狼少年、狼少女

群司 一青

第1話

 人は、停滞していると怒られる。

 でも、時には停滞していたいことがある。

 停滞させて置くしかないことだって、あるかも知れない。

 一月前の宿題。相手が帰ってしまった待ち合わせ。苦手科目。実家の雛人形や鯉のぼり。

 何かの機会を逃してしまって、間に合わずに取り残された。それらは往々にしてそういうものが多い気がする。

 何に間に合わなかったのか、何から取り残されたのか。それすらも分からないけれど。

 真正面から向き合うことも出来ず、かと言って綺麗に忘れてしまうのも辛いまま、


 ずっと、そこに止まっている。





「えぇ〜、アレと? こう言っちゃ何だけど趣味悪くない?」

「まさか。でもそこまでひどくないわよ。色々と便利だし」


 放課後の教室。ガランとした部屋に差し込む西日が、二人の少女の陰を長くのばしていた。


「あ、そういうことね、ならまぁ分かる。でも気ぃつけなよ、諦めが悪いと面倒だから」


「それね。いや、あいつに『いい人』って言っちゃったもんだから、あいつが馬鹿すぎると誤解してるかも知れない」


「流石にそれは無いと思うけど。ちなみにそれはどっちの略なの?」


「うーーん、『どうでもいい人』と、『都合のいい人』かぁ。それはー、どっちもじゃないかな」 


 そう言うと二人は、カラカラと笑った。俺は耐えかねて、廊下を猛ダッシュしてその場を去った。


******


 高一の俺は、愚かで純粋な恋をした。二学年上の先輩で、俺にとっては高嶺の花のような存在だった。

馬鹿だった俺は他のことが目に入らず、ひたすら彼女の事を考えていた。


 なにか話せるだけでその日は幸せだったし、一緒に何かをするとなれば何日も前から楽しみにしていた。

隠していたつもりだったが、同級生にはバレバレでよくバカにされていた。


 そんな彼女から「いい人」と言われたものだから、無知な俺はそれはもう嬉しかった。嬉しくて忘れ物をしてしまい、取りに戻った帰りに偶然通りかかった教室でこの声を聞いた。 


 そのときの足音がばれて、互いを避けるようになった。それから卒業式までの一月の間、ほとんど顔すら会わせなかったように記憶している。


卒業式の日、舞台に立った彼女と目が会った。彼女は俺のことを、忘れてしまっているようだった。


 ただひたすら、情けなかった。 ただひたすら、傷ついた。


 俺はそれ以降、女子というものを信じられなくなった。それでいいと思った。



 数年して、俺も大学に入った。高校以上に、いろんな女性に出会った。

だまそうとする人、利用しようとする人、俺を好きと言う人。それらの全てを、心の中では全く信じなかった。


 全ては、あの惨めさを、二度と味あわないために。


 恋愛もあったが、俺にとってそれは作業だった。

 人の心をもてあそぶのも上手くなった。好きでもない女子をたぶらかして、盛大に振った。

 そんなことを繰り返していれば、いつかあの思い出が消えてなくなる、それだけを俺は信じていた。 


******


 そんなことを考えていたら、寝坊したわけでもないのに講義に遅れそうになった。

いつ鳴り出してもおかしくないベルの音に怯えながら、階段をゼイゼイいって駆け上がる。ラストスパート、とばかりに最後の廊下への角をまが、


「きゃぁっ!」

「おわっ」

 向こうから飛び出してきた人に、お互いに全速力でぶつかってしまう。

俺はふらついたぐらいですんだものの、相手は派手に転んでしまった。


「いったぁ…………す、すいません」


「い、いえとんでもないこちらこそ、って…………え」


 ありふれた言い方をすると、目を疑った。


上がっていた息さえも止まり、苦しくなった。

肩にかかるミディアムロングの黒髪。 利発そうな双眸。


床に尻もちをつき、驚いてこちらを見上げるその顔は。

 

「あ、……」


彼女も俺も、しばらくの間お互いを見たまま固まっていた。始業のベルが思い出したように鳴りだした。


ごめんなさい、俺、急いでるんで。 そう言って、俺は逃げ出した。


 ******


 現実は小説より奇なり、とはいうが、こんなことがあるとは思わなかった。


 二度と会うことはない、会いたくないと思ったのに。


 こんな形で再開することになるとは。


 まるで、


 運命なんてくだらないものが、あるみたいじゃないか。


 

                ********


 そしてどうやらその運命、回りだしたら止まらない設定らしく。俺と彼女はその後も幾度となく鉢合わせした。

それこそ、運命的に。


 普通の人なら、軽く恋に落ちても可笑しくない出来事が繰り返されるところまできて、俺は気が付いた。


 偶然にしては出来すぎている。ありえない事だが、

 

 まさか、意図的にやってる?


 どうしてもっと早く気が付かなかったんだろうか。そうだ、そう考えると全てが納得できる。

 その、動機以外は。 

 

……なにが狙いだ?

 そもそも、なんで俺のことを覚えてるんだ?

 ていうか、なんでここにいるんだ? 進学先は知らなかったけど、まさか留年?


 講義中にウダウダと考えた結果。甚だ疑わしく遺憾な結論が導かれた。

 

 大変迷惑な話だが、俺を弄ぼうとしているか、利用しようとしている。


 無性に腹が立った。その図々しさに。そこまで俺を馬鹿にする精神に。腐りきった性格に。


 そして何より、彼女の目論見通り、講義中に彼女のことを考えてしまっている自分に。

 

数年前のあの嘲笑が、聞こえてくるようだった。

「くそぉぉっ、なんで、なんでお前なんだ!」

一人叫んでも、それすらも彼女の想定内。 心の声が冷徹に分析する。


あの時、俺は決めた。もう二度と、異性に心を乱されない、と。

実際、そんなことは無理だった。


でも、同じ誤ちだけは、しなかった。

それが、それが……


必死で叫ぶのをこらえ、決意した。


恋愛は、作業であり、ゲームなはずだ。


ならば、あの女を陥とす!

その時こそ、あの思い出が消える時。


そう、決めつけた。

 


******


これは恋ではなく、勝負だ。そう思っていた。


「私ね、わかんないの」


「……何が?」


「何がっていうか……どうしたらいいかわかんない……昔、あんなことあった人に……」


「っ、あのことを……」


それは、丁度、あの日から3年が経った日だった。



俺がやっていることは、復讐。それ以外の、何者でもない。そう思っていた。だから、


「……その人を、好きになってしまったら」


告白された時は、驚いた。


嬉しかった。ついに、勝った。俺は今から、盛大にフって……


君はいい人だから、そう言ってやるんだ。


でも俺は、気づいてしまった。この嬉しさは……


気づかなければ、いくらでも否定のしようがあったかもしれないが。

確かに俺の心臓は高鳴り、胸が苦しくなってしまっている。


自分を、殺したくなる。 でも、


「 」


目一杯におしゃれをして、必死の思いで俺に告げた彼女に、俺が返せる言葉なんか一つしかなかった。


「私を、信じてくれるの?」

「信じる」


そう俺は言った。信じていなかった。そして、おそらくそのことは彼女も勘づいている。


付き合い始めた俺たちは、表面上はお互い楽しくやった。

でも、きっと、財産を搾り取った挙句に去っていくのだろう、程度に思っていた。


******


彼女の誕生日の一週間前、俺は彼女に別れを持ちかけた。


あの告白で、本当に勝ったのは彼女のほうだ。俺は最後の最後で、陥されてしまった。

だから、彼女を失いたくない、別れたくない気持ちだってもちろんあった。


けれど、それよりももっと、傷つきたくなかった。


「……理由なんか、聞いたってだめだよね」


「じゃぁ、後七日間一緒にいようか? 一週間後なら、もう別れてもいいんだろ?」

今までは口にこそ出さなかったことを、言った。ある意味、試してみた。


「それって、どういう意味……?」

彼女は、怪訝そうにそう言った。ショックを受けているような、呆然とした顔。

「そのままの意味だよ」

しばらく、彼女は黙ってうつむいていた。

そして、

「そんな、本当なんだよ、お金とかじゃないんだよ、私が君を好きなのは、……本当なんだよっ!」

俺の服を掴んで。その大きな瞳から涙をぽろぽろと流しながら、そう言った。


醜いな、と思った。たった今まで彼女は、可憐で素直、理想的な彼女を演じてきた。それらのかけらも、この泣き顔には感じない。


そして、そこまでやる彼女の技量に、甚だ感心した。

こんなに上手くは、俺は泣けない。


まるで、本当に悲しんでるみたいじゃないか。


完敗だ。敵わない。……良いだろう。きちんとそっちの望み通りになってやろう。


「すまない。俺が悪かった。信じるよ」

これで、良かろう?

 そう言うと、彼女は濡れた瞳でじっと俺を見て、


「……、信じて、くれないよね。やっぱり」


 え、なんで?


予想と違う応えに狼狽しているうちに、彼女は去って行ってしまった。


理由がわからなかった。彼女が、俺が本心では信じてないのを感じたのは良いとして、なんで素直に仲直り、と行かないかな。そうすれば誕生日に俺から巻き上げられるだろうに。



ふと、非理性的な考えが浮かんだ。


 いや、ずっと、押し殺していた。

 ……あいつ、本当に?


 違ったら、俺はあの日と同じ過ちを犯して、同じ嘲笑を受け、同じ惨めさを味わうことになるだろう。


 でも、もしそうだとしたら。

 俺は、本当に彼女を泣かせてしまったことになる。

 

 そう思うと、何かが吹っ切れた。

 どうせ負けたのだ。そろそろ素直になってもいいんじゃないか?

 

 自分がどれほど傷ついても、それよりも今、傷ついてしまっているかもしれないのが許せない。

 

 そうか。俺はそれほどまでにあいつが……


 ********************


 『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かないところに……』


 謝ろうと思って、意を決して電話をしてみたが、応答どころか呼び出し音すら鳴らない。


 ……面と向かって、直接言いたい。そう思った。その結果に関わらず。


 彼女が家に向かったのはほんの十数分前。

 今ならまだ間に合う。


 

『東西線は、西船橋駅で車両点検を行った為……』


『お急ぎのお客様には大変なご迷惑をおかけしており……』


『山手線は、線路内に人が……』


『上下線ともに、10分の遅れが……』


『新馬場駅での人身事故の影響で、京急線は、上下線で運転を見合わせ……』


『運転再開の目途は未だ……』


『都営線内での……』



 まるで示し合わせたかのように、電車が遅れだす。遅れるならまだしも、京急に至っては完全に止まってしまった。

 俺は数駅分を走る覚悟を決め、品川駅を飛び出した。




 ************************


 荒い息を整え、彼女の玄関の前に立つ。

 

 これから言うことも、彼女の怪訝な顔も、失恋の覚悟も。

 全部出来ないまま、ベルを押した。


 ……不在だった。

 部屋の中で、電話がかかってくる音がしている。

 誰も出ないままそれは切れて、何度もかかってくる。


 そして、無意識にドアノブにかけた手は、鍵がかかっていないことを知った。


 再び、電話の音がした。


 その音にふと、胸の奥がザラリとするような悪寒を感じた。


 扉を少し開ける。

 真っ暗な部屋に、着信を告げる固定電話の液晶だけが光っている。


 気がついたら俺は、部屋に駆け込んで音を立てて受話器を取っていた。


「はい……」


『もしもし、京浜急行品川駅ですが……』



****************


それからのことは、あまり覚えていない。


病院、手術、確認、……葬儀。


全てが終わった後、俺の手には一つのノートが残った。


彼女の、日記。


**


あいつ、狙ってるのかな。さすがに偶然にしては運命的すぎる……


どうして? なんで私があいつなんかを……だって私は、そんな



なんでわかっちゃうのかな。あいつの気持ち……私を、信じてないって……



素直になれたら……あいつの前で、ぐずぐずに泣けたら、どんなにいいだろう




信じてよ。

私が君を好きだって。


でもこれで、信じてくれるかな






 

 

 

 

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