母ちゃん、行くな

 翌日、朝起きると、母はもう仕事に出ていた。

 不思議だなぁ。と、思ったのは、いつもテーブルに所狭しと並んでいる朝食がその日は出ていなかった事くらいで。

 随分と急いで出た様だ。位にしか思わず、私はすぐに日常に戻った。


 この時。

 母にとんでもない事が起きようとしているだなんて、思ってもいなかったんだ。






 「その話は…………断る事が出来ないのですか? 」

 薄暗く、広いそこは。


 『ユグドラシル』に入隊する際の試験で、面接にも使われた部屋……

 重要会議室だ。


 そこには、母を含めたその支部の全ての女性戦闘員が居た。

 そして、その見つめる先に居たのは。


 「いえ。断る事は可能です。

 しかし、その場合、除隊処分、並びに免除金として、

 ここで働いて得た給与を納めて頂きます。」


 そう、無茶苦茶な事を返したのは、女性戦闘員から絶対の信頼を得ていた人。

 ゴトー隊長だった。


 その彼が、今、この場に居る女性戦闘員全員に、

 憎悪の眼差しを向けられている。


 「……………その………手術は………成功率がすごく低いのなら

 ………その………失敗したらどうなるのでしょう? 」


 一番若い女性戦闘員が、問う。


 「失敗の場合は、色々なパターンがありますが、動物実験の結果。

 7割弱の確率で。

 

 『死亡』


 という結果が出ています。

 また1割が、植物状態。残り2割が何らかの障害が確認出来ています………」


 その場がまるで凍り付いたかのように静かになる。



 「ふざけないでぇええ‼ 」

 「人殺し‼ 人殺し‼ 」


 次の瞬間、まるで油でも注がれた様に、一斉に彼女達が泣き叫び、部屋は集団ヒステリーに陥ったそうだ。

 母も、自分の状況が解らず気がおかしくなる一歩手前だったと、言っていた。


 『お母さん、頭、パープーでよかったわぁ。』と呑気に後付けして。


 「申し訳ない‼ 」

 その空気を切り裂いたのは、まるで竹を割った様な、ゴトー隊長の言葉だった。


 「今のこの星の内情という、勝手な都合で。

 人数が多い、貴女達『女性』を実験体として、使わなければならなかった事。

 全て、私が謝る事で許してもらえるなら。

 いくらでも、謝り続けよう。

 守らなければいけない家族の居る方には。

 必ず、私が守ると約束しよう。

 だが、信じてほしい。

 この実験によって、成果が出ればそれは。

 この星を救う。その一手に。してみせる。私が。いや、我々が。

 だから…………

 どうか……………

 その、かけがえのない、生命を。

 賭けてほしい‼ 」


 次の瞬間、ゴトー隊長は、頭を床に叩き付けて彼女達に謝罪と、懇願をした。


 「そんな…………し…………死にたく…………な………い………」


 その言葉に、ゴトー隊長の横に付いていた一人が一歩前に立った。


 「そうだね。きっと誰も死にたくないんだ。

 それは僕の様なろくでもない人物でもそうだ。」

 その人物は、黄ばんだ襟の白衣を着込んだ、セセラギ博士だ。


 「でも、宇宙外生命体との戦いで………何人も戦闘員が亡くなりました。

 いや、戦闘員だけではない。

 アマテラスの作製時の事故で亡くなった研究員も知っている。

 そして…………

 何より戦闘に巻き込まれて犠牲となった一般の人達…………」


 部屋の中に、ようやっと沈静が訪れる。幾つもの小さなすすり泣く声を残して。



 「家族に…………話す時間を頂けますか? 」


 そう、搾り出す様に言ったのが母だった。


 「話す事で、より未練が残るかもしれませんよ? 」


 「未練よりも、大切な物があります。」


 母はセセラギ博士に強い視線を浴びせたそうだ。


 「今日の任務はこれで終了と致します。

 手術は、明日の正午に始めますので1時間前にはこの部屋にお集まり下さい。」


 その空気を終わらせる為、支部長がその都度を伝えて、彼女達を解放した。


 しかし、その言葉の後も部屋からは誰も出ようとしない。

 唯々、明日死が待つ手術台へと誘われるその現実を夢幻の類だと信じたいのだ。




 その日、家に帰った私は、そんな母の事情も露知らず。

 珍しく2日続けて母が、私の帰宅を待っていた事に驚いたものだ。


 「お母さん、暫くお家に帰れないかもしれない。」


 夕食時に唐突に。それもあまり見せない真剣な表情で。母がそう言ったから、非常にこの時の事は鮮明に憶えている。


 「…………なんで? 」とりあえず。という感じで尋ねた感じだった。

 「ちょっと、重大な任務に当たる事になってね。」

 えへん。と小さな胸を張るが、何となく、母の元気が無い事に、気付いていた。


 「危険な任務なの? 」

 母が、ぎくり。よ動きを止めた後、不自然な程笑い始める。


 「まっさっかー

 この国が女性にそんな危険な任務なんて、言いつけないわよー」


 「ふ~ん。」

 その言葉が嘘だという事は、すぐに理解わかった。でも、まさかこの時の私は、母にあれ程の残酷で、重大な任務を押し付けられているとは、思ってもいなかったのだ。


 いやに、大きな疑惑を持ったのは、その夜の事だった。

 



 眠っていると、やけに首筋に違和感を覚え、私は睡眠から朧気に目を開いた。


 「わっ‼ 」

 思わず、声を挙げて低反発マットレスから転げ落ちた。


 「んん? どうしたのぉ? コーちゃん…………」

 そう言って、違和感の原因である人物がもぞもぞと起き上がった。


 「どうしたのぉ? じゃないよ‼

 な、なんで、母ちゃんが俺のマットに入ってんの‼ 」

 そう言うと、眠たそうに眼を擦りながら、母は、私に近付き。


 「うぷっ。」

 まるでぬいぐるみでも抱く様に、子どもの私を胸いっぱいに抱き締め、そのまま、またマットレスに倒れ込んだ。


 「いいじゃぁ~ん。去年までは同じマットで寝てたでしょぉ? 」

 私は、戸惑ったし。妙に恥ずかしさを覚えた記憶がある。

 「きゅ、急に、何言ってんだよ…………? 母ちゃん………酔ってるん? 」

 すん。っと香った甘臭いその香り。それは、珍しい事だった。

 確か、以前に母がお酒を飲んだ日は……………



 「よしよし。コーちゃん。おねんね、おねんねよー。」

 そう言って、いつもポカポカ叩いてきた

 小さなボロボロの手が、私の頭を撫でた。


 「……………な、なんなんだよぉ…………」

 戸惑ってはいたが。

 久しぶりの、その温もりは、妙に心地良く。

 いつの間にか私は眠りに落ちた。






 翌朝。


 私は、顔を真っ青にして、台所に朝食と一緒に置かれていた、その母の手紙を読んでいた。

 あの時の気持ちの悪さは、はっきりと憶えている。

 脚が震え、目の前がやけに眩しくて。

 立っているのか、横になっているのか。それすらも解らない程に。


 そこに書いてあったのは、とても詳しく。


 母が、死ぬ可能性の高い手術の実験体となる事。

 今後、母が死んだ場合の生活費や、その手当の貰い方。

 一人で生きていくのは、困難だし、大金を持っていると悪い人がたくさん寄ってくるから、しっかりと人を見る様の注意。

 その中で、頼れる人の名前と住所。ただし、それは母の祖母一人だけだった。



 最後に、当時の私に向けて。母からの言葉が。


 気付けば、私は、駆け出していた。


 

 ――いけん。いけん。母ちゃん。いけん。

 そんな、危ない手術、受けたらいけんよ。



 走りながら、体内ナノマシンの連絡端末で、母に何度も通話連絡を入れるが、繋がらない。電源を落しているのか。

 幼子の体力では、すぐに息が上がる。私は、体内ナノマシンの酸素増幅機能を作動させて、裸足のまま、ナビに従い『ユグドラシル』支部基地を目指した。



 「はぁはぁはぁ。」切れ切れに、肩で息をしながら、警備員が構えている、その門に辿り着いた時、既に時間は、正午を迎えようとしていた。


 「…………何だ? 子どもがこんな所に、何の用だ? 」

 門の警備は、最も重要度が高い為か、私がそれまで見た事も無い『若い男性』が居た、そして不審そうに私に近付いてくる。


 「お、俺は………小鳥無……光次郎といいます。

 ここで、働いて………いる……小鳥無……はるかの子どもです

 ………母ちゃんに……会わせて下さい……」


 その私の言葉に、警備兵の男性は、思わず後ろに控えていたもう一人の警備兵に視線を移した。


 「すまないが、坊主………会わせてやる事は出来ん。

 母ちゃんが仕事を終えて戻ってくるのを、おうちで待ってるんだ。」そう言うと、その警備員が何かを操作する。

 直後に機械がけたたましく、こちらに向かってき、私の身体を取り押さえた。


 「なっ? 何ですか⁉ これは。止めて‼ 止めて下さい‼

  俺は、母ちゃんを止めに来ただけなんだ‼ いっ……痛い‼ は、離せぇ‼ 」


 小さな身体を目一杯に動かし、その無機質に掴みかかってくる腕を払った。

 それが、不味かったのだろう。


 「ギュイーギュイー」っと機械が警告音を発すると、基地内からぞろぞろと、同じ機械が次から次へと現れた。

 母の事で、頭がいっぱいになっていた当時の私だが、その光景には、流石に肝が冷えた。



 「一体、何事だ‼ 」

 その事態を察して、入り口から現れた男性に、先程の警備兵達が素早く敬礼を行い、事情を話した。


 「バカ者‼ 子ども相手に、警備ロボットを使う奴があるか⁉

  すぐに警戒を解除しろ! 」


 その男性を、当時の私は知っていた。

 この時はまだ会った事は無かったのだけど。

 彼は、私の………『男』としての私の憧れだったから。



 「すまないね。随分と荒っぽい事をしてしまった。怪我はないかい…………? 」


 そう言って、小さな私に大きな手を差し出すと、その顔を見て何かを思った様に彼は驚いていた。


 「君は…………まさか、コウジロー君かい? 」

 その憧れの人から自分の名前が出て、私は驚いた。


 そして…………希望の欠片を見た。


 「ゴトーさぁん…………お願いします………

 母ちゃんを………助けてあげて下さい……」


 しかし、その言葉を受けた彼の表情は、私の予想したそれとは、掛け離れたものであった。


 「コウジロー君………学校にまずは連絡を入れなさい。

 君が登校しない事で、先生達が心配しているだろう。」


 「は…………はぐらかさないで下しゃい…………」


 私の言葉に、ゴトーさんは真剣な表情のまま、子どもの私の目線に、屈んだ。


 「はぐらかさない。ここまでお母さんの為に、勇気を出して止めに来た君を………俺は………一人の『男』として認めたよ。だから、君に話そう。君のお母さんが………何の為にここで、働いているのか………何故、あんな危険な手術を………君を残して受けるのか。

 その全てを。君に伝える。

 だから、まずは学校に連絡して、先生達を安心させなさい。」


 その真直ぐに私を捉えた視線に頷くと、体内ナノマシンの連絡端末にアクセスした。

 学校や、担任の女教師から、数件の受信履歴が入っていた。

 私はその一件に、リダイヤルを入れると、心配そうな声で出た先生に、事情を説明して今日の授業を休む事を伝えた。





 「よし、じゃあおいで。基地の中でゆっくり話そう。」

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