、と言ったの。見て、あの場所だけ命の炎が盛りだくさん」

「鎮魂のため……か?」

 バルダーナが無防備に進み出ると、クラインがぼりぼりと頭をかいて、

「そうだろうさ。そしてオレたちは、そいつを目覚めさせちまった。まるで罠だ」

(誰だね?)

 そのときかすれ声で、静けさを破る者がいた。その声は言う。

(すぐに帰れ)

「誰だと言われても……な」

 剣を失った痛手を、克服しきれていないクラインはぼそりと呟く。

「帰る道があるなら、教えていただきたいくらいだ」

(教えろだと? 永く封印されていた私が知るわけなかろう。とっとと来た道を帰れと言っている)

「だから、その道はないんだ。塞がれていて」

(ながながと居座る気なら、食ろうてやろう)

 そして。

 神殿の奥の奥で、三人と対峙したのは。

 それはたくさんのオーブの中から出てきた怨霊の主。

(めでたい夕闇の長が、封印に山としかけていったおかげで、退屈だったぞ)

「あんた、いつからここにいたんだ。退屈するほど眠っていたのか?」

 クラインが言うと、怨霊は形にならない姿で、声をくぐもらせる。

(もう、憶えてはおらなんだ……朝霧の神殿で見初めた少女をこの腕に抱いたときから、幾星霜、この想いまでも封じ込められてな)

「少女を見初めたア?」

 バルダーナが素っ頓狂に、口を開く。

「アハハッ。おかしいや」

 すると怨霊はいらいらと震えながら膨れ上がる。

(おかしいか。どこがどのようにおかしいか、言うてみい!)

「だってさ、おまえ、犬だろう?」

(……犬、だと?)

「そう。しっぽが出てらあ」

 と、バルダーナは腹を抱えて笑う。

「シッ、そう笑うものではない」

 クラインが言うと、バルダーナはさらに笑う。

「地獄の番犬が、死霊に懸想したら、そりゃ、おかしいよ」

「別にそれほどおかしくないが。いい加減に笑うのをやめなさい」

 身に憶えのあるクラインがいくら言っても聞き入れない。

「しっぽが~、しっぽが三本ある~」

「まて、尾が三本、だと?」

 クラインが身を乗り出した時にはもう遅い。


 バシイ!


 バルダーナは、怨霊の突進を避けられなかった。

 そして、その怨霊は巨大な影を、ふつふつと増大させていた……。

「頭が三つある~!」

 叫びながらバルダーナは壁まで吹っ飛ぶ。

「いてて……」

 遥か後方で、がらがらと崩れ落ちてくるなにかにうずもれて、バルダーナはそれでも身を震わせて笑っていた。

「ふふっ、ふふふっ」

 結構、余裕のようだ。

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