第18話夕闇の神殿(その二)
闇の支配を受けつけない朝霧の神殿と違い、夕闇の神殿は光の侵入を許さない。
そのかわり、死者の命の残り火を灯して、亡者たちをいいなりにしている。
蒼い石畳に、がつがつと靴音をたてて、使者たちが犠牲者を引っ立ててきた。
「この者の命の灯は、いくばくかの?」
悪霊の長が、舌なめずり。
「放せ! このやろー」
「ずいぶんと、活きのいい奴が、来たな。まて……その者は、肉体を纏うておるのではないのか?」
「片耳はないがな」
ぼそり、と背後の男がつぶやいた。
「そちらのは、異形か。めずらしくもない。さっさと実体を消して、亡者となれ」
悪霊の長が両腕をふりかざすと、影もふくれあがる。
「やめろー!」
バルダーナの声がいんいんと響いた。
「……」
悪霊の長は、杖を胸の前で握りしめ、ぶつぶつとスペルを唱えている。
と、そこへ紅い光を放って、クラインの長剣がつきつけられた。
「悪霊は、これが苦手だったな?」
「うむむ……魔封じの呪が施されておる」
悪霊の長は、退いて瞳の熾火を輝かす。
「おまえのたてがみ、爪、牙、瞳……ずいぶんなことだ。地獄にこれだけの大物が放置されているとは。どこの神のしわざじゃ?」
クラインは、まとわりつく亡者の視線をはねのけ、言った。
「ほかのだれかや、どこぞの宗教の神に、加護をいただいているわけではない。気がふさいで森に入ったら、地獄とやらに招かれた」
バルダーナが一瞬、目をきょとんとさせた。
「えっ、死んだんじゃなかったの?」
悪霊の長は、腐臭をさせて、身を乗り出す。
「ほう……では、肉体を纏ってここへ来たと。よくも無事でいられたものよ」
「だから」
「いや、無事、ではないのだな……魂が欠け始めておる」
バルダーナが一気に肩を落とした。
「……剣士。そんな……」
「魂が摩耗しておっては、火種にならぬ。いっそ、術具のコレクションに、そのたてがみを壁に飾ってやる。いや、司令塔の宮にささげものとしてやろう」
しゃーん!
悪霊の長の杖の頭が大きくうごめき、ふくれあがり、不格好なしゃれこうべの塊となった。
そのしゃれこうべの無数の口が、しゃんしゃんと鳴る鈴のように、呪いのスペルをつむぎだす。
「そのようなもの!」
悪霊よけの剣が、なぎ払った。あたりは闇に包まれていく。
「む」
クラインが異常な事態に身じろぎすると、背後からバルダーナの悲鳴がした。
(あれは……バルダーナ)
「剣士!」
「ち、油断」
その間も、しゃんしゃんとすぐそばで呪いの鈴は鳴って、クラインの耳をまず直撃した。
「なに……何も聞こえない。いきなりこれはどうしたことだ」
すぱっ!
何かが風を切る気配がし、クラインは身を沈めて様子を見る。耳の先をなにかがかすめていく。
しゃれこうべが、無数にクラインをとりまき、動きまわり、目に熾火を灯してけたけたと口を鳴らす。
『ケンシ!』
クラインの目に一瞬だが、バルダーナの泣きっ面が見えた。
聞こえない耳……バルダーナの涙と叫びをあげる、口の動きだけがとどく。
(バルダーナ、よせ。こんなときはジッとしているんだ)
クラインの心の声とはうらはらに、バルダーナはもがき続ける。
こんどは、しゃれこうべの口から、青白い光線が放たれ、クラインの視力をうばってゆく。
「何も見えない……どこだ。攻撃の順番がばらばらだ」
「ふふふ、その通り。言うてもわかるまいが、定石通りの手段など選ばん。なぜなら、ここは悪霊の力が最強になる場所なのだから!」
かーん。
犠牲者が、門をくぐった合図がする。
暗闇をひき裂いて、光が突き刺ささった。
リザが、光の矢となって、乗りこんできたのだ。
クラインのそばで、うっすらと透けた体のバルダーナが、顔を上げてそれを見た。
「バルダーナ!」
「リザ!」
「やはり……まさかとは思ったが。来てみてよかった」
「ちっともよくない。剣士がもてあそばれて……」
「しかし、その体は……う!」
クラインが後ろざまに倒れる。動かない。
「剣士――!」
「バルダーナ。そこまでその男の事を……」
「放っておいてくれよ! オレは生まれてこのかた、この身を心配されたことなんてなかった。剣士! あんただけだったってのに!」
「……しかたない。ひとつ貸しだ。バルダーナ」
リザの命が、炎となって、緋色に燃える。紅い瞳が真紅となって、血の涙を流す。
「退け、悪霊!」
気高くも美しい、孤高の叫び。
「命を使い尽くしたおまえに、用なぞないわ!」
悪霊の長は、リザの恫喝をふり払うように腕を広げた。
「なぜそれを知っている?」
「なぜなら、風の樹の情報を死霊に渡すのは、私の役目だからだ! 死霊は朝霧の神殿へ自ら赴き、己の肉体を取り戻す……」
「つまり、その肉体を対価に風の樹に願いをかなえてもらえと、そそのかしたわけだな。そうまでして一体、何をたくらんでいる?」
「昔も今も、この地獄の、永くあらんことをだ!」
悪霊の長の投擲を、ふわりと宙に浮いてかわすリザ。その体は白光を放つ。
「くっ、肉体が価値をなくして、初めて役に立つとは、おかしなものだな。もっとも、わたくしの本性は光など受け付けんがな」
「そうだ、根っこよ」
「む!」
「光など一生浴びることのない、存在。そういうモノだ……おまえは」
天まで届かんと、ふくれあがった悪霊の長の、朽木のような腕が差しのばされる。あごを捕らえられて、身震いするリザ。悪霊の長は、けたけたと歯をならして嗤う。
「馬鹿め。この私が、死霊の名を知らぬと思うてか!」
リザはその腕をふり払った。風がびょうびょうと吹いていた。
「根っこだろうと、わたくし自身が輝いてさえいれば、仲間ができる! バルダーナのために、全ての命を使うぞ!」
悪霊の長はあごを持ち上げ、リザを見下ろす。
「そのバルダーナは、おまえの命をかけるにふさわしいのか?」
「なに?」
「そやつが想うておるのは、そこな男のことだけぞ!」
「違う!」
「ほう……即答できるのか?」
「あたりまえっ」
「だが、確かめたか? そやつの本心を……」
「無粋なことを言うな」
「それでは私がその欺瞞をあぶりだしてやるぞ」
あたりは再び暗闇に包まれた。足元から霧が漂い、空気が湿っぽくなる。
(呼吸など、意識したこともなかったが、少し……苦しい)
リザは、飛ぶのをやめ、石畳の上に降り立った。
バルダーナがリザの背後に立ち、彼女の肩に手を置く。
「バルダーナ?」
見返すと、バルダーナは暗い目をして言った。
「リザ。ごめん、オレは間違っていた。剣士なんかより、おまえの身のほうが、ずっと大事だ。血の涙を止めるんだ」
「!」
「今ならまだ間に合う。命を削るのをやめるんだ」
「馬鹿な! わたくしの命は……もう……」
言いつのろうとするリザの、反対の肩を掴む手。
「言わなくてもわかる……リザ」
「バルダーナがもう一人? なぜ!」
悪霊の長の声が、空間にわあんと響く。
「さあ、無数の友のうち、どれが本物か、見破れるかな?」
「そういうことか……なら」
動き出そうとするリザをもう一人のバルダーナが、腕を掴んで止めた。
「待て、だまされるな。本物はここだ」
リザは、その手が透けているのを見て、逡巡する。
「く、本物ならもう、わかっているのに……」
「リザ……」
「こっちだ、リザ……」
「邪魔だ!」
リザは迷いなく幻影を退ける。
「本物は……本物は……」
リザは、クラインの身体に覆いかぶさって、倒れ伏しているバルダーナの肩を、ひしと抱く。
「わたくしなんかのために流す涙を知らない、これがわたくしのバルダーナだ!」
バルダーナがうっすらと目をあけながら言う。
「よく……わかったな」
「バルダーナが、瀕死の恩人を放って、私にかまうはずはないのだ! そうだろう?」
バルダーナは大きな青い布で、クラインの肩を覆って温めている。少しでも何かしたかったのだろう。
「安易な方を選ばないのが、リザのいいところだ……」
「一つ貸したと言ったろう。そのマントのこと、今は黙っておくぞ」
「ありがとう……」
バルダーナはまた一つ、命を削り、なにかを手にしたのだった。
悪霊の長が舌打ちし、霧の奥へと消えてゆく。
「う……?」
クラインが、目をかっと見開いた。肩を覆う布を押しのけて立ち上がる。
「バルダーナ、無事だったのか……」
クラインは、足元にへたり込んでいたバルダーナを一目見て言う。
「そうだよ、剣士。オレ、ここにいるのに、勝手にぶったおれちゃってさあ」
そう言いながら、泣き笑いのバルダーナ。
クラインはその笑顔にはっとしたが、すぐに向きなおる。
「一体、ここはどういう場所なんだ……バルダーナがいくつもの骸骨に囲まれていて、オレは……」
「それは偽物だよ。幻影を、見せられたんだよ、剣士」
リザが口を開く。
「わたくしもたった今、悪霊の長につき合わされた。無駄だというのに」
「よく、しゃべるようになったな。リザ。まさかおまえも偽物じゃあないだろうな」
バルダーナが指先を振って、俗っぽく言う。
「ちちち。今、リザが言ったろ? たった今、奴の幻影を破った。それがオレの相棒のしるしよお!」
「なら、よかった。しかしここで一同かいするとは、まさか思いもしなかったぞ」
「それより、早くここを出なきゃ。悪霊にされちまう!」
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