母の想い
連絡が終わったのを見届けると、ゴトーさんは、振り向き、私を『ユグドラシル』支部基地の中へと案内を始めた。
基地内は、想像よりも汚く、またそこで働いている人達も落ち着かず、常に動いている様だった。
「…………手術の件でね。
いつも行き届いた管理をしてくれている女性兵が居なくなったら、この様だよ」
話した訳ではないが、私の視線を感じ、ゴトーさんが説明した。
「…………正午から、手術は順を追って行われている。
小鳥無さんの順番も来ているかもしれないし、来ていないかもしれない。」
「しゅ、しゅじゅつしちゅは、ど、どこですか⁉ 」
慌てる様に叫んだ私に、彼はゆっくりと振り返った。
「手術室に行って、どうするつもりだい?
……………いや、訊くまでも無い事だったね。
…………残念だけど、それは出来ない。」
私が、その言葉に反発して、後方に走り出そうとした時。
「! ⁉ 」
私の前方を歩いていた筈のゴトーさんが、振り向いた筈の私の目の前に居たんだ。いや、あれはたまげたね。
「その思いの強さ。尊敬するよ。
だかな………コージロー君……君は、まだ知らない事が有る。」
小さく、息を吸うと、彼は言葉を続けた。
「君は………お母さんの気持ちを。知らない。
そして、今………君はそれを知るべきなんだ。
だから、ついておいで。全部教えてあげるよ」
その時のゴトーさんの優しくも寂しそうな眼差しを私は忘れていない。
ゴトーさんに連れて来られた部屋。その中心にあった机に促されると、彼は後ろの本棚からとても厚い本を一冊取り出して、私の前に置いた。
「七法全書と言ってね。この国で生きていく上の人物達が決めた法律………つまりはルールの様なものだよ。コージロー君の行っている『学校』や『ゲーム』にも、あるだろう? 」
難しそうな話だったので、私は苦い表情を浮かべて彼を見た。
まだ、子どもだったので、私は充分に気を遣ってもらえると甘く考えていたのも、否定出来ない。そんな中、ゴトーさんはその大きな本を捲って、あるページを私に見せた。
「刑法………281条……………家族内に『男性』が居る家庭は、必ず一名以上の『ユグドラシル』への配属を義務とする」
ゴトーさんは、落していた瞳を私に向けた。
「この法律…………以前は税金を納める事で免除が許されていたが、二十年程前から、この星の国中から『男性』が減っていったのは………知っているね? 」
私は、黙って彼の目を見つめた。
「そう。女性のみの細胞で、子孫を残す事が可能となり、世界基準で『男性』が迫害されたんだ。
…………まぁ………それを進めたのもまた………同じ『男性』だったんだけどね……」
まだ、子どもだった私には、そういった政治的な話は理解出来なかった。急に話の方向が変わった事で、困った様な顔を浮かべた私に、彼は少し笑って首を横に振った。
「いや、ごめん。これは…………余計な事だった」
そう言うと、彼は顔をしかめて、頭を掻いた。
「話を戻そう。つまり、この星の各地で『男性』が、少なくなったのに宇宙外生命体の出現によって『ユグドラシル』の兵士が必要になった。その為、この各国はこの法案を作るしかなかったんだ」
静かに、彼は表情を真剣なものに戻して囁く様に……言った。
「君は、お母さんに『守られて』いたんだ」
「⁉ 」真意を読み解くのに、時間が掛かった小さな私に、彼は続けた。
「君のお父さんはこの『ユグドラシル』の前身と言ってもいい、この国の『自衛隊』に勤めていた隊員だった。
要するに、この国を護る為に、いの一番に戦う人だったんだ」
その言葉に、私は驚いた。ゴトーさんが何故、父の事を知っていたのか疑問だったからだ。
それも、悟ったかの様に、彼は微笑んで答えを話してくれた。
「丁度、君の誕生日の前に、小鳥無さんから、相談を受けていたんだ。
小鳥無さん………君の言葉で傷ついてたよ」
私は、ドキリと肩を揺らした。自分が母に言ったあの言葉を思い出し、胸がしくしくと痛んだ。
「そして、私は提言したんだ。本当の事を、息子さん………コージロー君に話してみたらどうかって。
あまりにも、このままじゃあ、彼女が報われないと思ったんだ」
そうして、次の言葉は私の小さな心を抉る一言だった。
「コウジロー君に、父親と同じ思いをさせたくないからといって
貴女だけが、犠牲になる事も無いでしょう? とね」
この時代では既に人物の体内には、ナノマシンが組み込まれている。それがどういった意味を持つかというと、この時僅か8歳の私でも、深く考えれば彼の言葉の意味を理解する事が出来たという事だ。
「そうだよ、もう一度先の刑法を思い出してくれ。
男性が家族内にいる場合は『一名』の『ユグドラシル入隊』を義務化する。
君のお母さん達は、この……この刑法が語る意味に気付いた」
そこで、彼は息を一回、大きく吸った。
「それこそが、この『ユグドラシル』に、戦闘では不利な女性戦闘員がいる一番大きな理由なんだ。」
「そして………君のお母さんは。
『君』に、亡くなったお父さんと、同じ気持ちを味あわせたくなかった。
『戦い』などから離れた世界で。
健やかに、育ってほしいと願ったんだ。
…………
因みに、世間では『女性戦闘員』になる者は皆、高い賃金を得る為だ。などと言われているが、我々の収入は、戦闘による歩合が高い。
戦闘に出ない彼女達は、そこらの普通の仕事と、そう変わらない給料で生活を送っている。」
私の胸に、雷が走った様な衝撃が刺さった。
「低賃金で『ユグドラシル』の衛生や食事等の専門員…………場合によっては戦闘の数にも出来る…………
彼女達は、国にとって本当に都合が良かった………」
そして、ゆっくりと双眸を閉じると、私にもう一度視線を合わせて言った。
「それを知りつつ。
それを受け入れ。
それでも。
それでも、君には、ただ平和に。
安定した生活を。人生を。彼女は送ってほしかったんだ」
子どもながらにも、私は気付いてしまった。
ゴトーさんは。
彼は、私の言葉を聞き入れて、ここに招いてくれたのではない。
これは。
説得なのだと。
「‼ 」
私は、立ち上がると、部屋の扉に向かって駆け出した。
「ううっ‼ 」
直後に、鼻っ面に衝撃が走った。
ゴトーさんが先にも見せた『瞬間移動』としか思えない速度で、私の前方。いや、正確には後方に立っていたのだ。
「小鳥無 光次郎。君は弱い」
そして、間髪を入れず、彼は強い口調で言い放つ。
「だが、その弱さは、悪事ではない。
しかし、受け入れず、ただただ己の脚で。
そして、手で。
歩き、掴もうと。
前に進もうとしなければ。
全ての『想い』を反故にした愚行と化す」
そうして、そのごつごつとした巨大な岩の様な掌が私の両肩を掴んだ。
「今の、君に出来る事は………何だ? 」
私は、その場に膝から崩れ落ちそうになる脱力感に襲われ、体重はその両手によって支えられた。
「お母さんの手術が成功して。
お母さんが生き残る事を信じる。
それが、現在の君が。
お母さんに。
守られる立場の。君が。
唯一してあげられる事じゃないか? 」
そして、そのまま私の頭を胸に力強く抱く。
「俺達を…………恨んでいいよ。
俺達に力が有れば…………こんな実験の様な。
彼女達の弱みに付け込んだ手術は…………起きなかった。
ゴメン。
ゴメンな。コージロー君………」
その言葉は、小さく震えていて。
私の心に、必死で灯っていた『抗い』の感情が…………
ゆっくりと薄まって消えていくのを………私は感じていた。
「おい‼ ゴトー君‼ ゴトー君‼ すぐに手術室に来てくれ‼ 」
そんな時だった。その、落ち着きのない声が聴こえたのは。
抱きしめられていた影響で、そのゴトーさんの体内ナノマシンに送られてきた信号が私にも伝導した。
「成功だ‼ 手術成功者が出た‼ 戦闘員番号45764『小鳥無 悠』二等兵だ‼ 僕は、これから彼女のアフターケアに入らなければいけない‼ 君はすぐに、各国の『ユグドラシル』幹部にこの事実を伝えてくれ‼ 成功例が挙がれば、もうこんな人命を賭けた実験は避けれる可能性が出てくる‼ 急いでくれ‼ 」
彼がゆっくりと私の頭を胸から離し、そして穏やかな口調と、まるで。
まるで、母に似た笑顔で私に囁いた。
「コージロー君の…………
君のお母さんは………………
本当に…………凄い人だな…………」
――――――
「お願いがあります‼ セセラギ博士‼ ゴトー隊長‼ 」
「……………何でしょう? 小鳥無さん。
申し訳ありませんが。時間があまりありません。引き延ばしなら……」
「いえ、違います。そうじゃなくて………
手術の順番ですが………私を、一番にして下さい」
「⁉ 」
「順番は、公平にくじで決めてありますが………何故ですか? 」
「……………この手術は………新たな力を手に入れ。宇宙外生命体に対抗する力を得る為の実験なんですよね? 」
「…………勿論、そうだよ」
「では、手術が誰か一人でも成功すれば、今回のこの件は一応の成果を挙げられる訳ですよね? 」
「……………小鳥無二等兵さん………君が……何が言いたいのか………ちょっと僕、解ったよ」
「はい。だからこそ、私を一番にして下さい」
「小鳥無さん⁉ 貴女、何を言っているの? 」
「そうよ。どうして、そんなに早く死ぬ手術を受けようとするの⁉ 」
「ううん。皆さん。私は、信じているんです。」
「……………」
「何を言ってるの? 小鳥無さん⁉ 貴女は混乱しているのよ! 」
「正気ですよ。
そして、信じ切っているんです。
私は、死なない。
いえ…………死ねません。
まだ、息子と、仲直り。してないんです。
息子に………謝ってもらってないんです。
そして、それを許してあげる時。私。息子の髪を撫でてあげたいんです。
だから。
私は、今、こんな事で死ねません。
それに。
一番最初なら、元気なセセラギ博士の成功率も上がるでしょ?
ふふ。頭悪い私なりの計算なんですよ? 」
「小鳥無さん…………」
「ゴトーさん…………
でも…………
でも、もし駄目だったら………その時は………」
「理解っています。
必ず、コージロー君が立派に。
そして、平穏に暮らしていける様に…………私が約束します」
「…………ありがとう」
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