8:闇に消えた音色を探して(後)

 そうだ――

 封印の扉を開く鍵は、きっとドラゴンなのだ。


 特殊な魔法の品物でも、不思議な合言葉でもない。

 幾人もの冒険者が調査を諦め、この先へ踏み入れなかったのも得心がいく。


 ただし同時に、もうひとつ気掛かりな事実があった。

 それは、鉄扉の文字から読み取れる、いくつかの文言だ。


 具体的には、

「真の叡智を会得した者だけが、踏み入ることを許される」

「劫火の王が、ここに姿を顕現する」

 という二箇所である。


 叡智を会得した者というのは、たぶん魔法使いのことだ。

 それも、かなりの実力者ということになるだろう。

「昏き渦」より古い時代、人間界は魔法文明の絶頂にあったと言われる。当時の世界を想像すれば、いくら博学でも単なる学者というだけでは、尊敬の対象足り得なかったと思う。


 そして問題なのは、劫火の王ドラゴン、という表現だ。

 どこかから連れてくる、というのではない(まあ、かの強大な神獣を、こんな地下深くへ招き入れること自体、そもそも無理な相談だろうけど)。


 ドラゴンは、ここに姿を現わさねばならないのである。

 とすれば、これはつまり――……



「……アシュリー」


 プリシラは、いつも通り淡々としているけれど、しかし微妙に訝しむような声を発した。

 たぶん、概ね同じようなことを考えていたのだろう。


「何だか、妙な感じがする……」


「ああ、わかってるって。俺も正直、かなり色々引っ掛かってる。――でも、今はひとまず後回しにしよう」


 憶測を整理して、詳しく考察するのは、この鉄扉の奥へ進んでからでも遅くはない。

 我が旅の仲間たる「叡智を会得した者」に向かって、俺は声を掛けた。


「頼む、メルヴィナ。ここの封印が竜化魔法ドラゴンシェイプで解けるのか、いっぺん試してみてくれ」


「はあ、わかったわ。やっぱり、そうなるわよね」


 いかにも渋々ではあるものの、メルヴィナは承諾してくれた。

 首から下を外套で覆うと、いまや慣れた動作で着衣を脱ぎはじめる。

 一応、俺は多少離れた位置で、そちらへ背を向けていた。


 ほどなく背後から詠唱が聞こえてきて、竜化魔法の発動も気配でわかった。

 振り返ってみると、目の前に光り輝く黄金竜の姿がある。


<――じゃあ、扉に触れてみるわよ>


 竜化したメルヴィナは、巨大な鉄扉の傍に立って、前脚を水平に突き出す。

 すると、爪の先が黒い表面に触れるかどうかしただけで――

 突如、鉄扉が重々しい金属の軋む音を鳴らして、真ん中から左右に開きはじめた。


 想像通り、封印の鍵は竜化魔法だったらしい。

 な、何だか、拍子抜けするほど呆気ないな……。

 とはいえ、仮にメルヴィナが竜化魔法を習得していなかったら、たとえ謎かけリドルの答えがわかっても、完全にお手上げだったわけなんだが。


 まあとにかく、封印も解除できたんだし、先を急ごう。

 巨大な扉が開かれた向こう側には、やや下り傾斜の通路が伸びていた。

 しかしながら、手前から奥へ行くにつれ、高さも幅も急激に狭くなっている。

 竜化したままじゃ進めそうにない。

 そのため、メルヴィナが人間の姿に戻って、着替えるのを待たねばならなかった。

 照明魔法で灯りも作り直して、やっと扉を潜る。



 俺は、通路を抜けた先で、周囲をぐるりと見回した。


「ここが、『ダリルの墓』なのか……?」


 そこは、半球形の空間だった。

 封印で隔たれていた大広間と対照的で、狭く、天井も高くない。

 石造りの室内を、太い木製の柱や梁が支えている。

 奥の壁際には、曲面に沿って棚が設えられ、書物の類が並んでいた。

 床の上のあちこちには、大小の長持が乱雑に積まれている。


 部屋の中央には、頑丈そうだが古びた机が置かれていた。

 そして、その上で白銀の弦楽器が鎮座している。

 この地下深い暗闇の中で、それは魔法の光を反射し、まばゆい煌きを放っていた。

 優美な胴と棹は、大きさも形状も、腕で抱えるのに丁度いい具合だ。

 どういうわけか、埃や汚れの付着は微塵も見当たらなかった。


 ――これこそ、かの「幻魔の竪琴」で間違いなかろう。

 本当に言い伝え通り、この遺跡の奥底で眠り続けていたのだ! 


「不思議な存在感が漂う代物だな」


 レティシアが、率直な印象を口にした。


「思いのほか、ここが地味な場所だからか……。私には、尚更そう感じられる」


 その言葉には、俺も同感だった。

 神聖なのか邪悪なのか、いたずらに判別はできないが――

 机の上の竪琴は、何やらただならぬ雰囲気を纏っている。

 それが部屋の空気とは、明らかに馴染んでいなかった。



 俺たちは、古い机に近付くと、つぶさに竪琴の状態を検める。

 だがメルヴィナだけは、その横をすり抜け、壁際の棚の前に立った。

 どうやら、並べてあった書物が気になるらしい。


「……日記みたいだわ」


 そのうちの一冊を手に取ると、メルヴィナがつぶやいた。

 黄ばんだページを捲って、控え目な声で記述の内容を読み上げる。


「――『神霊暦九〇七年三月一八日、竜の伏臥日。白霧の峠を越え、ミドルウッドの山林を抜ける。この先は、メドウバンクと呼ばれる土地だ』……」


「お、おい。待てよメルヴィナ!」


 俺は、驚嘆して、棚の傍へ駆け寄る。


「そいつは、ひょっとして――」


「ダリルが書いたものみたいね」


 開いた書物を眺めながら、メルヴィナは答えた。


「この日記によると……ここは元々、魔法文明時代に身分の高い魔法使いが何人か、住居兼研究施設として使用していた建造物そうよ」


 日記の一部を、さらに要約したところによれば――

 かつて、ホロウ渓谷で暮らしていた古代の魔法使いは、地下深くに貴重な魔導研究の成果を秘匿するため、強力な封印に施錠された部屋を作ったらしい。

 すなわち、それが今俺たちの居る場所だ。


 そして、封印を解く条件には、ある禁断魔法の行使を鍵に設定したという。

 なぜなら、遺跡の主人だった魔法使いが、当時自ら編み出した秘術だったからだ。しかも、それは特殊な古文書を解読できない限り、他の誰にも行使できない魔法でもあった……


「マジかよ。それが事実なら――」


「おそらく竜化魔法ドラゴンシェイプは、当初この遺跡を建造した魔法使いの固有技能ユニークスキルだったことになるわね」


 俺が呆然としていると、メルヴィナがあとを引き取った。


「それで、現在から約四〇〇年前だけど――魔法文明崩壊後の、もっとずっとあとになってから、ダリルは旅の仲間たちと連れ立って、メドウバンク地方を訪れた。その際、近隣地域をあちこち巡って、ホロウ渓谷も何度か探索する機会があったみたい」


 日記の内容に従うと、やがて遺跡調査を重ねるうち、ダリルの仲間は一冊の古文書を発見したそうだ。

 ――それこそ、竜化の遺失魔法を記した本だった、というのである。


「……ん。でも、そうすると」


 プリシラも、こちらを振り向いて、考え込むような仕草を覗かせた。


「どうして、私たちは竜化魔法の古文書を、『白霧の塔』で手に入れたの……?」


「ちょっと待って。ざっと流し読みした感じだけど、こっちの日記に書かれている範囲じゃ、たぶんここまでしかわからないから――」


 手元の日記を閉じると、メルヴィナは顔を上げて、棚の隅を眼差した。


「ねぇ、アシュリー。棚の四段目で一番右端に並んでる、焦げ茶色の書物を取って」


 指示されるまま、俺は別の革表紙の本を取って渡す。

 メルヴィナは、真剣な面差しで、再び開いた書物へ視線を落とした。


「思った通り、これがダリルの最晩年に書いた日記ね」


 ざっと目だけで文面を探りつつ、素早くページを捲っていく。

 だが、ほどなく不意に途中で、か細い指の動きが止まった。


「この時期になると、もうエザリントンに定住しているみたい」


 深い海のような碧眼が、大きく見開かれる。


「まだ大陸貿易が未発達で、辺境の村だった頃ね。――『神霊暦九二〇年四月二九日、風の精霊日。村長の家で、奇怪な魔物の話を耳にする。その姿をはっきりと見た者は少ないようだが、村の住人はだと推量しているらしい』……!」


「――正直、何となく予感がなくはなかったのだが」


 レティシアが、苦々しげに言った。


「鉛色の奇怪な魔物――しかも、メタルラットの眷属。それはつまり……」


「まぐれメタルだろうな」


 努めて平静を装いながら、俺は結論付けた。


「あの逸話の中でダリルが討伐した魔物は、まぐれメタルだったんだ」


 そういう過去の事実があったとしても、決して不思議じゃない。

 むしろ納得できる要素が多いとさえ、すでに考えはじめている。


「……もう少し先のページを読むと、『奇怪な魔物を討伐することに成功した』と綴られているわ。言い伝えにあった通りね」


 ページの上から目を離さず、メルヴィナは続けて記述を読み上げた。


「――『仲間の助力と竪琴のちからで、メタルラットの眷属はどうにか倒すことができた。だが、魔法文明時代の研究によれば、かの魔物は高い知能と共に、同種族内において世代間を超えた伝達能力を有するという説がある。加えて、特定の生息地に固執する習性も強い。そこでいつの日か再び、この地に同じ魔物が姿を現すことを顧慮し、私はできる限りのことを後世に遺そうと思う。取り分け私の竪琴と、竜化魔法の古文書をどうするかが問題だろう。……後者に関しては、仲間が最近建てた塔で保管したいと言っている』――……」


 俺は、自然に「ああ……」と、喉から呻きが漏れた。


 散り散りだった断片が、ひとつの線に束ねられようとしている。

 封印の扉を見たときから、漠然と胸に抱いていた憶測も、ようやく確信に変わった。




 ダリルは、竪琴のちからを用いて、まぐれメタルを倒していたのだ。

 そして、言い伝えにも登場する旅の仲間は、竜化魔法の使い手だった。


 おそらく、ダリルは知っていたのだろう……

「幻魔の竪琴」と、竜化魔法が揃わねば、まぐれメタルは討ち取れないことを。

 また、いつかこの土地に再び、かの魔物が出現するかもしれないことを。


 だから、竜化せねば解けない封印の先に、自分の遺品を埋蔵した。

 そこには、きっと「竪琴を求めるのなら、竜化魔法を蘇らせろ」という、遠回しな意図が込められていたのではないか? 


 ……ただし、過去に竪琴を探した人間は皆、まぐれメタル討伐と無縁だった。単にダリルの遺品欲しさだったせいで、封印の謎につまずいてしまったのだと思う。

 あるいは「鍵」が何かを察しても、遺失魔法を復活させるつもりにまではなれなかったのかもしれない。要求される努力に対して、不確かな見返りじゃ、釣り合わないだろうからな。


 ところが、何も知らないメルヴィナは、むしろ竜化魔法を先に習得してしまった。

 考えてみれば、古文書が眠っていた「白霧の塔」は、ミドルウッド山林地帯で峠道の途中に建っている。あそこはダリルも、メドウバンク地方までの旅程で、通過した場所だった。

 仲間の魔法使いが後年、そこで竜化魔法を保管したというのは、日記の通りなのだろう。


 エザリントンの近辺に竪琴が隠されていたことも、封印を解く鍵が竜化魔法だったことも、すべて偶然じゃない。


 つまり、俺たち四人は、まぐれメタル討伐を引き受けたときから――

 ダリルが遺した冒険の筋書きを、たどらないわけにはいかなくなっていたんだ! 


 もっとも、俺たちの場合は、その過程が少しややこしくて。

 まぐれメタルに対峙するのと、「幻魔の竪琴」を探すのと、竜化魔法を蘇らせるのと……

 それぞれ順序が前後に入れ替わっていたせいで、今頃になって、ようやく事物の因果関係を把握できたわけである。




「……それで、この遺跡に竪琴を隠した日の記述なんだけど」


 文面の要点を抜き出してから、メルヴィナはさらに言葉を継いだ。


「末尾に注釈があるの。――『竪琴の奏法については、仔細を別の書に説示する。創作記録を参照のこと』って」


「奏法の仔細だと?」


 眉をひそめて、レティシアが訊き返した。


「普通の竪琴と同じように演奏するだけでは、駄目なのか」


「どうやら『幻魔の竪琴』は、一種の古代遺物アーティファクトらしいわ。ダリルは大昔、大陸諸国を巡るうちに偶然入手したそうなんだけど」


 メルヴィナは、すでに棚へ手を伸ばして、他の書物を探っている。


「特定の楽曲を弦で弾いた音と、奏者の歌声を共鳴させることで、特殊な効果を発生させるみたい。――そのために作った抒情詩や注意事項が、創作記録の中に書かれているそうよ」


 なるほど、【古代遺物アーティファクト】か。

 魔法文明時代に製造された魔法道具でも、特に強力な魔力を秘めたやつのことだな。

 異様な存在感を帯びていることも、そうと聞かされれば合点がいく。


「……でも、この部屋は本が沢山」


 棚に積まれた書物を見て、プリシラがつぶやく。


「創作記録の本は、日記とは違うの……?」


「ダリルは、作詩作曲に関する仕事と、それ以外の出来事を別々に記録していたらしいの。だからって、特に公私を切り離していたわけでもないみたいだけど。――きっと、筆まめな人物だったんでしょうね」


 メルヴィナは、次の本のページを捲りながら答えた。


 ……この子一人に任せていないで、俺も少しは手伝おう。

 ダリルが書いた文章となれば、創作記録だろうと日記だろうと、興味深いことには違いないし。

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