16.謎の青年!ロスト・ワンの黒い影

「超絶、変身ッ!」

 由香利の足元に六角形の模様が浮かび上がり、由香利を包む。エメラルドグリーンの光が由香利の身体をコーティングすると、子供だった由香利の身体をロングヘアーの少女へと成長させた。

 光がはじけると、身体を守るボディスーツとプロテクターを身に着けた姿があらわになった。

【前のモンスターと同じだ……微弱な共鳴を感じるぞ。戦えるか、ユカリ――】

(戦えるよ。今の私は、ユカリオンだから!)

 ユカリオンは鎧武者に向かって走った。鎧武者は腰の日本刀をすらりと抜き、しかしその場に構えたまま動かなかった。ユカリオンはリオンブレードを手にし、思い切り振り下ろす。しかし、リオンブレードよりも華奢なはずの日本刀が、しっかりとブレードの剣撃を受け止めた。

(硬い!)

 それでも諦めずに、ユカリオンはブレードで何度も切りつけた。しかしブレードは、鎧と日本刀のどちらにも、1つの傷さえ与えられなかった。切りつける最中に、蹴りや肘撃ちを叩き込んでは見たものの、鎧武者はびくともしなかった。

 それどころか、鎧武者が腕を振り下ろした一太刀は、ブレードの力を上回るほどに、重く、恐ろしいものだった。

 黙ったままの鎧武者の重厚感に気圧されない様、ユカリオンは緊張を保ち続ける。しかし手ごたえが無い事に、徐々に焦りも感じていた。

(どうやって倒したらいいの!)

【諦めるな! 敵は異次元モンスターだ。ベータに対抗できるのは、アルファの力を持つ君だけだ。私が急所を探す、それまで持ちこたえろ!】

(お願い、アルファ!)

 鎧武者が日本刀を振るい、一歩を踏みだす。鎧武者の瞳が紅く光り、攻撃の意思を表したように見えた。

(来る……!)

 カシャリ、カシャリと鎧を軋ませて歩くその姿ににじみ出るのは、恨みとも呼ぶべき気配だった。ユカリオンは、ともすれば押しつぶされそうなその気迫を何とか受け流しながら、いつでも攻撃できるように呼吸を整えていた。それは相手も同じで、まさに空気を読みあうような、無言の戦いが続いていた。

 下を向いていた日本刀の切っ先が、ほんの少し動いたのをきっかけに、ブレードと日本刀がぶつかり合った。すぐに離れるが、すぐにまた剣撃が繰り返される。

双方一歩も退かぬ戦い。スーツに導かれるまま、ユカリオンはただひたすらに戦いつづけた。アルファの声を、待ち続けた。


【――ユカリオン、右肩だ!】


 待ち望んだ声が、ユカリオンの頭に響いた。

 ゴーグルにはマーキングされた鎧武者の右肩部分が表示された。ユカリオンはブレードの出力を上げ、大剣を作り出す。そしてマーキングされた右肩の付け根めがけて、渾身の一撃を振るった!

 パキン、と音が聞こえた。鎧武者の黒い鎧に亀裂が入り、全身に纏っていた鎧が砕け散ったのであった。鎧武者はこの世のものとは思えぬうなり声を上げながら、晒された中身が、エメラルドグリーンの炎に包まれて燃えつきる。そして、姿を現したフェイク・クリスタル・ベータに亀裂が入り、粉々に砕けた。

 しばらくの間、ほかのクリスタル・ベータの気配を探したが、それらしいものは感じられなかった。



 ユカリオンは変身を解き、すっかり暗くなった公園の真ん中で、ぽつりと呟いた

(さっきの、話の続き、いいかな? アルファ)

【ああ】


(……榊乃くんがいじめられてる事、


 噂では聞いた事があった。4年生のときに転校してきた、根暗で無表情で、友達の居ない男の子の話を。実際に目にした優人の姿は、酷く傷ついていた。しかしそれ以上に、人を近づけさせない雰囲気の方が強かった。今日はそれを強く感じた。

(榊乃くんは、あの時の……いじめられている時の私にそっくりだった。誰も近づけさせないようにして、誰の言葉も聴かないようにして、1人きり。私、ほっとけなかった)

 陰湿ないじめは、なかなか表に表れる事は無い。だから、声をかけるきっかけも見つからなかった。

(私には、守ってくれる家族や友達がいた。だから、今度は私が、傷ついた誰かを守りたい。ううん、そんな大げさな感情なんかよりも、なによりも……)

 由香利は思いを馳せる。あの、一瞬だけど驚いたような顔。男の子が自分の顔をしっかり見た、という事実に、実のところ由香利自身が驚いていた、という事。そして、その顔がいつまでも焼きついて離れない事。

(気になって仕方ないの、榊乃くんの事が)

 説明のできないもどかしさが、由香利の心にむずむずと残っていた。



***



 由香利が公園で異次元モンスターに遭遇した頃。市の最終処分場を囲む金網の中に、1つだけ破れている場所……ちょうど子供1人がくぐれるほどの穴から、榊乃優人が姿を現した。

 人の気配がしない中を、優人は無言で進んでいく。頭を垂れ、鬱々とした顔には、ほんの少しの疑問が浮かんでいた。

(どうして)

 浮かぶのはその言葉だった。

(どうして、あの子は僕にかまった)

 国語の教科書を忘れた訳ではなかった。後で鞄入れの中から、ぼろぼろになった教科書が出てきた。おそらく、クラスの誰かがやったのだろう。その時だって優人は冷静だった。悔しいとか、にくいとか、そういう感情は浮かばなかった。

 いじめは、まるで運命のように彼につきまとった。両親が離婚し、転校しても、それは何ら変わらなかった。

 無視されるのも普通だった。父と兄と母の四人で暮らしていた時も、家を出て母と2人で暮らし始めた時も。学校が変わっても、クラスが変わっても。

 理由はわからない。ただ、生まれつき体が小さかった事や、優秀な兄と比べられた事、そして、も理由かもしれない。

 それは学校に行っても同じで、家の中と同じように比べられ、罵倒され虐げられた。

 始めこそ大きく反省し、直していこうと努力した。しかしそれは相手に伝わらず、それどころか相手の逆鱗にふれた。それが幾度となく繰り返され、優人はいつしか、自分だけが傷を負っていくのだと気づいた。

 もがくのは辛い。だったらいっその事、沈んでしまえばいいのだと。

 そして、大きな大きな自分の中の深い、意識の海に、深く潜り込んで行く事を決めた。

 ここはそうやって沈むのにちょうど良い場所だった。周りは廃棄物だらけで、人の気配はしない。夜中までここで1人きりで居る事が、優人にとっての日常だった。

 母は夜の仕事に出ていて朝方帰ってくる。こうして夜に徘徊する息子の事を、母は全く気にしていないどころか、むしろそうしてくれと言わんばかりの顔をしている。 母は家に居る時は酒びたりで、家に居る息子を追い出すのが常だった。

 つまるところ家でも学校でも、榊乃優人という人間は居ても居なくても変わらない存在だった。

 それなのに。

 驚いて、あの子の目を見てしまった。大きくてかわいらしい、柔らかい焦げ茶色の瞳。少しだけ言葉を交わした。一方的ではない『会話』を久しぶりにした。

 まるで水面に上がって、久しぶりの呼吸をしたような感覚だった。新鮮で、柔らかくて、美味しくて。

 廃棄物で出来た小山の裾に座り込み、昼間のそれを反芻するように思い出した。まるで宝箱から大切なものをのぞき込むように。

 しかし、海の奥底から、どろりとした感情が浮かび上がる。


 ――誰もおまえを信じない。誰もおまえの事など、見ていない。


 つもり積もった泥のようなその感情は、瞬く間に優人の心に広がった。

「あぁ」

 ため息がついて出た。絞り出したような声だった。

(きっとあの子だって、明日には忘れてる。きっと二度と、僕のことを見ない)



 涙など流れないのに、目を閉じた。心に広がったその感情がどんどん強くなり、優人はその場にうずくまった。胸の鼓動が強くなって、その痛みに全身が支配されていく。

 やがて優人の意識は、深い海に落ちていく。今まで寄りも深い、深い場所へ。

 ――しばらくそうしていた優人が、むくりと立ち上がった。まるで誰かに操られているかのような動きだった。その目には、一切の生気が見えない。


「こんばんは、可愛い坊や。いい子にしてたかしらン?」


 背後から声がして、優人はうつろな目のまま振り向いた。見上げた先には、山の頂上に浮かぶサルハーフの姿があった。優人は表情1つ変えず。サルハーフの姿を見つめるだけだった。

」 

 まるでその言葉が合図だったかのように、優人は瞼を閉じた。そして、消えかねないほどの小さな声で、呟いた。

 優人の足下からつむじ風が起こる。優人の胸元から紫色の光が溢れ、光の嵐となったつむじ風は身体を包み込む。

 光の嵐の中から姿を現したのは、全身をボンデージにも、拘束衣にも見える衣装に身を包んだ青年の姿だった。胸元や腕、足には無数のベルトが巻き付けられ、手首につけられた腕輪には、鎖が垂れ下がっている。

 後ろに伸びた黒髪は1つに束ねられ、彼の周りで起きているつむじ風に乗って揺れていた。顔の上半分を隠している黒いゴーグルからは、彼の表情は読みとれない。ただ、彼はつむじ風と一緒に、陰鬱とした雰囲気を纏っていた。


「さあ、ロスト・ワン。アナタの思うままに、人間たちを切り刻んであげなさイ!」


 サルハーフが掲げた右腕に導かれるように、ロスト・ワンと呼ばれた優人の身体が宙に浮かぶ。隣まで浮かび上がったロスト・ワンを、サルハーフは満足そうに見やる。

「何だ、あれは……おい、誰だ!」

 突然男性の声がした。この最終処分場で働く職員らしき男性が現れ、宙に浮かぶロスト・ワンを指差した。

「お、おい、君たち、何処から入った! お、降りてきなさい……!」

 男性の声は、宙に浮かぶ怪しい人影への驚きと恐怖から震えている。だがロスト・ワンは怖気づいた様子もなく、男性を見下ろしたまま、右手を前へ掲げた。

 すると、一瞬だけ柔らかな風が男性の頬を撫でた。しかし風の気配は辺りには皆無で、男性がその不気味さにつばを飲んだ、その瞬間だった。

 全身が切り刻まれるような痛みに襲われ、男性はぎゃっと叫んだ。思わず痛みを覚えた腕を見ると、そこには紫色の光を伴った切り傷が至るところについていた。男性はひぃぃ、と思わず悲鳴をあげて、腰を抜かす。

 そして自分の周りを強い風が取り巻いている事に気がついた時には、

 ロスト・ワンが両腕を開く。まるで何かを迎え入れるようなしぐさだった。すると男性の周りを取り巻いていた風が、ロスト・ワンの胸元へと吸い込まれていく。そして、すべての風を吸い込むと、一瞬だけ、身体が紫色に発光した。

「いいワ、いいワ、その調子ヨ、ロスト・ワン。そう、そうやって、生体エナジーを集めていくのヨ……」

 男性から生体エナジーを吸い取ったロスト・ワンは、己で作り出した風に髪をなびかせるだけで、一言も発しない。

「アテクシの可愛い坊や。もっともっと、成長なさイ。あぁ、貴方はなんて良い子なのかしラ」 

 満足そうな笑みを浮かべたサルハーフは、ロスト・ワンの頬を軽くなぞる。

 ともすれば慈しむ様なその指つきに、ほんの少しではあるが、ロスト・ワン――優人の頬が緩むのが見えた。

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