第6話 試練は突然に

 秋に差し掛かると赤貝が入荷される。宮城県閖上の赤貝は粒が大きく身が締まりぷっくらしている高級品だ。朝の仕込みでは先輩が出勤する前に貝剥きで剥いてボールに入れ、包丁で開くだけの状態にしておかなければならない。


 午後には予約人数の状況に応じて仕込む数を決めて、下っ端が包丁で開くだけの状態にして先輩にバトンタッチする。しかし今日は様子が違った。平日の祝日後のせいか予約のお客様もあまり入らず店は暇だった。そこで仕事に厳しいある先輩が言った。


「よし、二年生。お前ら赤貝開いてみろ。普段から俺たちの仕事を見てれば手順は分かるな。一人一人俺が見ててやる」


 我々は一瞬困惑したが実は自信もあった。最近、和食の仕込みの時に扱い始めたばかりだからだ。決して初めて触る食材ではない。三人は顔を見合わしてニヤリとした。


 対照的に青い顔をして焦っているのは関西弁の奴だ。記憶の中では奴が積極的に赤貝の仕込みに関わっている場面を見たことがない。


 緊張感に包まれた試験が突如行われた。自分の出刃包丁を取り出し、まな板の前に並び一人づつ仕込みを行う。仕込み場にいるみんなからジロジロ見られ手が震える。私は手順を間違えることなく何とか開き終わった。先輩が赤貝をつまんでひっくり返しながら無言で採点していく。


「開きがちょっと甘いが、まあいいだろう。もっと勉強しろ」

「はい! ありがとうございました」


 胸をなでおろす。他の二人も合格だった。奴の試験になった。


「何だ? 赤貝のヒモが切れてボロボロじゃねえか! それに身も左右対称じゃないし、ノコギリみたいにギコギコ引いて仕込む食材じゃねえぞ! 」


 先輩の雷が落ちる。止まらない。


「それに何だ、このサビついた切れない包丁は? お前仕事する気あるのか? なめてんじゃねぇぞ! 」


 普段の猫を被った態度とは比べ物にならず、怒られて明らかにふてくされた態度の奴は胸ぐらを掴まれる。


「何なんだよその態度は? 突然こんな事されても困るってか? 普段から包丁なんて研いでおくものだし、他の三人はできたぞ? 言い訳にはならないだろうがこの野郎! 」


 怒声は延々響き渡り、その先輩の上司が止めるまで続いた。夜営業の準備で先輩がいなくなると奴は言った。


「別に赤貝開けなくても困らないし。俺はそういった事は人に任せて現場監督みたいな事をしたいんや! 」


 何を言ってるのだろうか? ここに寿司職人として働いている時点で意味不明である。そのセリフを聞いた後輩、同期全員が奴を完全に見限った瞬間だった。


 それ以降、奴はその厳しい先輩にマークされおとなしくしなければならなくなりますます仕込みから逃げた。その行動についても怒られ悪循環で追い詰められ奴のストレスは溜まり、周りに当たり散らすが以前ほど皆言う事を聞かなくなった。


 面子丸つぶれであり、有り体に言えば心の中でナメるようになっていた。奴の言葉を右から左へ流す者が続出する。後輩の中には反論する者も現れた。


 奴とプライベートで飲みにいく事も完全に無くなった。自業自得とは言え余りに哀れで見てられなかった。普段の行いが大事だと誰もが肝に命じた。


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