7:闇に消えた音色を探して(前)

 ホロウ渓谷の地下遺跡は、エザリントンから片道で半日掛かる距離にある。


「美しき雌鹿」亭でダリルの逸話を知った翌日――

 俺たち四人は早速、北東の方角を目指して、街を出発した。

 ウォーグレイブ丘陵の探索は、二、三日程度、中断することになっている。


 昼前に正門を潜って、しばし街道を歩き、荒野を経てから渓谷地帯へ入った。

 途中で細い獣道へ進み、目的地の手前まで来ると、丁度日没の頃合だ。

 そこで一晩野営してから、夜明けを待って遺跡内部に踏み込む。


 あえて日中の調査を選んだ背景には、いささか特別な理由があった。

 無論、普通の地下建造物であれば、探索するのに昼夜を区別する意味はない。

 ところが、ホロウ渓谷の遺跡に限っては、やや事情が他と異なる。



「どうやら、到着したようだな」


 遺跡の傍まで歩み寄ると、レティシアが辺りを見回して言った。


 俺たちの前方には、切り立った岩場がある。

 その地表は、すり鉢状に円を描いて窪み、中心部で巨大な縦穴になっていた。

 天に向かって垂直に穿たれた空洞の幅は、直径三〇マルトル以上あるだろうか。

 内側は、深くて暗く、覗き込んでも底の様子は、容易に窺い知れない。


 しかし、それでも頭上から注ぐ陽の光が、岩場を地下まで照らそうとしていた。

 明かりは幾筋かの細い束となって、真っ直ぐに縦穴へ射し込んでいる。その奥で露出した壁面は、岩盤を人工的に掘削したもので、精巧な彫刻や意匠が浮かんでいた。

 ――ここが古代の建築物だという、紛れもない証左だ。


 そして、この遺跡は縦穴構造であるがゆえ、しばしば日光が探索の役に立つ。

 地上からの深さや方角など、内部で位置確認の手掛かりになるのだった。


「……向こうから、奥に進むみたい」


 プリシラが、岩場の一隅を指し示す。

 すり鉢状の足元を、反時計回りに下った先で、地下へ続く通路が口を開けていた。

 入り口の上部には、美術的な半月形装飾アーチが掲げられている。


「よし。それじゃあ、とにかく先へ進んでみよう」


 皆に声を掛けてから、俺は入り口へ向かって歩き出した。


「何があるかわからないし、くれぐれも用心してくれよ」


 俺を先頭にして、レティシア、プリシラ、メルヴィナの順に建造物の内部へ踏み入る。



 目指すのは、遺跡の地下最深部――

「ダリルの墓」と呼ばれているらしき場所だった。


 まあ、とは言うものの、本人が埋葬されているわけじゃない。

 ダリルの亡骸自体は、エザリントンの教会墓地で、深い眠りに就いている。

 この遺跡にあるのは、謂わば「偉大な詩人の遺品保管庫」なのだという。


 ――言い伝えに従えば、埋蔵された遺品の中には「幻魔の竪琴」も含まれている。

「美しき雌鹿」亭のジュディスは、そんなふうに主張していた。


 事実とすれば、今の俺たちにとって、この上ない福音となるかもしれない話だ。

 その竪琴を利用することで、まぐれメタルの逃走を妨げられる可能性がある。



 ……とはいえ、この話には多少不可解な点があることも、皆すぐに気が付いた。




「ちょっと待ってくれよ、ジュディス」


 俺は、昨夜の打ち合わせの席で、いったん制止して訊いた。


「その言い伝えは、この街でどれぐらい有名な話なんだ?」


「さあ、どうなのかしら。誰でも知ってるってほどじゃない、とは思うけど。あたしなんかは仕事柄、吟遊詩人や旅芸人と関わる機会が多くて――それで、日頃から彼らとやり取りしてるうち、自然と知った言い伝えなんだけどね」


 知名度自体は、そこまで高いわけでもないようだ。

 ただし一部の職業界隈においてなら、「知る人ぞ知る」逸話なのかもしれない。

 そうだとすれば、やはり微妙な疑問を覚える。

 違和感を抱いたのは、メルヴィナも同じだったらしい。


「私たち以外で、過去に『ダリルの墓』の存在を知った冒険者は居なかったんですか」


 そう、奇妙に感じられてならないのは、まさにその部分だった。

 誰もが聞いたことのある話じゃなくても、専門家が知っているような言い伝えなのだ。

 すでにどこかで、同じ逸話に触れたことがある人間の一人や二人ぐらい、おそらく他にも居るのが普通じゃないかと思う。


 ならば、とっくに何者かの手によって、この種の地下遺跡は詳しく探索され、財宝の類も発掘され尽くしていそうなものじゃないか。

 ダリルの遺品が眠る場所なら、まして尚更である。


「ええ、それはもちろん。同じ逸話を知って『ダリルの墓』を目指した人間なら、今まで他に何人も居たと思うわよ」


 ジュディスは、疑念の本質に関わる要素を、あっさりと肯定した。


「でも、場所がわかって居ることと、実際にそこへたどり着けるかどうかは、それぞれ別の話だからね。……少なくとも、『ダリルの墓』の中へ立ち入ることのできた冒険者が居るだなんて噂は、この店をやっていて聞いた覚えがないわ」


「つまり、ホロウ渓谷の地下遺跡には――」


 渋面で問い掛けたのは、レティシアだ。


「何か『ダリルの墓』まで、容易に踏み込むことのできない理由がある、と?」


「まあ、何度も言うけど、あたしは冒険者じゃないわ。だから、これも店に来たお客さんから聞いた話でしか知らないんだけど」


 改めて前置きしてから、店の女主人は溜め息を吐いた。


「あの遺跡の奥には、何でもがある、っていうのよ。たぶん『ダリルの墓』は、そこを潜った向こう側ね。――でも、扉にはやたらと古い魔法で、強力な封印が施されているらしいの」


 それゆえ、まだ遺跡の最深部まで到達した者は、ダリルの死後に誰も居ない。

「墓」と呼ばれる場所についても、じかに存在がたしかめられたことはない――

 ジュディスは、そんなふうに説明していた。




 …………。


 ……遺跡の入り口を潜ると、石造りの通路が目の前に伸びていた。

 道幅は広く、少し進んだ先で十字路になっている。さらに通路を直進すると、その奥でもすぐに枝分かれているらしい。

 まるで侵入者を阻むような、複雑で入り組んだ様相だった。


 それを見て、ジュディスから聞かされた話を、俺はふっと思い出す。


「――封印された魔法の扉、か」


 今ここに至ってみると、伝え聞くいにしえの扉も、何やら強い拒絶の象徴みたいに感じられる。

 それはいかなるちからによって、閉ざされ続けているのか? 


「まずは実物を見て、たしかめてみないことにはわからんな」


 レティシアが隣に来て、あとを引き取るようにつぶやく。

 その言葉には、差し当たり黙してうなずくしかない。


 扉を開く方法について、俺たちにはこれと言って何も手掛かりがなかった。

 どんなが必要なのかは、実地で調べてみてから検証する。

 ……それが魔法の品物か、他の特別な条件かは、見当が付かないけれど。



 さて、それはともかく。

 俺とレティシアは剣を抜き、前衛で並んで隊列を形成した。

 メルヴィナが照明魔法を唱えて、頭上に灯りをともす。いくら陽の光が射し込むといっても、外の縦穴から遠い位置では、やはり暗くて見通しが悪いからだ。

 準備が万端整ったところで、いよいよ遺跡の中へ踏み出した。


 周囲に注意を払いながら、下層を目指して前進する。

 いくらか歩くうち、どうやらかなり広い建築物だということがわかった。

 かつては居住に使用されていたらしき部屋だとか、集会所のような広間もある。壁や柱のあちこちには、石細工の装飾が施されていた。


 通路の分岐点まで来た際には、より大きな道を選んで進んだ。

 長い石の階段を下りて、次の階層をまた少し歩く。



 すると、ほどなくあちこちから、威嚇めいた金切り声が聞こえてきた。


 地下遺跡の内部には、無数の魔物が巣くっていたのだ。

 もっとも、それはむしろ想定されていた事態だった。

 打ち捨てられた古代遺跡には、妖魔や死霊の類が棲み付くことも珍しくない。


 警戒を強めて奥を目指すと、案の定次々と魔物が襲い掛かってきた。

 小鬼ゴブリン豚鬼オーク食人鬼オーガをはじめ、生ける屍ゾンビ幽鬼グール骸骨の闘士スケルトンウォリアーなど……

 遺跡の奥へ踏み入るほど、多様な敵と交戦を強いられねばならなかった。


 俺たち四人は、それらを順に蹴散らしていく。


 レティシアが素早く長剣で斬り付け、俺は幅広剣と魔法を使い分けて戦う。

 不死族アンデットに対しては、プリシラが浄化の祈りターンアンデットを捧げ、何度となく亡者の魂をけがれの呪縛から解き放つ。


 また、この日のメルヴィナは、何やら妙に意気込んでいた。

 直線通路で遭遇した妖魔には雷撃ライトニングを飛ばし、群がる死霊の一団には火球ファイアボールを炸裂させる。物陰に潜んでいた魔物も、鋭敏に気配を察知し、襲撃されるより先に魔法の矢マジックアローで射抜いてしまう。


 軽い驚きを覚えて、俺は本人に率直な印象を伝えた。


「……今日は随分、張り切ってるな」


「まあ、そうね。――この遺跡の調査が、まぐれメタル討伐の今後を大きく左右し兼ねないし、私も自然とちからが入ってしまうわ」


 メルヴィナは、戦闘中に乱れた金髪を手でかし付けながら、真剣な面持ちで言った。


「そう、そうよ……『幻魔の竪琴』が手に入れば、これ以上は竜化魔法の訓練を続ける必要性もなくなるかもしれないじゃない……! そうすれば、もう何度も何度も、野外でいちいち衣服を脱いだり、茂みの陰で全裸を隠したり、隠れる場所があるならまだしも適当な物陰がなくて全裸を曝さざるを得なくなったりせずに済むんだわ……だ、だから……何としても――……」


 ややうつむきながら、ぶつぶつと半ば独り言のようにつぶやいている。

 全身から負の想念が立ち昇っているみたいで、わりと怖い。


 ……でもまあ、やる気になってるんなら、あえて余計な口を挟むこともないか。

 レティシアとプリシラを振り返ってみると、二人も「そっとしておけ」と、こちらへ目で合図を送っている。

 やはり、それが賢明な判断だろう。




 そうして、遺跡を下層へ向かって、潜り続けるうち……

 石造りの階段を下った先で、一際大きな円形の広間にたどり着いた。

 足元の石畳には、幾何学的な模様と共に、不思議な図柄が刻まれている。

 どうやら、ここが最深部らしいな、と俺たちの誰もが直感した。


「いったん、灯りは消しても問題なさそうね」


 おもむろに頭上を見上げると、メルヴィナは照明魔法の効果を解除した。

 この大きな広間には、天井というものが存在していない。

 代わりに巨大な吹き抜けが、地下と地上を垂直に貫いている。


 この大広間は、遺跡の外で見た縦穴の底だったわけだ。


「……最初から、そうとわかってたら」


 プリシラが、ぼそっといつもの調子でつぶやく。


「メルヴィナが竜化して、ここへ真っ直ぐ地上から降りてくればよかったのかも……。縦穴の幅と高さがあれば、たぶんドラゴンの巨体でも身動きするのに問題ない……」


 しかし、メルヴィナは渋い顔で、かぶりを振った。


「残念だけど、竜化魔法ドラゴンシェイプ変化へんげしたドラゴンには、本物と違って飛行能力まではないわ。背中の翼も、単なる姿形を真似ただけの飾りなのよ」


 プリシラの発想は、落ち着いて考えてみると、色々問題が多い。

 もし、ドラゴンの姿で最下層まで降下できたとしても、変身が解ければメルヴィナは全裸になってしまう。しかも、他の三人とは離れ離れだ。

 魔物だらけの遺跡内部で、それじゃ危険すぎるだろう。


 ――ところが、

 という事実は、すぐにこのあと重大な意味を持つことになる。



「おい、アシュリー」


 大広間の真ん中まで来ると、レティシアが北西の壁面を指差した。


「あそこにあるのが、ジュディスから聞かされた封印の扉なんじゃないのか?」


 うながされて、全員が一斉に同じ方角を振り向く。


 そこには、たしかに恐ろしく巨大な鉄扉が据え付けられていた――

 横幅は七マルトル近く、高さは一二マルトルほどもあろうか! 

 酷く古びており、見るからに分厚く、黒い金属製の外装から重量感が伝わる。

 それでいて神秘的な雰囲気が、何か薄っすらと備わっているように見えた。

 両開きの形状で、表面には凝った意匠と文字が刻み込まれている。


 鉄扉の前へ進み出て、詳しく彫り物を検めてみた。


「古代の上位魔法文字だな……」


 現代で用いられている魔法文字とは、かなり書体が異なっている。

 大災厄「くらき渦」よりも古い時代のもので、俺には専門外の分野だ。


「メルヴィナ、読めるか?」


「ええと、ちょっと待って」


 メルヴィナは、やや扉の表面に顔を近付けてから、ゆっくり文字を目でなぞりはじめた。


「……『この先には、まことの叡智を会得した者だけが、踏み入ることを許される。それは猛るちから。輝く身体。扉を見上げることもない双眸。――すなわち、光の神に最も近い獣。すべてを砕く劫火の王が、ここに姿を顕現するとき、扉は道を開くだろう』……」


「お、おい。それってまさか」


 読み上げられた文章を聞き終えるや、俺は自然と目を剥いてしまった。

 猛るちからと、輝く身体を持っていて、目の前の巨大な扉を、見上げることすらないだって? 

 それらの要件を満たす、「劫火の王」と言えば――


「……おそらく、ドラゴンのことだろうな」


 一拍挟んでから、レティシアが同調するようにつぶやいた。

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