鎧の隙間

「……な!」


 俺の全力防御の前で、ようやく騎士様は声を上げた。


 力を込め、右手も添えた全力防御、それでも受けたの樽の板に濡れた布、形だけ盾をいくら重ねようとも強度は望めず、腕もろともの両断は必然、少なくとも騎士様はそう思っていたらしい。


 だがロングソードは盾により完全に止められていた。


 刃は盾に食い込んでこそいるが両断はまだ、その刃は腕にも届いていない。


 そして間合いは、俺からも届く距離にあった。


 反撃の時、左の手首を曲げ、現れた柄を掴む。


 ギギギギと耳障りな金属音を立てて引き抜いたのはスティレット、斬撃を止めた正体、流石に一撃で軽く曲がっているが、それでも切っ先は鋭い。


 手首を返し突き刺し狙うは騎士様、その上がって開いた右の脇の下だ。


 ……全身鎧は万能ではない。


 軍で実際着てみて学んだことだ。


 その弱点の一つが脇の下だ。人体に限らず、脇の下には手首や首と同じぐらいに神経と血管が集まった急所だ。


 当然ここも鎧で守るべきだが、腕の可動域や上げ続けての体力の消耗などの関係でどうしてもここは薄く、隙間ができる。


 そこを突く。


 ガツリという金属音、肩、肘、手首、全てが連動した刺突が右脇の下へと吸い込まれた。


 ……しかしそれだけだった。


 踏み込みが甘かったのか、先端が曲がってしまってたのか、あるいはそこまで防備した高級品だったのか、スティレットは脇の下の隙間に僅かに食い込んだだけで、中身には届かなかった。


 奇襲失敗、それに激怒したかのように騎士様の前蹴りが俺を引き剥がし、弾き飛ばす。


 腹への痛み、後方へ飛ぶ俺の体、吹き出しかけるのを食いしばり、踏ん張り転ばずに済んだが、スティレットはどこかにいった。


 手ぶらな俺に対し、騎士様の追撃はなかった。


 踏み出した分を一歩引くと、またも構える。


 左足は前に、胸を張り、肘を張り、両手で持ったロングソードをまっすぐ、顔の右横に立て、同じ構えだった。


 だけどもこちらは武器を失い、体力も失い、得たのは鎧の頑強さだけ、それと、斬撃のフォームだ。


 右上から左下へ、基本に忠実な斬撃にブレはなく、たった一度みただけでその鍛錬が窺いしれる。


 これは、殺せない。


 横から何かが加わらない限り、手がない。あったとしても見つけるだけの時間はない。


 思い悩む俺の顔を、騎士様の無表情な兜がじっと見つめてくる。


 そこへ横から、小さな樽が飛んで行った。


 カップほどの樽、見覚えのあるそいつは水を汲んでたやつ、プシュチナが持ち運んでたやつだった。


 その速度は弱々しい。飛んで届くのがやっとの威力、向かう先の騎士様は当然回避も反応もせず、ただ当たるに任せた。


 音もなく当たったのは顔ですらなく上げた肘、それすら動かすことなく足元へ落ちる樽、落ちて跳ねて転がって、銀色の足元に、中身をかけて終わった。


 ……ただし中身は、赤かった。


 血ではない。もっと粒状の、固形物、それは蟻だった。


 背後に迫る群に樽を浸け、引き抜き、逃げ果せられる前に投擲、無力な子供の腕で行える、考えられる限り最大の攻撃だった。


 上手いて手、敗北感、そして脅威度の上昇、俺の予測を上回る行動、視線の端に移るプシュチナはしたり顔だった。


 ……だが、騎士様は動じなかった。


 構えを崩さず、足も退かさず、ただ視線を落として、一瞥しただけだった。


 それでわかった。これが、この騎士様の全てだ。


 一切の回避を捨て、防御を鎧に任せ、ただ一斬、それだけで完結している。


 何かが多かったり少なかったりしたら破綻する、歪で応用のない戦術、これは貴族様の剣だ。


 安全圏で見栄だけ貼って、意地の張り合いでの決闘でしか振るわれない剣術、それも内容を単純化する事で習得の手間を最低限にする合理的怠惰、そんなのを殺せない恥辱は胸の内に黒いものを燃え上がらせる。


 だけどもそれで十分だった。


 しゃがんだ姿勢より、立ち上がり、真っ直ぐ騎士様へと歩を進める。


 正面、ロングソードが届くギリギリの間合いにて、鼻より息を吸い込み、口より吹き出した。


 放物線を描きながら頂点で霧散し、霧となって騎士様にかかったのは、水だった。


 その姿を見つけて前に出る直前、口に含んでいた水、多くは飲み込んでしまったは、その分唾液が混ざり、緩く白く泡立っている。


 浴びたところで、目に入ったところで染み入るほどではない。


 それでも、ナイフを弾く程度に狭い覗き穴、浴びれば視界は阻害される。


 これが最後の切り札、これで決める。空いた口で食い縛り、ロングソードの間合いへと駆け込む。


 対して騎士様、反応し、ロングソードを右上から左下へ。しかしそれは『振るった』のではなく『振るわせた』攻撃、見切るのも躱すのも簡単だ。


 斜めに斬り下げられた左前下へ、ロングソードを潜り獣の如く地を駆け、騎士様の背後へ。


 それを追って振り返りながら右の肘鉄を繰り出す騎士様、だがそこに俺はいない。


 地を這ったまま反転し、そのまま騎士様の足元、右膝の裏へと飛びつき、脛の辺りを抱き捕まえて、後方へ引き上げた。


 投げに近い足払い、加えて鎧に片手で持つロングソード、騎士様は面白いほどあっさりと、バランスを失い真っ正面へと倒れていく。その最中に剣を捨て、両手を突き出す。


 カイィイイイイイイイイイイイインン!!!


 響き渡る金属の共鳴音、騎士様は鎧の重量に負けたのか、まともに受け身も取れずに鼻より地へぶち当たった。


「ぁがぁ」


 苦痛の悲鳴、両手を広げて地に伸びる騎士様、それでも指が床を掻き、突いて立ち上がろうとする。


 その左肩肩甲骨に左手を押し当て、押し潰す。加えて右手で左の手の甲を掴み、親指方向へ捻り、固める。


 関節技サブミッション、軍で散々組手でやって、終ぞ戦場では使わなかった技だ。


 ……全身鎧の弱点、というよりも仕様だろう。


 動くためには関節が関節通り動かせる必要がある。そこを突く関節技は、全身鎧相手にも有効だった。


 捻る手応えは肉と骨、冷たい板金越しにも固めてるとわかる。


 ここまでだ。


 このまま力を加えれば肩か肘の関節を捻り折れるだろう。だがそれは命に程遠い。


 こうして取り押さえ、動きを封じるのがせいぜいだった。


「おい」


 殺せない。だが質問はできる。


「言葉はわかるよな?」


 ……返事はない。だから捻る手に力を加える。


 これに音にならない悲鳴で答える。


 尋問、拷問はゆっくりとするものだが、時間がない。


「正直に答えたらこの腕折るだけで今は見逃してやる。だから手短に答えろ。


 問いに、鎧越しでも反応したのが伝わった。


「今更隠すな。俺らは何の説明もなしにこんな格好で放り込まれた。なのにお前はなんだ? こんなぴったりな鎧、偶然拾ったとしても、一人じゃ着れないだろ?」


「……黙れよ数合わせ風情が」


 やっと聞けた騎士様のお言葉は、鎧の中で反響してて、それでも憎しみに濁っていた。それと、歳は思いの外若い。部屋すれば十代かも知れない。


「お前らは黙って殺されてりゃいいんだよ。そしたら俺がになった暁には、備忘録で美談にしてやんのに、汚い手をどかしやがれ!」


 ガシャンガシャン暴れる騎士様、それをより強く捻り押さえる。


「いい加減にしろ。暴れて命が永らえるとでも?」


 皮肉に、騎士様は笑う。


「殺すってか? この鎧は特注だ。刃弾いたの見たろ? それの腕は折れても心までは……」


 無駄なお喋りを止めてくれたのは、蟻だった。


 迫る蟻は目前、その境界線に最も近いのが、騎士様の頭だった。


「ナイフも通らない完全な鎧、覗き穴でも蟻は通れないかも知れない。だから教えておくが、お前の右の脇の下、さっき刺しそびれた所、こっちからでも見えるぐらいはっきりと、穴、空いてるからな」


 ……それから時間と危険をかけてギリギリまで、銀が赤になるまで待ったが、後は罵詈雑言と貪られる悲鳴だけで、得られる情報はなかった。



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