12:新しい行き先を目指して

 黄金竜のブレス攻撃は、まぐれメタルだけでなく、想定通り大群を形成していた敵の大部分を焼き払った。その後、プリシラが竪琴を弾く手を止めると、頭目を失った魔物は浮足立ち、あっという間に潰走してしまった。


 この一戦を境にして、エザリントン周辺の治安状況は格段に改善した。

 大陸北部へ通じる交易路も、すぐに商人の馬車隊が通行を再開したらしい。

 魔物すべてが掃討されたわけじゃないけれど、ウォーグレイブ丘陵地帯で人間が襲撃されるような危険は、おそらく今後ある程度まで減少するだろう。

 複数の群れを統率する個体が失われ、しばらくは魔物のあいだでも混乱が生ずるはずだ。


 いずれは魔王がまた、この土地に新たな頭目を遣わすのかもしれない。

 でも、それがいつになるのかまでは、正直まるで見当が付かなかった。

 人間と魔物じゃ、時間の尺度や概念が同じとは限らないからな。

 次なる魔物の統率役が、混沌界から侵攻してきたとしても、それが仮に一〇〇年以上も先だとしたら、もう手に負える話じゃない。そして、まぐれメタルを以前にダリルが倒したのは、約四〇〇年も昔のことだ。

 遠い未来のことは、別の勇者や魔法使いたちに任せよう。


 ただまあ、そんな将来に備えて、「幻魔の竪琴」と竜化魔法の古文書については、そのうちどこかに保管しておいた方がいいのかもな、とは思う。

 心無い人間に盗まれたりしないよう、地下遺跡や塔の奥に封印して……

 かつて、吟遊詩人のダリルがそうしたみたいに。



 ところで、特定の魔物を倒した際には、いわゆる「残留魔力」が感知される。

 これは以前にメルヴィナも指摘していた通り、悪魔や幻獣などが人間界で顕現していた痕跡で、まぐれメタルも例外ではなかった。

 こうした魔力は、魔法使いが特殊な凝固魔法で、視認可能な状態に抽出し、物質化することができる。生成された魔力固体は、主に宝石類と酷似した結晶となって、広義に「魔力石」と呼ばれるのが一般的だった。


 そこで、まぐれメタル撃破後、俺たちはドラゴンブレスが直撃した地点を調査し、魔力石を入手して街へ持ち帰った。依頼達成の証拠品とするためである。

 これを市庁舎で提示したところ、専門家による鑑定を経て、無事に仕事の成果が認められた。


 魔物討伐の一報は、もちろん依頼主たるメドウバンク侯爵の下にも届けられ、官吏を通じて感謝状と報奨金が手渡された。

 尚、受け取った額は、金貨一五〇〇枚。

 通常なら、かなりの大金だろう。

 けれど、約一ヶ月に及びエザリントンで逗留し続けた宿泊費に加え、竜化魔法で二度も破損したメルヴィナの装備購入代金を差し引くと、むしろ収支は赤字になった。



 もっとも、ある意味で「最大の報酬は魔力石」だという見方もあった。

 希少性の高い魔力石は、貴金属として高額で売却することもできるし、武具を強化するためにも珍重される。


 鑑定が済んだ魔力石は、エザリントン市庁舎から俺たちの手元に返却された。

 魔物討伐の戦利品として、所有権は取得者に帰属する、という。

 そこで、これをどういったかたちで処分するか、皆でよく相談することになった。

 話し合いでは、いくつか提案がなされたものの、「貴重な合成素材なので、ただ換金するには惜しい」というのが、大筋で一致した見解だった。


 その結果、魔力石の用途は、武器強化に使用することが決定し、完成した得物はレティシアが装備することになった。

 エザリントンで腕利きの鍛冶屋と錬金術師に手を借り、さらにメルヴィナも付与魔法で協力して、一振りの剣が鍛えられたのである。



「見事な業物わざものだな。これが『まぐれメタルの剣』か」


 鈍く輝く長剣を手にすると、レティシアは嬉しそうにうなずいた。

 一見重そうだが、じかに持ってみると、驚くほど軽いらしい。使い心地は抜群で、すぐ手に馴染んだという。


「やはり、こういう希少な武器はいいな。容易に入手できない品を所持していると、何となく縁起が良さそうな気がしてくる」


 レティシアは、謎の価値観を表明すると、大事そうに剣を鞘へ納めた。

 ……たまにこいつって、やたらとげんを担ごうとするんだよな。

 まあ、騎士や傭兵のような前衛職には、運気の良し悪しにこだわる人間が案外多い。

 敵と命のやり取りをする機会が多いせいで、迷信には敏感になるって聞いたことがある。


 ていうか、得物の名称は「まぐれメタルの剣」でいいのかよ。そのまんまじゃねーか。

 いや、スゲェわかりやすいし、本人が気に入ってるんなら別にいいんだけどさ。




 まあ、何にしても、まぐれメタル討伐依頼は、こうして幕を下ろした。

 紆余曲折あったものの、勇者の本分を無事全うできて、安堵を覚える。


 ただ、この件の先達たるダリルに対しては、やや不満を感じなくもない。

 どうせ「幻魔の竪琴」を後世に遺すのであれば、もっとわかりやすい方法で手掛かりも用意しておいて欲しかったものだ。

 例えば、折角吟遊詩人だったんだから、自分がまぐれメタルを倒した際の詳細を、叙事詩にして広めておくとか。曖昧な逸話を他人任せに口承させるより、そっちの方が気が利いていたんじゃないかと思う。


 そうしていてくれれば、もっと容易にまぐれメタルを打倒できただろうに――

 と、俺は「美しき雌鹿」亭で考えを語ってみせたのだが、あまり賛同は得られなかった。


「それって、ダリルが自分で自分の活躍を詩にすれば良かった、ってこと?」


 女主人のジュディスは、妙に愛嬌のある仕草で、首を傾げてみせた。


「まあ、たしかに昔の偉い人の中には、自伝なんかを書き遺して亡くなっている場合も多いと思うけど――ダリルって、そういうことを好むような詩人だったのかしらねぇ」


 そう訊かれると、即座に答え難かった。

 四〇〇年前の故人については、憶測でしか人間性が語れない。

 でも、指摘に傾聴の余地がある点は、認めざるを得なかった。


「ダリルは、自らの功績を露骨にひけらかすような人物じゃなかった、ってことですか」


「うーん、それはわからないけれど……。うちの店を訪れる吟遊詩人の中には、『たとえ勇敢な冒険者と旅を共にしていて、奇想天外な冒険に出くわしたとしても、自分を当事者にして詩を作ることはしない』っていう人も居るわ」


「――それはまた、なぜ?」


「あくまで、自分はんですって」


 なるほど。

 そう言われると、ちょっと理解できるような気がする。

 おそらくダリルは、どこまでも純粋な吟遊詩人であることを、自ら選んだのではないか。

 そして、物語に描かれる側として記憶されることを、逆に望まなかったのかもしれない。


 ていうか、冷静になってみると……

 四〇〇年前にまぐれメタルを倒したとき、ダリルは自分であの「すきすきだいすき~♪」って詩を歌ったんだよな、たぶん。

 たしかに記憶されたくないぞそれは。むしろ忘れられたいだろ絶対。



 このような見解には、プリシラもやや異なる観点から同調を示した。


「……ん。そもそも作品さえ後世に遺れば、ダリルは自分がどういう人間なのかなんて、他人に知られる必要はないと思っていたのかも」


「どうして、そんなふうに思うんだ」


「だって『ダリルの墓』に眠っていたものは、『幻魔の竪琴』だけじゃなかったから……。むしろ、それ以外の遺品が、同じ場所で大量に隠匿されていた。その意味をよく考えてみると、かなり色々と想像が刺激される……」


 単に「幻魔の竪琴」を保管するだけの目的なら、他の遺品を一緒に埋蔵する意味は特に何もなかったはず――

 と、プリシラは主張したいらしかった。


「……あそこで発見された遺品は、実はダリル自身も生前処分に困っていたものなんじゃないかと思う。日記とか創作記録なんて、いかにもそれっぽい……」


 俺は、思わず少し黙り込んだ。

 たしかに自分の死後を想定した場合、日記のようなものを遺すかどうかは、わりと悩ましい問題だと思う。


 生前に書き記したことを、俺だったら後世の人間に詮索されたくはない。

 だから死期が迫ったら、いっそ全部燃やしてしまえばいいのだろうが……

 しかし、いざそのときになったら、どう考えるんだろう。わからない。

 いつか歳を取ってから、古い旅の思い出を読み返したりすると、やっぱり懐かしさで捨てるには忍びなくなってしまうのかもしれない。


 ――で、そういう「処分し難いもの」を、とりあえず全部放り込んでしまうには、たしかに遺跡の底はあつらえ向きの隠し場所のようにも思われた。

 まぐれメタルが再び現れない限り、永遠に封印は解かれずに済んだ可能性もあったわけだし。



「……まあ、自分が書いた文書の管理については、アシュリーもよく考えておくべき」


 少し考え込んでいると、にわかにプリシラが聞き捨てならないことを言った。


「将来、勇者の冒険日誌を子孫が公開して、多くの人の目に触れることもあり得るから……」


「おい、ちょっと待て。俺が冒険日誌を書いてるのを、おまえが何で知ってるんだ」


 あれは就寝前、一人になったときにだけ書いている。

 仲間にさえ、存在を教えたことはない。

 だが、プリシラに仔細を返答する気はなさそうだった。


「私が忠告したいことは――事実を要約すればいいだけの日記で、あえて物事を描写するような書き方だと、第三者目線で余計に痛々しく感じられるから止すべきだってこと……」


「はあぁっ!? おまえ、まさか中身を読んだのか!?」


「……ドラゴンブレスを、物語でもないのに『めくるめく一条の光芒』とか『灼熱を高密度で束ねた槍』っていちいち表現するの、わりと痛いかも……」


「おいこらふざけんなよ!? そりゃまるっきり初めてドラゴンブレスみた日の夜に俺が書いたやつじゃねーか!!」


 ちなみに表現が回りくどいのは、昔吟遊詩人志望だった名残が抜けねーんだよ! 


「あと、わざわざ定期的に『メルヴィナ可愛い』って日記で書くの、意味あるの……? たまに本人にも遠回しに言ってるの聞くけど、活字で読むと本気で気持ち悪い……」


「すんませんプリシラさんマジ勘弁してくださいほんとそのへん大っぴらになると世界を救うんじゃなくて魔王と一緒に俺も人類滅亡を望む側に回らなきゃいけなくなるしむしろ手はじめに自分自身を殺さなきゃいけなくなるんで」


 俺は、地面に両膝を付いて平伏し、全力で哀願した。

 えっ、勇者としての自尊心? そりゃ何のことだ。

 日記に書いた秘密を守るのに、役に立つのかね? 


「……ん。まあ、安心してもいい。……このことは、メルヴィナには黙っておく」


 プリシラは、いつもの淡々とした口調だったけれど、口元に薄っすら微笑を浮かべていた。




     〇  〇  〇




 さて、エザリントンに逗留してから、かれこれ一ヶ月と少し……

 いよいよ俺たち四人が、この土地から離れるべきときが来た。

「美しき雌鹿」亭の部屋を引き払って、次の目的地を目指さねばならない。


 ジュディスに世話になった礼を告げ、馬屋で頼んだ馬車に乗り込んだ。

 蒼天課の鐘が鳴ったのを合図にして、雇った馭者が馬に鞭を入れる。

 名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも、正門を潜って西の街道へ出た。

 行く先に見える空は澄み渡り、柔らかな陽射しが草木を照らしている。


 ――これから、また新しい旅のはじまりだ。

 うららかな大気に包まれ、俺は束の間の休息を感じた。



 ……そうして、ぼんやりと馬車に揺られていたわけだが。

 自分の腰掛けている席の隣が、俺は何となく気になっていた。

 そこには、並んで同じようにメルヴィナが座っていたからだ。例の分厚い魔導書を膝の上に乗せて、開いたページの文面へ視線を注いでいる。


「相変わらず、勉強熱心だな……」


 俺が率直な感想をつぶやくと、メルヴィナは一拍挟んでから魔導書を閉じた。

 おもむろに顔を上げて、ちょっと拗ねたように口唇を尖らせる。


「ど、どうしたんだよ急に」


「今、『こんな天気のいい日に馬車の移動中にまで、勉強しなくてもいいのに』って思ってたでしょう。――そこはかとない、言外の悪意を感じたわ」


「何言ってんだ、誤解だっての」


 即座に否定したけれど、メルヴィナは耳を貸そうとしない。


「だって私、竜化魔法ドラゴンシェイプと同程度の攻撃魔法を、魔王と戦うまでに習得しなきゃいけないんですもの。そのためには、こうして日々地道に努力するしかないじゃない」


「……おまえ、本気で二度と竜になるのが嫌なんだな……」


 俺は、半ば呆れ、半ば感心してつぶやいた。

 だが、そうするとメルヴィナは、ふいっと明後日の方角を向いてしまう。

 でもって何やら、また面倒臭いことを言い出した。


「それにどうせ、私はだし。こうやって魔導書を読んでいるのが、いつも性に合っているのよ。魔法使いであること以外、他に取り柄なんかない女の子なんだから」


「そ、そんなことないだろ……」と、俺はなだめようとして、途中で口を噤む。

 何たってメルヴィナは可愛いんだし、と続けそうになったものの、ここじゃ的外れな言葉になるかもと考え直したからだ。ていうか、あんまり軽々に「メルヴィナ可愛い」って口走ると、またプリシラに何を言われるかわからんよなあ。むむむ。



 なーんて、内心悩んでいたら、メルヴィナの方から話題を転じてきた。


「……ねぇ、アシュリー」


 我らが仲間たる魔法使いの少女は、どことなく瞑想がちに瞼を伏せている。


「私はこれから先も、自分が魔法使いになったことを、きっと沢山後悔するんだと思う。何度も何度も失敗したって考えて、こんなはずじゃなかったって漏らす気がするの」


 メルヴィナは、とても穏やかな声音で、悲観的な予測を囁いた。

 けれど、そこに滲んだ響きは、決して理不尽を恨み、諦念を含むものじゃない。

 それどころか、静かな居住まいには、自然体の雰囲気が備わっている。


「だって、もう夢は現実になったんだから。そんな後悔を味わうために、私は今まで努力してきたのよね。……そうでしょう?」


「――ああ。そうかもしれないな……」


 俺は、晴れやかな面差しに見蕩みとれながら、ゆっくりとうなずいてみせた。



 そう。望んだものを、メルヴィナはすでに手に入れた。


 かつて描いた美しい理想は、もう同じかたちを留め続けることもない。

 必ずしもすべてではないにしろ、それはこれから少しずつ、現実という名の風雨に打たれ、削れて、摩耗していくのかもしれない。

 そのたび、この子は積み重ねてきた努力を振り返って、自らの選び取ってきたものを「こんなはずじゃなかった」と、悔いるのだと思う。


 そんな努力と後悔の行き来を、このとき俺は愚かで、しかし素晴らしいと感じていた。

 とても人間らしいし、魅力的だ。


 きっと俺たちは、これからも沢山の過去を積み重ねていく。


 何度でも新しい真実と出会って、未来で素敵な後悔を繰り返すために。




「まあ、そうは言っても――」


 メルヴィナは、やがてゆっくり瞳を開くと、付け足すように言った。


「夢をかなえられさえすれば、あとはどれだけ後悔したってかまわない、とは思わないけど。世の中には、自分一人の努力だけで実現しない将来だってあるし」


「……実現するのに、他人の協力が必要な夢か」


 魔法使いであり続けること以外で、この子は将来にどんな目標を思い描いたりするんだろう。単純に気になる。

 だから、俺は深く考えもせず、素朴な疑問を投げ掛けてみた。


「例えば、おまえは何かあるのかよ」


 すると、メルヴィナは横目で一瞬、ちらりとこちらを眼差してくる。

 だが、すぐまた視線を外して、晴れ空越しに遠くの景色へ碧眼を向けた。

 その内側には、少しだけ不機嫌そうな光彩が揺れている。



「……いつか気になる人に、ちゃんと責任を取ってもらうこと、とか」



 たっぷり一〇秒経ってから、ぽつりとメルヴィナはつぶやく。


 直後に不快な気配を感じて、俺は馬車の向かい側の席を見た。

 レティシアとプリシラが並んで座って、こちらを生温く眺めていた。







<竜になるまで逃げないで!・了>

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竜になるまで逃げないで! 坂神京平 @sakagami

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